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ブラジル音楽の歴史コミュの3.ショーロ誕生

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ショーロ誕生

19世紀の半ば、当時首都でもあったリオの街は、都市交通の発達や衛生状況の改善などと相まって、爆発的な発展をとげた。新開地には大きな歓楽街が生まれ、人口千人につき一軒もある酒場は、ボヘミアンたちの溜まり場となった。
その彼らが特に好んだダンス・ミュージックが、ポルカである。ポルカは中部ヨーロッパで生まれて新大陸にも伝わり、大いに流行した民俗的なダンス音楽。このヨーロッパ産の舞曲は、ブラジルで広まるにつれ黒人のリズムの影響を受けて、よりリズミカルなものへと変形してゆくのだが、この音楽を演奏する形態のひとつとしてボヘミアンたちが発明した楽器編成が、ショーロの元となった。
1870年ごろ、リオ・デ・ジャネイロの場末で、混血児のフルート吹きジョアキン・カラード(1848〜80)とその仲間のミュージシャンたち三人ばかりが、ポルカの新しい演奏法を試みた。彼らの演奏を、ほかの連中も真似るようになり、いつしかショーロと呼んだ。ジョアキン・カラードらは、「ショーロ・カリオカ」を結成した。ショーロ・グループ「ショーロ・カリオカ」は発足当時、フルート、ギター二本、カヴァキーニョの編成だった。ジョアキン・カラードはもっともスタンダードなショーロの形を実現し、ショーロの創始者と称されている。彼が1880年に32歳で亡くなるまでに、彼ら演奏スタイルはすっかりリオの街に定着し、酒場や個人のサロンなどにおいて、ポルカだけでなくワルツやショッチ(スコティッシュ即ちスコットランド風の2拍子のダンス・リズム)なども盛んに演奏されるようになった。楽器やピアノや管楽器アンサンブルにも適用するようになる。当時の「ショーロ」は確立された1つのジャンルというより、ワルツ、ポルカ、ショッチ(スコットランド風の2拍子のダンス)、カドリーユ、マズカルなどその時代ごとに流行したヨーロッパの舞踏音楽にアフロ・ブラジル系のシンコペーションとブラジル風味を加えたスタイル全般を指す言葉でもあった。
ジャズよりも30年ほど先行したショーロは、ジャズの特徴の多くを先取りしていた。楽器が主体、アドリブが決めて、そして、音楽様式というより演奏の流儀であること、などだ。この国クラシック作曲家ヴィラ=ロボスなどは「ブラジルのバッハ調」というショーロを書いたくらいで、自由自在に姿を変える能力はジャズ以上だ。
巷のショーロ演奏家たちと親交を結び、バッハと並んで彼ら民衆音楽家から対位法を学んだというヴィラ=ロボスは、西洋音楽の伝統的スタイルを借りながらもブラジルの大地や人々の気質を投影した「ブラジル人の音楽」を探り続けた人だ。ブラジル的なるものを求めて一千以上も作品を残し、自らブラジル音楽の伝統の礎を築いたヴィラ=ロボスの存在は、この国を代表するクラシックの作曲家であるという以上に、音楽史上最もポピュラーな音楽家として、後進にも計り知れない影響を残している。

初期のショーロを底辺で支えたボヘミアンたちの多くは、郵便局員や軍・消防署の吹奏楽団員などの公務員たちで、プロのミュージシャンの比率はあまり高くなかった。ショーロのミュージシャンは、食べ物と酒さえあれば、一晩中でもパーティを盛り上げた。1870年から1919年にかけて、リオでは無数のショーロイン(ショーロを演奏するグループ)が夜明けまで家から家へ、パーティーからパーティーへと渡り歩いた。ショーロのアンサンブルにヴォーカルが加わるスタイルはセレスタ(セレナーデ)と呼び慣らわされ、ヴォーカル抜きのインストゥルメンタルはショーロと命名された。この新しいサウンドは、ギターの低音を多用した「哀愁のトーン」から「ショーロ」の名がついたという。ポルトガル語のショーロには元来「むせび泣き、鳴咽」の意味がある。また昔、アフロ・ブラジル系の人々がパーティーやダンスを指すのに用いた言葉「ショロ」を語源とする説もある。
初期のショーロはショーロ・カリオカのスタイルを踏襲していた。フルートが奏でるメロディーをギターの低音がサポートし、カヴァキーニョがリズムを担当する形である。
 ベースのリズムにより、ポルカなどと混同されがちではあったものの、20世紀が幕を開けるころにはショーロの性質ははっきりと定義され、1つのジャンルとして確立していた。
 
「ショーロ」の定義について触れておきたい。これには幾つかの考え方があるようだが、もっとも初期の段階において、前述のような楽器編成、即ちフルート(あるいは他の吹奏楽器)、カヴァキーニョ、ギターによってポルカなどを演奏する楽団のことを、ショーロと呼んだよう。現代においては、このような楽器編成によって演奏されるポルカ、ショッチ、マシーシ、サンバ、ワルツ、そしてショーロ(リズムの名前、典型的なショーロでしばしば使われるリズムなので、ジャンル名がそのままリズム名になったのではないかと思われる)などの音楽のすべてがショーロだ、とする考え方が一般的かと思うが、その一方で、ピアノ・ソロやギター・ソロによるショーロも盛んに演奏されている。ギターでショーロを演奏することは、ガット・ギターをセミ・クラシック風に演奏するということについてのラテン人共通の音楽習慣から、自然に出てきたアイデアであろう。今世紀前半に活躍し、「鐘の音」などの作品で知られるジョアン・ペルナンブーコや、1940〜50年代に活躍しボサ・ノヴァ・ギターの先駆者といわれるガロートなども、良いショーロを残した。ルイス・ボンファやバーデン・パウエルをその系列の下に語ることも可能かと思う。曲の構成としては、特に古い2拍子型の曲については、ポルカゆずりのA-B-A-C-Aの形をとるものが多いが、最近のものは、あまりそれに拘束されてはいない。
ショーロが、ジャズよりも早く即興演奏の形態を確立したということにはさきほど触れたが、ジャズのアドリブと大きく違う点は、ショーにおいて最も重要なのはあくまでもその曲のメロディーであって、アドリブも曲のメロディーを、伴奏者たちがそれぞれの楽器を駆使してもりたてる、というのがショーロの基本的なスタイルで、その点においても、ジャズの闘争的な演奏編成とは対照的である。

ショーロという音楽は、その発生から現在に至るまで、一度として大流行したことはない。ショーロのピークは19世紀末で、20世紀に入ると一時は表面から姿を隠すが、様式であるよりも、方法論であることに徹して、サンバの伴奏のテクニックとフィーリングのなかに生き続けた。サンバの成立と発展に決定的な影響を与えた。ボサ・ノヴァの誕生のうしろにもその影をちらつかせる。ショーロの感覚がバックボーンとなってブラジル・ポピュラー音楽の一貫した高いベルを支えてきたとさえ言える。

コメント(2)

はじめまして。文章、興味深く拝見しました。
パウロ・ベリナティというギタリストが
ガロートの曲集を出しているんです、
このガロートという人、謎が多いですね。
ただ者じゃないという感じがします
ちなみにコミュPaulo Bellinati
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1060440
やってます。

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