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カナダの歴史と政治コミュの内閣不信任案可決、春の総選挙へ

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 3月25日、下院で自由党提出の内閣不信任案が採決され、野党3党の賛成により156対145で可決された。内閣不信任案が可決されるのは、2005年11月30日のマーチン内閣以来、史上2度目。ハーパー首相はこれを受けて26日朝、ジョンストン総督に下院の解散を要請する。
 野党が多数を占める下院手続委員会は今週、法人税減税やステルス戦闘機購入計画の詳細について、政府は十分説明していないとして「議会侮辱」を認定した。ほかにも、オダ国際協力大臣による文書偽造問題や、ハーパー首相の元側近ブルース・カーソン氏が婚約者のため公共事業の口利きをした問題などがあり、今回の内閣不信任案可決は、政府による議会侮辱が採択されたという点において特筆すべきである。

 不信任案可決を受けてハーパー首相は、26日朝にジョンストン総督を訪問し「残された唯一の選択肢を取る」と述べた。
「予算案の中には、野党が支持できないようなものは本当になかった。残念なことに、イグナティエフ党首とその同盟者である新民主党とケベック連合が、国民が望まない7年間で4度目の総選挙をひき起こすことをすでに決めていたことは明らかだ。」
 自由党のイグナティエフ党首は、新民主党との連立政権を樹立するつもりはあるかと尋ねられたが、それには答えず、「民主主義を侮辱する政権ではなく、民主主義を尊重する自由党の政権を作るために戦う」とのみ回答した。

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 ハーパー首相は3月26日朝、総督公邸リドー・ホールを訪問し、デビッド・ジョンストン総督に下院の解散を奏上した。総督はただちに解散に同意し、5月2日の総選挙を公示した。第40回連邦議会は、ここに終了する。
 ハーパー首相は9時15分ころ、リドー・ホールを出て以下のように述べた。
「国民が安定した多数派政権を選ばなければ、イグナティエフ党首は新民主党・ケベック連合とともに連立政権を築くだろう。中央集権主義者と分離主義者が何をしようとしているか、考えてほしい。彼らが合意できる唯一のことは、より多くの財政支出を使い、その支払いのために増税することである。」
 だがハーパー首相は、そのわずか前にイグナティエフ党首が連立を否定する声明を発表したことを知らなかった。彼は、こう述べていた。
「我々は、他党と連立しない。我が国の制度では、連立は合憲的オプションである。だが私は、他党との案件ごとの協力が、少数政権に最も適した習慣だと思う。我々は、ケベック連合との連立を除外すると断言する。」
「誰が党首であろうと、総選挙で最も多くの議席を得た党が、政権に就かなければならない。もしそれが自由党なら、私は議会から信任を求められるだろう。そして我々の政権が下院の支持を得られなければ、ハーパー党首が政権に就いて、同じ問題に直面することになるだろう。それが、我々の憲法である。それが、この国の法である。」
 だがハーパー首相は、イグナティエフ党首の発言を知っても、それは「隠しアジェンダ」だとして受け容れなかった。
「彼らは、以前そうした。彼らは以前にも、事前に否定しておいてあとで実行した。」
 それからハーパー首相は、保守党は一貫して連立を嫌い、野党と案件ごとの協力を続けてきたと自負した。
 だがケベック連合のデュセップ党首は、この発言は嘘だと強く非難した。彼は、2004年にモントリオールのホテルで野党3党首が会談したとき、野党3党がマーチン内閣を打倒し、ハーパー首班の連立政権を築くなら、所信表明演説にケベック連合が盛り込んでほしいことは何かと、ハーパー党首がデュセップ党首に尋ねたと暴露した。
 新民主党のレイトン党首も、ハーパー首相は信頼を裏切ったと非難した。
「ハーパー首相は、自由党のスキャンダルを一掃すると約束した。それから彼は、保守党の新しいスキャンダルを導入した。」

 保守党のジョン・ベアード下院院内総務は、次の総選挙には4億ドルの費用がかかると語った。2008年総選挙では、2億8820万ドルの費用がかかっている。
 アンガス・リード社が3月23日に、2365人のカナダ人を対象に実施したオンライン政党支持率調査の結果は、保守党39%、自由党25%、新民主党19%、ケベック連合10%、緑の党7%となった。
 EKOSリサーチ社が4月22日から24日の間に、2783人の有権者を対象に実施した世論調査は、急速に支持率を上げている新民主党が初の3桁議席を獲得し、野党第一党に踊り出るという驚くべき予想を示した。
 全国での政党支持率は、保守党33.7%、新民主党28%、自由党23.7%、緑の党7.2%、ケベック連合6.2%という結果となった。ここから獲得議席をシミュレートすると、保守党131議席、新民主党100議席、自由党62議席、ケベック連合14議席という結果が示された。
 ケベック州での政党支持率は、新民主党38.7%、ケベック連合25.2%、保守党14.7%、自由党13.1%となった。ケベック連合は1990年の結党以来、常にケベックの第一党だったが、今回その地位を新民主党に脅かされている。自由党はかつてケベックを支持基盤としていたが、今回は4位とかつての栄光は見る影もない。
 新民主党が獲得する議席の半分以上は、ケベック州からである。かつてケベック新民主党が独立路線を採択したことで、連邦新民主党との提携関係を解消し、その後消滅した経緯から、同党はケベック州に基盤がなかった。2008年総選挙においてケベックで1議席を獲得したのが、史上2度目かつ17年ぶりだったことが話題になったほどで、隔世の感を覚える。また新民主党は過去最多でも43議席しか獲ったことがなく、3桁議席は前例がない。自由党は、野党第一党の地位を失う大敗を喫する。
★新華社新華網が誤報
http://jp.xinhuanet.com/2011-03/28/c_13801695.htm
>カナダのハーパー首相は26日、ミカエル・ジャン総督が第40回連邦議会の解散を承認し、5月2日に第41回連邦議会選挙を行うことを決定したと発表した。各政党は直ちに選挙活動を開始した。

ミカエル・ジャン総督ではなく、デビッド・ジョンストン総督。
 投票日を4日後に控えた4月28日、保守党幹部の一人が匿名で、過半数獲得は不可能だと認めた。
 ネイノス・リサーチ社が4月28日に実施した政党支持率調査(括弧内は解散時)は、保守党36.4%(38.6%)、新民主党31.2%(19.9%)、自由党22.0%(27.6%)、ケベック連合5.7%(10.1%)、緑の党4.0%(3.8%)という結果となった。保守党は解散時から支持率が上がっていないが、新民主党は支持率が19.9%から31.2%まで上昇し、全国的に旋風を巻き起こしている。
 下院定数は308議席で、過半数は155議席、保守党の解散時勢力は143議席で、オンタリオ州106議席のうち51議席を有している。ケベック州は特に新民主党の支持率が高く、保守党はそこではさほど多くの議席を有していないが、若干の議席を新民主党に譲ることになるだろう。ブリティッシュコロンビア州でも数議席を新民主党に奪われるため、保守党が過半数を達成するには、オンタリオ州で74議席の獲得が必要と考えられる。
 カナダで最も人口の多い州で23議席も上積みすることは、現実には非常に難しい。保守党による票読みでは、トロント市内ではエグリントン-ローレンス選挙区とヨーク・センター選挙区の2議席、トロント郊外では5議席の計7議席増がやっとのようだ。
 保守党はここにきて、レイトン党首(新民主党)へのネガティブ・キャンペーンを始めたが、オンタリオで彼を攻撃することは、自由党を助ける結果を招きかねない。1990年のオンタリオ州議会選挙では、進歩保守党が与党自由党を攻撃し、その議席を大きく減少させることに成功した。だがそれらの議席は全部新民主党に奪われてしまい、新民主党政権樹立を手助けしただけに終わった。今回の選挙で自由党が大きく議席を減らし、新民主党と拮抗するようなことになれば、両党の連立がかえって促進されることにもなりかねない。

 ハーパー首相はセントキャサリンでの演説で、オンタリオにおける新民主党政権が多大な混乱をもたらした過去について触れた。
「ここオンタリオにおいて20年前、新民主党政権が何をもたらしたか、あなたたちに思い出させる必要があるとは思わない。私も、あなたたちも、そんなことはしたくない。」
 管理人は明日から旅に出るので、総選挙に関する投稿は連休明けまではありません。
 新民主党はいつも、投票日直前まではある程度の支持率を維持していても、自由党が負けそうになると、新民主党の支持者が保守党政権を阻止するため自由党に投票するという「戦略的投票」により、実際には低い得票率しか得られないという現象に悩まされてきました。しかし今回総選挙では、イグナティエフ党首に人気がないいっぽう、初めから保守党勝利が確定的だったことから、新民主党の支持率は衰える兆しがありません。
 新民主党は今回、100議席に迫る議席を獲得するでしょう。保守党が過半数に達しない状態で、自由党が野党第一党の指定席を失えば、従来のパワーバランスが崩れ、政界再編につながる可能性もないとは言えません。
 カナダ同盟による進歩保守党吸収は、後者が徹底的に落ちぶれたことで実現しました。左派の支持者はおそらく右派よりも多いはずで、下院で保守党が過半数に達せず、野党が過半数をずっと占め続けているという事実は、左派が何らかの形で統一されれば安定政権を築けることを示唆しています。もちろん、右派統一はカナダ同盟が西部・進歩保守党が東部と住み分けていたから実現したもので、自由党と新民主党は全国の選挙区で戦っていることから、容易には合併することはできないでしょう。自由党も中部で侮れない強固な地盤を持っていることから、新民主党による吸収や新民主党政権の連立パートナーの地位には納得しないでしょうが、自由党の将来にこれ以上の凋落があるなら、そのときこそ政界再編が起こることでしょう。自由党の新民主党への吸収に同意できない右派は、保守党に合流すればいいのですから。
 新民主党の支持率急上昇に対し、マスコミ各社はいっせいに懐疑的報道を始めた。新民主党は、ケベック新民主党が連邦新民主党との提携を解消し、その後消滅した経緯から、ケベックに支持基盤がない。2008年総選挙において、ケベックで17年ぶり2度目の議席を獲得したことがニュースになったほどである。同党は、ケベックの選挙区で捨て石のような候補を立てたが、最近ケベックで支持率が急上昇したことにより、それらの泡沫候補にも当選の可能性が出てきた。
 ケベックの新民主党候補のうち、十数人が学生である。彼らの多くはフランス語を話さず、地元で全く知られていない。住民の98%がフランス語を話しているベルティエ-マスキノンジュ選挙区のルース・エレン・ブロソー候補は、400キロ離れたオタワにあるカールトン大学構内のパブに勤めている。彼女のマネージャーは、彼女が立候補していることを知らなかった。新聞各社は、彼女にインタビューしようともしなかった。党は彼女が選挙区に入ったかどうか確認もしなかったし、投票日まで半月もない時期に彼女はラスベガスで休暇を過ごしていた。
 選挙区での世論調査の結果は、現職のギ・アンドレ候補(ケベック連合)36%、ルース・エレン・ブロソー候補(新民主党)29%、フランシーヌ・ゴデ候補(自由党)17%、マリ=クロード・ゴデュ候補(保守党)15%と、ブロソー候補にも当選の可能性は十分ありえる状態である。
 ケベックのラジオ局 103.1FM は、ブロソー候補がフランス語のインタビューに出演を依頼されたとき、とても驚いていたようだったと語った。しかし彼女は収録で“Oh oui, yes, yes, je comprends”としか言わなかったため、結局放送はできなかった。局はその後、ブロソー候補と連絡をとることができなくなったという。
 ケベック連合のアンドレ候補は「有権者と対話もできない、選挙区も知らない候補がいるとは、なんと嘆かわしい」と語った。
 新民主党広報のマルク=アンドレ・ビョー氏は、彼女についてこう説明した。
「彼女は興奮して、神経質になっています。彼女のフランス語は、まだ記者会見できる状態にありません。しかしもし彼女が当選することがあれば、フランス語を完璧にする努力は続けていきます。」
 いっぽうレイトン党首は、この件について「私は、我々のチームを誇りに思っている。彼らはあらゆる階層から選りすぐられた、勤勉な人々である」とだけ語った。
 5月2日に実施された連邦議会選挙は、保守党167議席(143)、新民主党102議席(36)、自由党34議席(77)、ケベック連合4議席(47)、緑の党1議席(0)(定数308、括弧内は解散時勢力)という結果となった。ハーパー首相は、戦後では2人目となる連続三選。これまでは少数政権に甘んじてきたが、三度目の正直でようやく安定政権を得た。
 新民主党は、過去最大だった1988年の43議席を大きく上回り、議席を3桁に伸ばし史上初の野党第一党となった。野党第一党は「公式野党」として、党首には公邸・公用車などが公費で提供される。
 自由党は、過去最低だった1984年の40議席をも下回る惨敗。現存するカナダ最古の政党として、歴史的に二大政党の一角を担ってきたが、与党でも野党第一党でもなくなるのは史上初である。イグナティエフ党首自身もエトビコーク-レイクショア選挙区で落選した。
 ケベック連合は、結党以来常にケベックの第一党だったが、今回は議席の大多数を失った。デュセップ党首自身もローリエ-サンマリ選挙区で新民主党候補に敗れ、党首辞任を発表した。しかし彼は、「今後もケベック独立のために戦い続ける」とコメントした。ケベック州政界では、自由党が相次ぐ汚職で有権者の支持を失ういっぽう、ケベック党が支持を伸ばし、次の総選挙では確実に勝利づるものとみられている。だがマロワ党首が独立路線を打ち出そうとしないため、党内ではマロワ党首を降ろしてデュセップ氏を党首に招聘しようという動きがあり、彼は今後もケベック政界の台風の目であり続けるだろう。
 緑の党は、メイ党首が総選挙で史上初の議席獲得。今回の総選挙ではテレビ討論から締め出されたが、次回は確実に出演できそうだ。
 5月2日の総選挙で大敗を喫した自由党のイグナティエフ党首は、翌3日に党首辞任を発表した。著名な学者・作家として、当選わずか1回で党首の座に就いたホープは、ただ1度の選挙に敗れ政界を去ることになる。
 党の存続すら危ぶまれる大敗にもかかわらず、彼は党の未来についてこう述べた。
「私は、自由党のための最も確かな未来の保証が、4年間の保守党による右翼政権と、4年間の新民主党による公式野党にあると思う。」
「このような経験の後で、なぜカナダには中道の自由党があるのか、その理由をカナダ人は見出すだろう。」
 それから後任の党首について、こう述べた。
「その人はおそらくここにいる人ではなく、部屋でテレビを見ている人かもしれない。その人は今そんなことは考えてもいないだろうが、私はそう望んでいる。」
 彼は、後任には若い女性が望ましいと語った。だが前々回の党首選に立候補したホール・フィンドレイ元議員も、党首選出馬を取り沙汰されたルビー・ドーラ元議員(元準ミス・インディア=カナダ)も、いずれも落選している。なお自由党は、女性が党首に就いたことはない。
 下馬評では、ボブ・レイ議員とラルフ・グッデイル副党首(元財務大臣)が有力候補として挙げられている。だがレイ議員はかつてオンタリオ新民主党党首として、オンタリオの財政を破綻させた前歴があり、今回総選挙でもその過去をハーパー首相に何度もほじくり返されていた。彼が党首になれば、党内右派は「新民主党との合併に一歩前進」と色めき立つことだろう。
 自由党には、党首はアングロフォンとフランコフォン、右派と左派が交互に就くというジンクスがある。これに従えば、次はフランコフォンの左派だから、ドミニク・ルブラン議員とジャスティン・トルドー議員がそれに該当することになる。
 アンガス・リード社の世論調査によると、新民主党と自由党による左派合同について、賛成が37%、反対が52%、「わからない」が12%だった。
 自由党の支持者を除く回答者の65%は、合併が自由党を救う唯一の方法かもしれないと回答した。そして新民主党支持者の47%は、自由党との合併を支持した。
 一方、保守党支持者の71%は、左派合同に反対した。
 5月2日に実施された連邦議会選挙では、保守党が議会侮辱や相次ぐ閣僚のスキャンダルにもかかわらず、連続三選しかも初の過半数安定政権の樹立を実現した。これにより、左派3党が過半数を握り、与党がパーシャル連立を余儀なくされた時代が終わりを告げた。保守党の経済政策は有権者に支持され、自由党とケベック連合の2つの左派政党は壊滅的敗北を喫した。
 だが得票数で見ると、保守党が583万票を獲得したのに対し、新民主党と自由党は729万票を獲得しており、左派票は依然として右派票を上回っている。にもかかわらず、40%にも満たない支持率で、保守党は過半数の獲得に成功している。
 保守党は得票率を2%上昇させるだけで、24議席増加した。得票率1%当たり4.2議席を獲得したことになる。いっぽう「オレンジ旋風」を巻き起こした新民主党は、得票率を12.5%上昇させ議席を3倍以上に増加させたにもかかわらず、得票率1%当たり3.3議席しか獲得していない。得票率が7.4%減少した自由党は、得票率1%あたりわずか1.8議席にとどまっている。緑の党は得票率が2.9%減少したものの、悲願の1議席獲得に成功した。

 今回の選挙結果について、多くの批評家が「カナダ政治の二極化」を指摘する。有権者は、少数政権を繰り返す従来の議会のあり方に危機感を覚え、左右の両極化を志向したというのである。
 左派の有権者が自由党から新民主党に切り替えたことは、「二大政党+2」制の政治力学に思わぬ変動をもたらした。最も劇的な変動が起きたのは、大票田のオンタリオである。90年代には自由党が100議席を占める強固な地盤であったが、過去2回の総選挙で北部を新民主党に、トロントを除く南部と中部を保守党に奪われた。それでも自由党は、最後の牙城であるグレーター・トロント地域の大部分を死守した。
 それが今回総選挙では、保守党の議席増のほとんどがグレーター・トロント地域で起こった。保守党は「農村から都市を包囲せよ」を合言葉に掲げ、グレーター・トロント地域の44議席中30議席を獲得し、州全体では73議席を獲得して、23年ぶりにオンタリオで第一党となった。保守党が今回新たに獲得した24議席のうち、18議席がグレーター・トロント地域(トロント市からは9議席)であり、その全てが自由党から奪った選挙区である。トロントに保守系市長が誕生したことなどから、グレーター・トロント地域ももはや自由党の地盤とは言えなくなっているようだ。

 新民主党の「オレンジ旋風」により、左派票は自由党と新民主党の間で分散され、保守党が多くの選挙区漁夫の利を得た。それは進歩保守党と改革党が右派票を分散させ、自由党に圧勝を許した1993年総選挙の再現であった。
 たとえばオンタリオ州ドン・バレー・ウェスト選挙区で、新民主党候補は2008年総選挙より1182票多く獲得している。その増加分は自由党支持者からと思われ、保守党候補に漁夫の利をもたらした。保守党がわずかな支持率の上昇で、効率的に多くの議席を獲得したのは、このように自由党候補が得票を減らしたことが作用している。
 このような現象を、一部の批評家は中道政治の終焉と位置づける。有権者は本来、多少なりとも右か左に寄っているはずである。しかし二代政党制においては、一つの党が左に寄れば、右派のもう一つの党が中央の票田を占拠してしまう。そのためどの党も、選挙対策として中道に寄ってしまうというのである。
 だが西欧では、中道政党が退潮しているという見方が強い。小規模中道政党は、イギリスとドイツに存在しており、しばしば連立与党を形成するが、彼らが単独で政権を担当することはない。
 左派の有権者は保守党の「隠しアジェンダ」を、右派の有権者は新民主党が基幹産業を国営化することを警戒する。彼らはおそらく、本心ではそうしたいのだろう。だがそうすることで、彼らは中道票の支持を失うことになるから、実際には踏み切れないだろう。本心では死刑復活を支持しながら、それを政治日程に乗せることはしないと明言したハーパー首相の、絶妙のバランス感覚が印象深い。
 ケベックで支持されてこなかった新民主党がケベックで躍進し、初めてケベックの第一党となったことは、カナダの政界地図を大きく変える可能性を秘めている。
 進歩保守党が1984年、根拠地の西部とそれまで支持のなかったケベックの両方の支持を得て総選挙に圧勝したことで、マルローニ政権は、互いに敵対関係にあった両者の要望に応えなければならなくなった。だがそれゆえ彼は、西部とケベックの間で股裂きとなり、ミーチレイク協定に見られるように、両者の要望に対しそれを統合する理念なしにそれぞれ迎合する結果となり、最終的には両者に見捨てられ、破滅の途をたどることになった。
 新民主党もまた、世論調査で支持率トップになり、政権獲得を意識したオードリー・マクラフリン党首が、ケベック有権者の関心を引くためミーチレイク協定支持に回ったことにより、中西部の支持者に見捨てられ、1993年総選挙でわずか9議席と史上最低の結果に終わっている。
 ケベックは確かに「独特の社会」であり、「残りのカナダ」とは文化的にも政治的にも際立った違いがある。両者の考えにはギャップが大きすぎて、何人たりとも調整不可能であるように思われる。この両者のギャップを調整しようと試み、ケベック民族主義に譲歩した者たちは次々と政治生命を失っていったのが現実の歴史である。ケベック民族主義への譲歩はタブーであり、ゆえにケベックの利害を代弁する政党は、ケベック連合のようにケベックだけで支持されている組織の方がよかったのだ。
 新民主党は本来、西部とオンタリオを根拠地としている。その新民主党が、新たにケベックの有権者を支持層として取り込もうとするなら、それは先人たちと同じ破滅の途をたどることにならないだろうか。
 新民主党は90年代半ばまで、東部で支持されていなかった。ところが東部選出のアレクサ・マクドーノーが党首に就くと、1997年総選挙で新民主党は、政府与党の失業保険削減に抗議して、議席を獲得することに成功する。そして2010年にはついに、ノバスコシア州で東部初の新民主党政権樹立に至るのである。
 東部を新たに地盤とすることに成功した前例があるため、新民主党が必ず破滅するとは言い切れない。しかし舵取りを誤れば、奈落の底に落ちる可能性も、決してないとは言い切れない。
移民でもこんな人が、いるんですね。

http://beplussupport.blog91.fc2.com/?no=529
>昨日5月2日は、カナダの総選挙でした。結果は、現首相Steohen Harper(ステファン ハーパー)率いる Conservatives(保守党)が、過半数を獲得する見込みで、一つの党が過半数を獲得するのは、カナダの総選挙始まって以来初めての出来事だそうです。
Bitsも誤報
http://www.bitslounge.com/news/canada/20110506_01.html
>下院総選挙は5月2日に投開票が行なわれ、ハーパー首相率いる保守党が単独過半数となる167議席を獲得、5年ぶりの多数派政権の誕生となった。

2004年6月の総選挙で自由党の少数政権が誕生したので、7年ぶりが正解。ハーパー政権が誕生したのは2006年で、5年後にして初の多数派政権となった。
●「ベガスの女」が当選:「オレンジ旋風」と杉村太蔵たち

 投票日の一週間前に、有権者と握手(shake hands)もせずラスベガスでサイコロを振って(shake dice)いた「ベガスの女」、ルース・エレン・ブロソー候補(新民主党)が、ベルティエ-マスキノンジュ選挙区で40%の票を獲得し、当選した。予期せず当選したとき杉村太蔵はニートだったが、ルース・エレン・ブロソーはパブに勤める未婚の母であった。
 彼女はオタワの選挙対策本部で自分の当選を知り、衝撃を受けたという。そして5月6日、当選後初めての取材をトロワ・リビエールの新聞「ル・ヌベリスト」から受けた。取材は英語で行われた。
 彼女は、自分は長年の新民主党支持者であり、本来はジュリー・ドメール氏が立候補するはずだったが、ブラサ選挙区で立候補(落選)したため、急遽彼女が第二候補として選ばれたと説明した。そしてベルティエ-マスキノンジュ選挙区で、新民主党は4位より上位に行ったことがなく、当選することは全く予想してなかったので、選挙区には一度も入らなかったと認めた。
「私の立候補は、ただの名義上のもので、それ以上のものではありませんでした。」
 4月26日が彼女の誕生日で、かなり前からパブのマネージャーに休暇を申請しラスベガスへ旅行に行く計画を立てていたところ、突如解散・総選挙が公示され、旅行をキャンセルすることができなかったという。
 また自分のフランス語は十分ではないが、父はフランコフォン(姓がフランス系)で、彼女自身も2年生までケベックの小学校に通ったと語った。

 「オレンジ旋風」はまた、史上最年少19歳の下院議員ピエール=リュク・デュソールを当選させた。彼は興奮してラジオのインタビューで「ケベック独立は必然的なものだ」と口走り、党幹部を慌てさせた。
 「長老議員たちは、新人議員たちを教育する必要がありそうだ」という指摘に対し、レイトン党首は「我々は若者たちをアフガニスタンに送っている。なぜ議会に送ってはいけないのか」と語り、新人議員たちを擁護した。
 彼女は、自分が幸運に恵まれていると思ったことはなかった。彼女が最後に連邦議会議事堂に入ったのは、学校の遠足のときだったかもしれない。
 彼女は16で妊娠し、17で未婚の母となり、クラスメートたちからのけ者にされた。彼女は自分と息子を養うために、時には1日に2つの職場で働き、通信制で単位を取ってようやく高校を卒業した。
 そして今、27歳でバーのウェイトレスとして年収2万9000ドルを得ていた彼女は、期せずして下院議員に当選し、年間15万7000ドルの給料を支給される身となったのである。
 彼女は、新民主党の支持者だった。そして党員である親しい友人から、立候補するのに名義だけ使わせてくれと頼まれ、当選するはずがないと思ったので応じた。ところが選挙区で一度も選挙運動することなく、彼女は当選してしまったのである。
「でも今は、私は本当に恵まれていると思っています」と、ルース・エレン・ブロソー議員は語った。
 彼女に関する報道は時に興味本位で、性差別的でもあった。だが彼女は、メディアを非難しない。
「だって、痛快じゃないですか。これはよくあることじゃありません。私はシングルマザーです。私は選挙運動せず、ラスべガスで遊んでいたのに、当選しました。でも有権者は、変化を求めたのです。彼らはレイトン党首と新民主党を選びました。」
 彼女は今、一日の大部分を議員活動に費やしている。フランス語の訓練も、続けている。彼女はいつか来るであろう、自分が初めて質問に立つ日を思い描き、心躍らせている。

 「平等な声」代表役員のナンシー・ペックフォードは、こう述べた。
「議会にはこのような若い女性が必要です。彼女たちが、自分もそこにいたい、自分もそうなりたいと声を挙げることで、次のルース・エレン・ブロソーたちが生まれるのです。」
 選挙法は、1位と2位の得票差が投票総数の0.1%以下の場合、裁判所に訴えることなしに、自動的に票の数え直しをするよう定めている。今回総選挙では、以下の4選挙区で票の数え直しが行われた。
 オンタリオ州エトビコークセンター選挙区では当初、テッド・オピッツ候補(保守党)がボリス・ジェズネフスキー候補(自由党)を破って当選と発表されたが、再集計の結果、オピッツ候補が26票差で当選と確定した。
 オンタリオ州ニピシング-ティミスカミング選挙区では当初、ジェイ・アスピン候補(保守党)がアンソニー・ロタ候補(自由党)を破って当選と発表されたが、再集計の結果、アスピン候補が18票差で当選と確定した。
 ケベック州モンマーニュ-リスレ-カムラスカ選挙区では当初、ベルナール・ジェネルー候補(保守党)がフランソワ・ラポワント候補(新民主党)を破って当選と発表されたが、再集計の結果、ラポワント候補が9票差で逆転勝利を収めた。
 マニトバ州ウィニペグノース選挙区では当初、ケビン・ラムルー候補(自由党)がレベッカ・ブレイキー候補(新民主党)を破って当選と発表されたが、再集計の結果、ラムルー候補が44票差で当選と確定した。
 2011年下院選挙は再集計の結果、保守党の1議席減、新民主党の1議席増となり、議席配分は保守党166議席、新民主党103議席、自由党34議席、ケベック連合4議席、緑の党1議席(定数308)と確定した。なお保守党のケベック州における当選者はわずか5人で、うち4人が閣僚ポストを与えられたが、当選が確定していなかったジェネルー候補にはもちろん与えられなかった。
選挙関連のおもしろいスレッドを見つけました。2ちゃんねるにしてはハイレベルな内容です。
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/news5plus/1304423437/
>37
>ハーパーの後釜を狙ってる、保守党内の穏健派リーダー格
>ピーターマッケイは45歳とさらに若い

マッケイ国防大臣はレッド・トーリー。「ナンバー2」と言われてきたジム・プレンティスもレッド・トーリー。
ポスト・ハーパーの最有力だったジャン・シャレーはもうダメ。というわけで私の予想するポスト・ハーパーは、ジェイソン・ケニー移民大臣。

>14
>英米のような堅固な政党地盤、政党支持者が
>カナダにないのかな

西部は保守党・自由党・新民主党の三つ巴。
中西部のアルバータは保守党一辺倒。サスカチュワンとマニトバは一に保守党、二に新民主党。
オンタリオは保守党・自由党・新民主党の三つ巴。トロントは自由党の牙城。トロント郊外は保守党の地盤に変わり、オンタリオ北部は新民主党の地盤に変わった。
ケベックは70年代までは自由党の地盤だったが、その後ケベック連合の根拠地に。
東部は80年代までは自由党と保守党の競り合い。90年代から新民主党が食い込み、三つ巴に。

自由党はかつて、最も人口の多いオンタリオとケベックを地盤にしていたが、現在はMTV(モントリオール・トロント・バンクーバー)だけとなった。中西部では絶望的に人気がなく、東部も新民主党に食い込まれている。つまり、自由党のかつての地盤の相当な部分が、新民主党に変わっているのだ。
80年代にケベックを失ったことで、自由党は野党に転落し、党建て直しが真剣に議論された。ところが進歩保守党が勝手にコケて、保守が分裂したことにより、自由党はケベックと中西部を失ったまま、13年間政権の長期政権を享受した。しかし保守合同により、保守党がオンタリオと東部を奪還すると、自由党は勝てなくなるのである。自由党は2004年以降、選挙のたびに30議席ずつ減らしている。

保守党には中西部の強固な地盤があるので、西部・オンタリオ・東部のデッドヒートで大勝ちできなくても、そこそこ勝っていれば、ケベックでわずかの議席しか取れなくても、自由党や新民主党より少ないということはないわけだ。

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