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ディジュリ道(ディジュリドゥ)コミュのはじめまして。

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 ディジュリジュに初めてあったのは、1988年年末、タイのバンコックのカオサンロードにある、Vsゲストハウスででした。
 トロンとかけんさん、タイダイ染めの先駆者のシャクテイ(ヒガシティモール人)それに、たしかコタオというバンドのぶんちゃんなんかが一緒にいた時です。

 ある、オーストラリア人、白人ではなくて、アポリジニーの血をひく混血の若い男が見事なゆうかりの木で出来た、素晴らしいディジュを4本、タスマニアの故郷から持ってきていて、その彼の演奏にみんなびっくりして驚きの歓声をあげたものでした。
 彼の部族が、ユーカリの木をアリが中に住み着き、ちゃんとしたセレモニーも上で時間をかけて採取したというスピリチャルな代物だったのです。
 彼はそれを、シャクティの第二の故郷であるアムステルダムに持って行き、一本千ドルから二千ドルで売って、アムスで身を立てるんだと思いをめぐらしていました。
 その後、ディジュの普及は目覚しいもので、現在は皆さんご存知のとおりです。

 僕はその時、神聖なアポリジーの原始楽器を、海外に持ち出してもいいのか?と、疑問に思ったものです。

 他民族である、世界中の我々が、オーストラリアの、またタスマニアのスピリチャルな民族楽器を世界中に持ち出すことに疑問を感じています。
 二年前、僕の町にある燃えるゴミの日に、ユーカリの木で出来た、模様の入ったディジュが捨てられており、びっくりしたことがありました。

 僕はそれを家に持ち帰り、吹き口の蜜蝋が破損していたのを直して、半年後にある、心ありそうな若者にそれを譲りました。

 オーストラリアのユーカリの木はデジュの普及で減少することは無いのでしょうか?

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