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三浦綾子コミュの益城町四賢婦人記念館の現状についてのお知らせ

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三浦綾子の作品に『われ弱ければ−矢島楫子伝』があります。
その関連情報を掲載させて頂きます。

矢島楫子は女子学院の創立者として著名な明治-大正の女子教育者、社会事業家です。
(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%B6%8B%E6%A5%AB%E5%AD%90

『われ弱ければ−矢島楫子伝』はその生涯を描いた作品です。
その激しく波乱にとんだ人生については作品を読んでいただくこととして、今日は矢島家のことについて記載します。

矢島家は楫子をはじめとして四人の賢婦人を生み出したことで有名なのです。

竹崎 順子(三女)
 明治22(1889)年「熊本女学校」を創設。多くの人材を世に送り出した。明治38(1905)年、81歳の終焉まで校長としてその責務を全うし、現在も校母として尊敬されている。


徳富 久子(四女)
 女子教育のための学校設立案を提唱し、姉順子女子教育、妹楫子の日本基督教婦人矯風会活動を積極的に支えた。


横井つせ子(五女)
 安政3(1856)年26歳の時、思想家・政治家の横井小楠に嫁ぎ、明治維新への大業参加を支えた。「夫は天下人である。妻たる自分もできるだけ学問をして夫の名を辱めることがない様に」と励む。


矢嶋 楫子(六女)
 明治19(1886)年、「日本基督教婦人矯風会」を設立し、初代会頭に就任。元老院への「一夫一婦制」の建白書提出をはじめとし、婦人参政権・廃娼・禁酒運動等に尽力した。また明治22(1889)年、キリスト教系女学院(現 東京・女子学院)を創立。初代校長となる。大正10(1921)年、89歳の高齢でワシントン平和会議に出席し、その功績を讃えられハーディング米大統領より記念の花器を贈られる。

(以上、益城町のサイトhttp://www.town.mashiki.lg.jp/map/pub/detail.aspx?c_id=49&id=67&pg=5 から引用させて頂きました)



このように近代日本を築いた四人の女性を生み出した矢島家旧家屋は『四賢婦人記念館』として運営されてきたのですが、先般の熊本地震の影響で、大きな被害を受けてしまいました。


先日読書会の仲間が熊本の四賢婦人記念館を訪れて、三浦綾子読書会として再建などに何かお役に立てることがあるかどうかをお尋ねしたのですが、いまだ手つかずで役場の担当者の方も「 まだ建物そのものもどうするか、検討すらされていない状況」とのことだったそうです。


今後の推移を見守ってゆきたいと思うのですが、一人でも多くの方に「四賢婦人記念館」の現状を知って頂きたく、アップさせて頂きました。


今後何か動きがありましたらご案内差し上げたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。
益城町四賢婦人記念館サイト:http://www.town.mashiki.lg.jp/map/pub/detail.aspx?c_id=49&id=67&pg=5
西日本新聞関連記事:http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto/article/283831

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