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お久しぶりでございます。
すでに鼻毛コミュも死に体であります。
そこで、大変勝手ではございますが、この場をかりて、
日記に書いているようなひどく個人的な内容を書かせていただきます。
「原発問題について」です。
長い文章ではありますが、読んで頂けると幸いです。
とつぜんどうした?という向きもいなめませんが、
この期に及んで、ちんぽまんこいってる場合じゃなかろう、
というのが本音でございます。
内容は、愚痴?現状把握?の域をでていない感もありますが、
まずは一歩、個人的にアクションを起こそう、
というあたりでご理解いただければ助かります。








「核マフィア国家」

海外ではすでにそう呼ばれてるとか。
言い得て妙、笑えないその事実すら知るすべのない哀しき国家。
先進国からの脱落。意図的に海を汚したつけ、今後請求されるであろう何百兆円にも及ぶ賠償金。
さて、そういう未来が目の前に迫る日本では…。
復興増税だとか(信じがたい)大連立だとか(何の意味もない)、
相変わらず政策なき言葉だけがおどる代表選が控えてて、
その候補者の顔ぶれたるは、全員「原発推進派!」
さっき、ニュースのトピックにこう書かれていた。
「菅路線の候補者は推せないという意見で一致(小沢・鳩山)」
つまり、次期総理大臣は必然的に「原発容認」となる。
国民の叫びを完全無視。
これほどの茶番があるだろうか。
ジャーナリストの今井一さんはこう言っている。
「大連立というなら原発推進大連立と言え!」
「争点を隠した代表選だ」と。
なんでこの期に及んで原発容認なのか。
理由はいくつもあるのだろう。
海外メディアが報じるように、”マフィア”としての旨味が最たるものか。
原発事故前からずっと反原発を訴えてきた広瀬隆氏の言うように、
まるで、映画『アンタッチャブル』を見ているかのよう。
1920年代のシカゴのマフィアのボス、
アル・カポネに買収された警察官と裁判官、
その腐敗と堕落と瓜二つ。
いや、もっとひどい。比較にならないほどの犯罪だ。
自民党の石破さんは報道ステーションでこんなことを言っていた。
「核保有国に囲まれた日本、原発はその脅威の抑止力になる」
これはもう原発事故前からさんざん言われてた通りのことで、
「原発がなければ夏の電力需要が足りなくなる」や
「原発がなければ電気料金があがる」というギマンが嘘であるとバレた上での”本音”でしかない。
そして北海道。泊原発3号機。再開承認。
元道民としてはやはり許せない。
高橋はるみ知事も経産省出身、北電からの政治献金と、
どう転んでも推進にまい進するしかないのだろう。
それでいいのか? と言いたくなるけど、
本人に善悪をはかる正常な基準はすでに失われているのだろう。
だからといって仕方ないねでは済まされない。
彼女は女性として、妊婦の被ばく、子供の被ばく、というものを
どう考えているのだろう。
「国が安全を保証してくれたから再開」はないだろう。
安全の根拠は? 道民への説明は? 国民への説明は?
市民(道民)は知事をクビにする権利を持っているらしい(市民1/6の署名必要)。
今井一さんの言葉を借りれば、「そっこく辞めてもらうべき、リコールすべき」。
事実、道民にも動きがあるようだ。
しかし国なり道はそういう勢力に対してすでに反撃を仕掛けている。
「夕張みたいに財政破綻してもいいの?」と。
しかも驚くことに、原発立地の市町村に対しての交付金、
その規則変更が決まったのだとか。知らぬ間に!
交付金の上乗せ+発電量によって金額が変動というよりズブズブな麻薬漬けの変更!
「原発がなければ経済が立ちいかなくなる」
「地方の財政破綻」
というやり口を微調整しながら、
なし崩し的に「脱原発派」のモチベーションを無力化していく。
国民の思考を停止させ、国力の危機を煽る論理こそ糾弾されてしかるべきなのに。
また、原発の40年の寿命を60年に伸ばそうとする動きもあるとか。
理由は、新たな原発をつくるのはさすがに容易ではないから。
なんなんでしょう、この国は。
菅さんも辞める前に、本当に「脱原発」を思うなら、
自然エネルギー法案なり枠組みをしっかりつくるべき。
ただ、「枠組み」をつくっても官僚の老かいなやり方によって、
いくらでも都合良く変更されては意味がない。
(事業仕分けのパフォーマンスを隠れ蓑に、
名前を変えて天下り先を確保してた官・政の結託しかり)
政権を自民がとろうが民主が維持しようが、
国民の総意、政策が変わらないようしなければならない。
”マフィア国家”を容認しちゃ絶対にいけない。
逆説的な言い方をすれば、
これだけの腐敗・堕落を自覚させられる機会は、ない。
「これは内戦だ!」と誰かがいったらしいけれど(ジャーナリストですかね)、
大げさな表現ではないと思う。
じゃあ自分になにができるだろう。
ほげーーーーーーっ。
よく分からない。
でも、絶対に諦めちゃいけない。持久戦だ。
国は、熱しやすく冷めやすい国民性を性懲りもなく洗脳しようとするだろう。
政府や官僚や企業に加えてメディアもまたしかり。
むしろメディアの裏切りこそ最たる危険分子かもしれない。
ジャーナリストの上杉隆さん著「報道災害」にはそのことが書かれているらしい。
まだ読んでないけど。
報道が加担、国民をだます。
真実を伝えないどころか、結託して国民をだます。
海外メディアはそういうすべてを把握し、
日本を”核マフィア国家”と揶揄している。
揶揄ならまだいいけど、それどころの話ではない。


復興とは何だろう。
原発被害地である福島県の復興とは?
福島県の1150人の子供の45%が甲状腺被ばく!
3月に調べたデータが今ごろ公表されたのだとか。
45%という数字の信憑性も低く(測定技術の問題や隠蔽体質の可能性も含むため)、つまり45%から100%と考えた方が正しい。
分布、何を食べたか、どこにいたかが分からなければデータとして意味がない。
そして驚くべき事実は、「福島県は観光や農産物の影響を小さくするため、小学校の給食に地元の食材を使って地産地消をうたい、安全をアピールしている」のだとか。
子供を人身御供にして「復興」も何もないだろう。
以前、「希望の牧場」に関するニュースを見た。
原発事故後20キロ圏内に取り残された動物たち。
その命を守り、保護するプロジェクト。
ホームページにある見出し通り、
「殺してしまうのではなく、いかすことはできないか」
という目的と、長期モニタリングして放射能の影響など、
科学的データを収集するという目的。
どちらも大切なことだと思うけど、しかし、
「希望の牧場」
というアイロニカルなネーミングが人を思考停止にさせないか、
という危惧もある。
復興の名のもとに、子供たちを使って地産地消をうたう県のやり方同様に。
5ヵ月が過ぎた今、子供たちの甲状腺被ばくを公表したのも、
「治療をせずに経過をたしかめ、それを将来の治療に役立てる」
という科学者の意見に同調した可能性うんぬん…。
マッドサイエンティストはフィクションでもなんでもなかった。
現在、福島県立医大の副学長は、
「この程度の放射能なら福島は問題ない」と発言している、
元・福島県放射線健康管理アドバイザーの山下俊一氏と神谷研二氏。
このふたりの師匠筋にあたるのが長瀧重信氏。
彼らは福島のみならず、各県で講演をしている。
「放射能安全論」を吹聴。
なぜ、各県はこのような御用学者を呼ぶのか。
安全神話をすり込ませて、県の存続をはかる、風評被害を一掃する…。
いろいろ理由はあるのだろうけど、
被害者当人が被害を隠蔽する現実。
肉を切らせて骨を断つ、とでもいいたいのか、
事実は単に放射能の過小評価に他ならない。
その犠牲になっているのは誰か。
5年後10年後に甲状腺ガンや白血病、いろんな病気が発症するのだろう。
だるくなるとか、感染症にかかりやすくなるとか、免疫力が低下するとか、
名前もつかない病気も無限に発症するのだろう。
国も県も将来、賠償しないことは目に見えている。
さて、頭脳も金も何もない無力な自分に何ができるだろう。
医療や科学…各方面で尽力されてる方に
「がんばってください、託しました!」
ではもう済まされない。
他力本願はやめて、小さな一歩を持続的に、
まあ大きな一歩を踏めれば一番いいのだろうが…。
繰り返しになるけれど、どこが政権を取ろうとも、
揺るぎのない政策を遂行させることが国民の意志であり努め。
そのためには一人ひとりが真剣に…。
が、考えるための手段、その選択肢を誤ると奴らの罠に落ちる。
罠はわんさか転がっている。
戦後、朝鮮戦争勃発を機に、
GHQが日本を従順な属国にするために敷いた教育制度だか、
とにかく思考停止万歳の国民性を今こそ返上するときにきていると思う。
北欧のように、国にまかっせっきりにしない、
例えば地域コミュニティで意見をだしあい、
それを国家に反映させていくような社会づくり。
一長一短あるだろうけど、
国民主権でもなんでもない日本、そんな国に未来はない。
宮台真司×飯田哲也著『原発社会からの離脱』のなかに、
こういう文章が載っている。
日本知識社会の限界、という見出しの次の文章(P23)。
フランスのバカロレアという高校卒業時の試験でだされた問題。
「正義と不正義はたんなる約束事に過ぎないのかを論ぜよ」。
単なる約束事だと考えるならリベラルの立場。
正義はたんなる約束事ではなく、善悪の信念の問題と結びついてる、
というのがコミュニタリアン(共同体主義)の立場、と。
日本とあまりに大きな違い!
自分が高三の頃は、
性交してる写真を見て、ちんぽとまんこが結びついてる、
くらいのことしか言えなかった。
それはともかく、上の質問は、
主義によってその普遍性が変わる問題や、
自分の考えを明確化させることでもあって、
日本のようにコミュニタリアンでもリベラル(社会民主主義)でもない、
ネオリベラリズム(新自由主義)的頽廃を国民に意識もさせない、気づかせないやり方とは、天と地ほどの差。
そしてこの国の恐るべきは、
”核マフィア国家”のズブズブの関係に唯一メスを入れる、
宮台真司氏の言葉を借りれば、
「行政官僚制にかかわるリスクをヘッジする」
あるいは、
「行政官僚制に結びついたメディア情報に依存し信じ込むリスクを減らす役割の」インターネットにすら、規制を入れてきたという衝撃の事実!
どんな内容かというと、
「ネットの情報で逮捕される(できる)法案」の可決。
ツイッターの監視に年間7、8千億円つぎ込まれるらしい。
他にもあらゆる場所で監視されるのだろう。
これは映画の世界でも他の国のことでもない、日本で起こっていること。
日本を牛耳る、広い意味での”行政官僚制”というシステムを壊さないかぎり、
イベントで愛を叫ぼうが何をしようが明るい未来はやってこない。
ミュージシャンや文化人やアーティストや芸術家なりがそれぞれの道で、
それぞれ声をあげることはもちろん大事なことだと思う。
ただ、それが単なる鎮魂であってはならない気がする。
でもだとしたら、文化ってなんだろう…。
下北沢祝祭行の著者、大木雄高はこう言う。
「文化が政治や経済に拝跪しているなどと誰にも言わせない」
そして続ける。
「運動なんか、負けるためにやってんだ」と。
なるほど、みんなが負けるためにやれば、
それはけっきょく勝ちにつながる。はず。
文化でも政治でも経済でも、他のあらゆる方法論でも、
みんなが動けば絶対に勝つなら、動く以外に道はない。
「みんなが動けば!」とか随分気恥ずかしい表現だけど、
それも仕方ない。
おったったちんぽを堂々と振りかざせる日本にするためには。



(問題提起は主に今週のパックインジャーナルの内容をベースにしております)

コメント(3)

ちんぽって言ってるじゃないですか!
何をどうしたらいいのやら…問題が大きすぎるし生活にも関わりすぎるから、開けっ広げな議論しにくい空気ですよ〜〜人間関係ギクシャクってゆうか経済活動してかなきゃだと政府おかしいとか、あんま言えないんですかね…
息苦しい今日この頃です。

なんか…ホント県民の健康考えたら給食だすとか考えられないですよね。出すならどのくらい放射性物質出たかって数字毎回出してほしい。
へんな原発ありきの団体が決めた数字に基づく基準値なんて信用できないですよね…。

なんてどんどん暗い気持ちになるんですけど明るい希望ないんですかね
klara
ちんぽ! 男にはそう叫ばなければならないときってのがあるんだなぁ…。



めんぞー
政治家や官僚の傲慢は、しかし、
「開けっ広げな議論しにくい空気ですよ〜〜人間関係ギクシャクってゆうか経済活動してかなきゃだと政府おかしいとか、あんま言えないんですかね…」
という国民の心理と近いところにある気もして、
立場が変われば、人は政治家や官僚のように容易に堕落するのだろう…なあ。嗚呼…。

明るい未来、希望は、ときに何かに鎮魂されながらも、そのもやもやを浄化しきっちゃいけないってことだろうか…。嗚呼…。
 
 

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