(1) ウルリッヒ・マン(Ulrich Mann)は"Sinn und Gluck" in Herre nalber Text 28,S.73において次のように述べている。「伝統的な哲学における議論では、主として『何かあるものの意味』がテーマであった。しかし今世紀において、新しい形での意味への問いが登場して、絶対的なものになった。これは新しい事である」。 (2) Heino Gehrts, Initiation, in : GORGO 8/1985.S.1-62参照。 (3) これに関しては、Heino Gehrts, Die Opferung des zeugerisch verbunde -nen Paares, in GORGO 1/1979, S.32ff.における例を参照のこと。 (4) Joseph Campbell, The masks of Gods, Primitive mythology. (Viking Compass Edition) , New York 1970, S.22 ; W. F. Otto, Dionysos, 4, Aufl -age, Frankfurt a. M. (Klosterrnann) 1980, S. 84. (5) 心理学的差異については、 W. Giegerich, Die Gegenwart als Dimension der Seele, Anal. Psychol. 9, 1978, S. 99-110 ; Idem, Der Sprung nach dem Wurf, GORGO ll 1979, S. 49-71 (殊に注8)参照 (6) W. Giegerich, Die Neurose der Psychologie oder das Dritte der Zwei, Anal. Psychol. 9, 1978, S. 255 f.参照 (7) 内面化については、筆者は次の論文で取り扱った。W.Giegerich, Der Spru -ng nach dem Wurf, GORGO 1/1979, S. 49-71. (8) Shmuel Sambursky, Das Gespenst des Verganglichen. Eranos-Jahrbuch, 47-1978. 参照 (9)GORGO 2/1979,S.62-69における『多神教についてのディスカッション』の中 の筆者の発言参照のこと。筆者は、自己を上へと高めるという意味での「自己傲慢」(Selbst-uberhebung)と、「全体的展望」という観念を提示した。 (10) Benno v. Wiese, Die deutsche Tragodie von Lessing bis Hebbel, Hambu -rg (Hoffmann und Campe) , 1955, S. 673 から引用した。 (11) これに関しては、ヒルマンによる画期的な書物、James Hillman, The dream and the underworld, New York (Harper & Row), 1979 参照。 (12)「時間の夕方」については、ヘルダーリンによってはっきりと取り上げられ た("Fnedensferer" [1801-1802]、"Der Rhein" [180l])。 (13) 私信による。
〔訳者後記〕ここに訳出したのは、ドイッ分析心理学会(一九八一年)において行なわれた講演をもとにして書かれた、Wolfgang Giegerich, Die Rettung des Kindes oder die Entwendung der Zeit : Ein Beitrag zur Frage nach dem Sinn. GORGO 5/1981,S. 9-32という論文である。これは既に英訳され、雑 誌Harvestに発表されている。著者のヴォルフガング・ギーゲリッヒとはユング派の分析家で、シュトウットガルトのユング研究所の講師である。分析家になる以前には、アメリカのラットガース大学でドイツ文学の助教授をしていた。若年ながら、かのエラノス会議で既に四回の発表を行って、中心的メンバーの一人になりつつある。 ギーゲリッヒはヒルマンと共に、ユング心理学(分析心理学)がら発展してきた「元型的心理学」を代表している。元型的心理学は、心理療法における個人の心の問題を越えて、我々の歴史、文化、観念を規定している超個人的で元型的な背景を、現象学的にイメージとして捉えようとするものである。従って人間が魂やイメージを持つのではなくて、むしろ逆にイメージやファンタジーが我々の存在を規定しており、我々は(超個人的な)魂の中に存在していることになる。これは根本においてハイデッガーの世界内存在の考え方に類似している。従ってギーゲリッヒは、ハイデッガーの「存在論的差異」にならって、人間と魂、あるいは人間とイメージとの間の区別を「心理学的差異」と名づけたのである。 ハイデッガーの哲学を自家薬籠中のものとしているギーゲリッヒはヒルマンよりさらに哲学的である。この論文をはじめとして、テクノロジー、核爆弾等々を扱った諸論文において、西洋の世界観、歴史観の本質と深層に迫ろうとしている。