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カオス 混沌 chaos コミュの自由とは何か

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自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、そのもののあるがままにある事を言う。(ウィキペディア)

自由の問題に関して過去様々な批判があっただろうが現代日本の保守派の代表的論客である長谷川三千子さんはこの自由主義観念そのものを批判する。
近代思想の根本にあるのは神に成り代わろうと言う欲望にあると。
上記の定義による自由とは、自然法則にも、国家にも拘束、支配を受けずありのままに振舞うのであるから、そのような主体は本来神以外にありえないわけである。

一方でマルクスらは自由主義イデオロギーの裏に潜むブルジョア社会の偽善を鋭く批判する。
確かに飢えて死ぬ自由など自由とは言えないであろう。

また、自由主義社会のもとで、ニート・引きこもりになる若者が急増している。部屋に24時間篭りきりで、親に糞尿の世話をしてもらう。自由な主体は本能の赴くままストレスゼロの温い環境を選択していく。果ては若年性痴呆症である。

自由といっても、究極的な話、「真理」或いは「正義」に従う自由でしかないのではないか。私はそう思うのである。






コメント(8)

ちなみに真理や正義とは、そのように生きれば各人も幸福になれるし、国家も上手く行くと言う「筋道」「道理」のようなものである。この道理に従うことは各人の「義務」であるし、国家の義務でもある。
こういった道理を発見するのも科学者(哲学者)に課せられた重要な役割であろう。
いや、そんなことは無いですよ、学問的良心は一切の道徳から解放されなくてはなりません。
デカルトの「我思うゆえに我あり」の語はその宣言でしょう。
しかしその上で、現代と言う時代に応じたあるべき理想の道徳を構築しなくてはならないと私は思います。


>国家で定められた法律と模範的意識である道徳とは概念が違>うので一定の道徳を成立させるのが難しいと思うのですが。

そうですね。その意味では風土に根付いた既存の道徳は、新道徳を唱える最大の障壁になります。
しかしながら幸か不幸か、現代日本では、物凄い勢いで道徳が崩壊している。
イスラム教国やキリスト教国で唱えれば縛り首になりかねない主張でも、真に自由の国日本ではかなり可能になります。
まぁ、これは仕方が無いことでもあるよ。
戦勝国でも道徳崩壊は進んでいる。
ちょっと前『ダビンチ・コード』などが論議を呼んだが、これは2000年信じてた神様は人間であったと言う内容ですよ。
50年遅れの天皇の人間宣言といえる。
また旧来の道徳・規範は現代人を幸福にしているかといえばそうともいえないだろう。臓器移植の問題にそれが如実に現れるし、倫理道徳の授業に旧来の終身をそのまま復活させたら、国民の精神がそのまま富国強兵の軍国主義国家時代のものになりかねないだろう。
道徳の崩壊は事実だとしても、それを食い止めるために何が出来るのかと考えた場合、「絶対的正義」となるものを求めるという方向性は果たして正しいと言えるのでしょうか?
個人個人がそれぞれの子供に「しつけ」を行う事は重要です。
しかし「絶対的正義」を全人類が学べば、全人類が幸せになれるという考え方には疑問を持ちます。この場合の「しつけ」と「絶対的正義」の違いに留意してください。

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