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ダスカロスコミュのエソテリック・ティーチング

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ダスカロスの著作です。今年中には日本語訳が出るそうです。

コメント(53)

明日の読書会のテーマは第2章キリスト・ロゴスです。汎宇宙的キリスト・ロゴスの働きについてです。
命は聖霊とキリスト・ロゴスの2つの面を持っています。命はすべてを生み出しながら、同時にすべてのものの中に吸収されています。「多重性」と訳された性質はこのことです。
エクササイズは三つのボディの視覚化に関わるものを予定しています。
今月の読書会でとりあげたエクササイズで三つの体の視覚化がありました。

ノエティック体は金色
サイキック体はピンク
物質体はホワイトブルー

それぞれの色彩で視覚化します。
この色彩で、それぞれの体を表すと同時に、その身体の健康も願います。
色彩の違いで、必要とされるエネルギーのタイプを決めているのです。

2月の読書会のテーマは第3章「聖霊」です。生命の樹との関連を確認しながら学びます。
「気づきを高める」ということは、もうひとつの見方をすると不定形の体(amorphous body)の形を形成していくということに相当します。エクササイズがその形成の助力になります。
逆に言うと不定形の霊体の形成ができていないで、一時的に高まった、あるいはわかったとおもいこんでもすぐに忘れてしまうのは、そこに原因があります。

魂(soul)は、さまざまな人によっていろいろ定義されています。真理の探究者の体系では、ホーリー・モナドからの分け御霊であるSpirit Beingから下降した「自己認識」が魂ですが、他の体系では不定形の体(amorphous body)のことを魂ということもありますので、いろいろな文献を読んでいるときには注意が必要です。
キリスト教ではたしかマクシモスが「魂を形成する」という話を言っていたかとおもいます。この場合は不定形の体のことですね。これが確立することでより高次とのつながりができます。
言葉の定義の話で窮屈かも知れませんが、神智学でモナドと呼ぶものは人間にとって不可侵の領域にあるもののようです。モナドからぶら下がるようにアトムというそれぞれの種の原基が流出し、ただしアトムは人間においては魂がその中心だからそのアトムは魂だけれども、鉱物のアトムは人間では肉体にあたるものであるようです。いずれにしてもこれは神の地上への下降の方向だとのこと。

アトムはここから上昇に向かうことになり、そのときに天使たち(聖霊)が人間の手助けをすると。神は上昇について直接の手出しはできないけれど、使者として天使が人間の上昇に働きかけると説明されるようです(うわー、むずかし!)。

いずれの神秘学体系にせよ、使われる用語は厳密に対応づけるのは苦労しますが、その比較をすることで、それらすべてが同じことを言っているのが分かるし、その違いを通して、それらの意味せんところがよりよく理解できそうですね。

とは言ってもわたしにとって神智学の体系的説明はあんまり好きではなく(だて複雑すぎでしょ)、わたしの中にはもっぱら人智学が基底にあって、その意味でダスカロスの説明と親和性を感じた経緯があります。人智学からダスカロスを愛するようになったから、ダスカロスが好きなことは自分で分かるんですが、でもまだちゃんとダスカロスを理解していないから、これからだーーーーと意気込んでいます。どうか、みなさん教えてくださいませ。。。
aries13さん。
nelccoさん。
こんにちは。

簡単に言うと絶対存在は無数のモナッドが集まって成立しており、
さらにモナドはたくさんのスピリットビーイングセルフの集まりで、
そのスピリットビーイングセルフからセルフエピグノシスが始まります。セルフエピグノシスは命そのもののロゴス的な表れです。
セルフエピグノシスと永遠のパーソナリティは本質的に同じですが、永遠のパーソナリティはビーイングの世界からすると現れの世界に近く、そこからパーマネントアトムがでてくるというのがダスカロスの世界観です。
天使が手助けするのは、そのパーマネントアトムが現れの世界に出てくるとき以降の話しになります。天使のサポートは下降のときから働いています。そして意識の働きそのものが聖霊性の働きです。
無明の中に落ち込んでいる状態から、キリスト意識にいたるためにはバランスの取れたパーソナリティであることと聖霊性とロゴス性のバランスが取れる必要があります。

以上のような理論とともにそれを実現するのを助けるエクササイズがダスカロスの世界にはあります。
アークエンジェルと共同するためのエクササイズは第1回目の読書会で取り上げています。

さらに追加します。

スピリットビーイングセルフまたは、命のスパークが人間のイデアを通過することにより、ソウル・セルフエピグノシスが現れます。それがある意味における「魂」です。
ただし通常いう「真我」は、永遠のパーソナリティのことであることが多いです。
またある学派によるとアモルファス・ボディのことを魂ということがあります。魂を形成するものだと考える学派がこれです。高次な存在の表現のための媒介がこのアモルファス・ボディですので、アモルファス・ボディができることがすなわち、進化、魂がパーソナリティを支配した状態と考えることは可能です。ここらの考え方と表現は人毎にいろいろありますね。
アモルファス・ボディとパーマネント・アトムについては、またあらためてまとめます。

おぉ。まだ一つ一つの概念の定義がわかりませんが、段階ごとの対応をみる限りは、神智学の定義と同じですねぇ。不思議ですね。やっぱり見霊者というのは、見るものがみんな同じなんですねぇ。

神智学はじつはあまり詳しくないのですが、たまたまモナド論だけは勉強していました。神智学のそれは基本的にはチベット仏教そのものですから使われる用語は何だか発音しにくい用語が多いですけれど。

たしかダスカロスがチベットの高僧に招かれて、招かれたはいいけれど一言も喋ることなく心で会話していたという逸話がありましたね。霊的な世界は、やっぱりつうじるものなんですねぇ。

まずは早くダスカロスの用語を勉強します。
nelccoさん、神智学の定義とは分けて考えたほうがいいですよ。神智学は玉石混交で、むしろ石のほうが多いかなというのが実情のように感じます。ダスカロスの用語も元はギリシャ語ですが英語になる段階で表現が別れたところもあります。
最近の翻訳書で言う「自己認識−魂」は上記でいうところのソウル・セルフエピグノシスに相当する概念のようです。
こんにちは
おおよそ以上の流れのとおりですが、
永遠のパーソナリティより下から、輪廻転生が始まり、それは分離の世界(ノエテッック・サイキック・物質)界へ下降と同じことですね。
aries13さん、こんにちは

イデアはイデアの世界に存在しています。
ビーイングの世界、上位の4世界にイデアの世界、があります。
そのレベルにおいてイデアが存在していて、たとえば「人間のイデア」が存在します。このイデアの概念はプラトンのイデアにかなり近いと思います。表れとして認識されるものの原型という意味でのイデアです。
逆に。存在しないイデアとして「調和のイデア」があるそうです。もともと創造は調和のうちに行われているというのがその理由のようです。「善のイデア」をいうプラトンとこういったところは異なっています。
モナドについては私は実感がわからないのですが、聞いた話では、
「ひとつのモナドのなかにビーイングの世界すべてを含み、かつ、最小のもののなかにもそのモナドが存在する」という世界だそうです。

普通、感覚的に理解できそうなのはソウル・セルフエピグノシスぐらいまでなのかもしれません。
ダスカロスの教えにはかなり高度なところと、日常に実践できるところがバランスよく入っているので、わかるところから消化していくのがいいかもしれないですね。

プラトン読みやすくて面白いですが、実はかなり微妙な表現が多いようで、慎重な読みを必要とするようです。パイドンや国家が面白いですね。

ダスカロスの教えでは絶対存在自体が全知、全能、まったき善の三位一体で、それはイデアの世界の上位にありますので、善のイデアを至高のイデアとするプラトンとは説明は異なりますが、方向性としてはずいぶん近いです。
世界の成り立ちを探求するときの重要な基本は、命そのものが先にあって、
それから、マインドによって展開、顕現されることにあるとおもいます。
機械的な動きと二元的な価値観の対立が常にある物理世界ですが、それを成り立たせているのは命そのものであるという世界観ということです。
古代からそういった世界観は言われてきていましたが、限定された認識によって幾たびも見失われてきていたといえるでしょう。
イエスの言葉を伝えている可能性がある文書に「トマスによる福音書」があります。このなかにメッセンジャーのなかで説明された「サイコノエティック体」と「サイコ・ノエティック体」のことを言っているように読める言葉があります。

トマスによる福音書(講談社学術文庫、荒井献訳)
83
イエスがいった、「像(複数)は人間に現れている。それらのなかにある光は父の光の像の中に隠されている。彼は現れるであろう。彼の像は光によって隠されている。」

すでにもともと時空を超えて持っている光の体と、人生の中での経験により、認識を高め形成していく体を「父の光の像」と「彼の像」の二つとして述べているように見えます。この後の語録84も同じ主題です。
新約聖書外典のペテロ行伝38にはペテロの逆さ磔の話があります。
その意義についてペテロは磔になりながら以下のように説明します。
1.最初の人間は頭を下にしてまっさかさまに墜落してしまい、神が創造したときの性質とは異なったものになってしまった。今の自分の姿がそのことを示している。
2.イエスが語ったことばとして「もし君たちが右のものを左、左のものを右とし、あるいは上なるものをしたなるもののように、後ろのものを前のもののようにするのでなければ、神の国を知ることは無かろう。」を引用して、認識を転換しなければならないことを教えます。

ダスカロスの世界でも同じように無知のなかにはいった人間はさかさまになっていて、(シンボル的に)地面のしたにはいっており、自分の本質に気がつかなくて無意識的になっているとされています。その状態から元に戻るために助けになる視覚化を行うのですが、そういったエクササイズの断片のような話がペテロ行伝などにありますね。
現われの世界の中の「原因と結果の法則」はルシファーがつかさどります。
実際上は、ルシファーが投影したエレメンタルであるサミュエルが関与します。
ただしこれは「カルマ」として通常考えられている観念体系とは、ことなったとらえ方をします。
真理の探究者にとって、4つの面を持つビラミッドの中で行うワークは非常に重要な意義があります。
4つの面を持つビラミッドの中で行うワークは4つのエレメントを支配する力をつけるためのワークです。
エレメントを統御し、エーテルの4つの特性をマスターすることで、ビラミッドの上方にあがります。それとどうじに意識的自己認識も向上します。
エーテル・バイタリティという言葉で現されるものは、二つあります。
物質体に関連するエーテル体のなかを伝播するエーテル・バイタリティが
そのうちの一つであり、

高次のエレメントとしてのエーテル・バイタリティがもう一つです。
エレメントは七つあり、そのうちの知られていないエレメントが
エーテル・バイタリティです。

これが混同されて用いられることがあります。
「エソテリック・ティーチング」の第6章エーテル・バイタリティの章の初めの部分のエーテル・バイタリティは高次のエレメントとしてのエーテルのことだと思います。
命のスパークがあって、はじめてマインドが働くのですから、6章のはじめのパラグラフの表現は微妙です。命のスパークからのあらわれが高次のエレメントとしてのエーテルです。
現われの世界であれ、ビーイングの世界であれ、マインドは「命の大海」からの命のスパークを必要としています。その命のスパークがすべてのものを生かしているのです。この命のスパークがマインドに与えられるのです。その与えられるものが高次の三つのエレメントとしてのエーテル・バイタリティです。
「エソテリック・ティーチング」第6章エーテル・バイタリティの章の初めのパラグラフで言うべきなのは、おおよそ以上のことです。
今日の勉強会の項目だけ書くと以下の通りです。

1.命そのものが現われるときのプロセス、マインドと現われの世界。

2.それが「生命の木」として現われること

3.「生命の木」とマクロコスモスとミクロコスモス、メソコスモスとの対応

4.シンボリズム

5.シンボルとエクササイズとの関連

6.聖霊とロゴスについて

7.大天使、キリストロゴスの「生命の木」での位置について

8.「エソテリック・ティーチング」の記述ミスについて

9.エクササイズの意味とアモルファスボディとの関係

10.アモルファスボディとサイコノエティカル体との関係について、

11.アモルファスボディと意識の向上との関係

12.福音書(トマス)、パウロ行伝とエクササイズとの関係について

13.意識の4段階とシンボルとの対応について

14.3つのピラミッドについて

今日はかなり多くのことに触れています。
実際のエクササイズに習熟するのにはかなり時間がかかるものですので
これは根気よく続けていく必要があります。


21日の勉強会の最後のエクササイズは七つの輝きを用いる方法でした。
このエクササイズの原理の背後には先に書いた項目があります。
エクササイズの最終的な目的は、アモルファスボディの形成にあるのです。
21日の勉強会で出た言葉の補足です。

「アガピ」これはギリシャ語の「愛」です。神的な「愛」、無償の愛です。
古典ギリシャ語の「アガペー」のことです。
ギリシャ語は「愛」を4種類に言い分けていて、そのうちの神に由来する愛がアガペーです。

「エソテリック・ティーチング」という本で、混同されている概念の一つにエーテル・バイタリティがあります。
二つの概念があります。
1.物質体に関連するエーテル体を伝播するエーテル・バイタリティ
2.高次のエレメント(4つのエレメントより高次)としてのエーテル・バイタリティ

どっちのことを言っているのかは読む人で判断をしないと混乱します。用語解説の番号が間違って付加されていますので、さらにこのことに気がつきにくくなっています。
今日の勉強会のなかの話の中で出た本の情報です。

ペテロの逆さ磔の話がのっているのは「ペテロ行伝」です。
以下の本に収録されています。

新約聖書外典 (講談社文芸文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061975978



イエスの語録と考えられている本は、以下のものです。

トマスによる福音書 (講談社学術文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061591495

246ページ
イエスがいった「像は人間に現われている。それらのなかにある光は父の光の像の中に隠されている。

以上のようにエクササイズと非常に親和性のある言葉が多くあり、参考になります。
和訳された「エソテリック・ティーチング」の不適切な翻訳については、以下のサイトでも指摘されています。

http://ameblo.jp/zolkin-und-gnosis/day-20081106.html


翻訳以前に、原本には多くの矛盾がもりこまれていますので、注意が必要が必要です。
原因と結果の法則は大天使ルシファーの配下のエレメンタルのサムエルがつかさどります。物質の中の原因と結果の法則は物理的に厳密にきまりますが、サイコノエティカルの世界では、その基準は異なります。
サムエルが担当する部分でだけいわゆるカルマの法則があり、それは命そのものの働きとは異なった現われです。

福音書の記述の中で、ゲッセマネの園でのイエスの祈りの場面では、そこにいた弟子たちはあまりに眠くて、全員、眠ってしまうという記述があります。
(誰がこの場面を見て記録したのかというのはまた別の問題)

この眠ってしまうというのは、法則の現われです。イエスのバイブレーションがあまりに高度で、強烈なので、それに耐え切れない霊体のひとが眠ってしまうのです。
これは実は誰でもよく経験していることです。人が言っていることについて理解力がついてこないとき、本当に物理的に寝ますし、物理的に寝なくても、知性的に眠っているようになります。
理解は言葉で伝わらないものであり、伝わる人にしか伝わらないのです。
エソテリック・ティーチングのなかでとても重要なワークはエーテルの三つの働きをマスターすることです。そのためのエクササイズは来月のミーティング(9月19日)のときに行いますが、すりこみエーテルと感覚エーテル、運動エーテルをマスタすることは多くのエクササイズの基本になります。
「生命の樹」には多くのシンボルが書き込まれています。絶対存在から、ブーレシスにより顕現の意思が働き、ソウル・セルフエピグノシスが表れてきます。そういった過程と現在のパーソナリティとの関係を明らかにしています。
また、書き込まれいないで、現在のパーソナリティの周りを取り囲む形のシンボルも存在します。
「葡萄とはなんですか。これはある種の思想の表れです。私はその思想を表すことができます。それで水が葡萄酒になりましょう。」
宝瓶宮福音書 第70章10節。

限定された世界観のなかでは可能性が限られていますが、より高次元からのノリアリティからするともっとちがった現実を生み出すことができるということです。
(宝瓶宮福音書 リバイドーリング著 霞が関書房)
宝瓶宮福音書の190ページに世界中から集まった七人の聖賢がきめた来るべき時代の根本原理が書かれています。
一つ目は

万物は思想である。一切の生命は思想活動である。多数の実在は一つの大思想が表現された局面に過ぎない。
みよ。神は思想、思想は神である。

先日6月23日にエクササイズのミーティングを大阪の中央公会堂で行いました。
その中で、生命の樹を用いる方法を説明しました。生命の樹からの光の放射、周りの景色の情景、それは重要な意義を持っています。
マルキデスの本、シリーズのうち、2冊目と3冊目の在庫がなくなっているようです。
アマゾンでは2冊目は、プレミアムがついてきています。
本というのは一度一会ですので、買えるうちに入手するのがいいかもしれません。

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