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三浦綾子コミュの文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  2日目その6

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文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  2日目その6

大沼を満喫した後、私たちは再び函館に戻りました。

日本基督教団函館教会を訪問しました。

【この教会の沿革】
日本基督教団函館教会は、1874年(明治7年)1月26日、アメリカメソジスト監督教会のM・C・ハリス宣教師の伝道に始まります。 これが、「函館美以教会」の起源となりました。当時、キリシタン禁令の高札が撤去されて日も浅く、函館は外国人殺害事件が起きるなど、不穏な世情でした。同年8月には、ハリス宣教師から2名の日本人が洗礼を受け、北海道初プロテスタントの受洗者となりました。(同教会のホームページから)
http://hako-ch.sakura.ne.jp/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E6%95%99%E4…/

現在建物は改装中?でカバーで覆われていましたので、全体写真は函館教会のサイトから拝借しました。

【会堂建物について】
日本基督教団函館教会の建物は、1877年(明治10年)に現在地に最初の会堂を落成しました。
その2年後の函館大火で会堂は類焼してしまいます。函館は昔から火災が多い町で、1886年(明治19年)、1909年(明治42年)に再建した会堂も焼失しました。
現在の会堂は、1921年(大正10年)の函館の火災による会堂類焼に伴い、1931年(昭和6年)に建築されたものです。 北海道帝国大学(現北海道大学)農学部本館や理学部本館を設計した萩原惇正による鉄筋コンクリート造2階建てのもので、現在に至っています。(同教会のホームページから)
1931年の再建の時に『ハリス監督記念会堂』として建てられ、入口にはその旨掲示されています。(写真を撮りました)
高い天井と先の尖った窓枠などゴシック建築を模したラインが人目を引きます。

<三浦文学とのかかわり>
二つの作品でかかわりがあると思います。
『ひつじが丘』
函館教会は、歴史的に遺愛幼稚園、遺愛女子中学・高等学校に繋がっているのですが、『ひつじが丘』の主人公奈緒美は函館出身。父親は函館の教会で牧師をしており、奈緒美はそこの高校から札幌に転校して来ました。
作品中に教会名も学校の名前も明示されていませんので、あくまでも推測(もともとフィクションだし・・・)に過ぎませんが、奈緒美と両親はこの教会に連なっていたのかなぁと妄想した次第です。

『氷点』
『氷点』で函館と言えば、『洞爺丸遭難事故』になります。
女性に救命胴衣を譲って亡くなられたストーン宣教師が、実は事故当日(1954年9月26日(日))に函館教会で説教をなさったのです。
説教題:『平和の道』
聖書箇所:ヨハネによる福音書14章から
27節
―われ平安を汝らに遺す、わが平安を汝らに與ふ。わが與ふるは世の與ふる如くならず、なんぢら心を騷がすな、また懼るな。―
1節
―なんぢら心を騷がすな、神を信じ、また我を信ぜよ―
が説教の軸になっていたようです。
(まさに当日の週報・・ガリ版刷り・・をお持ちの方がおられて拝見できたのです。)
凄く感動しました。
ストーン宣教師は説教終了後14時出航予定の洞爺丸に乗船し、帰らぬ人となられたのですね。
この説教のタイトルと聖書箇所を拝見して、ストーン宣教師は、まさにこの説教の通り、最後まで生きた方だったのだと思いました。

教文館出版部でも9月26日に洞爺丸関連の記事をアップされておりますので、是非お読みください。
https://www.facebook.com/kyobunkwanpublish?fref=nf
(ここの9月26日の記事です)

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