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青森ねぶたコミュの囃子方の衣装はいつから?

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 私の父母の世代の人には「ねぶたの囃子方は、前はあんな関東風の衣装じゃなかった。昔は囃子もハネトの格好だった。だから、あんなの青森ねぶたじゃない」と言って怒る人がいます。
 いつからそうなったのか私の記憶にはまったくありません。

 先日、青森県立美術館で棟方志功が昭和49年に描いたねぶたの絵を見たところ、ハネト衣装で太鼓を叩く、笛を吹く囃子方が描いてありました。

 いつ頃から現在のような祭り衣装にシフトしたのか、具体的に覚えているとか、写真で確認できる方はいませんか?

 あと、お囃子の「手振り鉦」も昔はなかったといいますが、これもいつから取り入れられたものかご存知の方はいませんか? 

コメント(9)

囃子の衣裳に憧れやりたいと思ってんですが知り合いもいないし…
どうしたらできますかexclamation & question
衣装については、やはり昭和50年代に変化したようですね。

鉦はですね・・・・

もともとは登山囃子なんかで、津軽地方で使われていたのを、「白神」の鳴海総合師範がねぶたで使ったのが最初だそうです。おそらく20年位前の話かと・・・

うちは昔からやってた!!!なんて団体もありますが大嘘のようですww
>くろ3さん

正確には手振鉦を最初は演奏したのは鳴海昭仁氏の弟です。

昭和49年に堤の諏訪神社で青森ねぶた正調囃子保存会の昇級審査大会で審査発表を待つ間、鳴海昭仁氏(笛)と父(太鼓)と弟(鉦)の三人で登山、下山、ねぶた等のお囃子をゲスト演奏をしていました。
当時のねぶた囃子には手振鉦が使われていませんでしたが、演奏の途中に一人だけ休ませるのも演出上見た目が悪いため、昭仁氏の提案によりねぶた囃子の演奏にも手振鉦を取り入れました。この時に青森ねぶたで初めて演奏されました。

翌50年には当時の青森ねぶた正調囃子保存会の会長の指示により、昇級審査大会に手振鉦も加えられるようになりました。
詳しい情報ありがとうございます!!

しかし、伝統って認知されるのって、いったい何時からなんでしょね(;^_^A

囃子の半纏も鐘も…たかだか30年位(;^_^Aうむむ…
>くろ3さん

伝統芸能は確か江戸時代初期〜中期以前より系統がしっかり伝えられてる芸能のことなんです。(確か冷や汗)能、雅楽、狂言等ですね。

ねぶた祭り、津軽三味線はそれ以外の民族芸能になります。伝統芸能への道は遠いですね…

ちなみに今のお囃子(七節)に統一されたのは戦後、国道での合同運行がはじまってからです。

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