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竹内好コミュの反竹内好論(1)−谷沢永一

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 谷沢永一が『反日的日本人の思想−国民を誤導した12人への告発状』(PHP文庫)で、竹内好を痛罵していました。

 みなさんが、例え800円であるにせよ、この本をわざわざ購入して読むべきものでないことは言うまでもありません。因みに、私は、ブックオフで105円(消費税含む)で買いました。さらに言い訳をすると、ブックオフで精算時に50円券とか100円券とかをくれますが、私はその100円分を使い現金5円だけを出して買いました。
 
 この本の表紙をアップロードしましたので、他の11人はこれでおわかりになるでしょう。

 さて、長くなりますが、第九章・竹内好のコピーです。
 スキャンしたものを斜め読みして校正していますので、誤植が多々あると思いますが、ご容赦を。
 
   
………………………………………………………………………………………………
 魯迅を論じたり訳したりしただけで、ただそれだけのけちくさい”学識”で、シナの事はなんでも知っているという顔をした鉄面皮な竹内好は・三千年のシナ文明史をなにひとつ勉強していないのですから、その劣等感の裏返しとして、現代シナをひたすら持ち上げ神聖視する戦術に出ました。そして毛沢東政権のもとシナは美しく立派な尊敬すべき国となっているのに反して、日本は愚劣な卑しむべき国であると言い募る一点張りで通しました。

●筋金入りの「反日的日本人」
英文学者は、もともと英国に好意を抱いていたので英学を志すという場合が多いようです。そして、勉強を積み重ねるほどますます英国に惚れ込み、いつのまにか世界中で英国が最も優れていると思いこむようになります。独逸文学者も蘭西文学者も、そのほとんどが判で捺したように同じ傾向をたどりますね。
 つまりは、俗にいう「わが仏尊し」の無邪気な思いこみなのですから、その限りではいたってほほえましい風景でありますし、とりたてて問題にせねばならぬような実害はなかったようです。
 ところで、近代シナ文学の研究者に竹内好という魁偉な人物がいました。この人はシナ学を志したくせに、肝心なシナの古典については無学であり、無関心でしたが、それはともかくとして、自分の専攻である近代シナ文学に執着するのあまり、近代シナが格別に秀でた国であると信じるようになりました。これまた一向に珍しくもない、ありふれた自然な経過です。
 ところが竹内好の場合は、近代現代のシナを崇敬し高く持ちあげるにとどまらないで、現代シナを尊重し称賛する思い入れを挺に用いて、ひたすら、わが国を罵倒する放言に熱意を燃やしました。なにがなんでも、常に悉くシナは正しく清らかであり、そのご立派な尊敬すべきシナに較べて、なにがなんでも、すべて、必ず日本は劣っており問違っている、という結論が一律に導きだされました。
 その生涯を通じて竹内好は、日本に対して肯定的な評価を下したことがなく、彼にとって日本はあらゆる面において否定と非難の対象にしかすぎませんでした。反日的日本人という言葉ができるより遙か遥か昔、半世紀以上も前から、竹内好は筋金入りの反日的日本人でありました。
 彼の一生は、日本におけるシナの代理人として終始したと申してよいでしょう。昭和四十一年、竹内好は日本の風潮を批判して、こう言います。繰り返しますが、昭和四十一年という時点での発言なんですよ。

<どうも日本の指導者は大東亜戦争をつづける方向にいっている。
(昭和41年5月27日『週刊朝日』〈連載トップ対談v?) >

 たいへん極端な誇大妄想の虚仮威しですが、これは竹内好という”喚き立て屋”を特色づける一貫した性癖でして、これからさき何度も、この種の神経が異様に昂奮した病的発作の放言をご紹介せねばなりませんが、それはともかくとして、時代がそう向いていると見て取ったゆえに、竹内好は、言葉のうえでだけですが日本を見離して見せます。

<わたしも絶望しちゃいまして、できれば、どこかへ亡命したい気持です。 (同前) >
 折角そう思いたったのだったら、さっさと憧れのシナ大陸へ亡命してくれたらよかったのにと思いますが、北京政府にとっては、この男がひとり亡命してきたところで、さしあたりなんの使い道もないでしょう。それよりも、あくまで日本に踏みとどまり、北京政府の忠実な代理人として活躍してくれてこそ、シナの国益に多少とも利するところがあるわけです。

●「日本は中国とすでに戦争をはじめた」という嘘八百
 そのあたりの呼吸をよくわきまえている竹内好は、共産主義北京政府を擁護するために周到な論陣を張りめぐらします。そのためには、まず第一に、北京政府は危機にさらされているのだと言い募る必要があるわけです。
 そこから、北京政府のすることなすことはすべて自衛のためなのだから、同情的に見なければならぬ、というお涙頂戴の論点が生まれます。可哀相なはこの子でござい、と囃したてるのと同じ要領で、可哀相なは北京政府でござい、と沈痛な口上を高らかに述べたてるわけです。その皮切りが、次のようなおどろおどろしい文言です。

<アメリカは中国との戦争を決意している、と私は推定します。そのための足場としてヴェトナムを確保したいのでしょう。次の段階は、ここから中国へ向かって挑発に出ることだと思います。
(昭和40年『世界』臨時増刊号「熱戦の代りに思想戦を」)>

 講釈師、見てきたような嘘を言い、という要領でしょうか。まことに、ぬけぬけとしたとした[デマゴギー]扇動調です。アメリカがシナヘ攻めこむために「着々と準備を進めている」具体的な証拠など、なにもありません。竹内好も馬鹿ではないから、その点はよく心得ています。
 そこで持ちだしてくる論拠はたったひとつ、つまりヴェトナム戦争の意味するところを、あれはシナに鉾先を向けるための「準備」であると自分は「思います」という単純な「思います」理論です。鳴くのは烏の勝手でしょ、と歌うドリフターズ
の志村けんにならって、思うのは私の勝手でしょ、というわけですね。
 こんな誹諺を、もし逆に共産主義国に向かって言おうものなら、帝国主義者の卑劣で醜悪な中傷だと喚きたて、怒鳴りこまれるのは必須ですが、アメリカは根がおっとりしていますから、この程度の放言にいちいち目角たてて怒ってきません。
 ことアメリカの立場と方針に対する悪口なら、いくら嘘八百を言っても大丈夫、と、竹内好はアメリカの寛容に対して深い信頼を寄せているのでしょう。アメリカがシナとドンパチ戦争する必要赫どこにあるのでしょうか。またなんの利得が期待できますかね。
 建国以来二〇〇年、アメリカがシナを敵視したことは一度もありません。アメリカの仮想敵国は常に一貫して日本でした。そういう事情を竹内好が知らぬわけはありません。よくよく知ったうえで、しかし、ここはあえて一番、嘘を積みあげる必要があったのです。さきほどの発言はまだ「準備」と評するにとどまりましたが、一年後には、それがいっそうはなはだしく[エスカレート]増長して、次のような表現になります。


<米中戦争はすでにはじまっていると私は見るわけです。これから戦争があるかないかというのではなくて、もうすでに既定事実であって、逆もどりできない。日本はもう一度中国と戦争する。現にしている。それに呑み込まれつつあるという見方をとっているわけです。
(昭和41年12月『世界』<ベ平連討論集会記録>「ベトナム戦争と反戦の原理」)>

 「思います」論から「見るわけ」論へと、一気に突き抜けた発展です。竹内好における異様に研ぎすまされた心の鏡には、起こってもいない戦争がすでに起こっていると見えるわけですね。そして、なんと昭和四十一、日本はシナと戦争を「現にしている」と判定されるわけです。
 この論理を以てすれば、世界中の静まりかえっているあらゆる国と国とが、すべて戦争を「現にしている」と「見るわけ」にもなるでしょう。ここで竹内好の言わんとするところがはっきりします。つまり、アメリカがシナに攻め入るべく戦争の「準備」をしている、という言いがかりは、実は、日本がシナと戦争を「現にしている」という架空の判定をみちびきだすための前提だったのですね。

●「中国の核兵器だけが核戦争を防ぐ」という倒錯
 こういう極端な妄想を高々と掲げてみせるその隠された意図は、明瞭でしょう。すなわち、日本のシナに対する姿勢は戦争をしているのと同じほど理不尽である。と言い立てる論難です。哀れな被害者がわが身を守るためには、そりゃもうあ何をしても許されるでしょう。
 つまり、北京政府が核兵器を持つという措置は、他国がそれをあえてするのとはまつたく違つて、北京政府にかぎつては格別であり、それは讃えるべきすばらしい善なる行為なのです。

<将来中国が核実験を行い、核兵器を現実に持つようになったとき、それをどう使うかということは非常に問題です。アメリカとソヴエトは核兵器を独占することによって、他の国々を押えていこうとしているわけですが、ソヴエトが中国の核開発に対し援助していないという状況で中国が独力で核兵器をもつようになれば、ある種の別の使いかたをするのではないかと思います。国力のシンボルとしての核兵器をもつことによって、共産陣営の中でソ連と対等になり、同時にそれが世界の核戦争を防ぐ力になる。中国のいままでの経路を延長して考えると当然そうなると思うのです。
(昭和38年3月『世界』〈討論〉「中ソ論争と現代」) >

 アメリカやソ連が核兵器を持っていると、世界は不幸に核戦争の危険におびやかされるが、北京政府が核兵器を持てば、この場合は逆に「世界の核戦争を防ぐ力になる」のだそうです。なんとすばらしいことではありませんか。この論理からすれば、日本国民は北京政府ができるだけ強力な核兵器を持ってくれるよう、ひたすら祈って声援をおくらなければならぬことになります。
 いっとき共産主義者が唱えた迷文句に、「帝国主義国(自由経済諸国を指す)が核実験でまきちらす灰は黒く汚れているが、共産主義国が核実験で生みだす灰は白く清らかである」という抱腹絶倒の珍論がありました。しかるに竹内好は百尺竿頭一歩を進めて、アメリカやソ連が保有する核兵器は核戦争の可能性をはらんでいるが、北京政府が持つであろう核兵墨は、これだけは例外的に格別に、核戦争を防ぐ力になる、と保証したわけです。
 竹内好のひそかに夢みるところ、アメリカもソ連も核兵器をすべて放棄し、北京政府だけが核兵器を持つ状態こそ望ましいのかもしれませんね。

●中国の核実験に感動する異邦人
 そうして、ついに北京政府は核実験に踏みだしました。待ってましたとばかり歓喜おくあたわざる声をあげます。いちおう日本の国民感情をおもんぱかって悲しげな風をしてみせますが、それはご愛想の[シュガーコート]糖衣にすぎないので、この露骨に高らかな勝利宣言をご覧ください。
<中国の核実験は、不幸な出来事でした。あってはならない、あらしめてはならない出来事でした。人問として、わけても日本人として、この出来事を残念に思わぬ人は少いでしょう。これは理性の立場です。理性の立場からは、私はこれまでも中国をふくめてすべての核爆発に反対だったし、これからも反対するでしょう。けれども、理性をはなれて感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそかに、よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人をもふくむ)の鼻をあかしてくれた、という一種の感動の念のあることを隠すことができません。(中略)中国の核実験の成功は、中国革命の有効性をこの上もなく雄弁に世界に示すでありましょう。
(昭和40年-月『世界』「周作人から核実験まで」) >

 いかにもわざとらしく持ちだされた「理性の立場」うんぬんは、戦術的に偽装した前口上にすぎません。そのあとで堂々と開陳されている本音が、「よくやった」という率直な「感動の念」でありましょう。進んで北京政府の[エージェント]代理人を務めている竹内好としては、当然の感概でありましょう。
 ところで、ここには見すごすことのできない一句があります。竹内好の見るところ、日本人は所詮は「アングロサクソンの手下ども」の一員にすぎないのですね。それは竹内好ならではの独得な見下しの判断として、いちお、承りおきましょう。
 しかし、北京政府が核実験に進みでることによって、「日本人」の「鼻をあかしてくれた」と「感動」し歓喜しているとき、竹内好はその自已認識において、すでにもはや「日本人」ではない、という歴然たる事実が印象的です。もし彼が白分を
日本人であると規定していたら、当然のこと”鼻をあかされた”と記すところでしよう。そうではなく「日本人」の「鼻をあかしてくれた」と識えて、囃して喜ぶ以上、彼は自分を「日本人」の外に位置する存在であると自己を規定しているはずです。
 この一節は、座談会での発言を採録した惣卒の言辞ではなく、十分に意を用いて執筆された文章なのですから、ここの箇所を不注意による書き誤りと見ることはできません。
 ここで竹内好は、日本国民全員に対して、どうだ、見事に鼻をあかされたじやないか、ざまあみろ、と高笑いしているのです。身も心も北京政府に売り渡して、日本民族をひそかに敵視し、軽蔑している[エトランゼ]異邦人の本音がついに出たというわけでしょうね。 
 もちろん、以上はわざと試みた極言でありまして、竹内好がそれほどまでに肚を据えていた豪傑であるとは思えません。彼は生涯を通じて、しだいに国力が増進し豊かになりつつある日本国民としての社会的処遇を満喫していました。
 そして日本国民の中で最もススンデイル先覚者であり、高度の智者であると思い上がったイ居傲(注:キョゴウ)にあぐらをかいて、優越者の自覚を楽しんだわけです。
 何に対しての優越であるか、もちろん一般国民に対する見下しの舞いあがった優越感です。その根性をちらりと露呈したのがさきほどの一節だったわけです。芥川龍之介の『或阿呆の一生』(三十三 英雄)に、彼一代おそらく最高の名句が残されていますね。

<誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を軽蔑した君だ。 >

 共産主義者、および共産政権の讃美者は、思想の殉教者たろうなどとは夢にも思わず、すくなくともわが国においての場合、自分たちだけが"進歩的"であると自任する優越感に酔い、ススンデイル已れたちに較べてオクレテイル国民を軽蔑する"反っくり返りの姿勢"を楽しみました。
竹内好にかぎらず本書の各章を飾る英雄たちは、国民を侮蔑する心性の保持では見事に共通しているのです。戦後の日本では、進歩的文化人になって言論をもてあそぶこと、反日的日本人として派手に目立つよう振舞うこと、それはひとえに例外なく、戦後社会で、偉クナルコト、有名ニナルコト、の最も安直で手っとり早い手段でした。身を挺しての、全身全霊をあげての、骨の髄から真剣の、ホンモノの共産主義者など、実は、どこにもいなかったのです。

●シナ人の現実主義すら判らない竹内好の戯言
 竹内好は、現代シナ文学の研究者として虚名を売ることには見事に成功しましたが、もともとシナの古典を研究せず、シナの歴史も勉強しない無学そのものの人でしたから、シナ学における最も肝心カナメのことが一向にわかっていませんでした。すなわち、長い伝統につちかわれたシナの国民性、平たく言えば、シナ人の根性についての理解です。そのため、多少とも本筋にシナを探究したほどの人なら一笑に附したであろうような頓珍漢を、平気で公言したものです。

<ロシアと中国の両方が手を結ぶことによつて、共産主義者が尖鋭に出していた欠陥が、いくらかおだやかになる可能性が将来あると思うし、また現にそれが見えていると思う。そしてそれは平和を強める傾向だと思うわけです。
(昭和32年4月『世界・〈討論〉「現代革命の展望・]〕) >
 
 この妄言には今さらなんの注釈をつける必要もありますまい。吉田茂は、安東、天津・奉天の総領事を歴任し、怠りなくシナ人の心性を研究していましたので、北京政府が成立した時から、早くもロシアとシナの対立を予言していました。竹内好はシナ好きのシナ知らずだったわけです。また昭和四十六年には次のように確信を以て記しました。

<私は、結論だけ申しますと、日中問の国交回復は不可能だと思います。
(昭和46年10月『世界』「尻馬には乗れない」)  >
 
 なにが「不可能」なものですか。この断言から満一年も経たない翌年の昭和四十七年九月、北京で、かたや田中角栄首相と大平正芳外相・かなた周恩来首相と姫鵬飛外相、両者によって国交回復が表明されました。シナ人の現実主義をすら解しない竹内好の戯言には、むしろ哀れを覚えさせるものがあります。

●シナ文化の受容を「隷属」と呼ぶ侮言

 夢見る乙女みたいなとでも言いたくなるほど、ことほど左様に、シナ人に対して[ロマンチック]浪漫的な憧れに身を燃やす竹内好が、ふりかえってひとたびわが国について論ずるや否や、掌を返したように、冷酷な蔑みと駈めの言辞を弄します。竹内好にとって祖国日本は、まったくとるに足らぬ卑しい詰まらぬ国なのです。竹内好の見るところ、昭和三十三年に至っても、シナは日本より先進国であり、日本はシナより後進国であるにすぎず、文化の面においてわが国はこれからシナに追いっかなければならぬのだそうです。

<日本が歴史的に中国の文化に隷属していたことは事実です。明治の初期までそうだ。それがあとまだずっと尾を引いて無意識にせよ残っている。それに対するコンプレックスが今でもあるが、それが日本の再生に栄養分として作用するコンプレックスが今でもあるが、それが日本の再生に栄養分として作用するというだけでは、日本の国民的使命感が宙に浮いてしまう。私の考え方からすれぱ、日本の文化が中国の文化と対等の関係に立たないと本当の連帯が出てこないと思う。これは日本の文化の独立は過去にはなかったが、将来にあるという考え方だ。(昭和33年5月『世界』〈座談会v「アジアのなかの日本」) >

 わが国の歴史を批判的に論じた人は数多くありますが、「日本の文化の独立は過去にはなかった」とまでの全面否定を断言した抹殺評価は、前例のない極言でありましょう。竹内好は日本史二千年をふりかえって、わが国は遠い過去から現代まで一貫して文化的植民地であったと、これ以上ない最大限の腫価と侮蔑の姿勢を以って、傲然と観察するわけです。
 隷属、という言葉を最もわかりやすく解きあかしたのは『三省堂国語辞典』だと思いますが、その明快な解釈の言うところ、隷属とは、相手の支配を受けてしたがうこと、の意なんですね。隷属、という言葉の核心には、支配、という概念が据えられています。
 そもそもわが国の文化がシナの文化を意欲的に採り入れたこと、文化史的用語で言うなら、受容に熱心であったことは事実です。しかし影響と感化と模倣と受容は、ふたつ以上のあいことなる文化が接触したときに必ず生じる普遍的な現象であるにすぎません。
 そして、積極的に受容する学習の意欲と、支配され押しつけられる消極的な追随とは、これはもうまったく次元が違います。わが国はシナの文化を貪婪に受容しました。しかし事実の問題としてシナ文化に支配されたことはありません。竹内好は日本文化を蔑み、卑しめ、見下すたあに、受容という歴史的事例を隷属という極端な貶斥語に言い換え、祖国二千年の歴史を暗黒に塗りつぶして快しとしたわけです。
 隷属どころか、支配どころか、シナ文化と日本文化とは相互にまったく独立した関係にあったという歴史的事実を、津田左右吉は次のように言葉をつくして説きあかしています。

<〈注・本書に収めた〉この二篇に共通な考は、日本の文化は日本の民族生活の獨自なる歴史的展開によつて獨自に形づくられて來たものであり、随って支那の文化とは全くちがったものであるということ、日本と支那とは別々の歴史をもち別々の文化をもっている別々の世界であって、文化的にはこの二つを含むものとしての一つの東洋という世界はなりたっていず、一つの東洋文化というものは無いということ、日本は、過去に於いては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではないということ、支那からとり入れた文物が日本の文化の發達に大なるはたらきをしたことは明かであるが、一面またそれを妨げそれをゆがめる力になったということ、それにもかかわらず日本人は日本人としての獨自の生活を發展させ獨自の文化を創造して來たということ、日本の過去の知識人の知識としては支那思想が重んぜられたけれども、それは日本人の實生活とははるかにかけはなれたものであり、直接には實生活の上にはたらいていないということ、である。日本と支那と、日本人の生活と支那人のそれとは、すべてにおいて全くちがっている、というのがわたくしの考である。
(昭和13年仙月7日『支那思想と日本・岩波新書、全集20巻)>

 竹内好の隷属論は、なにがなんでも日本を距めるために辞をかまえた北京政府[エージェント]代理人一流の[ジャパンパッシング]日本叩き罵倒語なのです。また「日本の文化の独立は過去にはなかった」などの放言は、悪意に満ちた歴史の歪曲であり、こういうあからさまな虚偽を申し立てるには、よほど鉄面皮な無頼漢型の度胸が必要でしょう。内藤湖南は「日本文化の独立」(大正11年)をこう説いています。

<いままで日本はシナをもって日本文化の師匠であると仰いでおったところが、その師匠と仰いでおつたシナが、犬の子孫であるところの蒙古<国難祈願の願文に当時そう記した>のために亡ぼされてしまって、その蒙古はさらに日本にまで襲来し、そうして日本の前には国難が横たわっておったわけであるが、とにかく伊勢の大神宮や石清水八幡、三千余座の栴々に祈願して神の子孫が犬の子孫に勝ったわけであります。そんなわけでいままで貴いと思っておったシナも、犬の子孫に統一されるようではそう大したこともないというので、ついにシナというものが日本人にとってあまりありがたくなくなった。そしてそのシナを亡ぼしたところの蒙古をも日本が神の力で退けたのですから、日本はよほど偉い}だというので、その神の保護を受けるということはよほど偉い事に想われただろうと想います。(中略)
 そういうわけで、この日本が世界中一ばん尊いのだという思想は当時において新思想といつてよかろうと思います。つまり前にはシナを崇んでおったが、シナはつまらない、インドもまたつまらない、日本くらい尊い国はないというのが当時の新思想であって、それが根本になってそのころ文化の独立というものが出来たのだと思います。一講談社学術文庫『日本文化史研究』?・全集9巻) >

 湖南は何事をも控え目に論じる癖があり、この場合も年代を思いきって繰りさげ、これは絶対に確かだという時点を求めながら指示しているわけですが、日本独立の文化が聖徳太子の時代からすでに見出せることは周知でありましょう。
 竹内好は、日本の伝統を辱めるために極端な侮言を弄しました。このような歴史の歪曲と駈斥が、反日的日本人に例外なく共通する立言の動機だったのです。
 
(p.257〜277)

コメント(2)

谷沢翁ついに狂せり。
しかも意図的に「シナ」という表記を使用している。
支那という表記は歴史的に差別表現ではないという考えを私は持ちますが、この文脈では意図的に差別表記として使用しています。
 現代中国がいろいろな問題を抱えていることをすでに我々は知っています。竹内さんの時代のように礼賛することは無理でしょう。しかも竹内さんが亡くなったのが1977、毛沢東の死の直後じゃあないですか。あまりにもひどい。
 左派論壇が壊滅して、谷沢のような老狂犬がますます元気になっている。まいったなぁ…。
 ひでちゃん先輩、ご紹介ありがとうございます。

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