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万葉集コミュの万葉集35首目

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35;作者:阿閇皇女,羈旅,妹背,行幸,和歌山,紀州,地名,土地讃美

[題詞]越勢能山時阿閇皇女御作歌( 阿閉皇女は後の元明天皇。)

[原文] 此也是能  倭尓四手者  我戀流  木路尓有云  名二負勢能山

[仮名] ,これやこの, やまとにしては, あがこふる, きぢにありといふ, なにおふせのやま

[訓読] これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀路にありといふ 名に負ふ背の山
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これが大和で私が心ひかれた

紀伊の道の勢能山ですね
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【補記】勢の山(背の山)は、紀ノ川を挟んで妹山(いもやま)と向かい合っている山。畿内の南限。朱鳥四年(690)九月の持統天皇の紀伊国行幸の際の御製か。阿閉皇女は前年に夫の草壁皇子を失っており、亡き夫への思いを籠めた歌かと思われる。(千人万首)
 
此也是能ーこれやこのーこれがまさに、  
倭尓四手者ーやまとにしてはー大和にしてはー大和にあって、 
我戀流ーあがこふるー我が恋ふるー私が一目見たいと恋しく思っていた、  
木路尓有云ーきぢにありといふー紀路にありといふー紀伊への道中にあるという、  
名二負勢能山ーなにおふせのやまー名に負ふ背の山ー「せ」は夫を意味する、皇女は夫の名を持つ山に興味を持った。

元明天皇 げんめいてんのう 斉明七〜養老五(661-721) 略伝
天智天皇の第四皇女。母は蘇我倉山田石川麻呂の女姪娘。諱は阿閉(あへ)皇女。草壁皇子との間に軽皇子(文武天皇)・氷高皇女(元正天皇)・吉備皇女をもうけた。

慶雲四年(707)、文武天皇崩御の後、遺詔により即位。文武の遺子首皇子(のちの聖武天皇)を将来即位させるための中継的な天皇と見られるが、和銅元年(708)の和同開珎、同三年の平城京遷都、同五年の古事記撰上、同六年の風土記編纂など、在位中に歴史的大事業が次々に成し遂げられた。和銅八年(715)九月二日、退位。皇太子首皇子はまだ幼少であったため、娘の氷高内親王を中継ぎとして即位させた(元正天皇)。養老五年(721)、病に臥し、長屋王と藤原房前を召して後事を託す。同年十二月七日、崩御。六十一歳。奈保山東陵に葬られる。在位はわずか八年であったが、この間不比等らを重用して律令官制の整備を大いに進めるなど、随所に卓越した政治力を窺わせる。

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