ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

元気の出る聖書の言葉コミュのキリストの僕、今橋淳先生は逝く

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【キリストの僕、今橋淳先生は逝く】

宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。まことに主はこう仰せられる。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。」イザヤ書56:3-5

+++

今から60数年前、長崎原爆の跡地に暮らしていた青年がいました。彼の名は、今橋淳(いまはし・あつし)と言います。彼は、原爆症が原因で脊椎カリエスに侵され、寝たきりになりました。睾丸もカリエスに侵され、摘出したと言います。やがて全身がカリエスに侵され、死んでいく。当時最新の医学も彼を助けることはできませんでした。

私の父は、今橋青年と親しく、彼は私の父を兄と慕ってくれていましたが、友情も彼を救うことはできません。二人ともキリスト教会の信者でしたが、キリストとの生ける出会いを経験したことがなく、教理を頭で信じようとするだけの苦しい信仰だったと言います。

そんな時、長崎に聖霊の器であった手島郁郎という伝道者がやってくることになりました。父は、現代における聖霊の働きということを真っ向から否定するクリスチャンで、手島先生の集会にも参加しませんでした。ただ、手島先生の集会に集う友人から、誰か病人はいないかと尋ねられ、「淳ちゃんがいる」と、今橋青年を紹介したとのことです。

手島先生は、今橋青年を長崎大学病院に訪ね、彼のために祈り、そして、自ら祈るように強く迫られましたが、彼は、祈ることができない自分の現状をさらに強く訴えたそうです。

手島先生は、彼のためにご自分の第一の弟子であった桜井信市という青年伝道者を長崎に遣わします。そして、桜井先生が今橋青年の上に手を置いて祈った時、彼は全身が雷で打たれたような衝撃を受けたと言います。生けるキリストの御霊が注がれ、その場で癒され、彼は立ち上がりました。6年以上立つことができず、寝たきりだった彼が立ち上がり、松葉杖を川に投げ捨て、キリスト伝道者として大きな働きをするようになったのです。(以上の内容は、今橋淳著『回心録』(教文館)に詳述されています。)

父は、弟のように可愛がっていた今橋青年が立ち上がったのを見、やがて、自分も手島先生の集会に集うようになり、生けるキリストと出会い、伝道者として立てられていきます。

父がいなければ、今橋先生はキリストと出会うことはなく、絶望の中に死んでいった筈です。また、今橋先生がカリエスで苦しみ、そしてキリストの御霊によって立ち上がらなければ、父もキリストと出会うことはなかったのです。二人は、このような深いいのちの絆で結ばれていました。

その後、今橋先生は、そのキリスト教グループの中の不幸な出来事のため、そこを出て、独立伝道者となりました。そして、多くの著作を残し、キリストが今も生きていることを証し続けました。しかし、独立伝道のゆえの孤独は避けられず、非常に苦労なさったと聞いています。

父もまた、手島郁郎先生召天後、異教化して行ったそのグループの伝道者を辞した後、数年で脱会し、今は福音放送ライフラインでおなじみの関根弘興先生の城山キリスト教会の会員となっています。

若いときは強く結びついていた二人ですが、不幸な出来事によって引き裂かれ、数十年間別々の道を歩くことになりました。会ったり、電話で話すこともほとんどなく、互いに自分が書いたものを郵便で交換するだけだったようです。

ところが、今から、1ヶ月半ほどまえ、手島郁郎先生の息子の手島佑郎先生(ヘブライ文学博士、30数年前に同グループを脱会)から私のところに電話がありました。今橋先生が、腸閉塞から肺炎を併発して手術を受けたが、瀕死の状態で、意識も混濁している。何度も見舞いに行き、意識は回復してきている。賛美を共に小声で少し歌えるところまで回復したと。

私は、今橋先生には一度もお会いしたことはありませんでしたが、翌日東京医療センターに今橋先生を訪ねました。

私が「今橋淳先生」と声をかけると、「義行さん?」(私の父の名)とお尋ねになりました。私が若いときの父に似ているからでしょう。「岩本義行の息子の岩本遠億です。先生が、若いとき、カリエスで苦しんで下さり、キリストにあって立ち上がって下さったから、父はキリストに出会い、私は生まれました。苦しんで下さったこと、キリストにあって立ち上がって下さったことを、心から感謝します。私も人生の苦しみの中で生けるキリストに出会い、キリスト伝道者として生きています。」

先生は、瀕死の状態でありながら、私を抱き寄せ、頬ずりし、口づけして、喜んでくださいました。私は、今橋先生が天に召される時が近いことを直感し、すぐに父を連れて来なければならないと思いました。

父は、今、昼間はベッドの中で過ごし、外出は車椅子でしかできません。翌週、私は父を千葉から小田原に迎えに行き、車椅子を車に積んで、今橋先生のところに連れて行きました。今橋先生は驚くほど、元気になっておられました。手島佑郎先生が週に何度も足を運び、祈り続けられたからです。私は、今橋先生が間もなく天に召されると直感したことは間違っていたかと思いました。

二人は手を握り合い、ずっと見つめ合っていました。そして、父が車椅子から立ち上がって、今橋先生と抱擁し、語り合っています。「もう来なくて良いな。」「うん。もう来なくて良い。」今生の別れを確認しているのです。

父が賛美を歌おうと言うと、今橋先生は、讃美歌87番を歌えとおっしゃいます。同室の方々に迷惑がかかるので、私はひやひやしましたが、二人が歌い始めるので仕方がありません。「恵みの光は、我が行き悩む、闇路を照らせり。神は愛なり。」今橋先生は手を振って歌っておられます。

そして、歌い終わると、「静けき河の岸辺を」を歌えとおっしゃる。そして、「大空は巻き去られて、地は崩るる時、罪の子らは騒ぐとも、神にある御民は、こころ安し、神によりて安し」と歌い終わった時、今橋先生は、両手を挙げて、「主様!」と大声で叫ばれました。

死の床にある今橋先生が、ひとたび聖霊に触れられると、自分の全ての力をふりしぼって主の御名を呼び、大声で主を告白し、ご自分をもう一度主に捧げられたのです。

全身をカリエスに侵され、死の床にあった者が、キリストの御霊を注がれて立ち上がった、その霊の実存が今もここにある。私はそれに触れ、胸を貫かれました。

私は二度しかお会いしたことがありませんでした。しかし、この出会いはあまりにも強烈でした。二度目にお会いした時、何度も「遠億さん、遠億さん」と呼びかけ、抱きしめてくださいました。私が独立伝道者として生きていることを自分のことのように喜んでくださったのです。

今橋先生は、その後も、見舞いにくる人々の手を強く握り、いのちの炎を強く燃やされたとのことです。そして、3日前の9月14日夜天に召されました。父と再会して27日目でした。

聖書は言います。「宦官も言ってはならない。『ああ、私は枯れ木だ』と。まことに主はこう仰せられる。『わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶ事を選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。』」

人の目には枯れ木にしか見えなかった今橋先生にいのちを注がれた神様がいました。今橋先生は、聖霊を注がれ、癒され、立ち上がり、キリストの僕として、多くの人たちに生けるキリストのいのちを伝えました。

また、今橋先生は子供の産めない体にはなりましたが、養子を与えられました。そして、その子は、今、社会と人を援助し、経済を動かす、私心のない素晴らしい働きをしています。立派な人に育て上げたのです。

「わたしの家、わたしの城壁のうちで、息子、娘たちにもまさる分け前と名を与え、絶えることのない永遠の名を与える」との主の言葉は、今橋先生の上に実現しました。

これは、現代における生けるキリストの御業です。キリストは今も生きて働いておられるのです。キリストの御霊に満たされ、立ち上がった者たちが、その恩恵に応え、自らもその身をキリストと人のために捧げていく。ここにキリストの歴史が綴られていくのです。キリストは、このことを今橋先生の生涯をとおして証しされました。

残されたご家族、ご親族の皆様にキリストの慰めと平和がありますよう、心から祈ります。

岩本遠億

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

元気の出る聖書の言葉 更新情報

元気の出る聖書の言葉のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング