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デラの小部屋コミュの「落し物リスト」と「拾い物リスト」における因果律と微積分析率の変化について(「DJデラの冬休み自由研究」、12月16日南青山VAL、A4コピー用紙)

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●「落し物リスト」と「拾い物リスト」における因果律と微積分析率の変化について

                            DJデラ   2006年12月15日

 「落し物リスト」を考える前に、まずは「落し物」とは何かを考えなくてはいけない。もちろん「拾い物」も同様である。「落し物」とは、意図せず落ちていた物と思いたいところだが、それらは全て、誰かが意図的に落とした物なのだ。フロイトは「錯誤行為」という概念でその経緯を説明している。「もの忘れは意図的な心的行為だ」(『精神分析学入門』)。我々は意図して落し物を落とす。同様のことは拾い物にも言える。それでは、なぜ落とし、なぜ拾うのだろうか。落とすことが意図されたものだとすると、それは、ある物を忘却の彼岸へ向かわせたいためだとは言えまいか。忘却したいがために落とす。我々が夢の世界にいる時、そこが「現実だ」と感じつつも、夢から目覚めた時には「ああ、これは夢だったのか」と、現実と区別する。そこで忘却されたものが「落し物」なのだ。つまり、カオティックな「場」(仮に「物自体の世界」※と呼ぼう)が本来の姿にもかかわらず、我々は我々の都合で「物自体の世界」に微積分を加え取捨選択をし、「現実」と呼んでいる場を浮上させる。そしてそれがスタンダードとして流通する。言葉は微積分の上で成り立つ通貨みたいなものだ。流通の掟にのっとり、使える場所では使え、使えない場所では使えない。物自体に言葉が付与されると、その法律にのっとらなければならないのだ。その流通図式が隠蔽された所に、現実原則が形成される。『声に出して読みたい日本語』以来、美しい日本語を啓蒙する運動が盛んだが、我々にとってあの書は「美しい日本語」などという形で受容されたのではない。現在失われた日本語の使用、すなわち、かつての言葉で現在の日本語を解体する作業として受容されたのだ。言葉とは浮遊するものであり、固定化できるものではない。過去を「遺産」と呼んで持ち出し、現在を固定化させる営為にこそ滑稽が潜んでいる。過去の流通業界の掟が現在に通用するはずないのである。よって、この書は、言語流通界における秘密を暴露した本としても読める。言語とは流通の掟に沿って流れるものであり、ソリッドな物ではないのだ、と。ならば、一度その流通をバラバラに解体することもできるはずだ。これは、古くは象徴派の詩人からシュールレアリズム作家、ビートニク作家のバロウズがやっていたことだ。バラバラに解体した上で畸形を構築し、新たなミニコミュニティとしての悪貨を流通させる。ただ問題は、この流通業は徒花としてしか成立しないはずなのに「本来の流通の姿はこれだ!」と叫んでしまったことだ。これは、解体とは長く同居できない、我々の性質を物語っている。本来反抗だったものが、反抗する相手が消えた瞬間に体制となる。歴史が証明している事実だ。反抗と一緒に長く居続けることは、それだけ困難を伴うものなのだろう(私の知っている限りでは、今のところバロウズと町田康しか成功していない)。「落し物」と「拾い物」に話を戻そう。私は、反抗ではない路線を採用したい。反抗など糞食らえだ。付かず離れず、適当な距離を保ちながら嘲笑する。むしろこの態度は、パロディのそれに似ている。ただパロディとはむしろ、確固とした物を前提とし、それを笑い飛ばす態度であるため、一度きりの逆転しか頭に無い。私は徹底的に転がそうと思ったのだ。転がしに転がし、意味を擦り切れさせる。「落し物」では、意図的に転げ落としたものをピックアップした(ピックアップということで、ある意味では「拾い物」の序章となっている)。そして「拾い物」では、文章らしく構築し、新たな流通の形として模索してみた。意味は、読み進むたびに消失するような、でも構築されるような、というどっちつかずの状況を残すように配慮した。拾ったけど使い道がない物は誰の家の押入れの中にも眠っている。なぜなら我々は、有象無象をどうしても「拾ってしまう」者なのだから。捨てるにしても我々は、意図的に捨てることしかできないのだから(高尚な禅坊主以外)。というわけで、これらを「冬休みの自由研究」としてみなさまに、ノリノリの音楽とともに提供しようと考えた次第なのだ。煮るなり焼くなり食べるなり尻を拭くなり、思い思いに使ってほしい。ちょっと早い、サンタさんからの贈り物だ。みなさんメリークリスマス!!
※「物自体の世界」と言っても、それはカントの物自体とは違い、確固としてそこにある物ではない。もっと不定形で名付けえぬ物だ。無いかもしれないけどあると感じる物ももちろん含む。ここでは物について論じているので、言葉の不鮮明さを犠牲にしてでも、この言葉を使ってみた。もっとも、パロディというかパロディじゃないというか、みたいなどっちつかず感を引き起こそうという考えも多分にあったが。
・デラ…http://mixi.jp/show_profile.pl?id=519615(天狗のマークが目印。DJおよび某業界新聞記者)

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