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外場村保存委員会コミュの室井さんちの宗派を探して。

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とにかく室井さんの髪があるんかないんか気になるんですね。
室井さんちの宗派って多分
「●●宗とみせかけておいて決定的なところで違う宗派なんだよね。」
っていうのだと思うんですが、(溝辺町を探していてそう思った。)
探してみるのもいいんじゃないと思い調べてみました。
とりあえず分かったことだけ書き込んであります
何か分かったらまた書き込んでいきます

「●●宗ではこうするのよ」「それ、間違ってますよ」というご意見、情報、お待ちしています、心の底から。
情報の際、出典も教えてもらえると助かります、読みますので。
まだこれだけな参考資料/「仏教と神道」ひろ さちや 新潮選書/「仏教早わかり事典」藤井正雄 日本文芸社/
「仏事のイロハ」末本弘然 本願寺出版社/「日本の仏教」渡辺照宏 岩波新書

・土葬

余談ですが現在の火葬率は94%以上だそうです

・墓石はない。角卒塔婆が立つきりだ

卒塔婆には生前の名前も書き込まれる 何故角卒塔婆…謎です
未確認ですが、
浄土真宗では卒塔婆は立てない、という情報があり、また、帰依する仏は阿弥陀様のみという宗旨から観音像、地蔵像、宝塔は建てない。

・死者の回向の三十三回忌、それを過ぎると卒塔婆を倒して樅を植える植えて忘れる。死者はすでに山の一部に還り、もはや人と接点を持たない

三十三回忌以降はさすがに故人を知ってる人がいなくなるだろう時期なので、
仕方なく切り上げるのかもしれない
ちなみに三十三回忌の起源は神道からきてます。
神道にある山中他界観では、死霊が山に昇り、穢れや悲しみを忘れて個性を失い、
祖霊、氏神となるまでの時間が33年から50年というので、それを模してるのかもしれないと想像。
外場とは逆に、弔いあげに位牌を墓地や寺に納め、
「うれつき塔婆」や「太い角塔婆」を、墓地に立てて神に祀り替えるところもあるそうです、
モデルかも(笑)
また、古代には陵墓に柱を建てたという記事もあり、
これは諏訪大社の御柱なんかにもみられる、神座だったというお話。
神道の山中他界観の色濃い外場村で角卒塔婆を立てるのは、板卒塔婆より自然なのかも。

・庫裡、境内、山門、戒壇、本堂

宗派によって七堂伽藍も違うのですが調べ中

・世襲制、若御院、御院

寺ができたのは江戸初期に村が拓かれてから百年くらい後のこと
未確認ですが浄土真宗では住職は「御院」と呼ばれる(情報ありがとうございました!)
浄土真宗では世襲寺院が主体。
明治五年、明治政府は僧侶の妻帯、蓄髪、肉食を許可。
それ以前でも妻帯を許されていたのは浄土真宗のみ。
ってことは時代を考えると浄土真宗がくさい
ちなみに江戸時代は1603年から
その百年くらい後となると単純計算で1703年頃?
1688〜1704年元禄文化花開いた時代
1704〜1711年宝永年間

写真123に戦前の宗派「13宗56派」の一覧図。
いちいち書いてられませんでした読みづらくて申し訳ない…
これに含まれているハズ。

・「外場はそもそも、寺院所領に木地師が住み着いて拓いた村で、
寺院所領の解体が行われるまで…」
・「竹村、田茂、安森、村迫の四家が村を拓いた家らしい」
・「もともと、山を天狗のように飛びまわっていた連中が
始めた祭りだからな」(虫送り)

木地師は修験道、山伏の前身という説もある
修験道は明治時代、修験道廃止令によって廃止され、
本山派(天台系、京都聖護院を本山とし熊野一帯を修験道場にする)は天台宗に、
当山派(真言計、京都醍醐寺三宝院を本寺とし、吉野金峰山、大峰山を修験道場にする)
は真言宗に所属される。

虫送りではユゲ衆の衣装が白装束に黒い衣で時宗遊行上人を模してますが、
白装束は山伏からきているのか?と想像。
そしてユゲ衆の使う「うっ歩」ですが、これ修験道から神道から陰陽道から、広く
鎮魂、地霊鎮め、悪霊を祓う儀式に使われてます。
各地に残る修験道の山伏神楽でうっ歩(「へいばい」というそうです)を踏むことも
よく知られているそうです(知らねーよ!)

寺院所領とか分からないので日本史調べ中

・時宗の遊行上人
まさか時宗。一応メモしたけど関係ないかもしれない。

・寺の朝は5時から始まる

勤行 内容が詳しく語られていれば限定できたかもしれない。

・戒名

浄土真宗では自力修行や受戒を必要としない宗旨により「戒名」とはいわない(法名)
また、「戒名」と呼ばない宗派に日蓮宗がある。(こちらは法号)
枕経 何を唱えるか書かれていたら限定でき(略)

・寺請制度

「江戸時代、個人が寺の檀家でありキリシタンや禁制宗派である不受不施派などの
信徒でないことを檀那寺に証明させた制度。
農民の住居移転、奉公、結婚、旅行などの際にはこの制度によって檀那寺から発行される
寺請証文を必要とした。寺院は幕府の庶民支配機構の末端の役割を果たした」マイペディア
寺請証文、これが身分証明書にもなってたそうです、
各寺院は毎年幕府、諸藩に信者の名簿を提出、事実上の戸籍事務取り扱い機関でした

で、この寺請制度を立案、実行させたのは臨済宗の崇伝。
江戸初期、権力のあった宗派としては同等に、家康、秀忠、家光の宗教顧問だった天台宗の天海。
ほかに家康に重んぜられ、特に発達したのが浄土宗、増上寺の存応源誉

ブイブイ言わせてたようです。寺を迎えたのは江戸初期より100年後のことですが
流行だった上の三つのどれかか?とりあえず参考までに。

戸籍ですが、身分によってお寺の宗旨も決まっていて、
農民は真言、浄土真宗など、(など…)
職人は日蓮宗、時宗など(これもなど…)だったそうです。あやしいですね。


・友引
どの宗派でも、実は特に気にしないんですが友引の俗信は全国に広まってて、
葬祭業者や火葬場の休日もこの日になってるのでとり行えないのが現状。

・お盆迎え火…外場では麻のかわりに樅を燃やす
・胡瓜で作った馬と茄子の牛
・盆提灯

起源は仏教だがよくよく考えると日本の神道行事
浄土真宗では宗旨により先祖が帰ってくるとは考えないので精霊棚(馬とか牛とか提灯とか)は用いない
ちなみに東北ではお馬さんや牛さんを麦わらで作ることが多い。
溝辺町外場村候補に東北ははずれるかもしれない。

・本当は四十九日の法要で忌明けにするが弔中が三ヶ月にまたがるのはよくないといい、三十五日で忌明けにする

浄土真宗は特に気にしない。他の宗派がどうかは調べ中
ついでなんで法事のお布施の標準額を調査した結果をみて
から室井さんちの収入をはかってみる(笑)
四十九日の法要…平均48000円(最多回答額は30000円と50000円)
一周忌…平均、最多回答額とともに30000円
三回忌…33000円(最多回答額は30000円と50000円)
その他法要…平均額、最多回答数ともに30000円

・死人が出たら神棚に半紙で蓋をし、湯灌、経帷子を着せ、
数珠を握らせ、守り刀を抱かせ、棺書を入れてて埋葬
・埋葬式には鐘を鳴らす

神棚封じは神道のならわしですが、浄土真宗や日蓮正宗では仏壇の扉を閉めないとか。
他の宗派では閉めている場合が多いようです。

経帷子…真言宗が鎌倉時代頃に用い始めたとか。
どの宗派でも着せるが浄土真宗では死者が冥土の旅に出るとは考えないので、
清潔な白衣や故人が好んだ服を着せ守り刀や他アイテムを持たせない

守り刀…真言宗は守り刀もたせるそうです、他調査中

湯灌…真言、天台宗には独特の作法が定められているが「湯灌」とだけで記述がない、がっかり

棺書…戒名を書いた札。調べ中。浄土真宗に「納棺尊号」というのがあり、
棺に納められるがこれは阿弥陀様の名前が書かれているので違うと思われる

・般若心経

浄土真宗は用いない。
以下、各宗派が大事なお経、としてるお経と、写経供養とかで用いるお経です、参考までに
天台宗…法華経、阿弥陀経、般若心経
真言宗…般若心経、大日経、金剛頂経、理趣経
浄土宗…無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経、
      一枚起請文、般若心経、重誓掲(ほんとはニンベンなんですが字がでてこない…チョウセイゲ)
浄土真宗…阿弥陀経、正信掲(ニンベンね。)、讃仏掲、十二礼、なむあみだぶつ(名号)
曹洞宗…般若心経、観音経、修証義
臨済宗…般若心経、観音経、消炎呪
日蓮宗…法華経(特に寿量品)、南無妙法蓮華経(題目)

日蓮宗も般若心経使わない。

・陀羅尼 真言陀羅尼

密教で加地祈祷に使われているが
郁美さんまでにも使われてるのでこれという限定はできなさそう
GHで坊さんがよく唱えている。

・念仏

佐藤笈太郎が唱えてましたが、念仏といったら南無阿弥陀仏
阿弥陀様に帰依しますといったら浄土宗系。
しかし汎用性が高すぎるで(自分の家の宗派も知らない私でも唱える)限定はできなそう

・お札

浄土真宗では火災除けや厄除けの祈祷札の類や御守りも、
神社や寺からもらうのを厳しく戒めている

・位牌

浄土真宗では位牌が礼拝の対象になりやすいので用いない。あくまで阿弥陀仏。
本尊 どの仏か記述があれば(略)

・数珠、念珠(どっちもジュズ)

数珠、(珠数とも)念珠ともいうそうですが、
密教僧が用い始め、念誦する題目などの数を記憶するために用いられていたそうです
で、メモ見て気づいたんですが
夏野は、「数珠」と言い下巻149p(宗派を問わず信仰心もたない)
結城は「念珠」下巻p188(?不明)
昭とかおりも「念珠」下巻p186(檀家?)と言ってました
どれも同じ意味だと思ってたんですが、な…何か訳が?!深読みしすぎか?!
そして肝心の室井さんですが「念珠」下巻p204でした(笑)
略式のものなら各宗共通で使えるようですが、
宗派によって形、数、独自のものもあるとか!
とりあえずわかったところでは、

浄土真宗では
「念珠」という言い方が多く、女性は「切り房」男性は「ひも房」の房の念珠を用いる
真言宗(高野山真言宗及び真言宗信徒)では数珠を「念珠」と呼び、
108個連ねてあるのを正式な念珠とし、これを「本連」という
念珠は母玉と緒留の間に片側に54個、もう片側に54個の玉を連ねてある。
真言宗の念珠は振分数珠と呼ばれ、八宗用に用いられることがある。
一般信者用としては、片手数珠が多く用いられているそうです、

・袈裟

袈裟も宗派によって違う…!本文に詳細がないので調べようがないんですが参考までにメモ。


どうも、浄土真宗のようでそうではなさそうな結果が。
真言宗がくさいですが限定はできそうにないです。

情報提供してくださった皆さんありがとうございました!

コメント(6)

・世襲制、若御院、御院
「浄土真宗じゃないけど公に世襲性ですが、何か?」
という寺ないかなーと思ってたら、たまたまみっけました。
天台宗。
東北は宮城県遠田郡涌谷町箆岳(ののだけ)
『白山宮を勧請し次いで坂上田村麻呂にが十二面観音を祀り、
慈覚大師が堂塔を建て無夷箆峰寺(こんぽうじ)とした。
また記録に箆岳は住吉天台修験兼帯の山で入峰が中絶以来、
古風山伏三人が残ったとあり、一山僧坊の大部分は
平安末期より鎌倉初期に中興、あるいは入山している。
清僧ではなく妻帯し各坊は世襲であった』
こういう公式例もあるということでメモメモ。
さてさて、またまた脱線調査チームの出番ですね(外場村の確定は未だですけど(笑)
これでまた、仕事をしていると周りからは見られつつ、実は屍鬼関連の文献を読みふける、サイトを閲覧するという絶好のサボりタイムが送れます♪
学生時代は宗教史を専攻していましたが・・・日本仏教にはかなり疎いんです・・・が、どうも仏教であり仏教でない、どうも神道くさいところがあるのですよね。もともと神仏同一のところも日本にはありますから何とも言えないのですが。
樅林、山が彼岸、山中他界観で冒頭から神道ちっくですからね。

宗教史それでも専攻頼もしいです、
管理人は日本宗教関係の本読み出してやっと4ヶ月です!
そして読めるのは昼飯時くらいで当てにならないうえに調査が鈍足この上ないです(笑)
ちなみに箆峰寺は正月祭りでヒットしたんですが
「中世神仏習合の祭式が保持され、稀少な宮座型の祭祀を行ってる」そうです。
・寺の朝は5時から始まる

禅宗系のお寺の朝は、夏は3時半.冬は4時半。
さんじはんっすか、5時だと遅いですね。
漫画版で通夜で室井さんが読経してました、
達筆しぎで解読できんのですがどうも
「観世音」「当知是人」「通力」とあるようなので、それを含んでるお経を探したら
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」がヒット、
観音経の最後の、釈迦の言葉に地蔵菩薩が応える番外の部分にありましたが

違うかもしれない。間違ってたらごめん下さい

聞是観世音菩薩品 自在之業 普門示現 神通力者
当知是人 功徳不少佛説是普門品時衆中 八萬四千衆生
皆発無等等 阿耨多羅三藐三菩提心
「世尊よ、この観世音菩薩の自由自在な行為、
あらゆる姿をとって現れてくださる神通力の教えを聞く者の功徳ははかりしれません。
これを聞いた私たち八万四千の人々は一人残らず、
仏と同じく最上の正しい悟りの心を起こしました。」

宗派ですが通夜でこれ唱えるのは臨済宗のようです。
漫画版は臨済宗かもしれないですね。
ちなみに真言宗では「理趣経」「慈経の呪」「光明真言」
天台宗は「阿弥陀経」
曹洞宗「修証義」「父母恩重経」
臨済宗「観音経」「金剛経」
浄土宗は本願寺派「阿弥陀経」大谷派では「正信偈」とのこと。

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