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atelier Asphodel 由良瓏砂コミュのコラム

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Alamode Magazine掲載のコラムを転載します。

コメント(11)

今宵も、虚影に満ちた幾つもの空間の秘められた扉が開く。
其処は欧羅巴の貴族の館にも見紛う、絢爛たるシャンデリアに彩られた劇場、
デ・ゼッサントの部屋の如き妖しく隠微な設えのサロン、
或いは咆哮響き渡る黒一色に塗りこめられたホール。
集い来るのは、思い思いの趣向を凝らし贅を極めた装いの人々。
羽根が舞い。金粉が飛び散り。
編み上げた革紐と鮮やかなリボン。モノクロームと極彩色。
性別、年齢、国籍−そんな属性は無用の長物。
此処に在りながら「此処では無い何処か」を希求する人種。流れゆく雲の様な。
とは謂え其れは何処なのか?
朧げなテューレの国。浮島テラセア。さもなくば黄金郷エル・ドラドオか。
そして繰り広げられる一夜の饗宴。音と光の魔法が、あらゆる時間と空間を現出する。
弾かれ擦れ合う弦の響き。増幅し反響し合う叫びと囁き。七色に降り注ぐライト。
次々に変化するスクリーン。その前で揺らめく奇妙な影たち。
刹那の時を重ねながら、其れでも変わる事無く、何時でも戻って来れる場所。
だから集い来る人々の一人一人が、掛け替えの無い、此の空間の構成要素。

何も考えずに居るには余りにも過敏で有り過ぎて、何時も焦燥に駆られて仕舞う。
畢竟、社会と謂う巨大機構の一部品で在る事は如何ともし難い。
レゾン・デートルを求め過ぎて仕舞うのも、考えものかも知れない。
然うして何人かの、掛け替えの無い個体が自らを消滅させていった。
彼等と過ごした無類の時間。私を形成する貴重な事物の記憶。
−此れから色々な事が出来るから楽しみ
−今日は有難う、亦逢いましょうね
想い出の中の彼等の表情は何故か皆晴やかで、其れが余計に遣る瀬無い。
深海に沈む漂流物の様な其れ等を纏い付かせて、私は生命の海を泳いで居る。
でも屹度亦、逢える筈。此処は其の為の約束の場所。
忘れてしまえる訳が無い。

モンマルトルの鏡の宮殿を髣髴とさせる、地下の迷宮回廊にて。
少し許り朦朧とした頭で黒天鵝絨のカアテンを押し開くと、
不図、嘗て馴染んだ百合の馨が鼻を衝いた。
フロアに溢れる人波を視線で掻き分ける。
眼に飛び込んだのは、繊細なレエスに綾取られた華奢な肢体。夢見るような眼差。
真直ぐに伸びた黒髪が肩に落ち、透き通る肌が薄闇にほの白い。
−貴女は・・・
呟くと、少女は此方を向いた。
濃い睫毛に縁取られた黒目勝ちの瞳が、私を射る。
其処に初めて地下の世界へ足を踏み入れた己の姿を見出し、眩暈を感じる。
次に眼を開けた時、少女の姿は最早無かった。
迷宮は、時にこんなトリックを仕掛けて来るらしい。

−早く自分が何者でも無い貴方で在る事に気付いて頂戴
  然うしたら、貴方は本当に自由の身に為れるのだから

(2009/3/21発売 Alamode Magazine Vol.02掲載)
極私的、世界を遊戯する記録


光線は日毎に白く眩く、加速度的に夏へと近付きつつあるこの季節
何時も私は限りない憧憬を抱いて、艶やかな緑と煌めく水を想起する。
其れは記憶の中に在る様でいて、未だ目にしたことの無い、イデアの世界。

高校3年の夏だったか、人気無い県道を一人歩きながら、
私は、降り注ぐ光の粒子の一粒一粒に闇が内包されているのを感じた。
そして恍惚に似た眩暈の内に、永遠とは何であるかを知った様に思った。

生と死とは一つの現象の表と裏、認識された世界は己の感覚の産物に過ぎないのだ。

それ以来、世界はコクトオの『恐るべき子供たち』の光と闇、
白い雪玉と黒い毒薬の合わせ鏡に封じ込められた位相空間と化した。
私達はそこで永遠の遊戯に興じ、幾度も生れ変わっては神話的生を生き続ける。

「時間の森」と名付けた林の奥で、白いレエスの服を纏い
流れ去る時間を切取ろうとしたのも同じ頃だったか。
まるで儀式の様に、森に分け入って光の輪の中に立ち尽くす
それはイデアの世界を現出させる試み。

人形も又、理想を顕在化する橋渡し。
火と水に依って象られる其の過程を、私は錬金術に準えている。
私の人形達の多くは、天然石の眼を持っている。
黄玉、橄欖石、月長石、紫水晶、琥珀。
名前が必要となった時に、其の子には名前が与えられる。
自ら創り出した物で在りながら、同時に必然的に発生した物の様でも在る。
時には異形の姿をして、私にメッセージを運んで来る、異界の住人達。

蔦の絡まる洋館で、異端の匂いのする人形達やその作り手達と過ごした午後。
聖堂の入口で、中で行われている耽美な虚構に思いを馳せつつ、
響き合う声と虫の音を共々聴き入っていた数夜。
中央線の高架下や、廃墟と見紛う朽ちた建造物の内部にて、
悪魔の名を持つ男装の麗人や、ルネサンスの画家の手に成る天使の横顔を持つ少女らと紡ぎ続けた空想のお話。
秘密の部屋で開催される隠微で退廃的なサロン、何日もに亘って続けられる饗宴。
暗闇から這い出て、奇異の眼で見られる包帯塗れの異様な集団。
この街の彼方此方で、何時も誰かが企んでいる怪しげな催し。
夜毎新宿の街を彷徨い、ビルの最上階の優雅なサロンの片隅や
誰一人居ないロビーの大理石の台座の下に入り込んで過ごした、至純の時。

幾つもの夏を、そうやって過ごして来た。

此の世界は、神秘と可能性に満ち満ちて居る。
私達も此れから又、不可思議な彼方の世界の一端を、ステエジに降ろして見よう。

全ての人々に、限り無い愛を。

(2009/6/14発売 Alamode Magazine Vol.03掲載)
眠らない夜


貴方には"オトモダチ"が居ますか?

彼女が手渡してくれた、一枚のCD。
聴いた事も無い様な幻想的な音の連なり、浮遊感のあるヴォイス。
それから度々、そのアーティストの出演するライブやイベントに行くようになったの。
ステージの後ろにはスクリーン、流れる象徴的な映像。
壁に凭れて手を繋いで眼を瞑り、目くるめく音の波に身を任せて。
いつもストロベリーみたいな、甘い匂いを漂わせてる。
横目でそっと窺うと、長い睫毛に銀色の煌めきが、スパークした。

高校の頃、いつも孤独だった私にただ一人、話しかけてくれた。
ほんとは眩しくて、憧れてたの。だから嬉しかったなあ。
体育祭や球技大会では、いつもヒロインだったよね。
私が卒業して東京に出てからしばらくして、突然連絡くれて。
免許取ったからって車で遊びに来て、ドライブに連れて行ってくれた。
ハンドルを握る手捌きに、つい見蕩れてしまったわ。
夜明け前の海の銀色が、違う星みたいで不思議だった。

「詩を書いてるの?」って聞かれた。
うん、と頷くと、「私も」ってにっこり笑って、菫色のノートを差し出したっけ。
随分、抽象的な言葉の遣い方をするんだ、って少し意外だった。
一日何十通ものメイルの遣り取りで、競作したり。
繊細な言葉を紡ぎ出す、端正な横顔。細い顎と、夢見勝ちな瞳。
トラークルを教えてくれたこと、とっても感謝してる。
いつか一緒に詩集を出版しようね、って約束したんだ。

最初はお互い、ちょっと付き合い難いなって思ってた。
だって、住んでる世界が余りに違う気がしたの。
でもある日突然「私が焼いたの」ってブラウニーをくれたんだ。
その時から、結構話す様になったのかな。
カフェで何時までもお喋りしたり。おうちの事とか、相談に乗ったりもしてる。
ふわふわした巻き毛を指にくるくる巻きつけながら、口調は真剣そのもの。
「最初の頃と印象違うよね」って言ったら「自分こそ!」だって。

みんな、みんな大好きよ。
大切な時間を一緒に過ごした、大切な存在。

なのにどうしてなんだろう。
穏やかな日常に突然立ち込める、暗色の雲。
誰のことも信じられなくなって、誰からも必要とされない気がして。
メールにも返信できないし、電話になんかとても出られない。
ああ、いけない。
負ノ連鎖ガ、ハジマル。

生きた死体みたいになる前に、外へ出よう。少しは変わるかも知れない。
新しい何かが、見つかるかも、知れない。

ふと通りかかったアンティークショップのショーウインドウをぼんやり眺めてた。
漂わせた視線が、この子の瞳と出会った。
途端、はっとした。
長い長い間、私を待っていたんだ、って直ぐに分かったんだもの。
お店のご主人はとても優しくて、
「払える時に少しずつでいいよ」って、この子を包んでくれた。

人間同士 って時に、厄介でしょう?
すべてを受け容れてくれるこの子がいると、私は何時でも私で居られるの。
たぶん、この子は私 なんだわ。

ねえ。このまま夜が明けないのも、素敵だと思わない?

(2009/9/13発売 Alamode Magazine Vol.04掲載)
Rosarium Philosophorum


知っている?
貴方が何も気付かず日々暮らしているこの世界には、別の貌があるということを。

例えばそう、<薔薇園>。
バガデル園やライ・レ・ローズを思い浮かべたかしら。それともキュー・ガーデン?
日本にもあるわね。神代植物公園に旧古河庭園、京成バラ園・・・。
貴方が好きな薔薇は、どんな薔薇?
澄ましたような、剣弁高芯咲きのモダン・ローズ。
華やかなロゼット咲きの、或いは愛らしいカップ咲きのオールド・ローズ。
蔓薔薇の奔放さ、野薔薇の純朴さ、みなそれぞれの魅力を持っているわ。
香りでいうのなら、ダマスク、ティー、ミルラ、ブルー・・・。
甘い、柔らかい、或いは清々しい、芳醇たる香りに包まれる至福!
色彩でいうのなら、真紅に純白、パウダーピンク、アプリコット、イエロー。
色とりどりの薔薇たちが咲き乱れる光景は、確かに美しいわ。
そしてまた、付けられた名前の音楽的なことといったら。
ピエール・ド・ロンサール、エヴリン、グラハム・トーマス、フェリシア、ジュリア、コーネリア。
グラミス・キャッスル、アンブリッジ・ローズ、シャンティリー、ブール・ド・ネージュ、ラ・レーヌ・ヴィクトリア。
そんな数知れぬ薔薇たちの饗宴は、さながら地上の楽園といえるでしょう。
でも違うわ。残念ながら、そういった現世的なところではないの。
え、流薔園?
ああ、中井英夫の夢想した精神病院ね。様々な夢を蓄えた幻視者の群れが集うという。
実際に自身の開いた山荘を、そう名付けたのだったっけ。
薔薇の根に焦がれたり、薔薇の縛めに恍惚としたり、不可能の象徴である青い薔薇を追い求めたり
或いはまた、薔薇ならぬ薔薇を求めて異国の空を旅したり。
独逸コルデスの赤薔薇クリムゾングローリー:過去
仏蘭西メイヤンの黄薔薇ピース:現在
英吉利マックレディの青薔薇ロイヤルタン:未来
それぞれ殺人、犯人、放火と結びつけて結実したのが、異端の耽美派ミステリ『虚無への供物』。
確かにロマン派めいた、幻の薔薇のコレクションではあるかもしれない。
でもそれとも違うの。もっと象徴的で、神秘的なものよ。

<哲学者の薔薇園>
この薔薇園の中央には空洞のある樫の木があり、花を付けた美しい薔薇の木が寄り添って立っている。
その根元には泉があって、真っ白な水が湧き出ているの。
その水はうねりながら流れ、深い穴に落ちている。
土を掘りながら水を捜し求める無数の人々の掌を水は流れる。
でも人々は盲目なので、重さをとくと測れる者の他は、それを水と知ることはない。

ニコラ・フラメルの入手した『ユダヤ人アブラハムの書』の挿画の一葉よ。
さあ、この寓意を解いてみて。
赤い薔薇はキリストの血であり、五弁の薔薇は元素の諸力を制御する鍵=五芒星を表す。
また薔薇は地母神・子宮、ヴィーナス・愛と美の象徴でもあり、またそれは秘密を意味する。
これらは単なる断片に過ぎないわ。
組み合わせてパズルを完成させるのは・・・そう、貴方。


2010年2月、気鋭の表現集団MONT★SUCHTによる
16世紀の錬金術の書『哲学者の薔薇園』をモチーフにしたサロンイベント
「Rosengarten」が始動します。
錬金術の死と再生、黒化→白化→赤化の過程を辿る如く、
モノクロームの荒廃した風景に真紅の薔薇が咲き乱れ、
馥郁たる薔薇の香りの中で行われる、神秘的なパフォーマンスやライブ。  
変容する時を表すインスタレーションの中で、
参加する人々にもまた、その時を共有して頂きたく思います。

(2009/12/12発売 Alamode Magazine Vol.05掲載)
今宵、花の香りの立ち込める密室で


吉田良一氏の人形写真に惹き寄せられて潜った、湯島聖堂大成殿に設えられた紫の天幕。
諜報員として育成された少女達の、逆境の中の友情を描いた『ホロコースト』。
まだあどけなさの残る俳優たちの瑞々しい身体が、広い境内を駆け廻る。
これが、榴華殿という劇団との、最初の出会いだった。
次の公演は新宿タイニイアリス、前回とは打って変わった閉鎖空間。
演目は私の愛読書である、コクトーの『恐るべき子供たち』。
ポール役は吉田良一氏の人形、小林榴華。
四人の女優が演じるエリザベートの、思い思いに翻る肢体の、可憐な残酷さ。
エリザベートの銃声と共に飛び去った筈の部屋の精霊は、だが、榴華殿というもう一つの部屋の扉へと私を誘った。

その翌公演から、私は二人の友人と共に、劇団の受付を務めはじめた。

耽美な作風の密室劇と、壮大なスケールの野外劇。
交互に織り成される比類なき世界を創生する主宰・川松理有の類稀なる感性。
「堕落の弁士による催眠幻術無声劇」と副題のついた、密室劇の代表作『REM』は、船室に閉じ込められた人形、小林榴華の独り語りで物語が進行する。
「いつかも、こんな風に二人で朝まで遊んでいたね。
カジカガエルの鳴き声の聞こえる涼しい夏の晩、君はお祭りにも行かず、僕と体を合わせてた・・・」
嘗ての所有者であった娘との追憶、娘の首筋を這う一匹の守宮。
そしてやってくる眩しい朝と、別れ。永遠に夜が明けなければいいのに、とどんなに思ったことだろう。
だが、これがただ一夜の夢だからこそ、これほどまでに鮮烈な美が顕れるのかも知れない。
「人生とは 夢のように 過ぎてゆくものですから」
だから川松の生み出す人物たちは、常に夢の世界への案内人でもある。
それが時に悪夢・・・甘美な毒であるとしても。

密室劇の代表作が『REM』ならば、野外劇の代表は、臨海副都心の空き地に「東京イントレランス」と名付けられた壮麗なセットの組まれた『バビロンより愛を込めて』であろうか。
「映画の父」D・W・グリフィスの生涯を、彼の秘蔵っ子であるリリアン・ギッシュとの関係を中心に描いた大作である。
3時間にも及ぶこの作品は、映画という夢を生み出す一大機構に一生を賭けたグリフィスに対するオマージュとしても十分感動的であったが、
それにも増して、10日間に亘る過酷な環境下での公演を遂行した劇団員たちの姿には心を動かされずにはいられなかった。
開発途上にある東京湾のまだ閑散とした空き地に、蜃気楼のように、黎明期のハリウッドが重なって見えた。

それから様々な形で、この夢の世界の創造を見届けていった。
小林榴華嬢に替わる人形役者として、手嶋玲梨と名付けた人形を提供したり。
いつからかこの劇団の生み出す舞台には、様々な香りの強い花々が咲き乱れるようになっていた。
「カラスウリの咲く夜は、耳を塞いで歩くのよ。でないと気が狂ってしまうから」
プロデュース公演『月下美人』では、一年に一度、月下美人の咲く夜に目を覚ます娘、という役を与えられた。
桃の香りが立ち込める中、柩のように設えられた寝台に横たわり、舞台後方に大きく映し出された月を眺め続けた物語前半、
私は確かに夢が現実となり、現実が夢となる時空を揺蕩っていた。

五月にタイニイアリスにて上演される舞台へのお誘いを頂いたのは、又とない絶妙なタイミングであった。
近年、海外公演や海外の劇団とのタイアップが多く、アジア的要素の強い舞台が目立つ榴華殿だが、今回は耽美的作風となるらしい。
タイトルは『魔の華物語』。
噎せ返るような花の香りに包まれた密室が、又あの地下に現れるのだろうか。
それを創出する側に居られる事に、この上ない喜びを感じながら。
『Rosengarten』の薔薇の残り香も、未だ消え去らないままに。

(2010/3/14発売 Alamode Magazine Vol.06掲載)
自我の牢獄の囚われ人へ


ナチズムの誤謬は意志の力を精神の革命に用いるに留めず、政治目的に転用したことに尽きるのではないかと思う。
ベンヤミンはこう言った。「人類の自己疎外は、自身の絶滅を美的な享楽として体験できるほどにまでなっている。ファシズムの推進する政治の耽美主義は、そういうところにまで来ているのだ。」
パリにあってはパサージュにて集団の夢を見続けたナチス・ドイツからの亡命者ベンヤミンが、政治の耽美主義に対する「芸術の政治主義」としてのコミュニズムを如何にして実現しようとしたのかは、定かではない。
然しながら個の意識から無意識へと下降し、或る境閾を超えたところにある集合的無意識の奔流が、芸術作品を芸術作品たらしめているアウラをそれと認めて共鳴するのでなくては、一体何が芸術的(=呪術的)感動を引き起こすのだろう。
個と社会の折り合いをつけるべく生み出された「主義」が、集団の無意識に働きかける力を持つ時、それは極めて危険極まりない代物になるということだ。

ニーチェをモチーフにしたと思われる"National Media Boy"という曲がある。
「超人は千年まで夢をみる 赤すぎる不眠症の月の下で」「キミニ告グ、ユメハオワラナイ」
これは「現実を超克する力を手に入れよ」というアジテーションに他ならない。
しかしそれを試みる無謀さの前には、一つ目の罠である狂気が待ち構えている。
「狂気の淵で君を待つ 天才と神の気紛れ」政治の耽美主義者アドルフは、こうして集団を狂気に陥らせてしまった。

友人との哲学談義がきっかけで『ツァラトゥストラはかく語りき』を今頃になって漸く読み始めたのだが、折しも舞踏家の薔薇絵氏とのメールのやり取りの中で、舞台表現に関するメソッドの話から、彼女が山上の木についての挿話に触れられた。
覚えていなかったので再度読み直してみた。こんな会話だ。
「高く明るい上の方へ、伸びて行けば行くほど、その根はますます力強く、地の中へ、下のほうへ、暗黒のなかへ、深みのなかへ、・・・悪のなかへとのびて行く。」
「そうだ、悪のなかへだ!」と青年は叫んだ、「あなたはどうしてわたしの魂のなかをそんなに見抜くことができたのです?」
この青年にツェラトゥストラはこう諭す。
「あなたはまだ自由ではない。あなたは自由を追い求めているのだ。その追求があなたを不眠におちいらせ、あなたを過度に目覚めさせているのだ。・・・自由を手に入れた精神も、さらに自己を浄化しなければならない。多くの牢獄と腐敗物がかれのなかに残っているのだ。かれの眼はさらに純粋にならなければならない。」
超人になることが如何に困難なことか、これで分かるだろう。対極にあるものが反対側に伸びていくのだから、人間は内在する矛盾に引き裂かれずにはいられまい。
高く或ることは同時に、二つ目の罠である、転落の危険性をも伴っているのだ。
丁度、『ツァラトゥストラ』の冒頭で道化師に飛び越されて転落した、あの綱渡り師のように。
タロットに置き換えると「0 愚者」である旅人が「XXI 世界」に至る道の丁度半分を過ぎたところに「XII 吊された男」が置かれているのが暗示的である。
純粋さを保ち続けたまま意志の力を磨くこと。これがツァラトゥストラの末裔たらんとする者の、使命だと言えよう。

では自由とは何か。意志は何に対して力を行使すべきだろうか。
これに対しては「自我(エゴ)に対して」そして「自己を規定するあらゆる規範に対して」と言っておこう。
ベンヤミンに倣い、ここでは多くを語らないが、私の愛する純粋さとは、何者にも準拠することのない精神の独自性に他ならないのだ。
ツァラトゥストラの末裔よ、願わくばこの散文が貴方の目に触れ、そして些かの波紋を心に広げんことを。

(2010/6/13発売 Alamode Magazine Vol.07掲載)
眼球幻想


2010年11月28日、ゴシック界の重鎮・AUTO-MODの30周年記念ライブが行われた。
式典に相応しく豪華なゲストプレーヤー・パフォーマー陣がひしめき合うステージであったが、中でも感慨深かったのはかつてのレギュラー・パフォーマーであった、役者たちの姿が見られたことだった。
初めてAUTO-MODを知った時、その癖の強いジュネのボーカルに抵抗を持ったのだが、繰り返し聞くうち病みつきになっていき音源を買い集めた。
高校時代の親友がたまたまジュネの当時のバンド「ROCK OF ROMANCE」の舞台美術の担当者と知り合った縁で、私も舞台美術を手伝うことになったのだが、稽古場に通ううち、写真家で当時は演出も担当していた故・神林立子氏の提案で、万有引力の役者やダンサーという錚々たる顔ぶれの中、素人同然の私が舞台に上がることになったのだった。
北沢タウンホールや川崎クラブチッタの、時にイントレを組んだ作り込まれたステージ。私の舞台歴の中でも、特に忘れ難い光景である。

AUTO-MODの代表曲『Deathtopia』のオリジナル音源は、当時「小劇場界のアイドル」と謳われた演劇舎蟷螂の美加理のナレーションに続いて始まる。
「僕が太陽に向かって飛ぼうとしていた時、君は月の裏側から逆立ちしながらやってきたのさ。二つの影が、同じ死の匂いに包まれていったのも、合わせ鏡の昼と夜が、全く同じ光に照らし出されていたからなのさ」
「逆しまなるユートピア」を求め続けたジュネのロマンチシズムが十全に発揮された美しい詩だと思う。
また解散に向けてのシリーズ・ギグと同じタイトルの『時の葬列』という曲には、「抉り出された眼球」「太陽のアヌス」等々、バタイユの著作からインスパイアされたと思しき歌詞が付いている。
ロックというジャンルにおいて独自の美意識を貫き続けているジュネは今も尚、「東京ダークキャッスル」という闇の城に君臨する城主として、既成価値の転換をと集う者たちを挑発し続けている。

ところでバタイユの『眼球譚』は言うまでもなく、様々な眼球に纏わるオブセッションを綴った小説である。
梅毒病みの盲人である父親の思い出から生まれたこの小説の中では、卵=眼球=雄牛の睾丸がヒロイン・シモーヌの中で混合される。
だがここで描かれる眼球はすべてを見通す「叡智の眼」、高橋たか子が『骨の城』で描いたような「眼だけを残して死に到った者たちの眼球をびっしりと貼りつけた球体」としての「神」、そういった崇高さを纏うどころか、便器に落とされ死者の顔から抉り出され、徹底的に蹂躙され貶められる。
バタイユの中で眼球が、父親の放尿時の剥き出された白目という厭うべき記憶と結びついていた為であろうか。
あるいは神との徹底的決別を、絶対者を想起させる眼を冒涜することで完成させようとしたのだろうか。
通常の眼とは対照的に位置づけられる、太陽を視る為の特別な眼とは、バタイユによれば、頭蓋の中心でまどろむ松毬の眼、松果体である。
太陽の肛門に向かって垂直に伸びる男根的性質を持つ真赤な眼。白化から赤化へとまさしく錬金術的な変容を遂げた、新しい眼。
ハンス・ベルメールが『眼球譚』に付けた挿絵には、本来眼の在るべき位置に女陰の配されたシモーヌが描かれる。
「上なるものは下なるものの如し」という錬金術の原理は、そのままバタイユ=ベルメールの思想と読み替えることも可能だろう。
ベルメールがデッサンにおいて試みた「肉体のアナグラム」を現実の恋人、ウニカ・チュルンの身体上において再現しようとした時、かの人形愛好哲学者デカルトの言うように、精神と機械としての身体とが松果体によって結び付けられているのだとすれば、ウニカの精神には如何なる変化が齎されたのであろうか。
アナグラムであるアロイーズ、ベルメールにとっての「人形」となったウニカが演じる、目玉を抜かれたオリンピアと、それを見て発狂し塔から落ちるナタナエル。
「合わせ鏡の昼と夜」のあわいにこの一人二役を幻視してしまうのは、もしかすると私の頭蓋の中心でまどろむ、もう一つの眼かもしれない。

(2010/12/18発売 Alamode Magazine Vol.08掲載)
白月草と向日葵と、そして飛散する青


ブーーーン・・・低い振動音が、頭の中で増幅する。
暗闇の中、あたしは目を開いた。
寝台にしている、がっしりした金属の台(何かの台座だったのだろう)から半身を起こし、辺りを見回す。
もう、朝なのだろうか。
振動音は、計測器の音だ。針は安全値を示している。今日は外に出ても大丈夫だろう。
濾過器に繋がっている蛇口を捻り、コップに水を注いで飲み干す。ついでに顔を洗い、身支度を整える。
剣を手に、鉄の扉を押し開ける。扉の向こうは、外部へと続く階段だ。
剣は、獰猛な野生動物に出遭った時の用心の為だ。
肥大した四肢、幾重にも垂れ下がった皮膚、身体中を覆う鱗や棘、口から吐き出す有毒な液、時には二つ或は三つある頭。
滅多に遭遇することはないが、危険極まりない獣たち。
階段を数えながら上る。238段。何度数えたって同じだ。
階段を上り切り、もう一度重い鉄の扉を開けると、弱った目を光が射る。
あたしが棲家にしているのは、廃工場の地下の制御室だ。
工場は、周囲を切通しに囲まれた、甘い水を湛える泉の畔にある。
泉の畔には露草が咲き乱れているので、あたしは此処を「白月草の谷間」と名付けた。
でも寧ろ「眠りの谷間」とでも呼んだ方が良いのかも知れない。
何故って、この谷に棲んでいた何人かの人たちは、或る時から一人また一人と眠ったまま動かなくなってしまったから。
大人たちの大部分は、泉の畔の木の上に小屋を建てて暮らしていた。
木の上なら獣や大抵の危険な生き物に襲われなくて済むし、偶に降る大雨で泉が溢れても水浸しになることもない。
でも今はみな小屋の中や草叢や水辺で、眠ったまま鳥に啄ばまれたり、虫に集られたりと哀れな姿を晒している。
あたしだけが眠らずに済んだのは、地下に居ることが多かったせいかもしれない。
計測器の値が示す数値の意味が解り始めたのも、その頃だったと思う。
あたしは何となく怖くなって、暫く地上には出ないことを心に決めた。

鮮烈な緑が鮮やかに視界を彩る。
泉の向こう岸には、何時の間に咲いたのか、沢山の向日葵が光をいっぱいに浴びて咲き誇っていた。
爽やかな風が、木々の間を吹き抜ける。
住む人を失って荒れ果てた小屋の一つに攀じ登り、あたしはきらきら光る水面を眺めた。
この谷に来る前のことは、何一つ想い出せない。
僅かに耳に残っているのは、暗がりを飛び交う激しい低い声と、重い金属の蓋か何かが閉まる音。
次に気付いた時にはあたしは、荒廃した岩だらけの道を裸足で歩いていた。
服は血塗れ、手にしていたのは一振りの剣だけ。
偶々通りかかった「白月草の谷間」の住人の老人が、あたしをここへ連れて来てくれたのだった。
その老人は道すがら、森の深遠に嘗て在ったという「帝都」の話をしてくれた。
月のない夜でも光り輝いているという其の場所に憧れ、出掛けて行った者は数多いが、帰って来た者はなく、
今はびっしりと木々が絡まって容易には近づけないという・・・。

何時の間にか、眠っていた。
夢の中で、あたしは「帝都」に居た。
無人の街路に聳え立つ建築物。あらゆる物が、緑色の燐光を帯びて輝いていた。
そしてその薄明かりの中を、不可思議な旋律が響いていた。
妙なる、調べ。管楽器の様でもあり、歌声の様でもある。
いや、これは確かに人の声だ。それも複数の、少女の、声。
・・・・・・誰?

(2011/4/10発売 Alamode Magazine Vol.09掲載)

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