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その映画&小説を見たくなる論評コミュのVénus noire     (2010)

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Vénus noire (2010)

162 min
制作国; フランス、ベルギー

監督

Abdellatif Kechiche

脚本

Abdellatif Kechiche (original scenario),  Abdellatif Kechiche (adaptation),

出演
Yahima Torres ... Saartjie 'Sarah' Baartman
Andre Jacobs ... Hendrick Caezar
Olivier Gourmet ... Réaux
Elina Löwensohn ... Jeanne
François Marthouret ... Georges Cuvier
Michel Gionti ... Jean-Baptiste Berré
Jean-Christophe Bouvet ... Charles Mercailler, le journaliste
Jonathan Pienaar ... Alexander Dunlop
Rémi Martin ... Le premier client du bordel
Jean-Jacques Moreau ... Henri de Blainville
Cyril Favre ... Le premier aide naturaliste
Dominique Ratonnat ... Le 2e aide naturaliste
Didier Bourguignon ... Le 3e aide naturaliste
Ralph Amoussou ... Harry, le premier domestique
Alix Serman ... Matthew, le deuxième domestique

粗筋;
The story of Saartjes Baartman, a Black domestic who, in 1808, left Southern Africa, then ruled by Dutch settlers, for Europe, following her boss Hendrick Caesar , hoping to find fame and fortune there. Once in London her master turned manager does nothing but exhibit her as a freak in a phony and humiliating carnival show. After a series of troubles caused by their act, Caesar, Saartje and their new friend, bear-tamer Réaux, head for Paris where once again, and against her will, she has to mimic savagery and expose her body, first in carnivals, then in the aristocratic salons of Paris, later on among the libertines and finally in brothels where she ends up being a prostitute. In the meantime, French anatomists will have taken an interest in her unusual anatomy (enormous buttocks and labia) only to declare her the missing link from ape to man. In 1815, aged only 27, she dies alone, of a combination of pneumonia and venereal disease. Written by Guy Bellinger



映画データベースで検索しても何も無かったのでIMDbから牽いた。 本作はオランダ国営テレビの週末深夜映画として観た。 

医学部でインターンをしている娘が電話で夕食を一緒にしたいけど行ってもいいかというので3人分の食事を作りそれをのんびり裏庭で済ませ、その後ニュースでパレスチナがイスラエルに無残なまでに攻撃され、女子供の流血を見、またアフリカから中東、西アジアに至る地域のニュースが絶えないこのごろにオランダではもうバカンスムードが行き渡り、のんびりしたニュースが続いた。 娘がテレビで何を観るのか尋ねるので本作のことを言うと、あれ、エロチックな映画でしょう、というので、へえ、テレビガイドでは四つ星を付けたエロ映画は昔の「ディープスロート」ぐらいしか観た事ないし大島の「愛のコリーダ」にしてもエロ映画じゃないからな、それに民放とは違い国営テレビでエロ映画もないだろう、と言っていると娘は友達達とクラブに行くとかで夜の町に出て行った。

エロチック、官能、とくると嘗ては我々の劣情を弄ぶロマンポルノなどがあったけれど今の燒結を極めるAVなどからすると昔のロマン・ポルノは子供騙しぐらいにしか捉えられないかもしれない。 けれどそこには今のあからさまな即物性が無いだけまだ官能を「くすぐる」ところはあったように思う。 本作にエロを期待して見てしっぺ返しにあうのはマルキド・サドの「悪徳の栄え」や「ジュスティーヌ」を読んでそこに政治に対する呪詛、と人間に対する洞察の豊かをみてエロどころではないと感じるのと同様かもしれない。 そもそも本作にエロを期待して見ると後味の悪い思いがするに違いない。 

その後味の悪さはどこに起因するのかそれを省察することに多少の意味があると考えそれを記してみる。 

オランダに住んでいてオランダの歴史に触れるとそこには海外に雄飛する国民の像とともに歴史の中でいかに彼らが海外で雄飛したか、どのように彼らが住む土地に富をもたらしたか、というところに今で言う中性化された「国益」を生み出すプロセスが示され、そのなかでどのように人々、物品、を扱いその過程で利潤を得てきたかということに思いが行く。 例えば今ではゼーランド地方の首都であるミッデルブルグが嘗て世界の奴隷貿易の拠点でありそのプロセス、資料が事細かに残されており、嘗てのその忌まわしい歴史に対する禊(みそぎ)としてか現在では人権意識を高めそれを擁護することに寄与した人々を顕彰する賞が設けられ、受賞した人々がニュースに登場するのを常としているけれど、本作もそれに関係もなくはない。 人身売買、及び奴隷解放の歴史がいつごろからどのようにして生まれてきたのかという点が一つ。 19世紀初頭の運動が本作の中である種、主人公の来歴に絡むとそこえはその議論がここでは単純にすぎるように見えるからくりが仕組まれているのだが、法廷でのヘンドリック・シーザーの陳述にはこの間の事情を知らなければ我々はそこに集う烏合の衆に加担するかもしれないしこれは現在進行する南北問題に起因する経済難民の問題とも絡む。

本作は最近までオランダ語の「アパルトへイト」という言葉がまだ生まれる前に南アフリカで生を受け、それまでのオランダ植民地の勢力がイギリスにとって変られる1800年以降にイギリスに越してきてフリーク・ショーで原始的なホッテントット族の女を見世物にしている1810年に始まる。 男はイギリスに行けば珍しい未知の国、アフリカのイメージを膨らませて大衆娯楽としての見世物で一山上げられると踏み嘗ての使用人、Saartjie 'Sarah' Baartman を「黒いヴィーナス」と名づけあざとい興行を流行らせている。 彼女の名前は紛れもなくオランダ名でそれは今でもごく普通に存在する。 男はオランダ系ブール族と言われて当時はイギリス系に押されていた経済弱者の白人であり両者ともオランダ語から派生したアフリカーンスという言葉を話す。 日頃オランダ語の環境で生活するものには本作でのアフリカーンスは甚だ興味深いものだった。

人間の興味は果てしない。 それが未知の動物、人間もしくは人間まがいであれば我々の好奇心を充分刺激し、知的、情動的にかかわらず我々を捕らえて弄ぶ。 そこで求める者に求められるサービスを提供して利益を得るのが是か非か、という問いが湧くのは当然で、それが経済のなかではサービス業として成り立っているのはいうまでもない。 世界で一番古いサービス業と言われるものに売春がある。 オランダではいまなお大きな街に行けば飾り窓の女たちが媚を売るのが見られる。 そこで彼女達が営業できるのは人身売買を通らず自由意志でサービス業を営みその報酬は他人に搾取されない、つまり人権を保障されているということと本人の健康が保証されている限りこのサービスは認可される。 時々アフリカ、旧東欧諸国から人身売買を経てここに来る女性達が当局に保護されその売人達が逮捕されるというニュースが見られるが、合法的な彼女達には労働組合もあり、彼女達の市当局に対する権利にも数百年の歴史がある。 

さて、主人公サラが法廷に証人として召喚されそこで語るのは彼女は奴隷でもなく自由意志でこのサービス業に従事しているということでこのサービスはフリークショーの「演技」であって利益は平等に分かち合っていると言うが傍聴の人々には信じがたいことである。 彼らには彼女は未開の黒人であって言われるままの鸚鵡返しをする哀れな被害者なのだ。 主人公が野蛮なホッテントットに仕立てられゴリラ同様に扱われ、興味心を煽り、同情を買うようなフリークショーは嘗て世界中どこでもフリーク・ショーは存在し、今は人権の意識が「ポリティカル・コレクト」を誰憚ることもなく否応なくも前面に押し出し、嘗てのようなフリークはカーテンの裏に押しやられ、果ては身体障害者、精神薄弱者までこの部類に押し込められている感の否めない時世である。 本作と時をあまり隔てず巷の大衆、医学、科学に従事するものに興味を牽かせたフリークショーの男を主人公にした作品にD・リンチの「エレファントマン(1980)」というのがあった。 本作でもエレファントマンと同様フリークショーではあるが本作ではフリークでありながらエレファントマン以上に人権をどう扱うかに焦点が向かっているようだ。 当時アフリカ局というのがイギリス政府にあり植民地主義、帝国主義の中、徐々に広がった奴隷貿易廃止、奴隷撲滅のキャンペーンを張る者達がこのフリークショーで首輪を嵌められケージに閉じ込められ猛獣狩りよろしく追い立てられて芸をする姿にサラが虐げられて搾取の対象になっていると見られパートナーであり南アフリカでは雇い主だった男が法廷に立たされ訴追されるがサラの証言でパートナーであると言い立てても聴衆はショーを信じてサラはそう言わされているだけだと信じ込むという始末であることは既に述べた。

本作にはもう一つのフリークショーがある。 こちらの方がもっと人間存在の理性とそれを推し進める「科学的好奇心」の一面を示す上で興味深いかもしれない。 フランス科学アカデミーの研究者たちの人間の起源とその分化を身体部位を比較することで解明しようとする試みである。 具体的にここで研究対象にされるのは女性器の陰唇の長さなのだ。  蛮族、フリークと言われながらそれで利益を得る主人公であっても冷徹な科学者たちの「科学的・理性的」な視線には幾らフリークショーには耐えられても人間としての深部の声には耐えられない。 けれどその後主人公が体を売り苦界で果てた後に彼女のビジネスパートナーに売られ科学者の視線に晒され標本となり現在まで保存されている結果となるのだがその彼女が本国南アフリカに帰還した実際の映像はエンドロールで示され本作は終わる。 

本作でのキーワードは視線であろう。 科学者の視線、政治家、運動家、本作を観る我々の視線が試されるが取り分け印象深いのは Yahima Torres 演じる Saartjie 'Sarah' Baartman の視線である。

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