ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

気ままに読書会コミュの阿部謹也著「自分のなかに歴史を読む」ちくまプリマーブックス15筑摩書房 、「「世間」とは何か」講談社現代新書No1262講談社、「西洋中世の男と女」筑摩書房 、網野善彦著 「無縁・公界・楽」 平凡社

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 この本は著者がヨーロッパ社会に興味を持ち、西洋中世史を志すようになった経緯をとおして、ヨーロッパ中世史を人間関係の変化から読み解いています。たとえば、なぜ自然科学や資本主義がヨーロッパに誕生し、発達したか。二つの宇宙(ミクロコスモス、マクロコスモス)の章では、なぜ中世人たちは、占星術を深く信じていたかや、神殿をめぐって「アジ−ル(避難所)」が語られます。唐突ですが、高校生が発した質問「鎌倉以降天皇の力が弱くなりながらもなぜ現代まで存続できたのか。」「なぜ、平安末、鎌倉という時代に優れた宗教家が多く現れたのか。」という問題に答えようとして、網野善彦は日本中世のアジ―ルについて「無縁・公界・楽(平凡社)」を書いたわけですが、この大きな質問は、この「無縁」の原理がキリスト教会によって制度化され、ヨーロッパにのみ、なぜ自由・平等・平和の思想が生み出されたかということの1つの解釈につながっていきます。さて、人間関係といえば、人間と人間のあらゆる関係の総体を社会(society) と呼びますが、阿部氏は日本にはヨーロッパ社会と異質の、「世間」があることを指摘しました「「世間」とは何か(講談社) 」。日本の学者の大多数が日本社会を「社会」という言葉で論ずるとき、実際の日本社会「世間」とのずれを全く理解していないことを指摘し、晩年「世間」についての多くの著作を残しました。また、社会は、個人から成り立っていますが、日本おける個人のあり方とヨーロッパにおける個人のあり方は根本的に異なっています。ミッシェル・フーコーが指摘しているようにヨーロッパにおける「個人」の成立にカトリックの「告解」が深くかかわっていますが、阿部氏は、さらに中世人が告解をとおして「男と女の関係の問題」を「自覚」する中に個人の誕生を見たのです。(「西洋中世の男と女」筑摩書房)。
 皆さん、「自分のなかに歴史を読む」を読書の出発点にして、本当に「解ることの楽しみ」を味わってみませんか。著者の先生上原専録に「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう。」と言われたところなど、これから文系、理系にかかわらず学問を志す人には大きな励みになると思います。また、ちくまプリマーブックスの1冊で中学生に向けて、わかり易く書かれていることには、著者の並々ならぬ力量と本当にわかっていることの凄みを感じました。

コメント(1)

贈与・互酬の関係とは「モノをもらったらお返しをするという原則で成り立っていて、モノを媒介にした人間関係」です。贈与関係は人と人の間だけでなく、人と神々との間でも結ばれる場合があります。ヨーロッパ古代、中世の人々は二つの宇宙に暮らしていました。小宇宙は一般的には家であって、家の垣根の外はもう大宇宙でした。小宇宙としての家の幸・不幸、人間の運・不運、病気や不作、戦争や災害などの全ては、家の外に広がる大宇宙からやってくると考えられていたのです。人々は神々や諸霊に供え物をささげ、保護を祈願していたのです。ところがキリスト教が普及すると、この世における全ての出来事は、みな神の摂理の結果として説明されることになり、神の摂理を理解すればなんら恐るべきものはないとされたのです。その結果、大宇宙と小宇宙の区別は意味をなさなくなります。キリスト教が普及する以前、死は生の延長でしかなく、死とは大宇宙への移行にすぎなかったのですが、大宇宙と小宇宙の区別が否定されたキリスト教では、死は生の決定的な断絶とされています。肉体は死後埋葬されますが、人類史の最後の瞬間に主が降臨し、すべての死者は肉体とともによみがえり、主の裁きをうけるのです。生前に人が行なった善行と悪行の数々が計られ、善人は天国に入り、悪人は地獄に落とされ、その状態は永遠に続くのです。中世の人々は現世において善行を積み、永遠の天国を夢見たのです。善行として財産を教会に寄進すると教会はその財産の一部を貧民救済にあてますが、大部分は教会建設その他に使います。教会という権力が、個人と個人、集団と集団との互酬関係の間にはいり、天国か地獄かという絶対的な終着点を基準にして、人と人との間にやりとりされていたモノ(財産)が、教会に大量に流入することになったのです。こうして11,12世紀から14,15世紀の間に、ヨーロッパ各地に大きな寺院がそびえ立つようになり、それより少し前の商業の復活とあいまって、各地に都市が誕生します。都市には大学もつくられ、ヨーロッパ社会は外観においても大きな変貌をとげたのです。このころ機械時計が発明され、客観的な時間の計測が可能になり、利子の計算が正確にできるようになりました。契約についても正確さが求められるようになりました。これは人間関係が客観的な基準により計られていくきっかけになり、均質な時間や空間が生まれる出発点になったのです。また、人間関係に誓約などができ、その誓約を破った場合は、彼岸において地獄に落ち、永遠の苦しみを味わうことになるという条件が、11,12世紀以降結婚式の誓約のみならず、家の賃貸契約や、人間関係の全てにわたってつけられるこのとになったのです。このような人間関係が成立した社会では人間関係は合理的になり、予見しうるようになりました。人間関係が予見しうるようになるということはその社会の行動力を非常に高めることになります。宗教改革者ルターは、人間が彼岸で天国に行くために、善行は何の価値ももたないと説き、天国に行けるかどうかは、もっぱら個々人の信仰心にかかっていると説いたのです。ここで宗教は、人間と人間の関係のなかから、モノを媒介とする関係をいっさい捨て去り、目に見えない絆によって結ばれた関係に、大きな力点をおくことになったのです。いうまでもなく、人間は肉体をもっていますから、モノを媒介にした関係なしに一日たりとも生きていけないのです。従ってプロテスタンティズムにおいては、目に見えない絆によって結ばれた関係になんら対応することのない形で、モノを媒介とする関係がつくられていき、それはやがて資本主義社会の成立によって、資本の論理、つまり貨幣自体の論理によって人間関係が規定されてしまう道がつけられることになったのです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

気ままに読書会 更新情報

気ままに読書会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング