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生活の発見会コミュの「怖くてもやる」

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私は、mixiにおいては、メンタル系のコミュニティとして、
「対人恐怖症」「森田療法を楽しむ会」「生活の発見会」の3つに参加しているが、そのどこでもいいのだが、タイトルのテーマで少し考えてみたいと思ったのである。

これは標語である。

昔、自分のブログに、「びくびく震えるままに」というタイトルを付けたことがある。これは森田先生が言ったかどうかは定かではないが、発見会や森田の本の中でよく出てくる標語である。
確かに、1つの雰囲気は表わしている。しかし、いまいちしっくりこないかなと感じていた。

つい先日、久々にフラッシュバックがあり、そのときに、感じたのが、「怖くてもやる」という標語。
そして、そのとき、これだよな...と思ったのである。

標語はできるだけシンプルのほうが良い。
頭にすぐに浮かぶ言葉がいい。
そして、そこから何かを引出す力を持っているほど、奥深く、力強い言葉いい。
そして、最も大事だと思うのは、自分の中でいつまでも色褪せないもの。

というわけで、このトピックはあくまで個人的な覚書なのですが。
すみません。<(_ _)>

自分の日記に書けばいいのにとお思いでしょうが、
こういう主観的なことを日記に書くのはできるだけやめたいので、
だから、むしろ、公の目につくところに、主観に陥りそうなテーマを、できるだけ客観的に記述してみたいと思ったのです。

重ね重ね、すみません。<(_ _)>

もちろん、ご意見・コメントは歓迎します。

コメント(25)

「怖くてもやる」という言葉には、多くの言葉にしていない部分が隠れている。
その最大のものが、「何をやる?」だと思う。

当然、森田療法を理解している方なら、症状に立ち向かうようなことをやるのではないとわかっているとおもうけれど。
でも、じゃあ、何をやるのか...
これはそう簡単に答えが出てくるものでもない。

私にしても、ちょっと前までと今とでは答えが違ってきている。

今の私は、こうかなと思っていることがある。
それは...「約束を守る」ということ。

一旦、やりますと約束したことは、たとえ、後で怖くなっても、逃げてはいけないということ。
じゃあ、そもそも約束なんかしなければ、そういう状況に追い込まれないんじゃと思うかもしれないが、

人間って、気分のいいとき、調子のいいときは、多少は気が大きくなるもの。
だから、やりますって、約束しちゃうんだよね。

ちょっと拡大解釈すると、仕事に就く、会社に入るというのも、一種の約束のようなもの。
会社に入って、1週間でやめちゃうのは、やはり一面約束を破っていることになるんじゃないだろうか。

だから、約束を守るって、そんなに簡単なことじゃないわけです。
だから、「怖くてもやる」
chamta7さん、はじめまして。
「怖くてもやる」の言葉は、とても重要なことですよね。森田療法を初めて知った時、この「社会生活は崩さずに淡々とおやんなさい」という意図の言葉は、まさに私の望むべき療法だと思いました。神経症だからといって、一旦社会生活を完全に休んでしまうと、神経も体も甘くなって逆に戻ってこれなくなるんじゃないかという気持ちがずっとあったので、スッと心に入ってきました。
とはいえ、未だに本を読むばかりで療法の実践はほとんどやっていないのですが。。。(具体的な実践としてのやり方が今ひとつ分らないのもありますが。。。)

chamta7さんの1のコメントを読んで、「約束を守る」という文を読んですぐに頭に浮かんだのが、自分の希望で今の仕事に就いてるのも約束そのものだよなということ。コメントを読み進めるとまさにそのことが書いてあったので少し驚きました。

「怖くてもやる」。私にとって、今まさに必要なことです。 仕事が怖くてなってしまった今の自分に。
「約束を守る」…まさに的を得ている言葉だと思いました。
治す為ではなく必要な事だから逃げずにする…約束…いいですね。
へけちゃさん、ルカさん、ユウさん

こんにちは。
コメントありがとうございます。

私も今でも、怖いことがいくつかあります。
怖いことがあるのが悪いのでなく、
怖いからといってやらないのが悪いのでしょうね。

怖いことがあるからこそ、
怖くてもやる が大事なのだと思います。
くるみさん

コメントありがとうございます。
明るい感じがいいです。
ついでに言えば、時々はうまく行かなくて泣けてくるときもありますよね。
そんな自分にも会ってくださいね。
発見会ではよく「やるべきことをやる」「為すべきを為す」という言い方をすることがある。
目的本位ということばもこれに近い。
私はこれらの言葉はとてもいい標語だと思っていた。
しかし、実際には、これらの行動を起こすときには、必ず、何らかのネガティブな感情が伴うものだと思う。

苦しいのだ。
怖いのだ。
または、不安なのだ。

これらの感情に目をつむって、行動にまい進するというのは、
もしかしたら、一種の逃げなのではないか。
そんな気がちょっとする。
正確に言うと、これらのネガティブな環境とつきあっていく姿勢が必要なのではないだろうか。

行動には感情がつきもの。
感情を切り捨てることができない以上、
感情とつきあっていく。いやむしろそんな感情に親しんでしまうのもいいではないか。

だから、「怖くてもやる」というのは...
「やる」に50%、「怖い」にも50%の重みがあるのだ。
ユウさん

書き込みが遅れて申し訳ありません。
私は今まではどちらかというと、「行動」重視派で、
「目的本位」という言葉がとても気にっていました。
また、それによって、ずいぶん、自分の仕事や生活も良くなってきたのです。
もう、森田療法は卒業かなとさえ思っていました。

ただ、今年の夏以降、少し苦しさを感じ、仕事も生活も伸び悩みを感じてきました。
そんな中で、森田の原点に戻ろうという気もあったのですが、
結局は原点に戻らず、
自分の中の森田療法のいろいろな考え方を、たった一言で表わす
「怖くてもやる」という言葉がひらめいたわけです。

「怖くてもやる」は、決して、「怖さ」を感じようとすることでもなく、
ただ「行動」することでもなく、
その両者が同時に合わさったときに、大きな力を持つように思います。

「怖さを感じつつ、行動していく」
この瞬間は、私自身に大きな活力と癒しをもたらしてくれました。
自分としては、このシンプルな言葉が何なのか、過去の自分の
森田療法のいろいろな考え方との関連性を整理したいと思ったのでした。

森田療法を知ったのは、29歳のときでした。
今は54歳。長い年月でしたが、まだまだ引退するつもりはありません。
ユウさん

返信ありがとうございました。

私も、自分の中の思考パターンの深いところに、
森田療法の考え方を埋め込まれてしまった為、
もはや、簡単には森田療法から離れられないかもしれません。
(表面上は、森田のことなんて、あまり意識してないんですけど)

ならば、症状をどうするなんて小っぽけなこと言っていないで
どうしたら、わくわくして、面白く、満足できる人生を歩めるか
そのことに森田を生かしていきたいです。

あとは、発見会では、巨匠とも言うべき人たちと出会ってみたいですね。
自分もそういう人たちと話が交わせるようになっていきたいと感じます。
「怖くてもやる」というのを初めてここに書き込んでから約3ヶ月が経過しました。

その間、どうだったか。
守るべき約束はだいたいは守ったように思います。
人間ですから、気分の浮き沈みはあります。
沈んだとき、どうしようどうしようと浮き足立ちます。
そして、たいてい、そんなときは、仕事とかで何かが控えているときで、
恐怖心を必ず抱えています。

そんなときに、思い出す一言がやはり「怖くてもやる」でした。

そして、その結果として、ほぼ、物事が思っていた方向に進んだように思います。
物事が思っていた方向に進むなんて、
今までは滅多になかったことです。
だから、素直に、良かった...と感じています。

今年はどうなるか....。
いろいろなことが起きるだろうし、
現時点でも、いろいろ控えていることがあり、恐怖心がふつふつとしてきます。
でも、シンプルに...やっていきます。
「怖くてもやる」について、1つだけ書くことを保留していたことがある。
理由は、これを書いたら、もう後は書くことが何もなくなっていまいそうだから。
でも、まあ、とりあえず書いてみて、それで終わりにしてもいいかなと思った。
3ヶ月後とか1年後とかに、また、書きたくなったら、そのときまた書けばいいだけ...。

−−−
怖くてもやるというのが身についてくると、怖いことに遭遇しても何とかやりおおせるんだなというのが自分でもわかってくる。一種の自分に対する信頼感のようなものが出来てくる。
「自信」というのは、もしかしたら「自分に対する信頼感」から来ているのではないかとおもうのだが、つまりは、怖くてもやるとうのが出来てくると、「自信
」が付いてくるでもいうか...。

その次に起きるのが、何か新しいことに手を出してみたくなってくる。
もしくは、今やっていることをもっと手を広げてみたくなってくる。

だいたいにおいて、神経症とか対人恐怖に染まっているときは、新しいことや広げることに興味を持っても、もし失敗したらとか、やってみて症状が出てきて阻害されてしまうのではないかと、知らず知らず踏み出すことを躊躇してしまう傾向があると思う。

そのタガがはずれてくれるのである。
こんなことやってみても、後で怖くなってやめてしまうのではないかとか思うことがなくなり、「まあ、何とかなるのではないか」と思えるようになってくる。

怖さからくる制約がなくなり、視界が広がってくるという感じ。
じゃあ、いっちょやってみるか、という解放感がたまらなく楽しい。
新しいことに手を出してみても何とかなりそうな予感がする。

この書き込みの最初の頃に書いた、「何をやるか」という話で「約束を守る」のが大事と書いたけれど、そのとき、調子のいいときには、気が大きくなってしまって何かに手を付けてしまう、それが自分への約束となって、怖くてもその約束を守るはめになる。実はそれがいいのだと...と書いたけれど、
怖くてもやることで、制約がはずれ視界が広がり、その結果、一種の勢いがつき何かを始めてしまい、またその結果、約束を守るはめになり、「怖くてもやる」に従って何とか約束を守る...こんな循環がまわりはじめるということになる。

これがプラスのループになる。
神経症や対人恐怖による負のループに陥り、実生活が後退していくのと逆の流れである。こうなればしめたもの。

私自身は、ここまでうまくは行っていないけれど、この方向に一歩踏み出したような手ごたえは感じている。
もう何か月後か何年後かには、その結果がお知らせできるのではないかと思います。

長々と自分の勝手な思いを書き連ねてしまい申し訳ありませんでした。
それでは...。
最後に書き込んでから、また、3ヶ月がたちました。
ということは、最初に書き込んでから半年が経過したということ。
この間に、自分の仕事上では、かなり厳しい環境を何とか乗り切ることができて、ほっとしているところです。

このように厳しい環境に飛び込んでしまった一因は、この「怖くてもやる」という一言にあるかもしれません。
そう意味で、この一言は、決して生やさしいものではないと実感しています。

とは言え、この一言が、私自身にとっては、最後のそして最大の砦でもありました。

本当に、怖くてどうしようもない心境になることもありました。

しかし、そのときには、「目的本位」でもなく、「あるがまま」でもなく、「怖いままやる」でもなく、
「怖くてもやる」だったのです。

なぜか、「目的本位」も「あるまま」も「怖いままやる」も、みな、心のあり様のほうにフォーカスしてしまうからです。心のあり様にフォーカスした時点で、「やる」ほうからは意識が遠ざかり、無用で余計な
「気持ちの調整」のほうに、意識を奪われてしまうからです。

怖いときは、心のあり様は正直どうでもいいのです。シンプルに「やる」だけです。
「怖くてもやる」の、「怖くても」は、怖いときは当たり前の心境なので、もはや問題にすることはありません。
残るのは「やる」という部分だけ。
どうやるかは問題ではありません。ともかく「やり」さえすればいいのです。

このシンプルさが、標語として、もっとも強く効果的なものだったと思うのです。
これを書き込んだのが7年ほど前か。
今は本当に良くなってしまって、自分でもビックリする。怖くてもやる。というのは割といい標語で、今でもあの当時としては間違ってなかったと思います。
また、何年後かに、読むかもしれない自分の為に何か書き残しておきたいな〜。
今も発見会活動は続けていて、渋谷、新宿読書、山歩きの会に参加している。
仕事も雇用延長2年目が過ぎ、会社に行くのが、疲れてイヤな時もあるが、面白いことも多い。
対人恐怖的な気持ちは60歳以降、ほぼ消失した。
つづきはいずれ…
今日は2020年。最初に書き込んでから8年、最後に書き込んで1年という時期である。
対人恐怖が良くなってしまって...といのは本当で、今年になって対人恐怖を意識したことはほんの1度か2度である。むしろ、対人関係において積極的になってきたと自覚できるほどである。
対人恐怖は消失したといって構わないと思う。
発見会を見ると、長年やっていてもそうでなもない人が多い。
なぜ、自分はこんなに良くなってしまったんだろう?

結局のところ、やはり、行動の積み重ねによって、自分の幅が広がってきたとしか言いようがない。
なぜ、行動や自分の幅が広がったのか。
それは、最初から意識したわけではない。その時、その場で、これをやってみようと思ったことが出発点で、めげずに、それに取り組んできたことで、幅が広がったんだと思う。
今では、「怖くててもやる」という意識もほとんでない。なぜなら、怖いと思うことがほとんでないから。自分にはできるだろうなという自分への信頼つまり自信が自分をおおっているから。

むしろ、63歳という年齢から、あと何年元気で射られるんだろうというほうが気にかかる。
これが死の恐怖なのね。
死の恐怖にあらがう為に、生き急ごう(=やりたいことは待たずに何でもやってみよう)という意識、そして、健康・体力・栄養・睡眠などを意識している。

でも、こうなる前は、やはり、「怖くてもやる」というのが大事だった。
何をやるか。
約束を守るというのは大事。
そして、調子づいて、何でも着手してしまうというのも大事。
それらに加えるとしたら、「誘われたら、断らない」「チャレンジ精神」かな。
とにかく、ちょっとでもやってみたいと思ったことは、やってみることが大事。
たとえ、失敗しようとも、方向性を調整し、再チャレンジすればいい。
失敗なくして、成功はあり得ない。
一方向につき進むのもダメ。紆余曲折はあって当たり前。だから、よくわからないのに、着手できるのです。

まあ、そんな感じで、いろいろやってきた結果として、今の自分があるのかなと思います。
個々の具体的なことはあまり書きませんが、別に隠しているわけでもなく、
いずれ書いてみたいと思っています。
仕事も、趣味も、何でも同じです。
とにかく、思いついたらやってみる。
やり始めたら、約束をなるべく守る。
そして、人からも自分からも信頼を得る。
その繰り返しにより、仕事の幅、趣味の幅、人間の幅が広がっていきます。
いわく、プラスのループになるのです。
結果、悩みなんて忘れています。

最後に投稿したのが1年半前。今はもう65歳になり、東京を離れ、長野で生活を始めている。会社も退職となり、でも急に業務を離れることも出来ず、ツテをたどる形で週3日ほどリモートワークしている。
対人恐怖の方は、もう完全に治ってしまったようで、全く悩みはない。新しい仕事や趣味などやりたいことばかりで、時間が足りない。でも会社勤めが無くなったので、若干金銭面の不安は感じる。
怖くてもやるはいい標語だったと思う。シンプルな所がいい。今でも生活の発見会の会員で、ある集談会の代表幹事やら、同好会の取りまとめ役などもやっている。昨日もZoomで同好会ミーティングがあり、発表をお願いしていた人がとてもいい発表をしてくれた。森田療法の捉え方の話もあったが的確でシンプルなので参考になる人も多いだろう。機会があったらご紹介したいと思っています。
とにかく今は悩みがないので、とにかく何でもやってみる。失敗しそうになったら軌道修正する。いろいろな人の話を聞いて刺激を受けたいと思っている。
普通の65歳より元気で活動的かもしれない。
また、何年後かに自分のその後を書き込んでみたい。

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