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月刊 上方落語ファンコミュの初代桂春團治、いかけ屋などを聴く

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初代 桂春團治 五

First Music Co. FGS-155  録音; 昭和初期以前

1)いかけ屋     13:21
2)無いもの買い   14:38
3)口入屋      13:49
4)提灯屋      13:19


i-Podに入れた落語を時々聴いている。 現代的な薄いレコーダーに無差別にCDから情報を流し込んで聴くのだが、今回の噺は少々楽ではない。楽語が楽ではなければそれは何なのだろうか。 砂川捨丸がかろうじてテレビ時代にブラウン管で三河漫才の流れを汲み、「漫才の骨董品でございまして、、、、」と言いながら鼓をポンと一つ打ちながら演じていたのはもう30年以上前である。 70年前ではこれも落語の骨董品になっている。 のんびりと聴いていてはなんのことか分からないところがあり、なるほどこれはサブカルチャーの古典だなと、古いものがCDに収められそれが小さな金属の切れ端につながったひも付きの耳栓から頭の中にSP盤の擦り切れ音に乗せて流れてくる少々のだみ声を聴きながらその時間の隔たりを不思議に思った。 

これを聴くのに楽でない理由はは幾つかある。 一つはその主題であるのだがこの全集の編集者は初代の、上方ビジネス、商家の噺をまとめてこの第五巻にしたとみえる。 この中でかろうじて現代に残る商いは2)の魚屋だけで1)のいかけ屋、これは昔、鍋釜の穴の開いたものを街角で修理する行商サービス業、私のほんの子供の頃には道端に火を起こして金槌でこつこつ鍋釜を打ちハンダで穴をふさいでいたのを見た記憶がある。 4)は今では照明器具店、3)は就職斡旋業である。

その二番目は今は無い職業で使われる言葉であり、噺のなかに人々が使う言葉である。 落語では聴くものは楽に面白いものを笑いたいと思って聴く。 気持ちをゆったりとするところに噺が入って全て自分の見知った範囲の言葉だからその洒落、軽口、地口といったもので笑いに誘われる。 そこで笑いたいものが笑えなければ少々の失望と不満が残る。 何故笑えないのか、噺の流れでは面白いはずなところで引っかかるのが理解不能の言葉、譬えなのだろう。 そこでは聴くものの世界からは離れた噺が語られているということになる。 ことにこのCDではサゲとそこに至る部分でこの隔絶感が残った。 しかし、70年前の聴衆には完全に同化して笑える世界があったことは確かだ。

以前にも記したが、ここに収められている噺の時間的制限によるそれぞれ15分弱というのは余りにも短すぎる。 当時の今よりはゆったりと時間が流れていてそれぞれも30分ほどはあったと思われる噺の部分をほぼ半分にして下げを貼り付けたというような想いがある。 初代の少々かすれた良く通るだみ声は30分ほど聴いてからその世界の佳境に入るのではないかと想像する。それは私が子供の頃、テレビで聴かれた落語がこのようでもあり、そのたびに祖父母達がああ、これでは短すぎる、ゆったり出来ない、といっていたことが思い出されてテレビ時代の細切れ文化、と初代の時代の録音時間の制約がこの噺家の奔放さを充分味わえないと思わせる不満の素である。

1)いかけ屋は私にはなじみ深い話で小さいときから何回も聴いている。 とくに三代目のいかけ屋は悪ガキたちにやり込められる噺なのだが三代目では初代の芸を継いでいて子供達が生き生きと表現されそれに対応するいかけ屋も比較的のんびりとしている。 というのは初代の噺、語り口とくらべてのはなしで、悪ガキ、いかけ屋の口調に荒さがまじり、これが初代と三代目の個性であり芸なのだ。初代のこの録音では今まで聴いたことのない展開となる。 それは山伏がでてきてオチが少々唐突な感もしないではない。 大峰信仰の山伏なのだが自分を山上詣りだとしてサゲる。 私自身も村の男たちが何世紀も行ってきた山上詣りを山伏の装束に身をやつした導師に先導されて参った経験もあり山から下りてふもとの村で男たちが厄落としとして色事にふける場面にも立ち会っている。 不思議な経験ではあったが、このことをもここで思い出し、いかけ屋は別々の話が合わさったものでなかったか、というような思いも頭をよぎった。

2)は荒っぽい噺である。 大体このCDでは店の主人と客、もしくはそこを訪れるものたちとの掛け合い、相手を出し抜く、というようなことも大きな題材となっているのだが、笑いの要素、相手の不幸はこちらの幸せ、というようなところであろうか。 今では結婚式のそれこそ飾りだけの鯛が実際に大きな価値をもっていた時代に鯛をめぐる客と魚屋のやり込め合いに活気のある噺であるのだが、今ではこのような掛け合いはとても想像の出来ない魚屋の店頭である。

3)口入れ屋の仕組みは概ね現代の職業斡旋業と代わりが無いものの、まるで遊郭の女郎を選ぶように商家の者が働き女を選んでつれて帰るところに時代を想った。 ここでは女ばかりの働き手応募者があつまる周旋屋なのだがこれがこの話の本題につながる。 商家の手代、おとこたちは番頭ほどになると自分の家をもつものがあるものの商家に丁稚たちと一つ屋根の下で寝泊りするのが常で、小学生ほどの丁稚から青年、成年の男たちが働き、家事をする少数の下女たちもいる。 そこでは成人の性があるのは当然で、農村では夜這いが文化としてあった時代、商家の女主人は下女を口入れ屋から雇う際には労働力として価値のある、けれど単身寝起きする男たちの間に性的な「乱れ」を起こさないよう醜い女をもとめるのだが、ここでは番頭が自分の都合の言いように美形の女中をつれこんで夜這いをかけ失敗におわるという微かに艶笑を含む噺である。 昔にはどぎつい当時の風俗を笑った夜這いを巡っての噺があったはずなのだが、こういうものは実際に寄席に出かけてでしか聴けなかったものなのだろう。 現代の夜這いはどういう形なのか想像もつかない。 コンビニの門、繁華街の喫茶店、人が行きかう橋のたもとかもしれないのだがその違いを思うと少なくとも村の夜這いでは家族もそれを承認していた節がある。 昭和の初めまではそういう風習があったと聞いた事があるが、今でも男女の性の鍔迫り合いは東西どこでもしっかりおこなわれている。

4)提灯屋という商売は今でもあるのだろうか。 昔ほどではないのは確かだ。 商家の宣伝効果として提灯を出す。 祭りには不可欠だし、寺社では寄付の印として何年に一度かは作りかえられる。 私が子供の頃、村の盆、祭りの頃には各戸が門前に家紋を示した提灯を灯していたことを覚えているが1950年代のことだったのだろう。 慶凶事の際には家紋がついた衣服を着て金品を包む布にも家紋がついており、日常の什器、道具にも家紋がついているものがあったのだが高度成長期からそれは消える。 核家族となると殆ど慶凶事だけのことでそれに参加する大人には幾分か伝統は残っているものの日常生活のなかで子供達が家紋を目にする機会は昔に比べて大きく後退している。 ただ、この10年ほどで家紋に対する興味が戻っているとも言われインターネットでもそういうサイトがいくつもあると聞いた。 この噺はその家紋を書き入れて商いにする提灯屋であり家紋が書けなかったら御代は要らない、というところに無理難題、ここでは判じ物にしてやりこめ、まんまと手に入れる、というわらいであるのだが、その判じ物、オチは家紋、風俗、当時の言葉が分からなければさっぱり見当もつかないものであり、高校の古典教師の教材として使用に耐えるものである。

笑いは世につれ、といわれる。 このCDを聴いて生笑いで終わる、というのは聴く我々が今の世にいて噺の世からずれている証であり、初代春團治がここで生き生きと当時の聴衆に語るのに接するとき、その聴衆と一緒に大笑したいという願望が湧くのはハリウッド映画でタイムマシンを希求するのと同じこころである。

コメント(6)

>どうちぇさん
感想は面白く読ませて頂いているのですが、1つづつトピックにするのは如何でしょうか?
これまで見ている限り、コメントもあまりついてないようですし……
感想文を書くトピを作って頂き、そこにコメントとして書いていって頂けるとトピの乱立にもならずありがたいのですが。

如何でしょうか?>管理人さん、他のメンバの方
他の落語のコミュなどでは噺家ごとにトピを立てたりしているところもあり、そういう風であればそれぞれの噺家の特徴、芸風、面白みなどをいくつも重ねることで深く知るようになる利点もあるのですが、ここではまだそういうことも無いようでその時々の話題をそれぞれトピにしていることも多くそれに倣った、という次第です。

もちろん感想文のトピがあればそれでも結構なのですが、各人さまざまな芸の感想を記していくことには意義深いと思うのですが数百も続けばその連続の中である噺家のものを後ほど系統的に知るには探し出すのに根気の要る仕事となりかねず、それは他の音楽、映画コミュで経験済みで、結局、両方あれば検索するのに楽でこれはミクシのデータキャパシティーの問題ということになると思います。 先方もデータが増えれば増えるほど繁盛ということもあり、要は系統だってコミュの管理ができるかどうかということなのでそのようになれば三方すべて得、という風に考えます。

尚、コメントの有無についてはサイレントマジョリティーも含めたものを期待しています。  長い目でみて何年か経つと書き込みがぽつぽつと出てくる、というような、気の長い春の午後、のんびりとした閑散とした寄席の空気を期待しています。
今年の春頃、毎週日曜に朝日放送ラジオでやってる「なみはや亭」で
四代目桂文團治の「いかけや」を聴きました。
口調というか間ぁが今の春団治師匠の「いかけや」に非常によく似てたので
調べてみたら文團治は初代の春団治から今の三代目まで歴代の春団治に
「いかけや」をつけたとか。どうりで似てたはずです。

四代目文團治は長命だったので割と最近の人のように錯覚しますが
初代の春団治と同じ年に生まれてるんですよね。
初代春団治も四代目文團治のように1960年代まで生きていたら
その後の上方落語界はどのようになっていたんだろうと思いますね。
たらさん、四代目桂文團治の「いかけや」をお聴きになったとお書きですが、後半は如何でしたか。 山伏とのやりとりはどのように処理されていたのでしょうか。

CDの解説には三代目松鶴は「山上参り」という別の噺を舞台にあげており、もともとは独立した噺ではなかったか、と示唆しています。 孫引きですが前田勇著「上方落語の歴史」の「山上参り」にはそのように書かれているそうです。

もし、初代が1960年代まで、、、、ということですが、もし、、、ならば、現在音源としてわれわれに期待できるのはLP盤で30分ほどの噺が聴けるということなのではないでしょうか。 じっくり聴いてみたかったですね。 
文團治の「いかけや」はラジオを付けたらたまたまかかってて
それもボーッと聴いてただけなので残念ながら詳しくは覚えてません。
けど、いつもの三代目の終わり方とは違ってたように思うので
たぶん山伏がでてきて山上詣りのサゲだったのではないかと思います。
文團治は早口で初代春団治もダブりますし声の感じは文枝師匠にもダブりました。

ただ、今の三代目の芸によく似てるなぁとは思いましたが
考えてみれば今や「いかけや」は三代目の十八番中の十八番になっちゃってて
三代目に遠慮してなのか他の噺家が「いかけや」を演じてるのを見た事がないかも。
なので、似てるも似てないも、なんとも言えないように思えてきました。。(^^;

途中から山伏がでてくるのは下記のサイトにも書かれていますね。
それによりますと、『山上詣り』という小噺が、この『いかけや』の話の最後にくっついて
サゲになっているようです。http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2975/sub34.html
http://www.deston.net/rakugo/konanrakugo/FCCG1978.html

本当は山上詣りにかけたサゲが「いかけや」の本当のサゲなんでしょうね。
山伏はそのサゲだけのために登場してきて、まさに取ってつけたような感じですね。

「おなじみの「いかけや」というバカバカしいお噂でございます」で終わるパターンが
多いですが、思うにこういう終り方の「いかけや」だと時間調整がしやすいですよね。
極端な話、どこで切ってもOKですし。
それと、山上詣りの取ってつけたような、おまけに分かりにくいサゲであったために
しだいに省略されるようになったのではないでしょうかねぇ。(あくまで想像です)

初代春団治(1878-1934)がもし文團治(1878-1962)や橘ノ 圓都(1883-1972)のように
60年代70年代まで生きていたら、多くのLPレコードが残されたことは勿論ですが
1950年から1953年にかけて五代目松鶴(1884-1950)・四代目米團治(1896-1951)・
立花家花橘(1883-1951)・二代目春団治(1894-1953)らがバタバタバタといなくなり、
上方落語の灯は消えたと言われた。あの状況もどうなっていたか分かりません。

生きていれば、当時まだ若かった上方四天王にも影響を与えただろうし
仁鶴さんは初代春団治のレコードを聴いて当時一番芸風の似てた六代目に
弟子入りしたと言いますから、初代春団治が60年代まで生きていたなら、もしかしたら
仁鶴さんは六代目松鶴ではなく初代春団治に弟子入りしてたかも知れません。(^^;
そしたら、上方落語界唯一のゴタゴタといっても良いその後におこることになる
七代目松鶴襲名にまつわる騒動もなかったかも知れません。

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