ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

オンライン文芸部コミュの長津島村

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
「第1話」

 三半規管−。
 内耳の奥にある、平衡感覚を司る器官だ。世間では『〜感覚』というと、後に付く形容は『鋭い』とか『敏感だ』などが良いとされる事が多い。この器官も無論、大変重要な器官であり、鋭いに越したことはない。なにせ、何かの障害でこの感覚が鈍くなると、真っ直ぐ歩くことが出来ないのだ。だが、かといってあまり鋭すぎると……
「美鈴さん……その辺……薬局ない……?」
 広明は潮風香る海よりも、雲一つない澄み切った空よりも、いろんな意味で青かった。正確に言うならば、青ざめていた。船酔いだ。トイレで何度も何度もゲ……言葉を丸めて『虹色のアレ』としておこう、『虹色のアレ』を何度も滝のように吐き、最後は白い泡まで吐き出してカニ気分を味わい、いろんな意味で限界を迎えつつあった。
 これが三半規管の鋭すぎる結果だ。個人差はあるが、概して乗り物酔いをしやすくなるのだ。百八十?を越す巨漢が、船から下りるなり、へたり込んでゲーゲーやっている姿は、世の中なんでもかんでも鋭きゃいいというわけじゃないんだな、と周囲に痛感させるほどに惨めだった。
「パンフで見たとおりだ。キレイだねぇ〜。メチャクチャわくわくしてきたっ」
 その傍ら……瀕死気味の広明と対照的に、美鈴は頬を上気させうんうん頷いていた。
「来てよかったでしょ?」
「俺の……どこをどう見るとそういうコメントが……ってか、酔い止め……マジで」
「ダイジョブダイジョブ。船酔いじゃ死なないよ、きっと。脱水症状にはなるかもしんないけど! 宿はもうそこだよ! 私と一緒に旅立とう!」
「…………俺、今まさにその脱水症状なんだけど」
「じゃあ、さらに頑張ろう! さあ、立ち上がれ広明ロボ!」
 美鈴はニッコリ微笑んで手を差し伸べた。
「……」
 そんな彼女兼姉貴分の顔を広明は情けない顔で見上げ、美鈴の手を掴むとのろのろと身を起こした。

 飯島広明と佐藤美鈴の二人がつきあい始めて、そろそろ二年になる。二人は明知大学理工学部情報経済科三年で、最寄り駅から歩いて三分の所にあるアパートの隣人だ。といっても、別に一緒に大学を目指したわけでもないし、アパート探しを一緒にしたわけでもない。そもそも大学に入学するまで、二人は面識がなかった。
 入学当初は、お互いさほど意識していなかった。よく顔を合わせる隣人というだけ。大体、大学のある駅前アパートとなれば、同じ大学に通う学生が住むのは珍しいことではない。が、無作為に選んだバイト先まで同じとなった日には、さすがに互いに興味の一つも湧く。気が付けば入学から半年ほどで、学部生の大半公認のカップルになっていた。
 百八十五?のプロレスラーのごとき体躯の広明と、百四十九?の小柄な美鈴という、頭一つ半も身長差がある二人だったが、面白いことにこのカップルの主導権は常に美鈴にある。美鈴が一浪組で年齢が一つ上のせいだろうか、元気で威勢のいい美鈴に「こうだ!」と強く言われると、広明は「ああ、そうなのかな」と納得させられてしまい、腹を立てることもなく不思議と従ってしまうのだ。それどころか、よく寝坊で授業に遅刻する広明を、美鈴が説教し、大きな身体を懸命に小さくして謝る広明の姿が、キャンパス内で何度も目撃されている。しかしそれでも、二人が仲違いしたことなどは一度もなく、色々な意味で明知大学話題のカップルだった。
 そんな二人が大学の夏期休暇の最中にやってきたのが、ここ、長津島村だ。
 所属は東京都、立地は太平洋南東側海洋上。東京から船で三時間ほどかかる、いわゆる離島だ。こんなところにわざわざやってきたのには、少々理由があった。
「うんうん、すんごい良いね。思った通りだよ。自然以外はハイパー何もない」
 宿に向かう道すがら、美鈴は未開発の自然が溢れに溢れた島の様子に大満足といった感じだった。
 そんな美鈴に隠れ、青色吐息の広明はこそこそとポケットから携帯をとりだした。アンテナの表示される部分にはその表示はなく、代わりに『圏外』とお寂しい漢字二文字が表示されていた。小さく溜め息をつき、ポケットに戻そうとしたが、
「な〜に〜見〜て〜ん〜の〜」
 美鈴に発見された。
「ちょ、ちょっと時間見ただけだって」
 綺麗な柳眉を逆立てる彼女兼姉貴分に、携帯片手に懸命に無実をアピール。しばらくにらめっこになったが、やがて美鈴は不敵な笑みを浮かべた。
「ま、いいけどね。どうやったってここは圏外だし。いい? 今回はあんたのそのネット依存症と引きこもり気味の生活を治すために来たんだから、電波とかいらないの。分かってるそこんとこぉ!?」
 斜め下からビッと指を突きつけられ、広明は仰け反り小さく手を上げ降参を示した。
「は、はい……分かってます」
 これがこの島に来た『理由』だった。

 十ヶ月ほど前まで、広明は大学の空手部に所属していた。その頃は寸暇を惜しむように身体を動かし、休日はアクティブに美鈴と出かけていた。しかし、昨年、部活動の先輩数名が所持するパソコンにウィルスが侵入した。そのパソコンの中には彼らの赤『裸々』な日常生活が撮影された物が収まっていたのだが、それらは、ウィルスの手引きにより、ファイル交換ソフトという船に乗り、勝手に電子の海に漕ぎだしてしまったのだ。そしてそれらは、広大な電子の海を巡り続け、やがて大学関係者の元に流れ着いた。その結果……空手部は廃部となった。
 あまりに情けない廃部理由ではないだろうか。テレビで不祥事を起こして廃部になった話がよくやっているが、広明はまさか自分の所属する部活が、それと全く同じ目に遭うとは夢にも思わなかった。
 おおよそ考えられる限り、一番情けない理由での廃部に、他の部活への入部も、町の道場に通う気力も起こらず、広明はアパートでバイト外の時間を過ごしていた。しばらくはDVDを見たり、本を読んだりして過ごしていたが、やがて気が向かなくなり、余った時間の始末に広明は倦んでいた。
 そんなときだった。ふとした拍子に友達に誘われて始めたオンラインゲームにどっぷりはまってしまったのだ。身体は動いていないものの、あまりの楽しさに、心に火がつき、熱に浮かされたように広明はゲームをやり続けた。やがてその火は、オフラインゲームにも引火した。ともかくゲームがしたい。その結果、ポータブルゲーム機を全て揃え、家庭用ゲーム機も買い込み、携帯もパケット定額固定制のプランに切り替えてオンラインゲームを導入するに至った。ここまで揃うと、歩いていても、トイレに入っていても、布団を被っているときでも、ゲームが出来てしまう。
 起床。ゲーム。ゲーム。ゲーム。大学。ゲーム。ゲーム。バイト。ゲーム。ゲーム。就寝。こんな生活だ。
 美鈴と一緒に外出しても、移動時間の合間合間にポータブルゲーム機の電源を煎れる有様。最初は黙認していた美鈴だったが、目に余るその惨状がついに彼女の逆鱗に触れた。「セーショーネンとして不健全! ビシッとしなさいビシッとぉっ!」
 その結果、ゲーム機を全て没収され、オンラインゲームも無期限停止を厳命され、携帯のアプリゲームのデータすらも没収された。そのとどめとして、ゲーム依存症気味になった生活を一新するために、ゲームやオンラインのないところで三日間を過ごす、という今回の旅行と相成ったのだった。
 再び部活無しゲーム無し生活に戻り、最初の数日は広明も時間の持て余し方がひどく、退屈で死にそうになったが、四日経った現在は少々楽になってきた。だが、今でもつい、携帯からゲームのアプリが消されているのを忘れて、自然とフリッパーを空けてしまい、さっきのように睨まれてしまう。
 オンラインの知人には「そんなに彼女に仕切られて腹立たないの?」などとも言われたが、広明も内心ではさすがにやりすぎだなとは思っていた。美鈴も心配していてくれるからこそ、見捨てもせずにこうして怒ってくれているのだ。どれだけ怒られたとしても逆ギレを起こしたりする気持ちなど、ミジンコほども湧かなかった。それゆえ、こうして激しい船酔いに悩まされながらも、名ばかり東京都所属になっている離島にまでやってこれるのだ。

「と〜ちゃく。こっこで〜っす」
 水分が抜けすぎてフラフラしながら港に沿って十分ほど歩いたところに、宿泊予定の民宿池田荘はあった。
「ここ……っすか」
 這々の体でたどり着いた広明は、宿を見上げ、しばし言葉を失った。白い看板に黒字で『池田荘』と掲げられた建物だったが、潮風に長く晒されてきたからであろう、港に負けず劣らず傷んだ外壁を見る限りは、『壊れ荘』の方がお似合いのように思えた。
「……本当にここ泊まるの?」
「当たり前でしょ。この島、他に宿ないもん」
 美鈴は問答無用で広明の手を握ると、ガラリと引き戸を開けた。
「ごめんくださーい。東京から来ました佐藤ですー」
「いらっしゃい。ようこそ、長津島村へ。よくお出でになりました」
 声を聞きつけ、主人が満面の笑みと揉み手で奧から出てきた。中肉中背、美鈴より少々大きい程度の小柄な男だった。髪の色からして恐らく五十代後半ぐらいなのだろうが、潮焼けして赤くなった顔と顔に刻まれた無数のシワのせいで、顔見ると六十にも、七十にも見える。
「今日から二泊、よろしくお願いします」
 幹事役の美鈴が、屈託のない笑みを浮かべて頭を下げ、ついで巨大なドナドナよろしく、引き連れられた広明が青白い顔で「よろしくお願いします……」と頭を下げる。
「ははは、大きなお兄さんは船に酔われましたな。すぐにお部屋にご案内しますから、休憩してください」
 通されたのは、一階の階段側の部屋だった。意外にも建物の古びた外見とは裏腹に、六畳の室内は良く掃除の行き届き、こざっぱりとしていた。畳にタバコの焦げ跡があったり、襖が古びていたりはしたが、それらもご愛敬で済む程度。エアコンも随分と型が古かったが、一応付いている。寝苦しい思いはしなくて済みそうだ。
 広明は内心ホッとしたが、ちらりと美鈴を見ると、美鈴も小さく安堵のため息をもらしていた。広明の手前威勢良く振る舞っては見せたが、宿の外見のひどさに、美鈴も内心冷や冷やしていたのだ。
「お食事までまだ時間がありますから、ゆっくり体を休めて下さい」
 風呂や部屋の案内を終えた主人が出ていくと、広明は荷物を置き、ドタッと横になった。
「ようやく揺れない場所で横になれる……」
 うつろな目で天井を仰ぎながら言うと、美鈴が笑った。
「二、三十分したら、島の様子見に行こ。はい、水分摂って」
 備え付けのポットから冷えた麦茶をコップに注ぎ、一つを広明の側に置き、美鈴自身も湯上がりの牛乳のように腰に手を当て一気に飲み干した。
「美鈴さん、三日も時間あるわけだし、こう……もうちょっとのんびりと……」
「だ〜め。三日目は帰宅に使ってお終いだろうし、もし明日雨降っちゃったら出るに出られないでしょ。今回は健康的に歩き回ったり、自然と触れあって健全な精神を取り戻すのが目的なの。分かった?」
 のろのろと身を起こし、グラスの麦茶を飲み干すと、広明は大きく嘆息し、項垂れた。
「ういっす……ギリギリまで寝て体調整えます」
「うん、お休み〜」
 
 だが、広明が目を開けたのはそれからたっぷり二時間ほど経った、午後三時過ぎだった。
「お目覚めはいかがですかな?」
 自然に広明が目を覚ますと、おどけた口調で美鈴がアップで迫っていた。
 しょぼくれた目を擦りながら体を起こし、窓の向こうを見る。夏の日はまだまだ高かったが、少々西側に傾き始めていた。確かにまだ今からでも外を見に行けるが……
「動けそ?」
「おかげさんで楽んなったけど……起こして良かったのに」
「さすがに冗談だよ。あれだけ吐いたんだもん。まだ明日も動くのに、本当にダウンされたんじゃあ……ね」
 ちょっと苦笑し、罰が悪そうに言う美鈴。なんだかんだで気遣ってくれたらしい。乱暴のように思えるところもあるが、なんだかんだで根は優しい。
(俺、こういうとこに惚れてんのかな……)
 少々寝癖の付いた頭をぐいぐいと手櫛で直すと、広明は微笑んだ。
「じゃあ、行こうか」
「うんっ」
 貴重品などをナップザックに移し、二人が部屋を出ると、二階から何かが駆け下りるけたたましい音が聞こえてきた。
「え?」
 広明が階段を振り返った瞬間……ドンッとその右肩に強い衝撃が襲ってきた。
「っと……」
 たたらを踏むが何とか倒れずに踏みとどまる広明。しかし、相手はズデンっと後にひっくり返り、その反動でゴンッと辺りに聞こえるほど盛大に頭を床に打ちつけてしまった。
「だ、大丈夫!?」
 美鈴が声を上げるが、広明は肩をさすると頷いた。さすがに鈍く痛むが恐らく打ち身にもなっていないだろう。
「俺よかそっちの人。頭めちゃくちゃ打ってる」
「う、うん」
 ぶつかってきたのは男だった。二十代半ばだろうか。長髪に黒い額縁眼鏡、季節外れの緑色の長袖シャツにジーンズ。パンパンに膨れ上がったメーカーの知れないスポーツバッグを倒れてもなお、大事そうに小脇に抱えていた。こんな離島よりも秋葉原のほうがずっとしっくりくる出で立ちだ。
「大丈夫ですか」
 男は頭の打ちつけた部分を押さえて鈍く呻くばかりだったが、美鈴が尋ねると、ビクッと身を震わせ顔を起こした。
「だ、だ、だ大丈夫ですっ。か、階段でっ……あ、あ、あ足踏み外しそうになってっ……す、す、すいません」
 頬を引きつらせ、ひどいどもり声で懸命に詫びながら立ち上がろうとする。しかし、年季の入った木製の廊下はいかんせん滑りやすい。すっぽ抜けてしまったスリッパをはき直さずに、靴下のままで立ち上がろうとして、再びバランスを崩してひっくり返りそうになり、慌てて広明がその腕を掴み身体を支える。
「気を付けて下さい。ぶつかったの俺だったからいいけど、他の人だと二人ともケガしちゃいますよ」
 広明も少々ムッとするものがあったが、男の慌て方があまりに気の毒すぎて、すぐにそんな気も失せてしまった。
「す、す、すすいませんっごめんなさいっすいませんっ」
 男はそういう動作を高速でするおもちゃのように、ペコペコと頭を何度も下げ、小脇にバッグを抱え直すと、逃げ出した鶏のように玄関に向かって駆けていった。
「……何あれ?」
「いや……俺に聞かれても……」
 露骨な挙動不審さに二人は顔を見合わせたが、玄関を掃き掃除していた池田荘の主人に尋ねると、主人は辺りを見回してから声を潜めて、苦笑した。
「田川様ですね。一週間ほど前からお泊まりのお客様です。なんでも大学で植物の研究なすってる先生とかだそうで。私達みたいにこの島で生まれ育ってると、どの草が珍しいんだかよくわかりませんが、他の所じゃあまり見られない草が取れるとかおっしゃってましてね。でも……なんといいますか、頭のいい方ってのは随分変わった格好をされるもんですね」
「研究者ってどこも同じだねぇ。うちの教授達はあそこまでどもらないけどさ」
 大学の学部担当のひょろひょろ教授達を思い出し、美鈴も小さく噴き出す。
 大学教授や助教授、助手など、象牙の塔に長く籠もる人達には、良くも悪くも変わり者が多い。明知大学の教授にもそういう人達が何名も居る。その道にどっぷりとのめり込むせいだろう。彼らの没頭する道は、学問として社会的地位を確保しているから『教授』『助教授』などの名で呼ばれるが、何か夢中になっているという点で言えば、彼らも『学問オタク』『研究オタク』だ。
 広明もつられて小さく笑ったが、ふと広明は田川と大学の教授達との違いが頭に浮かんだ。
(結構な堅さだったな……)
 ぶつかったときの身体、そして先程掴んだ田川の腕の感触。よく絞り込んだ筋肉のそれだった。ひょろひょろの大学教授達とは似ても似つかない。むしろ、滅びた空手部の偉大なる先輩達の身体つきと似ているように思える。かなり本気でなにかのスポーツをやっていたのかも知れない。
「じゃ、私達もちょっと観光に行ってきます」
「夕飯七時ですので。あと、この島あまり外灯ありませんから、早めに戻ってらしてください」「はい。じゃ、行こ」
「え? あ、うん」
 現実にふと戻り、広明はどぎまぎしながら主人に会釈をすると、美鈴を追って池田荘を出た。

コメント(3)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

オンライン文芸部 更新情報

オンライン文芸部のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング