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三浦綾子コミュの文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  2日目その4-2

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文学散歩2015 道南(大沼・函館)2泊3日の旅  2日目その4-2

「泉への招待」から

「何かを捨てることから始めないと・・・・・・」

 わたしたちが結婚二年後に建てた家、その家でわたしは雑貨店をし、『氷点』を書いた。十年住んだこの記念すべき家は、いま、国際福音キリスト教団の宣教師ヘイマン先生が住まれ、教会として使われている。

 ヘイマン先生は、オーストラリアの方で、お国には十三歳と十四歳の子供さんがいられる。函館の小学校には二人のお子さんがい、ご両親と共にいたのは、末っ子のヨナタン君だけであった。

 そのヨナタン君も六歳になり今日、函館小学校に入学のため旭川を出発した。丁度、オーストラリアから夏休みで、旭川に来ていたお兄さんたちや、函館から帰ってきていたお兄さんたちも、共に発った。

 まだ幼いヨナタン君を、遠い函館(旭川から急行で六時間半)に手放さなければならないご夫婦の心情を思いつつ、わたしたちは駅に行った。

 ヨナタン君は、わたしにだきついて別れを惜しんでくれた。婦人は函館まで送って行くが、先生は残らねばならない。ふと気づくと、丈高い先生のうしろにかくれるようにして、オーストラリアに帰る次男のピーター君がしきりと涙を拭いている。

 わたしはハッとした。ピーター君は十三歳だ。まだ父母のそばにいたい年頃だ。ピーター君たちは日本在住の御両親やきょうだいたちに会うために、ふだんkら、皿洗いなどをしてお金をためてきた。日本にくるには二人で何十万円のお金が必要なのである。宣教師は決して高給とりではない。

 ピーター君は、いま父親との別れが辛くて、こらえきれずに泣いているのだ。それが次第に激しくなって、すすり上げはじめた。発車のベルが鳴った。ピーター君は父親にしがみついて泣いていた。

 席についても涙はとまらない。六歳のヨナタン君が、その兄の様子に、何とも言えぬ同情の色を示していたが、黙って抱いてやった。

 汽車は動いた。その汽車について先生は手をふり乍ら走って行く。汽車は遠く去った。立ち止まって手をふっていた先生はやがてうつむいた。しばらく泣いているようだった。もどってこられた先生の目も鼻もあかい。

 この一家の様子を見つめながら、わたしも三浦も涙をこらえかねた。

 他国に来ている宣教師一家はみなこのような辛い想いをしているにちがいないのだ。何のために、こんな辛い想いをしなければならないのか。それは、キリストの神を伝えるためにである。

 もし、ヘイマン先生が、信徒であっても、宣教師にならねばこの家族は七人そろって、自分の国で楽しい日々を送ることができたにちがいない。が、その生活を捨てても宣べ伝えたいとねがうキリストへの愛は、何と強く深く堅いものであろう。
「何かを捨てることから始めないと、どんな使命も達成されない」
というダニエル・ロプスの言葉を、わたしは今、迫られる思いで思っている。惜しいものを捨てねばならないのだ。

この文中の函館の小学校がチーフーキリスト教学園のことなのです。寄宿制の小学校だたのですね。

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