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ライアル・ワトソン ファンCLUBコミュのネオフィリア

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ネオフィリア新しいもの好きの生態学 Neophilia 1988年(訳:内田美恵1988年)筑摩書房
を語りましょう!
帯より:これが、ヒトの進化の源だ!なぜヒトだけが進化を遂げたのか?人間の環境、機能、行動と多面的に分析し、何ものかによって生かされている”人間存在”を浮かび上がらせる、極めて刺激的な”ライフサイエンス・ファンタジー”

まだ読んで無い人も下記を読めば仲間入り。
エッセンス:http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/mixiwatson/Neo.htm
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はじめに
 ライオンとトラにはきわめて大きな違いがある。 身体的にはほとんど差はないし、皮を剥いでしまえば、解剖学の専門家でしか見分けられないだろう。ところが、彼らの、生きている時の彼らは天と地ほどの差があるのだ。

 ライオンは生まれつきの怠け者。食料さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単にうけいれ、木陰なんぞにこれぞ幸いとばかりに、いくらでもうたた寝にふける。 トラはそういかない。彼らはもとめるのもが遥かに多いのだ。どんなにたらふく食べようと、長時間くつろげない。すぐに退屈してウロウロしたがる。

 ライオンとトラのように精神面で動物は大きく2種類に分けられる。 

 ライオン(他に蛇、鷲)のようなスペシャリスト・タイプは人間に飼育されるのに難なく適応してしまう。こいつらを喜ばしておくのはわけはない。好物の餌と適温なな寝場所さえ与えてあげれば永遠に満足している。そしてこっちの分類にはいる動物が全体のほとんどを占める。

 少数派のトラ(他に狼と一部の猿)のような機会を俊敏にとらえるオポチュニスト・タイプは気むずかしいうえにむら気で、時にはノイローゼにかかってしまう。

 さて、ヒトはどちらにはいるだろうか?トラ・タイプに入る。 ヒトはチャレンジを好み、進んで新しいもの、違うものを求める。無理したり、背伸びをするのが大好きだ。刺激を求めてあえて我が身を危険にさらす。一言でいうと”ネオフェリック”つまり「新しいもの好き」なのだ。

 「新しいもの嫌い」”ネオフォビック”な連中は専門的才能を発揮するのが得意で、例えば、アリクイはアリを食べるためにあの長い口を進化させた。それはそれで結構だ、アリが存在するうちは・・・・・。だが、ひとたび食料事情に変化がおこるとアリクイは即、アリとともに古代の化石と化す。専門能力の発揮できないスペシャリストに未来はないというわけだ。

 これに対してネオフェリック・タイプは徹底した非スペシャリスト指向である。飽くことなく、探求を続け、環境のなかで自分に有利になるものはないかと気を配っている。絶えずあくせく動き回り、何が起ころうと時に応じて自分を変えていく。

 つまりこれが、ヒトの進化の秘訣なのである。われわれこそ、究極のオポチュニストなのだ。動物学的にはとりたてて得意とする長所は一つもないが、たいがいのことはひととうりこなせる。欲望は肉体の限界を越えてさまよう。これが、肉体、脳に進化をもたらしたのだ。

 時には刺激の最後の一滴まで絞りだそうと行きすぎたむさぼりかたもするが、(スピード狂やSM趣味、宗教的ストレス)差引勘定するとやはり人間の進化にとってプラスのようだ。

*宇宙のためいき
宇宙創世のビックバンの大爆音はいまだに余韻を残している。 宇宙の全ての空間で均一にこの残響音が聞こえるが、わずかに水瓶付近で音のレベルが下がっており、反対方向の獅子座付近でレベルが上がっている。つまりわれわれの銀河は獅子座のほうへ移動している。

*ガイアが生まれた日
 地球は宇宙のあらゆる法則の例外的惑星 熱力学の法則にしたがえば、地球はとっくに平衡状態に達しているべき地球ほど古ければ表面は高濃度の塩水におおわれ、2酸化炭素が大部分を占め、沸騰点に近い温度の世界になっていて当然。とっくに生命は絶滅していてもおかしくない酸素と窒素の爆発性のふたつの気体が結合もせず、バランスをたもっている。

 この疑問に答える科学はまだないが、ジェームズ・ラブロックという科学者が「GAIA仮説」という著書のなかで、こう提言している。

 「地球環境は生命によってそのバランスをコントロールされ維持されている。」つまりこの地球上の微生物から植物、高等生命体にいたるまで、ありとあらゆ生命が、いちがんとなって、生命の誕生した瞬間の地球環境の保つために働いているというのだ。

*秩序と無秩序
 宇宙は混沌が支配しているように見える。 無秩序はわれわれ宇宙の法則、物質が完全にランダムに分布している状態こそ究極の姿であり、自然な姿である。秩序はどんなものであれ不自然なのであって、偶然にしか生まれない。しかし偶然(CHANCE)とまぐれ(ACCIDENT)は重要は違いがある。
 偶然はそれを受けいれるマインドがあるひとにのみ発見され、まぐれは平等にあらわれるということだ。
*存在と意識
 水を発見したのは誰だろうか?少なくとも魚ではないようだ。あまり近くにあったそのにひたってしまうとかえって発見できなくなる。その対象の外にいてはじめて感じたり、見たりすることができる。
 しかし、人間の脳には特殊な能力があり、その中にひたっていてもそれを発見することができる。主観と客観を区別して、他人の立場に立って「自分にむけた行動」がとれ、自己を認識する。その鍵となるのは意識だ。猿の時代の集団生活の結果から始まったのだとおもうが、人間は他人や自分の心を読み取れる、第三の目をもっている。これがないと集団の強調ができない。これが人類にとっての分岐点になったのだとおもう。
 進化とは、道具を作ったり、槍を投げたり、火を使うことだと思っていたが、まったく無関係で精神の問題だと断言できる。
 しかし、われわれのこの能力は完璧とはいえないようで、時には戦争のするが・・・
*人間の食料  
弱肉強食とよくいう。しかしこれは、一対一で戦った場合だ。 普通、動物は自分より弱い飽いてを殺して食べるができる。しかし、集団で狩を行うことを知ってる動物は、自分より強いあいてを倒せる知恵ももっている。
 そして人間だけが武器をつかう。しかし武器の作成が進化でなない。たとえば槍は人間は創造したものではなく、トラの牙の役割をまねしただけだ。しかし、まねしようとした意識をもったことが進化なのだ。
*性の難点
 生命にセックスは必要だろうか? 生命のうちセックスがあるのは半分以下だ。性が存在しなくても繁殖は完璧に遂行できる。事実、多くの意味で無性生殖の方ががはるかに効率がいい。なにせ相手にめぐりあわないリスクそのものがないのだから。
 高校の時にアオミドロの実験をしたことがあるがろうか? アオミドロはナイフで半分に切っただけで、何の支障もなく繁殖していく。1匹は2匹、2匹が4匹といったぐあいだ。
 タンポポには雄しべも雌しべもない。一本の全能の性をもっていて、昆虫の助けをかりなくても、完璧な種を風に運ばせて、世界中で成功をおさめている。 君はすこし驚くかもしれないが、これと同じことをやってるやつが、昆虫にも魚にも、両性類にも、爬虫類にもいるのだ。
 モーリーという魚は水槽のなかに一匹がけでどんどん繁殖するし、トラサンショウウオの単性、雄の絶滅したあるトカゲは雌だけで繁殖することを学んだ。
 大型の生物ほど進化がのろい。これと同じ曲線で大型の生命ほど、性が分かれている。有性生殖の際立った利点は、それによって多様性がもたらされることだ。遺伝子をすこしばかり混ぜ合わせるのである。無性生殖の個体郡のほうが殖えるのははるかに早いが、有性生殖は柔軟性という恩恵があたえられる。子供一人一人に微妙な差があるため、環境が厳しい挑戦をしてきても、誰かが対応できる可能性が高まる。
 性があるからこそ、時間も進化も加速する。さもなくば寄生生物や病原菌に負けて絶滅するだろう。人間のような大型の生命が今なお絶滅しないでいるのは、ただただセックスのおかげだという。
 こう考えるとセックスはただの防衛機構の一手段になってしまう。個体を守るのに、DNAが一組より二組のほうが有利といっただけである。その他の事は、−−−例えば、蝶の美しい羽や女性の美しい顔すら、セックスする為の広告塔にすぎなくなる。
 しかし逆に考えると、美しさをもとめる限り進化はあるともいえる。
 しかし、人間になるとセックスにもう一つの意味を持つ。 人間は生来セックスが好きなのだ。ちょっと誤解をうけるようだが、あの時の快楽を求めてというのではない。社交好きな人間にもっとも興味をいだかせるコミュニケーション手段だからだ。
*知覚の窓
われわれの惑星地球は、様々は衝撃にさらされている。 毎日、毎秒、無数の衝撃が、刺激や情報という桁地で、なだれを打ってわれわれに降り注いでいる。
 その内容は多種多様だ。発生源が今なお、不明はミクロの宇宙線から、われわれの体を貫通する波長の短いX線、あらゆる類の情報をはこぶ放送局の電波 こうした、情報の洪水に押し流されないように、僕らは限られた知覚しか持ち合わせてない。いわゆる五感だ。五感という狭い窓をとうして外界と接しているのである。
 そしてもうひとつ「センス・コントローラー」がある。それは脳だ。例えば、最初はうるさくてしょうがない大きな柱時計の時を刻む音もなれてくると聞こえなくなる。電車のなかで会話することも、はじめて電車の音にふれたブッシュマンには不可能だという。
 ある人が脳を「減少フィルター」といっている。つまり五感ですでに制限されている情報をさらに古いにかけて減少させる役割しか脳にはないという。 僕はそうは思わない!例えば、音楽を聞いる時、耳で聞いたとうりではなく、全く新たな音を自分でつけ加えて聴くこともできる。つまり減少ではなく増幅することもできるからだ。
 たんなる情報を意味のある「感覚」にするのは、意識が必要なのだ。自然そのものには色彩もなく音も、香りも、美しさもない。感覚が受けとめるまでそれは無意味なのである。自然や情報のなかにひそむ美しさを引き出すのはまさしくわれわれ自身なのだ。
*見ることの真実
 われわれは目のものを見ているのではない。 脳で見ているのである。「心の目」といってもいいだろう。よく「見れば納得する」「好この目でみるまではとても信じなかっただろう」などどいう。しかし、視覚の謎が、解けるときこういう言い方をするだろう「本当だと信じてなかったら、とても見えなかっただろう」−と。
 おもいしろい逸話がある。かのダーウィンがホーン岬に姿を現したとき、原住民がなかなか反応をしなかった。まるで目に入らないようなふるまいしかしないのだ。原住民の一人を船につれてきてさわらせて、彼を陸に戻し、皆に知らせたとき、原住民達の目にいっせい船が見えるようになった。船が創造を絶する大きさなので、見えなかったというのだ。
 われわれの頭脳コンピューターは事物を将来われわれにとって意味をなすようプログラムわれる。これは純粋に過去の経験げけに基礎にして行われる。
 生まれつき手足が欠損している子どもは視覚的奥行きをつかむのに苦労する。つまりわれわれはそれぞれ別個の現実像を受け入れ、当然ながら違った種類の結論に達しているのだ。
 われわれの世界は、恐ろしいほど、視覚にたよりすぎるようになった。
 たよりすぎた結果、電話をするときですら、笑顔をうかべたり、不機嫌な顔になる。しまいには、眼鏡をしないと、電話できなくなるのだろう。
 自分の人生ですらページに書かれた言葉ののように人生を上から下へ、あるいは左から右へ文字のように読みとっていく。
 そういった世界しか知覚できない人間になったとき、かく絵は心で感じる物ではなく、実際に見える物を描くことしかできなくない、音楽は抑揚がなく、叙述的で、表現に乏しいものになる。音楽を楽しむ時でさえ、目の音符を追うことになう。サイトよりインサイトを充実させることが今重要なのだ。
*耳寄りな話
 耳はもともと聴くため作られてない。 魚や亀は耳なしでもなに不自由なく暮らしている。もともとは平衡感覚のつかむために発達したのだ。進化の最後に、半ば後からの思いつきのように、鳥類や哺乳類の段階になって、初期のこうして器官に中耳と外字構造が加わり、外界の多様な音に反応することを身につけた。
 しかし、いまだに単純な鼓膜で音の3要素(高さ、大きさ、音色)の微妙な違いが区別できるか、どんな高度な理論も説明できないでいる。
 音のやはり耳で聴いてない、脳で聴いているようだ。もう一つ面白いのは耳は音をうけているのではなく、発しているといること。
 静かな田舎に行くと耳なりのような甲高い音が聞こえるだろ?あれはそら耳でもなんでもない。僕らの耳が音を発しているのだよ!参照波を送り出し、入ってくる音と相互作用させ、音響的なホログラムを創り出している。単純に外界の音んを聴くのではなく、われわれの内部で再構成されたパターンを聴くのである。
 もう一つ目に見えないものは聞こえにくい。
*音をめぐって
 ヘルハウスという映画をみたことあるかい? あそこまで行かなくてもある部屋に入ると必ず嘔吐感に悩まされた人がいる。原因をよく調べたら、外の空調の振動が壁に伝わり、人に耳には聞こえないが、7ヘルツで(人に耳は20〜2万ヘルツまで)振動していたからだった。
 さて、これを発見した彼は7ヘルツの大音響を発する巨大な笛を作った。しかし、この実験にたずさわった人間は即死した。
 音は人を殺せるしものも壊せるのだ。もし自然界に7ヘルツが用意に存在し雷のようにみんなの頭から降り注いだらどうなるのだろう?恐ろしいことだ。 
 だが昔はあったかもしれない。ストーンヘイジにあるような環状列石にはこの音を打ち消す力がある。もしかしたら古代の音の核シェルターだったかもしれない。少々神秘じみた話になってしまったが、ぼくが言いたいのは、古代人の知恵、とくに自然に摂理に関するのもは馬鹿にしないほうがいいということだ。
 ネオフェリアも時には臆面もない古いもの好きであっったほうが得策なのだ。
*この馨しきもの
我々は嗅覚を犠牲にして知性を発達させたらしい。 原始的な猿ほど目は左右の側面にある。それが人間においてはほどんど正面に移動している。枝から枝へ移動するのに便利だとしてじょじょに移動してきたのだろうが、2つの視界が重ならないと距離が量れないのだ。ところがこの新しい位置関係で顔は平になり鼻は短くなり、嗅覚は退化した。嗅覚を支配していた脳も退化し、発達し始めた知性が、そこで発達した。つまり嗅覚の脳が退化し、空き領域ができて、はじめてが知性の発達することができたのだ。
 犬は嗅覚が人より100万倍するどい。ではその分知性は100万倍劣るのか?そんなことはないだろう。犬が引っ越した主人を慕って何万キロも旅してやってくる話なんてのもあう。100万倍知性がおとる動物には思えない。(知性は測定できないが)ただ、なにかの機能を100万分の1まで落としてまで知性の発達はペイするとDNAは計算したようだ。 
*方向感覚
 バクテリアでさえ自分進む方向性を知っている。 ある種の棒状のバクテリアは顕微鏡のなかで、何の指示のしないのにそれぞれ平衡にならび、正確に北をさす。鳩や回遊魚の脳には天然の磁石がついている。鉄分を蓄積するフェリチンが豊富なのだ。そして人間にも並はずれた鉄分をもった部分がある。
 キャプテン・クックが太平洋上で航路を迷ったときポリネシアの祭司に自分の島の方向を示させ、行く先を決定したという。人も昔は鳩のように正確に地球の磁場を捕らえる能力があっらようだ。しかし、今や人工の電波の海にどっぷりつかってしまった、この微妙な磁場は感じられなくなった。まるで電子のスモッグだ。
 鳥の方向感覚をダメにするのは簡単だ。成長期に不自然な磁界におくと鳥の感覚は一生狂わされてしまう。伝書鳩に強力な磁石のヘルメットをかぶせるとまったく役にたたなくなる。
 人間の知性にも方向性は必要だどんな優れた知性も方向性をなくしてはやくに立たない。
*火に憑かれて
 火を魅力的に感じるのは人間ぐらいのものだろう。 人間の古代からの業績で大いなる飛躍が3つある、言語の発達、作物の栽培、そして火の支配である。人間の精神がいかに洗練されようとも、子どもの心は、マッチのちょっとした、魔術で活き活きと輝く。大人の疲れきった想像力でさえ、焚火や暖炉の炎の表情に見とれる。
 他の全ての動物が恐れる火をなぜ人間だけが、手中におさめたのか?たぶん最初から火の効能を想像していたわけではないだろう。はじめは単に美しいから落雷の残り火などを洞窟に持ち帰ったのだろう。そのうち暖かいことに気づき、全てを焼き尽くす力に気づいたのだろう。
 いまや太陽よりも強力な火を作り出せるようになっても、ロウソクの炎に我々の心は奪われる。火にはどこか神聖なところがあるからだ。
*エクスタシーへの道
 カマキリが祈りたくなるのも無理はない。 なんせ雄カマキリは初夜明けに雌の朝食になるかもしれないのだ。カマキリくらいになると、本能と理性がわかれているらしくて、交尾したいが、食われたくないという恐怖にも憑かれる。そこで、雄から恐怖を感じる部分を取り除くと、まっすぐに交尾に走る。どうやって取り除くのか?なんと雌が雄をとっつかまえてその脳の部分だけ食べてしまうのだ!そのあとSEXのことしか考えられなくなった雄とゆっくりヤリまくる。そして体力を消耗した雄を簡単に捕らえ最後に全部食べてしまう。雌は元気になり、卵を生むというわけだ。そういえば子供の頃頭に穴のあいたカマキリや頭の食べてるところを見た事がある。
 人間にも似たようなジレンマがある。性衝動に限らず、(僕の頭に穴はないが!)生活のほとんどあらゆる側面にいえる。
 実際僕らは自分をどこまで意識して使えるのだろうか? 考えながら、消化の働きを指図し、瞳孔を開いたり、絞ったり、気温に応じて汗をかき、.....こんなことをいちいち考えていたら、ほかのことを考える時間がなくなってしまう。そこで、これらのことは、「自動モード」に任せた。自立神経だ。インドの極一部の聖者をのぞいて自立神経はコントロールできない。しかし中枢神経と自立神経を独立させたことによってがカマキリ型の窮地に立たされる事にもなった。
生命の季節

 プランクトンの大発生、鮭、野ネズミの大発生に共通するものは何か? 
 答−どれもきっちり4年周期でやってくる。
 太陽の黒点の周期だ 僕らのまわりにはいろいろな宇宙のリズムがある。意識はしてないが、われわれは一人残らず、宇宙が幾百万もの針をもつ、複雑きわまる時計と思えるほどのパターンに取り囲まれている。
 月の周期に、地球の夜と昼の周期、季節には春夏秋冬がめぐり、磁場すらリズムを打っている。
 僕らの体の血圧から、体温、ヘモグロピンにいたるまで24時間周期でピークをむかえ産気づいたり、心臓発作は早朝に集中する満月の夜には理性がうすれ喧嘩や事故が多い。女性は生理を迎える。
 およそ生命の活動はその誕生から死にいたるまで、知性から、体調、性に至るまで自然のリズムに支配されている。
顔がものをいう
 赤ん坊に向かって舌をつきだしてごらん。 ためらわずやってみることだ!結果はびっくり、具合は悪かったり、他のことに気がとられてない限り、舌を出し返してくる。近ごろの赤ん坊が生意気になったわけはない赤ん坊は昔からこうなのだ。 表情はコミュニケーションの重要な機能だ。
 人の表情は生まれつきセットされてるようで、生まれつき目の見えない人でも素晴らしい笑顔を浮かべることはできる。
 逆にこれを切り放すことは不可能に近い。電話をしてるときすら、驚きの表情をしたり、しかめっつらをしたり、古代からの信号を使わずにはいられないのだ。 
 猿にも表情はある。しかしうその表情はつけない人間だけがうそをつけるのだ。
*言葉の通ってきた道
 生まれたばかりの赤ん坊は口で呼吸すらできない。当然言葉もしゃべれない。3ヶ月頃になると顎が前方にせり出し、喉頭が下がり、神経は再プログラムされる。この移行期は赤ん坊にとって危険きわまりない時期で、ちょうど原因不明の突然死がおこるピークと一致する。この時期を過ぎると自らの選択で鼻あるいは口で呼吸ができるようになる。そして言葉が発せるようになれる。「第一言語」の誕生だ。しかしこの代償も払っている、さっきの突然死のほかに、人間だけが、自分の嘔吐物に溺れて死ぬという屈辱をもった。
 さて、「むにゃ、むにゃ」程度にしゃべれるようになった赤ん坊は6ヶ月から1年のあいだのある時期に突然片言すら発しなくなる。そしてあるとき突然話す事がなんなのかやっと合点がいったとばかりに、大人のまねをしたりまたしゃべりはじめる「第2言語」の時期に入ったのである。
*仲間意識の中身
 生化学者に他人のために死ねるかときいたらきっとこんな答がかえって来るだろう。「兄弟3人もしくは従兄弟9人の為なら死ねる」と 計算はいたって簡単だ。兄弟は自分をおなじDNAを半分もっている、従兄弟は8分の1だ。だから自分が死んでも遺伝子てきにはペイするのだ。
 われわれの体のなかにプラスミドというDNAがいる。たった2つの遺伝子しか持ち合わせてないが一つはもっぱら毒を生産し、もう一方は解毒剤を専門に作っている矛盾にみちた細胞だ。
 生命はときには細胞を自ら殺す時がある。排卵がいい例だが、タコなど死ぬための遺伝子まで用意しているくらいだ。産卵したあと、子供を自分が食べてしまわないように、一切ものを食べられなくなってしまう。やがて子供が成長すると餓死してしまう。
 こうしたものは母と子にしか、みられれないのだろうか? 人間の脳が爆発的に進化したのは社会的混成集団で育ったからだった。ならば、親子以上に人間らしい他人との関わりをもてても当然だろう。現代文明が生き残る」為には我々がまが使いこなしてない、もしくは忘れてしまった無私無欲な心の資源を開発することが求められている。

コメント(1)

本当に丁寧にたくさん解説してくれてありがとう。
久々に内容を思い出しました。
この本も他の本も本棚の目に付くところにあるのですが、表紙を見るだけで安心して、ついぞ開いたことがありませんでした。
数年ぶりにまた読み返してみます。
っていうか、解説読んだらまた読みたくなったし。

読み終わったらまた来ます。

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