ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

School Of Classic Rockコミュのブルースの源流

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ジャ〜ン!!
新年になりメンバーも増え、何となく資料も出揃った様なのでぼちぼち、講義を始めます。(^。^)

ロックの歴史を遡って行くとブルースにたどり着きますが、そのブルースはどこから来たのか?をテーマに1回目の講義はブルースの源流を追って時代をさかのぼり、1950年代以前へとタイム・スリップしてみようと思います

はじめに断っておきますが根がいい加減なもので他のホームページやブログをコピペしたり、そのまま引用したりする場合もあるやもしれませんが悪気はないので・・スンません!それから多分時々、勝手にコソコソ編集したりもしますので・・・
ただRockの歴史を再確認すると皆さんの音楽環境に新たな発見があると思います。「「あッこの曲の原曲はこれだったの?」「このフレーズはここから来てるの?」・・などなど
音楽好きにはかなり楽しいスクールになると思います。しばしお付き合いいただければと思います。

 
ブルースやジャズ以前、アメリカの黒人たちはどんな音楽を演奏していたのか?レコードという音の記憶装置が生まれる19世紀以前の音楽は、ほとんど推測の域を出ず謎に包まれています。ただはっきりしているのは、1619年にオランダ人によって連れられてきた20人のアフリカ人奴隷がアメリカに上陸し、彼らによってアフロ・アメリカ音楽の歴史が始まったということです。それでは、奴隷として連れてこられたアフリカ人たちが持ち込んだ音楽とはいかなるものだったのでしょうか?これは彼らの故郷を訪ねることで、その謎が明かされます。

アフリカの音楽といっても色々ありますね、ユッスン・ンドゥール、サリフ・ケイタ、フェラ・クティー、キング・サニー・アデ、フランコなど、最近ではアフリカのポップスを聞く機会も多いので、ある程度は「アフリカの音」の特徴をイメージできます。ただし、ここで言う「アフリカ」とはサハラ砂漠以北に住むイスラム系アフリカ世界ではなく、俗にブラック・アフリカと呼ばれる西アフリカ、中央アフリカ地域のことです。それは彼らの先祖こそアメリカに連れ去られた奴隷たちの源流だからです。
アフリカの社会は、異なる個性がお互いを認め合う平等な社会を作り上げていたと言われています。残念ながら、そうした文化のほとんどは西欧諸国が「近代文明」を持ち込んだことであっという間に消え去ってしまいました。しかし、そうした文化だったからこそ生み出されたのが、未だにアフリカ各地に残っている素晴らしい音楽の数々なのです。

 例えば、セネガルの音楽で有名なタムタムのリズムは、女性たちが臼で粉をひくリズムから生まれたと言われています。大きさも重さも異なる臼をそれぞれの杵で歌に合わせてつく時の微妙に異なる音が生み出す複雑な音とリズムの組み合わせ、これこそ彼らの音楽の基本であるポリリズムの原点です。 さらに、文字のない社会は情報伝達の多くを音に頼ることになるため、人間は音に対して非常に敏感になります。そのため、音による通信手段が発達し、「言葉」と「音楽」の境界は曖昧になって行きます。 こうして、複雑なリズムの組み合わせと同様に複雑な声の組み合わせもまたアフリカ音楽の重要な特性となってます。アフリカが生んだ美しいハーモニーは、その後アメリカでも素晴らしいゴスペル音楽などを生み出します。重要なのは、こうした歌の文化は声だけではなくトランペットやギターなど、あらゆる楽器にも利用されていることです。それは黒人音楽における楽器はすべて声の代わりとして使われているのだということでもあります。(アフリカ音楽の伝統的な音楽の詳細はおすすめレビューで追記しておきますのでご覧ください)

アフリカの音楽についてもうひとつ重要な点があります。それはアフリカ音楽の基礎となっている言語のほとんどが「音節拍リズム言語」と呼ばれる種に属していることです。「音節拍リズム言語」とは、言語を組み立てているいくつかの音節はみな同じ長さであるため、その音節の数によってその言葉を発音する際のリズムが決まるということなのです。(日本語もこの仲間に入っているそうです)それに対して、「強勢拍リズム言語」という種があります。この言語において音節の長さは一定ではなく、従って音節の数によってリズムを決めることはできません。では何が一定なのかというと、アクセント(強勢)の位置がほぼ等間隔になっているのです。ということは、アクセントの位置によって言語のリズムが生み出されるということです。そして、この「強勢拍リズム言語」の代表格がアメリカ語(英語)なのです。 ちなみに、もうひとつのアメリカである南米に広まったスペイン語、ポルトガル語はというと、アフリカの言語と同じく「音節拍リズム言語」に属しています。ブラジルのサンバ、キューバのサルサなどがアフリカ直系のポリリズムを引き継いだダンス・ミュージックとして発展してきた最大の理由は、そこにあるのかもしれません。
 それに対して、まったく異なる言語圏の国アメリカにやってきたアフリカ人たちは、自分たちの文化を伝えて行く際に大きな障害に直面することになりました。そのうえ、北米におけるアフリカ人奴隷に対する支配体制は、南米でのそれに比べて、より過酷なものでした。彼らは白人たちによってアフリカの記憶を徹底的に消し去られて行きました。

 かつてアメリカにはブラック・コード(黒人法)と呼ばれる州ごとの法律があり、それによると黒人奴隷は以下のような存在と扱われていました。
 奴隷は売買の対象となる財産(動産)であり、市民権は存在しない。
 奴隷は死ぬまで奴隷であり、その子供もまた奴隷として扱われる。
 奴隷に読み書きなどの教育を施してはならないし、独習も禁じられている。
 奴隷は財産の所有や結婚などすべての契約的行為の当事者となることも許されない。
さらに州ごとに細かな決まりがあり、通信手段となりうるパーカッションなどの所有を禁じたり、奴隷だけの集会を禁じるなどの反乱予防対策もとられていました。
 奴隷主によっては、黒人たちをさらに分断するため、彼らがかつて属していた部族名を調べ、同じ部族が集まらないようバラバラにするなど、徹底的に彼らの共通文化を消し去ろうとしました。
 こうして、奴隷たちは言語を学ぶ機会もなく、かつての文化も奪われた状態でアメリカで生き続けなければならなかったのです。彼らの生きることになった土地アメリカこそ、本当の意味の「暗黒大陸」だったのかもしれません。
「黒人たちが奴隷にされた他のどの国においても、合衆国におけるほど、アフリカ文化が破壊されたところはなかった。今日においても、南アフリカやカリブ海諸島においては、奴隷船によってやってきたアフリカの宗教、音楽、言語が、あいかわらず存在している。合衆国の黒人たちの間では、アフリカの破片だけしか残っていない。・・・」
ジュリアス・レスター著「奴隷とは」より
 ブルースやジャズは、南米とは異なるこうした社会、文化状況の中で、アフリカの文化がねじ曲げられ、押しつぶされそうになりながら、そこからはい上がることで生み出された音楽なのです。「ブルース」という言葉に込められた深い悲しみの源流は、こうして始まったのです。

いきなり重いテーマになってしまいました・・・
ロックのろの字も出てきません。やはりブルースからスタートすべきだったと反省しつつ次回、奴隷たちによる独自の音楽誕生へ・・Please follow me

コメント(3)

初めまして!
AC/DCで検索して参加させていただきました。
先生!次回が楽しみです!!
初めまして!
AC/DCで検索して参加させていただきました。
先生!次回が楽しみです!!
ありがとうございます。

知らないことばかりでしたが、妙に納得してふむふむと読ませていただきました。


自分は長い間ロックしか知らないような人間だったのですが、ブルースバンドをしている旦那の影響を受けて、この間の夏にメンフィスのSTAXスタジオというところに一緒に行って、ロックの源流というか元に少し触れてきたような気がしていました。

まだまだ勉強不足ですが、ここでの講義を楽しみにしています。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

School Of Classic Rock 更新情報

School Of Classic Rockのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング