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観世流コミュの三輪

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 二週間前、大学の後輩と電話で話しをしていたら、昔、大学時代で知り合ったある女子大学の女性が亡くなられたことを知った。三重県のとある作り酒屋に嫁がれたと聞いていたが、その彼女は若くしてこの世を後にした。透き通るような大きな瞳を持った人であった。まだ若いのにという感じが強くした。

 学生時代、奈良県にある彼女の自宅に別の後輩と二人で押しかけたことがある。近くに来たとか口実をつけて立ち寄った。彼女は自宅に運良く居て、僕らは和室で大きな応接室に通された。実は、この家は大きな邸宅、ちょっとしたお城の雰囲気を持つ家で、応接室にも時代を感じさせる脇息があり、後輩も僕もそれぞれの脇息に肘を乗せて、彼女を待った。その後、多分、昼食を頂いたように思うが、記憶が定かではない。暫くして、彼女の家を出て、一緒に近くの三輪神社に行った。三輪神社の有名な杉の下で、後輩と彼女の二人の記念写真を撮った。ただ、この写真が撮れていないことが後で判明した。僕の後輩は彼女が好きになったらしく、このツーショットの写真が撮れていなかったことを非常に残念がった。この杉は「巳の神杉」(みのかみすぎ)であったように記憶する。その後も、三輪の山とか、三輪神社を聞くたびに、彼女とこの失われた記念写真を思いだす。

 わが庵は三輪の山もとこひしくば
   とぶらひきませ杉たてる門 (雑歌下 982)

 「私の住む庵は、三輪山のふもとにある。恋しいならば、どうぞ尋ねて来てください。杉の木が立っている門である。」(久曾神昇)

 この歌は読み人知らずであるが、「歌林良材集下」では、顕昭法師(藤原顕輔の子)の歌であるともいう。
 千載集に彼の歌を幾つかみることができる。

   板びさしさすや萱屋のしぐれこそ
    音し音せぬ方はあるなれ

   さらぬだにひかり涼しき夏の夜の
    月を清水に宿してぞ見る

   さびしさにあはれもいとどまさりけり
    ひとりぞ月は見るべかりける

 確かに、顕昭法師の人に逢いたい彼の気持ちが分かり、「わが庵・・」の和歌も彼の作としても不思議ではない。 だからこそ、三輪の山もとに住む人こそ、この歌を送った先の人に逢いたがっているのが理解できる。
 僕は後輩の気持ちが分からないが、死んだ彼女を今も恋しいのなら、昔抱いた淡い恋心に胸が痛むのなら、あの杉の下に行きたい気持ちにもなるのだろう。


  三輪の山いかに待ちみむ年ふとも
    尋ぬる人もあらじと思へば (恋歌五 780)

 「大和の三輪山は、どれほどあなたのおいでを待っていることであろうか。たとえ何年たっても、他に訪れる人もあるまいと思うので。」(久曾神昇)
 
 これは伊勢の歌。伊勢の父が大和守として赴任し、伊勢は、藤原仲平に捨てられ、奈良の都に行ったのだろう。そこで、領国にある三輪山を自分になぞらえて、もう尋ねてくれる人もないと嘆くのだが、勿論、982の歌を本歌としている。

 この伊勢の歌から、三輪の杉の門には尋ねるということを読むようになったと、「歌林良材集下」は言い、次の和歌を引用する:

   三輪のやましるしの杉はうせずとも
     誰かは人のわれを尋ねむ

   わが宿の松はしるしもなかりけり
     杉むらならば尋ねきなまし

   降る雪に杉の青葉も埋もれて
     しるしもみえぬ三輪の山本

 後輩の気持ちを代弁するなら、次の和歌のようになるのだろうか。

   尋ぬとも山本みえぬ三輪の山
     降る雪かくす杉の神垣 (イベリコ)

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