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天皇・皇室とスピリチュアリズムコミュの皇族・皇室不思議話

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  皇太子妃雅子様と秋篠宮紀子様の名前の不思議
 

    おA  わB  だA  まB  さA  こB
 
  
     かB  わA  しB  まA  きB  こA
 

この二人の名前をAB交互に読むと、雅子様と紀子様の名前が出て来ます。 

そして、紀子様と黒田清子さんこと紀宮内親王には、「紀」という字が使われています。 

 これは、偶然ではないと思います。 

皇族には、このような不思議話が結構あります。 

皇室・皇族にまつわる不思議話をご存知の方は、お知らせ下さい。 

コメント(16)

平将門公の首塚は、本当に祟りがあるらしいです。 

怖くて一度も行ったことはありませんが、神田明神は毎年お参りに行ってます。 
お妃候補の何人もの女性がクローズアップされてTVで騒がれてた頃だったか、その中ですでに小和田雅子さんに決まった後だったか忘れましたが、1991年〜1993年頃の有名人で大林雅美という人がいました。もう忘れてる人多いだろうなぁ(詳しくはウィキペディアでプロフィール調べてみてください)。
この人の本名が「雅子」で北海道の「目黒」出身(詳しくは不明だが幌泉郡えりも町字目黒かな?)。で、東京の目黒には小和田家の邸宅があることは皆さんご存知のとおり。北海道といえば「太陽を信じるピラミッドの会」。じゃなくて(笑)、UFOで有名です(オカルト系のファンダム(つかUFO業界)ではそういうことになってるんだよっ)。ところで東京の「目黒」には当時、小和田家の邸宅のほかに、UFOマニア(&『ムー』のライターw)の聖地といわれた「UFOライブラリー」っていう歴史と伝統ある博物館がありました(すでに閉館)。
ーーーー
「目黒」といえばサンマだけど、目黒のサンマ祭は目黒区主催と商店街主宰のがあって、前者は私の出身地の宮城県気仙沼からのサンマだが、後者は青森県八戸からのサンマ。青森県出身の有名人といえば「ナンシー関」。
ーーー
ナンシー関は消しゴム版画で有名な辛口コラムニスト(知らない人はウィキペディアでプロフィール調べてみてください。国語の教科書にすべき戦後日本最大の名文章家で、まだ文庫本がいろいろ発売中)。雅子様の女子アマレスリング時代のリングネームは「ナンシー雅子」で、ナンシー関とは1歳ちがい。「ナンシー」とは「内親王」のアナグラムでコトダマのカムヒビキ。だから愛子内親王殿下は相撲大好きで、ナンシー関は関取みたいな肥満体なわけである。
>>1
神田明神は、明治になってから、叛賊を祀るのはけしからんということで、祭神から取り下げられました。そして将門の霊は、境内の隅(だったか近所だったか)に小さい祠を立てて別にしておいたところ、江戸っ子はみなそちらにばかりお参りして本殿にはぱったり人がこなくなったとのこと。将門様の信仰が篤かったこともありますが、幕末の頃、薩摩や長州の侍はひじょうに素行が悪くて江戸っ子からは暴力団のように嫌われていたので、江戸の庶民はみな幕府びいき・会津びいきでした。それで薩長政府の命令に反抗していたというのもあります。
公式にはいまだに神田明神の祭神に復活してません。なので建前上、神田明神には将門は祀られてないのです。今でも境内の解説には「御祭神 大国主命」とあり、将門のマの字もない。神道では「分祀は不可能」という説がありますがどうも胡散くさいですね。
実は江戸時代の霊元天皇によって、将門の謀叛の罪はすでに勅免されているので、将門は「元謀叛人」ではあってもすでに「謀叛人」ではないのです。薩長は本当に余計なことをしてくれましたね。
個人的には将門大好きなので、神田明神にいく時は将門に会いにいくつもりでお参りしてます。学生時代に酔っぱらって後輩たちと夜中に境内で花火大会したことがありました。本当は境内で花火はマズイんじゃないの?とまともなこという後輩もいましたが、おもむろに拝殿をさして「頭が高〜い!この境内をいずこと心得る。恐れ多くも親皇陛下・将門様の御前であるぞ。法律は破るために、政府は倒すためにある。者ども、打ち上げの花火じゃ〜」とか言って平気で遊んでました。
今思えば将門軍の兵の霊が憑依したてのかも。んなわけないか。酔っぱらってたんだなぁ。
>>4
ごめん、訂正ざんす。神田明神の御祭神は
・大己貴命(おおなむちのみこと)
・少彦名命(すくなひこなのみこと)
・平将門
の三柱で、将門も(現時点では復活して)ちゃんと祀られてました。

明治7年(1874)に明治天皇が神田明神に参拝することになり、この時に「天皇が謀叛人に参拝することになるのはけしからん」ということで将門を祭神からはずすように圧力がかかったのは本当で、神社側は摂社・将門神社を別に作ってそこに遷座することで対応しました。その当時の江戸っ子の反応は上述のとおり。
以後、長らく将門は祀られないままでしたが昭和51年(1976)NHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」が大ヒットして、中学生でも週明けには学校の話題になり毎回のセリフや山本直純のテーマ曲を口まねするほどの人気でした。小説・解説など関連本も各書店でかなり売れていたのを覚えています。当然神田明神への参拝客も増えたでしょう。しかし神田明神には祀られてないという意外な事実を人々が知るにつけ、質問や抗議があったのかも知れません。昭和59年(1984)に再びご本殿に奉祀されたのはそのそうな世の中の空気の変化が大きかったのではないでしょうか。実際、私の記憶では祀られてないと知った時のショックの方が大きく、昭和59年に復活していたのは知りませんでした。

俺が境内で花火やったのはたぶん昭和61年(1986)前後かな?ちなみに「風と雲と虹と」はビデオ上下巻で総集編がでてます。レンタルビデオ屋で置いてるところあり(DVDも発売中)。でも総集編なので名場面は少ないかも。
>2  私は、ナンシー関さんが大好きで何冊か持ってます。 

ところで、雅子様って、アマレスリングをされてたのですか?

私は、ボクシングです。  ちなみに、皇太子殿下のお妃選びの段階で、私は動物的直感で雅子様を選びました。  

当たりました! 
>>7
大学時代に女子レスリング部にいたようです。ただし所属先は大学内のレスリング部か、大学外でのジムなのかは記憶に自信ないですが、たぶん大学かと。雅子様が勝ち取ったトロフィーも部室(?)にあったとか。
雅子さまがレスラーだったとは!

たしかにあれだけの身長があれば、格闘技やらないともったいないですね。
雅子様レスリング>

たぶん、"ナンシー雅子"の経緯で、そういうデンパ説が流れているんだろうけど、残念ながら真実ではないようですが・・・
事実ですよ。御成婚以前には写真も出てたし。
アマレスリングではなく、
ナンシー久美のファンで、ナンシー久美の真似をして"プロレスごっこ"をしていたって部類のもので、
選手ではないのでは??
大学生時代にトロフィーがあったはず。それとレスリングのユニフォーム姿の写真もあったので、子供時代の「ごっこ」じゃないでしょう(ネットではそういう誤解が広まっているが)。そもそもこの情報は「ネットで写真だけみた」というような記憶ではなくて、お妃候補に出たての時代には割りと普通にメディアに流出していた情報です。
>14  

雅子様  カッコいい!!!


この方は、だから女性に人気がある。

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