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元気の出る聖書の言葉コミュのヨハネの手紙第一第4章

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愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。ヨハネの手紙第一4:7-11

+++

「独り子」という言葉は、「自分自身」という言葉を比喩的に言い換えたものです。神様ご自身が、この世にやって来られたのです。

それは、ご自分を愛さない人間を愛するためでした。神の愛とは何かを行動をもって顕わすためでした。

全ての人に見捨てられ、殺され、否定されても、なお愛し続け、いのちを流し続ける愛、その愛によって、私たちの罪は赦されたのです。

私たちが神様を愛したのではありませんでした。神様が私たちを愛してくださり、私たちのためにいのちを捨て、神であることをお捨てになったのです。

神が神であることを捨てても成し遂げようとなさったこと、それは、この私の、そしてあなたの罪を永遠に取り消すということでした。それが神様の最優先事項であったのです。

私にはそれほどの価値があったのでしょうか。


神様は、私たちにお語りになっています。「わたしのこの愛を受けなさい。そして、この愛で互いに愛し合いなさい。」



イエス様。私は愛のない者、愛を知らない者でした。自己愛の延長でしかない自分の思いを愛と勘違いし、高慢に膨れ上がっていたのがこの私です。

しかし、あなたは、こんな者のためにご自身をお捨てになりました。そこまでして、あなたは私たちの罪を贖い、私たちを永遠に救ってくださいました。

神が神であることを捨てるとは一体どういうことだったのでしょうか。私には、あなたの愛の大きさがまだ良く分かりません。あなたとお会いする時には、全てが分かるでしょうか。その時にも分からないかもしれません。

ただ、あなたが毎日こんな者を招き、呼び寄せ、抱きしめてくださる。そのことは良く分かります。

あなたが愛してくださったように、私も隣人を、友を愛する者となることができますように。

感謝して、尊いイエス様の御名によって祈ります。アーメン。

岩本遠億

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