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観世流コミュの高砂 住之江の松をめぐって

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 先日、福沢諭吉展に行ったのだが、そこで佐竹本三十六歌仙の住吉大明神(住吉神社)の絵巻をみることができた。これには吃驚であった。まさか福沢の展覧会で佐竹本の絵巻に遭えるとは。その僥倖を思わざるを得なかった。後で知ったのだが、こうした美術品は最近 法人名義のものになってきており、重要な美術品は定期的に公開展示することが義務づけられているという。だから、三十六歌仙の絵巻といえども僕らが見る機会があるというわけである。個人蔵で重要文化財の指定を受けないと日の目を見ることがなくなるが、美術品の定期的な公開で美術品の痛みを早めるリスクを小さくするという。

 この住吉大明神、唐琴という朝鮮の武将を瀬戸内海の牛窓付近の海でやっつけたという話があります。「神功皇后が三韓征伐の帰途に再びこの唐琴の瀬戸をお通りになられたおりに、今度は牛鬼となって現れ、船を転覆させようとしました。その時に住吉明神が老翁の姿となって現れ、牛鬼の角を持って投げ倒したことから、この地は『牛転び(うしまろび)』と呼ばれるようになり、それが訛って「牛窓」になったということです。」
http://www.jaja.co.jp/ts/iroiro/usimado/usi.htm

 この記事によると、住吉明神はまるで護国神のようで、海の軍神で、日本を守る神となる。住吉神社では底筒男命、中筒男命、表筒男命が祀られる。それら航海の神と言われるが、筒は星とされるからなのだろう。さて、この住吉の神、何故 和歌の神になったのだろうか。これについては古今伝授のある本を見ていたら理由が書いてあった。衣織姫、人麻呂、赤人を上述の三神としていることから来る。このようなことで、佐竹本三十六歌仙の追加37番目に住吉大明神があるわけなのだろう。

 能「高砂」では、世阿弥はこの能を、「古今和歌集」仮名序の「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」という一節を題材として作出したとされる。世阿弥は住吉大明神が和歌の神であることを意識して、高砂というのは上代の「万葉集」の古の義、住吉とは今の延喜のこと。松とはつきない言の葉が栄え、古今相同じく御代を崇めるたとえであるとその詞章に述べる。この「高砂」の能では、最後に、住吉の男神が現れ、神々しく颯爽と舞う。そこで悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福する。ここで住吉神の役割が明確にされる。

   げにさまざまの舞姫の声も澄みなり住吉(すみのえ)の
   松影も映るなる 青海波とはこれやらん

 詞章を読むだけで、住吉の松が見事に蘇る。

 能の舞台正面後ろは鏡板と言われ、そこに松が描かれる。これは春日大社の参道を登った、一の鳥居のすぐ右手の小高い所にある老松がモデルとされる。これが「影向の松(ようごうのまつ)」である。 
http://narayamatojinokoto.typepad.jp/blog/2005/06/post_4f86.html

 影向の松については、折口信夫の論文が参考になった。「松は、山からはやして来たものでなく、立ち木を以て、直ちに、神影向の木――事実にも影向の松と言つた――と見たのです。翁は御祭りから始まつたのではなく、其一の松行事が、翁の一つの古い姿だつた事を示すものです。二つながら、神影向の木或は分霊の木の信仰から出てゐます。薪能の起りは、恐らく翁一類の山人が、山から携へて来る山づとなる木を、門前に立てゝ行く処にあつたのであらうと思ふのです。」

 また能舞台の鏡板の松は五葉の松と言われる。春日大社の影向の松は五葉の松なのだろうか。春日大社の松は枯れて今はない。東京松濤能楽堂は五葉の松であるから、もしかして春日大社の松は五葉の松であったのかもしれない。ただ、今では鏡板のデザインは松と分かればよいようだ。ただ5本の針が一つの葉になるから豊穣さがあり、五葉の松こそ神影向に相応しいように思える。
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt2/kigi/matumiya.htm


 松には多くの種類がある。二葉の松は針葉が2本、一般的なアカマツやクロマツがこれに当たる。アメリカには三葉の松もあり、リギダマツ、テーダマツなどがこれである。五葉の松(別名 姫小松)には、キタゴヨウ、ハイマツ、チョウセンゴヨウなどあるという。
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/gymnospermae/pinaceae/kitagoyou/kitagoyou1.html

 佐竹本住吉大明神では絵巻に少なくとも13本の松が描かれている(落剝のため不明部分がある)。 住ノ江の松の種類については、次の古今和歌集の和歌で明確である。それは五葉の松である。それは姫松とされているからだ。あの豊かな姿だ。ローマのアッピア街道のようなひょろ長い松ではない。五葉の松はデーンと構え、枝を下に拡げる松である。ただ、絵巻の絵は少し貧弱に見えるのだが。この時代、植木の技術がまだ遅れていたからではないか。あるいは佐竹本絵巻の画家の知識不足のためか。

   我見ても久しくなりぬ住の江の
     岸の姫松いく世経らん  (雑歌上 905)

   住吉の岸の姫松人ならば
     いく世か経しと問はましものを  (雑歌上 906)

 住吉神社と高砂の尾上の松の二つセットで相生の松と言われるからか、古今和歌集 雑歌上の部に住吉の松の和歌が二首に対して、高砂の和歌も二首並ぶ。

   かくしつつ世をや尽くさむ高砂の
     尾上に立てる松ならなくに  (雑歌上 908)
           
   誰れをかも知る人にせむ高砂の
     松も昔の友ならなくに  (雑歌上 909)

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