ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

大蔵朝臣原田一族コミュの原田家末裔です。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
驚きました。mixyはじめて、一年ぐらいなのですが、福岡の
パワースポットをたどっていたら、たどりつきました。
出勤前で、時間がなくまだ全部目を通せないので・・
ただ、鳥肌が立ってゾクゾクしてます。

私の母方が原田家なのですが、
小さい頃「世が世ならおばぁちゃまは原田家のお姫様やったとよ」
ときかされていたのですが、原田家なんか聞いたことないし・・
と気にもかけていなかったのですが、現在22歳になる娘の夏休みの
宿題で、ひょいと思いつき「原田家」がほんとならルーツたどってみようと
資料も何ももたず、いきなり前原を訪ねました。
本物なら、ルーツにたどりつくだろう・・ご先祖様がひきよせてくれると
信じ、まず、伊都資料館にそして、前原の皆様の暖かい人柄にお世話になり
原田家の本にたどり着き、金隆寺で、書物を直接みせていただき、
竜国寺で、お位牌にふれ、各地(前原)にのこされた、ゆかりの墓参りをしました。亡くなった祖母のところに家系図が残っていたのを、
大学の先生が研究をするからと持っていかれそのまま返してくれなかったとのことでした。唐津の波多村に親戚が残っているのですが、
最後は福岡市図書館の持ち出し禁止資料に鍋島の家老として活躍したという
ところまでたどりつきました。
詳しい親類の方は高齢でなくなり、話はきけないままで終わっていました。

いつも嫁いだ先の仏壇に手を合わせるときは原田家のことも思い手を
あわせるのですが、今朝は衝撃でした。

ルーツをたどり7年、最近また、前原を訪れることも多く
将来は前原に移り住みたいとこのごろよく話していたところでした。

また、ルーツをたどりなおしてみます。

コメント(8)

はじめまして。パソコンの修理が終わった所の富岡志郎です。
76naruさんの先祖とは、会津藩の原田家とは別の流れなのでしょうか?
始めまして・・私も詳しいことは、よくわからないのですが、
私の母方は佐賀県唐津の北波多村の出身で、
親族はまだ、残っているようです。
家庭の事情で、親戚とは疎遠だったということですが、
原田マサミ(字が不明)かなり詳しくしらべていたそうです。

サイトの皆様の書き込みを見て
また、いちから調べて見たいと思いました。
母の記憶によると戦時中佐賀に疎開すると大きなお屋敷で
甲冑とかいろいろあったということです。

家系図も見た記憶がはっきりあり
大学の先生が研究のために持ち出し不明になったことだけは
間違いないようです。

近いうちに北波多村の親戚をたずねてみます。
そうでありますか。幕末期の原田家の中でも会津藩でも
別のツリーをお読みのとおりの地位につかれています。
 何故か、本家も分家も九州か中国地方に移住されているの
です^_^; でも、佐賀ということは、鍋島藩??
76naruさんこんにちは。
管理人の菊千代です。
大蔵朝臣原田一族コミュへのご参加ありがとうございます。

おそらく佐賀藩家老であった原田小四郎の流れではないかと思われます。
会津へ渡ったのは興種の嫡子・隆種(母は大内氏)の子孫で、佐賀の原田氏はその兄弟である資種(母は少弐氏)の子孫の様です。

こちらのトピックスもご覧下さい。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=3464596&comm_id=155950
皆様本当にありがとうございます。
母も76歳母の姉は90歳近くもっと早く
いろいろ話を聞いておけばよかったです。
家紋は抱き冥加と聞いてます。菊池代さまからいただいた情報
のトピックスを見てやはり佐賀の流れとわかりました。
北波多村は朝鮮へ加藤清正と渡ったとき一度負傷かけんかして
もどってきたところ・・とか聞きました。
古い書物もあるらしいので、見てきます。

ありがとうございました。
いずれにせよ、私たちはご先祖様のご苦労の上
今があるのですね。
歴史を感じるとともに
ありがたく今を生き抜かなければならないのですね。

本当に貴重な情報ありがとうございました。
>76naruさん
はじめまして。
原田直二朗(本名ではありません)と申しまして、「鍋島系原田」の遠戚の者です。
私もmixiをはじめて直後の頃、2005年12月ですから、もうかれこれ2年と8ヶ月ほどたつわけですが、このコミュに“遭遇”し、原田一族のことを知るに及んでから色々と調べてみて、どうやら母方がこの係累に属している血筋のものとわかったのです。
仕事をやめてからの老後?(状況次第ではあと数年)のライフワークにでもしようかと思いつつ、このコミュとも疎遠になってしまっておりますが、この機会にまたぼつぼつとルーツ探しを再開してみようかと思っているところです。

「鍋島の家老として活躍」したのは、間違いなく幕末に佐賀の藩主鍋島直正付きの筆頭家老として藩を支えた「原田小四郎」(原田家には養子で入っているのですが)という人物で、菊千代さんが書いていらっしゃるように、佐賀の原田といえば、この流れに間違いはないと思います。

「原田」も様々な係累に分かれるようですから、断定はできないのですが、私と
76naruさんは親戚筋にある可能性がありますね。


ところで、このトピックの「4」で菊千代さんに紹介していただいた私の書き込みの家系図の記載に誤りがあったのを、今気がついたのですが、訂正しておきたいと思います。
「種興」は、「種成」以下5男2女の長兄のような位置になってますが、これは私が書き誤ってしまったもので、実際は「種興」は「小四郎・那智」夫妻の長男で、家督は小四郎→種興→竹士→寿→緑と受け継がれています。
76naruさんが鍋島原田の係累でいらっしゃるとすると、おばあさまは「竹士」の長男である「寿」のご姉妹の一人である可能性があります。

ご親戚筋に、この家系図に乗っているお名前の方がいらっしゃるかどうかで、ルーツ探しの手がかりがありはしないかということで、この家系図のもとになった資料をここに載せましたので、ご参考まで。
資料としては、だいぶ古いものですが「鍋島原田」の現在に至るまでの流れが把握できる貴重な資料と思います。

今後ともよろしくお願いします。
私がまとめたものなので正確ではないかもしれませんが、佐賀・原田氏の系図です。

http://www3.kiku.com/data/shoni_harada.pdf

上記4の訂正があります。
隆種と資種が兄弟と書きましたが、隆種の父・興種と資種が兄弟のようです。
その父は弘種となります。

また隆種の孫・信種はしばらく龍造寺氏に人質に出されて婿となっているので、原田家の人々が他にも佐賀へ行った可能性もあります。

弘種─┬資種(母・少弐氏)[佐賀・原田氏]
   └興種(母・大内氏)─隆種─□─信種─嘉種(伊豫)[会津・原田氏]
ナオジロウ様
ご縁がありましたら(きっとあると思いますが・・)お会いしたいですね。
お会いできる日までに、お土産になるよう資料集めしたいと
思います。仕事の合間になるので、すぐとはいえませんが、
幸い福岡に住んでいますので、佐賀には1時間半ぐらいで
いけます。
前原の金竜寺にはいきましたが、福岡市の西新にある
金竜寺の方が原田家の本寺と宣言されたとか・・
まだ行ってなかったので、行ってみます。

心残りがあり、
最近いろいろ思っていたので、御先祖様が
引き合わせてくださったんでしょうね。

知られていない原田家の資料が出てくるかもしれませんね。
私たちの指名でしょうね。

今後ともよろしくお願いいたします。

菊千代様

貴重な文献資料ありがとうございます。
私も何か見つけ次第連絡します。

なんだかわくわくします。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

大蔵朝臣原田一族 更新情報

大蔵朝臣原田一族のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。