小説・設定等コミュの(小説)Pockets.

大佐が苦手系のラノベ風味で。

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「バイバーイ！」
「また明日～。」
　いつも一緒に帰っている友達と別れて、自宅へ向かう。
　あたしは真面目だから、寄り道しないでまっすぐ帰るの。
　ってゆーか、あたしたち帰宅部なのね。ついでに、みんな揃って彼氏もいない。

　ああ、なんだか、ちょっと寂しいような気がするー。
　でも、中学生だからいいのか別に。
　焦ることも無いのよね。
　今を楽しく！！
　これだね。
　でも受験生なんだよなぁ～。
　あ～鬱。

　なんて、もやもや考えてるうちに自宅。
　いや、もう少し考える時間欲しいよ。てゆーか、そんな妄想、自分の部屋で続きやったらいいじゃん？
「ただいまー。」
　ん？　……見慣れない、きったない靴が玄関にー。
　兄貴の友達でも来てるんかな？
　階段を上がって、自分の部屋に入る。

「……やあお帰り。」

　なんだか、家族ではない、それでも聞き覚えのある声。
　ちょっと混乱して、声の主の正体がわかって……あれ？　なんで、突然あたしの部屋にコイツがいるわけぇ？
　あ、コイツっていうのは、腐れ縁というか幼なじみというかなんと言うか、小学校まで一緒だった……あの汚い靴って、もしかしてあんたのだったんかい？
「って、あんた何勝手にあたしのゲーム進めてんのよこのバカッ！」
　って言った直後だった。
「あっ死んだ……」
　二人の声がシンクロした。

「ひ、ひひ久しぶり。」
　コントローラを持って固まったまま、詰め襟の学生服が振り向かずに言う。画面には、ゲームオーバーの文字。
　あー、このクエスト、また最初っからだわさ……。
「中学に上がってから顔も見せなくなって……今ごろ何しに来たのよ。ゲーム、結構苦労してたのにー。」
　ぶすっとしながら、背中に向かって言う。
　するとその背中はゆっくりと、ぎこちなくあたしの方に向き直った。
　そいつは、小学生の頃は掛けていなかった眼鏡を掛けていて、一見すると「ハカセ君」とかあだ名を付けられてクラス委員の書記とか、微妙なポジションにさせられていそうな顔になっていた。
　もちろん、当時の面影は残っているが……あたしは、言葉を失った。今は中学３年だから……別々の中学に上がってから、二年とちょっとの間会ってないことになるのね。
　ああ、時間とは、なんて残酷なんだろう。
　でも、ソイツもあたしの顔を見て、かなり面食らってるからおあいこね。
　って、顔赤くしちゃって、ちょっとかわいいトコあんじゃん。
「ね～え～。今日は何しに来たのかなぁ？」
　ちょっと悪戯っぽく迫ってみる。ちょうど目の前に、あいつの眼鏡がある。悪戯心が湧いて、ひょいっと眼鏡を取り上げてやった。あいつの手が、一瞬宙を泳ぐ。
「あっ……」
　ちょ……待て。ちょっと前言撤回。こいつはスーパーマンか。なによ、眼鏡の下は結構カッコ良くなっちゃってるじゃないのよーばか。
「……で、今頃何の用なの？」
　動揺を悟られないよう、平静を装いつつ、眼鏡を返しながら聞く。
　そこに、お母さんが紅茶を運んできてくれた。ナイスタイミングっ！
「あ、おかまいなく。」
　眼鏡を直しながら、卒の無いセリフ。あれ？　こんな行儀が良い奴だったっけ？
　うーん、やっぱり二年の年月は大きかったのだな。所作にガキっぽさが感じられない。
「久しぶりなんだから、ゆっくりしていってちょうだいね。」
　そう言いながら、お母さんは部屋を出て行った。

　私達二人の間には、突然砂漠の真ん中に取り残されたような、気まずいような、やるせないような空気が流れた。
　でも、あたしにとっては体勢を立て直す良い機会になった。
「……で、何の用で来たの？」
　とりあえず、再度聞いてみる。
　素顔を見てしまったショックもあり、さっきよりもトーンは一段落ちている。
　彼は、ヒジョーに気まずそうに、もじもじしている。眼鏡の下の顔を見た後だから、その仕草がちょっと滑稽に見えちゃう。でも、一体何なのよー？
「もーうー。そういうところってなんも変わってないのね。サクッと言って、サクッと楽になっちゃいなさいよー。」
　ちょっとむっとしながら、言う。
「い……言って簡単に楽になるようなことなら、もうとっくに言ってるよ……」
　恥かしそうに、窓の外にちらりちらりと視線を遣りながら、ぼそぼそと答える。
　そうそう、彼は、言いにくいことがあるといつもこんなだった。
「……もうー、言ってみなさいよ。どうせ言うんでしょ？　よっぽどのことじゃない限り怒らないから。……多分。」
　最後の「多分」は、心の中で言ったセリフ。
「それがそのー……」
　彼のぼそぼそが加速する。
「あたしに何か言うために来たんでないの？」
　なんだか今日の用件は、よっぽど気まずいらしい。とりあえず、ハッパを掛ける。
「じゃ、じゃあ、言うよ……」
「うん。」
　あたしは、身を乗り出した。
　彼は、大きく深呼吸すると真顔になって言った。

「俺の彼女になってくれ。」

　あたしの周りだけ時間が停止したような、頭を何かで強打されたような、おかしな衝撃が走った。
　ナンパされかけたことはあるけど、今までそういう事を直接言われたことが無かったので、頭の中が真っ白になってしまった。
「……ほ、ほえ？」
　で、いきなり間抜け全開。意識が半分、アッチの世界に行っている。

「い、いやっ、そのっ、一日だけで良いんだ。次の土曜だけでも……」
　顔を赤らめながら、慌てて言い直す。
　そのセリフで、なんとかこの世に戻ってくることができた。
　するってーとあたしは、一日だけの『インスタント彼女』って訳かい？
「な、なにそれー？！」
　ちょっとムッとした。
　『彼女』と『彼女のふり』じゃ、ちょっと落差が大きすぎでないかい？　どっちにしろ、最初から彼女になる気なんて無いけどさ。
「あっ、その……」
　さすがに、まずいと思ったのだろう。額に汗しながら、何か言って取り繕おうとしているのが見て取れる。
「どういうことか、言ってみなさいよ。」
　あたしの言葉の端に、ちょっと棘が付く。
「……じ、実は、同じクラスのヤツと、彼女がいるいないの話になって、つい『いる』って言っちゃったんだよぅ。したら、そいつがどうしても『会わせろ』って言い出しちゃって……。で、どうにも引っ込……」
「あーもう、うじうじとうざったいわね。わかったわよ。次の土曜は暇だから、幼馴染のよしみで『ふり』に付き合ったげる。一日だけよ。いいわね？！　次の土曜の午前九時に、ここに迎えに来て頂戴。」
　ちょっと気に障ったけど、別に一日でどうなるって訳でも無いし。
　とりあえず、次の土曜は罰としておごらせまくってやる。ふふふ。

★

　そして、約束の日。
　あいつは、時間に遅れずにやってきた。
　呼び鈴が鳴ったので、準備万端で表に出た。しかし……その服装のセンスを見て、あたしはかなりクラッと来た。
　くたくたで薄汚れた白いスニーカーに膝が破けたジーンズと、これまたワンポイントが付いているだけの、くたくたで大柄のＴシャツ。裾をジーンズに入れていないだけが救い。眼鏡は、この前も掛けていた黒縁の少し大柄なもの。ついでに、頭もボサボサだ。
　おまえは七〇年代のヒッピーか貧乏学生かって格好ー。
「あ……あんたは、何も考えないで来たんかい？！」
　あたしの格好は、少し長めスカートに白いハイソックス、割と最近おろしたスニーカー。そして、上はチェックの半袖で、裾が長めで出すタイプ。そして小さいディパック。
　自分で言うのもなんだけど、結構かわいくてお気に入りの服装なの。
　……ああもうー、顔赤くしたってだめだよー。もーうー。
　あんたは、自分の価値がまるで分かってないっ！！
「ちょっと来なさいよぉー。」
　嫌がるのを無理やり家に連れ込むと、兄貴の部屋に二人で雪崩れ込んだ。
「なっ、どうしたんだおい？！　ってか、それ誰？！」
　さすがに、突然のことでびっくりしている。
　兄貴は、これから寝ようとしているところだったみたい。パソコンの電源を切ったところだった。最近の週末は、徹夜でパソコンに向かっているのが習慣になっているみたいねー。
「アニキィー。コイツの服装、何とかしてやってよぉー。」
　眉をちょっとひそめながら言う。
　兄貴は、まだ驚いた顔のまんま。
「あーそうだ……これならわかる？」
　嫌がるコイツから、眼鏡を剥ぎ取った。するとアニキは、『ぽんっ』と手を叩いた。
「あー、達也君……達ちゃんかー。久し振りだねぇー。これからデェトかい？　そんな格好じゃイカンなぁ。ってゆーか、おまいらがこれからデェトなんかい？　ぷぷ。」
　ってゆーか、ナゼ眼鏡を取っただけで一瞬で識別できるんだアンタは？！
「そそ。事情があって、仕方なく一日だけ彼女になるの。仕方なくよ。時間が無いの。コイツを、一〇分でコーディネートして。眼鏡は無しで、あたしの格好に合うようにねっ。」
　アニキの冷やかしを無視してそう言うと、兄貴の部屋を出て、後手に扉を閉めた。
　少しして、何か楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

　……そして、きっかり一〇分後。
　部屋のドアが音も無く開いて、二人が出てきた。
「おう、出来たぞ。これなら文句も無かろう。」
　達也は、ボサボサの髪がサラサラに、服装もちょっと小奇麗になって出てきた。
　ジーンズは元のままだけど、上着はちょっとワイルドな襟付きの長袖を肘まで捲くり、ウェストポーチを身に付けている。
　これで、大分マシになった。一見すると、二人で申し合わせたような服装だ。
「サンキュ。じゃあ、行って来る。靴も借りるね。」
　そう言うと、アニキの靴を履かせて家から引きずり出し、そのまま、目の前に停車したバスで駅に向かった。駅は割と近いんだけど、時間が勿体無かった。
「いい？　あんたはね、もう少しセンスを磨きなさいよ。」
　車内では、そんな話をくどくどと。
　駅前に到着したら、眼鏡屋で使い捨てコンタクトレンズの試供品を手に入れさせた。
　凄く嫌がっていたけど、無理やりに連れ込んじゃった。

「おお……！　世界が明るい。」
　眼鏡屋に入って約二〇分後、コンタクトレンズを付けた最初の一言目がそれだった。パッと、表情が明るくなった。うわ、なんかヤバいかも。
　どのくらい世界が明るくなったか知らないけど、これで昨日とは別人のように変身を遂げたことになるわね。
　改めて見ると……ふぅ～ん、結構男前になっちゃったじゃない。
「でも、ちょっと目がゴロゴロする……」
　少し涙目になりながら、言う。
「我慢しなさいよ。お店の人も、すぐ慣れるって言ってたじゃない。じゃあ、行くわよ。待ち合わせ場所と時間はどうなの？」
　そう言いながら眼鏡屋から出ようとしたとき、携帯のベルが鳴った。あたしのではない。
「あっ……もしもし。あ、うん。俺。悪ぃ。どんくらい待ってる？　一〇分？　あとちっと待ってて。すぐ行くから。」
　達也のだった。相手は多分、例の友人とやらだ。
「……約束は守るから。……うん。じゃあ。」
　そう言って、電話を切った。待ち合わせ場所は、ここからすぐ近くみたいね。
　不覚にも、真顔になって電話の受け答えをする顔に、ちょっとドキっとしちゃった。
　二人で眼鏡屋を出て、駅前広場にある、ちょっとセンスを疑う銅像の前に行く。待ち合わせ場所の定番スポットだ。
　そこに、その友人とやらは本当に一人で待っていた。
「よっ。待たせて悪ぃ。」
　達也がそう言ってその友人に話し掛けるけど、その友人は動かない。
「……たっ……達也か？！　その格好……眼鏡は？　……一体どうしちゃったんだお前？！」
　数秒の間を置いて、やっと口にした言葉がそれだった。あらららら……達也の変わり果てた姿に、相当面食らったらしいわね。
「おー。俺だよ俺ー、友人の達也クンだよー。別に、どんな格好して来たって良いじゃんよー。」
　そう言いながら、達也はその友達の肩を両手でポンポンと叩いている。
「そっ……そんでよ、ど、どこ？　彼女って。」
　きょろきょろしているが、あたしは見えていないみたい……というか、意図して避けているみたい。なんで？
「オメー、見てねぇだろ。はいっ！」
　って言いながらその友達の頭を持って、あたしの方に無理やり向けたー。あああー、達也ってこんなキャラだったっけ？　……なんて思ってると、その友人と目が合っちゃったので、軽く会釈して様子を見ることに。
「えぇっ？！　ちょっ……マ……マジかオメー？！　じ、冗談は止せよな。」
　その友人は、かなり真顔になっちゃった。そして、達也とあたしをきょろきょろと見比べている。
「……マジ。かなり。」
　達也がそう言うと、その友人は達也の手を振り払った。
「しょっ、紹介しろよ。つか、ぶっちゃけ、オメーは釣り合わんだろ。」
　そう言いながらその友人は、達也を私の方にぐいっと押し出す。
　てゆーか、失礼だろコラ達也友人Ａよ。
「あー、しれっと失礼な事言いやがってこのバカ。じゃあ……紹介するよ。これは、俺の友人の孝弘。で、こっちが……彩花。」
　達也、恥かしがっているみたい。もうー、ズバッと言っちゃえば良いのにー。これだから男子はー。
「よ、よろしくー。」
　紹介された者同士、挨拶を交わす。なんだかちょっと、達也の照れが移っちゃったみたいじゃないのよー。
「……くっ、やられたぜ。おまえは俺の味方だと思っていたのに～。しかも、下の名前で呼び捨てだとぉ～？」
　挨拶の直後にそう言って、孝弘君が地面に崩れ落ちた。あらら。この二人は、一体何がしたかったんだろ？　リアクション面白いから、見てて飽きないけどー。
「そ、それみたことか。はっはっは。」
　達也は胸を張って、誇らしげにしている。
　男の子って、そういうところで妙に張り合ったりしちゃうのねー。あたしは、下の名前だろうがどうでもいいけどね。
「……さてお嬢さん、本日はどこへ参りましょうか。」
　おおっ、ちょ、立ち直りが早いぞ孝弘君。
　でも、目の前に跪かれるのは、ちょっと恥かしいなー。
「……こっ恥かしい奴だなお前ぇー。あっち行けよー。」
　達也が、笑いながら孝弘君にケリを入れている。
　こういうところって、男同士はちょっと羨ましいなー。女子はこういうの無いからねー。
「でさ、どこ行くの？」
　じゃれあってる二人に、ちょっとだけ上目遣いで問い掛ける。
「じゃあ、遊園地でも行く？」
　達也が言う。
「……ただし、あんたのおごりね。」
　あたしは、達也を引き寄せて耳打ちした。
　一瞬、「しまったぁー」という表情になる達也。誘われたのはあたしなんだから、あったりまえじゃん。

　……で、この日は遊園地で楽しく三人で遊びまくった。あたしの懐が痛むわけじゃないから、思いっきり楽しんじゃった。
　夕方には孝弘君と別れて、達也と二人であたしの家に帰ってきた。
　そして達也は、応接間のソファーにだらしなく腰掛けた。
「今日は、楽しかったなー。」
　達也が言う。うん、確かに楽しかった。
　男子と一緒に遊ぶのって、同性の友達と一緒に遊ぶのと、また違った面白さがあった。二年前までには無かった、新しい発見だ。
「また、一緒に遊ぶかい？」
　そんなセリフが、あたしの口からポロッとこぼれる。
　達也はそれを聞いてガバッと飛び起きて、驚いたような、嬉しいような表情であたしを見た。
「かっ、勘違いすんじゃないの。彼女役は今日でおしまい。次は、友達としてよ。」
　……一日付き合ってあげただけなのにねぇ。もしかして達也、舞い上がっちゃってる？　まあ、二年のブランクがあったのに、二人の呼吸が合っていたのは驚きだったけどねー。まるで、二年前からずっと付き合い続けてるみたいだった。
　でも、「友達として」って言っても、なんか達也はまんざらでもなさそうだしぃー。
　こんな切っ掛けでも無きゃ、今日みたいに一緒に遊ぶなんて、一生有り得なかっただろうけどねー。

　……って軽く考えていたんだけど、週明けに事態は思わぬ方向へと動き出したの。
　それは、月曜の放課後に突然やってきた。

★

「彩花、何かあたし達に隠し事してなぁい？」
　心臓が口から飛び出しそうになるほど、ドキッとした。
　声を掛けてきたのは、冒頭の帰り道で別れた帰宅部の一人。
「い、いい一体何の話？」
　妙な迫力に微妙に視線をそらしながら、聞き返す。もう、動揺しまくり。
　何の話かは、雰囲気で大体予想が付くけど……最悪だよもうー。
「土曜のことー。これ以上言わなくても、わかってるわよね。じぃい～っくりと、話を聞かせてもらおうじゃないのぉ？」
　別に、彼氏がいるとか言うのは珍しくもないんだけども、あたしが所属している（？）帰宅部は彼氏いない率一〇〇％を誇っているので、男と一緒にいたと言うことが既に問題かもー。
　こりゃ、事情を説明しても聞いてもらえそうにないかなぁー。困ったぞ。
「あっ……」
　考えてる間、数秒も待たずに、彼女に手を引っ張られて教室から連れ出されてしまった。
　後方で、椅子が倒れる音がした。
「どっ、どこ行くのよー？」
　思わず、聞く。
「……屋上。今なら貸し切りよ。」
　冷たくそう言いながら、手を引かれるままに屋上へと連れ出される。
　そこには既に、二人の帰宅部メンバーが待ち構えていた。こんなところに連れ出されて、一体何をされるんだろう……。
　正直言って、物凄く怖い。重たい音を立てて、後ろで扉が閉まる。もう、逃げ場も無い。
「ちょっと彩花、土曜に男子と一緒にいたんだってぇ？」
　いきなり核心を突いてくる。ダメージ大。
「そ、それには、ちょっとした事情がありまして……」
　何とかセリフを言うが、尻下がりにトーンが落ちてしまう。余りのプレッシャーに圧倒され、更に俯き加減になって、掌に『の』の字を書き始めちゃう。
　後ろめたさもあって、目を合わせられない。

「でさ、一緒にいた男子、誰なの？」
「ちょっと格好良かったよねー。」
「この学校じゃないわよねー？」
「なんで三人だったの？」
「あんた、付き合ってるの？」
「三人って、なんか、複雑な関係？」
「どんな事情があったのかな？」

　突如として、堰を切ったように言葉が投げつけられた。一瞬のことで、事態が飲み込めない。
　ふと顔を上げると、彼女らは好奇心に満ちた目をしている。別に、怒っているわけではなさそうだ。
　てゆーか、ちょ、待て。お前ら何でそんな詳しく知ってんだ？
「え、え～とですね……」
　私は、彼女らの勢いにたじろぎながら、事の経過を説明した。

「……と言うわけなの。」
　興味津々に聞いていてくれたので、最後まで無事に話すことができた。
　ただし、あたしの家まで達也が上がり込んでいたことまでは話さなかった。ただの幼馴染だ……とだけ話した。
「ずっこぉ～い。」
　は？　ってゆーか、最初のセリフがそれですか？
「な、なにがずるいのよー。」
　もう、あたし自身は混乱してて、何がなんだか分からない。
「そんな幼馴染がいるってことを隠してたってことよ。」
　いっ、いやっ、別に隠していたわけじゃないぞー。ってゆーか……。
「写真無いの写真？　ケータイの。」
　撮ってませんから。残念。
「今度、あたし達にもあの二人を紹介しなさいよー。」
　えー？　なんであたしが紹介しなきゃいけないわけ？　てゆーか、受験勉強は？
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな急に……。」
「急じゃなくてもいいから、迅速且つ確実によろしく。」
　それってつまり「超特急で」ってことでは。
「え～っ？！　……わ、わかったわよ～。」
　あ～あ、達也に連絡しなきゃ。メンドクサイなぁ～もう。……トホホ。

　その後、普段通りに帰宅した私を自宅の自室で待っていたのは、呼んでもいない達也だった。奴は超能力者か？
　髪も眼鏡も、変身前に戻っている。まるで雑踏の中の空気のようだ。
「や、やあ……。」
　何か言いにくそうなコトを持って来ていると、ばっちり顔に書いてある。
　何となく予想が付くけど、それはあえて考えないことにした。
　てゆーかお母さん、女の子の部屋に男を上げて待たせるなよー。後で言わなきゃ。
「今日は、何の用？」
　鞄をベッドの上に放り投げながら一瞬だけ目線を合わせて、そっけなく聞いてみる。
　なんだか、すっごく困ってるみたい。あたしが抱えて帰ってきた用件も多分、同じくらい言いにくくて困ったことだと思うんだけど……。
「いや……その……。」
　すぐどもる。
　まあ、そんなもんだろう。最初から即答は期待してなかったしね。
「用は無いの？」
　さらっと、言ってみる。
「用っていうかその……なんと言うか……。」
「当ててみよっか？」
　悪戯に、言ってみる。
「い、いや……あ、あのさ、実は、この前の土曜、……おまえと一緒にいるところをクラスの奴に見られちゃってさー……その、……紹介しろって言うんだよー。」
　ああ、やっぱりそういう話だったかー。なんだかなあ～。困ったもんだ。
　……当の達也は、いかにも困ったという顔をしている。そりゃそうよねー。こっちも困ってるんだもの。
「でさ、そっちは何人いるの？」
　さりげなく、さらっと聞いてみる。
「俺とタカ（孝弘）を入れて、全部で四人。」
　なんだそりゃ～～っ！？　……っと、思わず心の中で叫んじゃった。でも、表情には出ていないはずー。
「え、えーと……実はね、あたしも、達也と同じような話が……あるのよねー。今。……なんか、すっごい偶然よねー。」
　顔で笑って心で泣いて……そんな心境だ。達也も、同じような心境に違いない。顔がちょっと引きつっている。
「で、でさ、……そっちの人数は？」
　達也に聞き返される。当然か。
「あたしを含めて……四人。……冗談みたいよね。ははは……」
　二人で一緒に、肩を落として力無く笑う。もう、どうにでもしてくれってカンジですかぁ～？
「困ったねぇ。」
　二人同時にそう言って、長いため息をつく。
「じゃあもしかしてそっちじゃ、あたしはあんたの彼女って事になってるわけ？」
　聞くまでもないが、とりあえず確認。すると、困ったような、嬉しいような、複雑な表情で頷く達也。
　ああ、やっぱりねー。こればっかりは、しょうがないのかなー。
「これでまた、彩花と恋人ごっこだなー。」
　少しして、達也が言う。あたしの胸がちょっとだけ苦しくなって、何か悪いことでもしているような、そんな気持ちになった……。
「じゃあまた、土曜になるのかな。」
「うん。多分。」
「メールくれる？」
「いいよ。」
「次回、この前の朝みたいな恰好で来ないでよね。」
　これは切実だ。変身後じゃないと、あたしが嫌だし。
「あ、うん。わかった。じゃ、またな。」
　そう言い残して、達也は帰宅の途についた。

★

　そして、土曜日。
　例の待ち合わせ場所を達也（変身後）と私の二人で遠まわしに様子を伺うと、そこには参加を予定していた六人が既に待っていて、もう打ち解けているご様子だ。
　その様子を見て緊張して、思わず、お互いの手を握って……そのまま手を繋いだ状態で、待ち合わせ場所に近寄ってしまった。
「あっ！！　容疑者が来たよ！」
　だっ、だだ誰が容疑者なんだよう～。……もしかして、あたしたちですかい？
「ってゆーか、なんか手ェ繋いでるし！」
　思わず、あたしたち二人とも自分の手の先を見て、次に目を合わせて固まった。
　し、し、しまったぁ～！　って思って、二人同時に手を振り解いたけど、既に手遅れっぽく……。二人とも動揺を隠せないで、顔が赤くなっちゃった。
「今更、顔赤くすんなよー。」
「見ちゃったかんねー。」
「やるなあー。」
「か、かわいいじゃん……。」
「お前、本当に達也？」
「ほう、こんな顔してやりますな～。」
　次々に投げ掛けられる言葉。
　なんかこの中で、私達二人が完全に孤立しちゃった感じ。ここから、一体どんな話に持っていけば良いって言うのぉ？
　って言うか、あたしも達也もこの後どうするか何も考えてなかったしー。これはちょっと、やっばいカモ。
「……い、いやぁ～……ってーか君達、もう仲良くなっちゃってるの？　早いよねぇ～。で、今さ、誰と誰がくっ付きそうになってんの？」
　達也がそう言うと、みんな少し顔を見合わせて、一斉にあたし達を指差した。えぇ～っ？！　そういう風に見えちゃってるのあたし達って？
「て、照れるなぁ～。おぐっ」
　そんな達也の横腹に、心を込めてあたしの肘をプレゼント。
「ばかなこと言ってんじゃないの。もぉー。」
　そう言いながら男子側をチェックすると、……何故か孝弘君以外で知ってる顔がもう一人いる。な、何だか超気まずいなあ～。
「ちょっとちょっと、こんな、聞いてないよー。なんでこうちゃんがそっちにいるのよー。」
　達也の耳を引っ張っぱり寄せ、小声で言う。
　「こうちゃん」って言うのは、達也と同じ幼馴染で「宏二」って名前ー。
「いてて、ひ、引っ張るなよ。しゃぁーないだろ。学区が一緒だったんだからー。それに、見られてたってのはあいつなんだよ～。」
　因みに、あたしと達也の家は学区が違う。小学校から、既に違う学区だった。
　しかし、遊び場が同じだったこともあり、三人は小学校に上がっても近くの公園や林で一緒に遊んでいたのだ。とにかく、この中に男子の顔見知りが少なくとも三人。
「よっ！　相変わらず、仲良いね。俺も混ぜてよ。」
　宏二が爽やかな笑顔でやってきて、あたし達二人の肩に腕を回しながら言う。軽いノリは健在ってコトみたい。
　でも、あたしたちの心境は、少なくとも爽やかじゃはなかったりしてー……。
「……い、一体、どこであたし達見たのよー。」
　肩に回された腕を振り解きながら聞いてみる。
「いやね、この像のところからずっと付けてたんだ。実に楽しそうだったねぇ～。ははは。」
　言いながら、爽やかな笑顔が一〇％増し。
「でさ、こうちゃん一人だったの？」
　何故か、一人じゃなかったような予感がした。
「い、いやぁ～、実はね、二人で付けちゃってたんよ。」
　そして、更に爽やか度五％増し。言葉の端に、少しの焦りが見え隠れする。
　結局、二人に同時に付けられてたんですかあたし達はー。でも、幸いなことにその前は見られてないわけね。
「も、もう一人って……一体誰よ？」
　ちょっと嫌な予感を感じながら、聞く。……こっちにも、少なくとも一人は草（忍者）がいるのと、互いの人数が四人になったと言うことに、何か陰謀の匂いがする。
「あー……、あ、あの子。」
　宏二が少しためらいながら指差す先を見ると、あたしを屋上に連れ出した依子だ。あ、あ、あんにゃろー。あとではっ倒す！
「あ、あら、そうなんだ。で、彼女どう？」
　ちょっと眉をヒクヒクさせながら聞いてみる。
「俺的には……話も合うし……い、良いと……思うよ。」
　ちょっと照れながら言う。そりゃー、丸一日二人で一緒にあたしたちを付け回してたんだから、気が合わないわけが無いじゃん。二人とも妙にノリが良いしー。ってことは、あんた達も同罪じゃないのさー。
「ちょぉお～っと依子カモン。」
　おいでおいでする。依子は「あっちゃー！」って表情になって、おどけた様子で歩いてきた。そして、こうちゃんに隠れるように、場所を取った。
「な、なんでしゅか？」
　ほ・うー。なかなか良い度胸してるんねあんたはー。
「まったくあんたたちはもうー。今日のことは、みんなあんたたちの差し金なんでしょ？　えぇ？」
　二人にずずずいっと迫る。達也はそれを見てちょっと驚いている様子だ。依子は、相変わらず宏二の背中に隠れている。
「は……はっはー！　もうそこまでわかっちゃったんかい！　さっすがやねぇ。」
　さすがって言われても、あんまり嬉しくないぞ。しかも、なんか開き直ってるしー。なにが「～やねぇ」だっつーの。
　言うなればあたしたちは、体良く「ダシ」に使われたわけね。はぁ～、なんか、怒る気も失せちゃったわ。
「しっかし、すごいやねー。本当に集まっちゃったねぇ。これから、どうするかねぇ。また、遊園地でも行くかい？」
　にこにこしながら宏二が言う。あたしはその意見に異存はない。でも、達也の顔色が芳しくない……？
「いやその……先週使っちゃって、あんまりお金無いんだ。」
　達也はそう言って、気まずそうに頭を掻いた。
「あたしたちは先週遊んだんだから、無理して乗り物とか乗らなくても良いよ。それに今日は、あたしは自分で出すから。それなら、大丈夫でしょ？　ね？」
　達也は、少し驚いたような顔をした。そして、
「そ……それでも良いんなら、付き合うよ。」
　と言って、複雑な表情をした。……嫌なのかなぁ？　ちょっと不安だなぁー。

　……でも、そんな心配は杞憂だった。遊園地ではみんなと一緒に移動して……私と達也と宏二達の四人は乗り物に乗らなかったけど、ベンチに座って昔話や学校でのことなんかを楽しく話した。
　こうして話していると、あたしの目から見て宏二達は、ごく自然なカップルに見える。まだ二回くらいしか会ってない筈なのに、なんでこんな風に振舞えるのか、ちょっと不思議ー。
　それ見て思ったんだけど、あたしと達也は、周りからはどう言う風に見えているんだろう……。……あ、……あたしったら、なに自意識過剰になってんのよ。もーやーねぇ。
　しかし、あたしたちって目立つのかな？　通りすがりの人達が、ちらちらこっちを見ているような気がするー。……っって、これも自意識過剰？
　う～ん、それでもなんだか、ちょっと気になっちゃうのよね。いろいろと。

　……とか思いながら楽しく一日を過ごして、みんなと別れた。達也も、自分の家に帰宅した。
　なんだか、みんな良い雰囲気だったなー。特に、依子と宏二は別格だったなー。
　うーん、なんか先週に引き続き新鮮な感覚ー。
　あたしは、自分の部屋に戻るとベッドに身を投げ出し、枕を抱きしめた。今日の興奮が、まだ全然冷めていない。
　枕に顔をうずめて笑ってみたりして、今日の余韻を楽しんだ。
　しかし、なんでそんなに嬉しかったのか、なんでそんなに興奮していたのか、自分でも全然わからなかった。

★

　……いきなりだけど、私達はプールに来ている。あ、私達っていうのは、あたしと達也。
　結局、あれから一ヶ月以上音沙汰無し。携帯の番号もメアドも交換してたんだけどねー。
　いくら受験勉強が忙しくても、メールくらいくれても良さそうなもんじゃないかなぁ？

　ってわけで今正に、夏真っ盛り。忙しい高校の受験勉強の合間を縫っての、プールだ。
　私達は、実は依子に誘われてやってきていた。私の目から見て依子と宏二の二人は、極めてうまく行っているように見えるんだけどー。
　何でわざわざあたし達を誘ったのかわからなかったけど、それはプールに行った時に判明した。
　……単純に、好きな人の前で水着姿になるのが恥ずかしいって理由だったみたい。道連れが欲しかったのねー。
　あたしにとっては、あの男どもはただの幼馴染だから、別に恥ずかしくないけどねー。それにあたし、ワンピースだしぃ。
　でも依子、更衣室を出てから、ずっとあたしの後ろに隠れっぱなし。上にＴシャツ着てるのに。
　彼女がセレクトした水着は、ビキニ。彼女、見かけは凄く大人しそうなんだけどねー。とりあえず、あたしより胸大きいのがちょっと悔しいっていうか。……しかし今時の中学生って、ダ・イ・タ・ン～。っていうかさ、あたしも今時の中学生じゃん。……良いわよ別にー。良くわかんないけど。

「やっほー！」
　達也達に手を振る。二人ともサングラスなんか掛けて、プールサイドの喫茶スペースで気取っている。
　そして、それを見て依子があたしの背中を押す。
「ば、ばっか。あんた、この期に及んで何やってんのさー。」
　そう言って、歩きながら後ろに隠れている依子を横に持ってくる。
「や、どーも。」
　達也達のところに到着すると、依子はあたしの背中からちょっとだけ顔を出すと、そう言って頬を染めた。なんか初々しいって言うか、だったら最初からそんな格好しなきゃ良いじゃないのよー。もぉー。なんか、あたしまで恥ずかしくなっちゃうじゃないのよー。
　あたしたちのやり取りを見ていた二人は、目のやりどころに困っているようだ。
「さ、行こっ。」
　依子の手を引っ張って、とりあえずプールの方へ向かおうとするが、男二人はまるで立とうとしない。
「あんたたちは、行かないの？」
　疑問に思ったので、聞いてみる。
「いや、そのー……、俺等、ここで見てるよ。うん。その、あとで……泳ぐよ。」
　なんだか、二人ともぎこちない。まあ良いか。
「じゅあ、これ持ってて。」
　Ｔシャツを脱いでタオルとまとめて、達也に投げて渡す。
　依子のＴシャツも無理に脱がせて、こっちは宏二に投げて渡す。
「お、おぉ。」
　達也と宏二が、驚きと言うか感嘆と言うか、そんな声を上げた。
　豆鉄砲を食らったような顔……とでも言うのだろうか。二人とも、そんな表情をしている。ついでに、顔をちょっと赤らめている。
「な、なによ？」
　なんだか、すごく気になる。
「い……いや、なんでも……ないよ。うん。な。いってらっしゃ～い。」
　二人で声を合わせて言う。もうー、なんなのよー。「かわいい」とか「似合ってる」とか、何か気の利いた言葉は出て来ないワケあんたたちはー？
　……もしかして、いやらしい目で見られちゃってるのかなぁ？　もうやだなぁ～。
「もーうー、いいよ。男どもなんて放っといて行こっ。」
　そう言って、依子とプールに飛び込んだ。

「ねぇ、なんで来ないんだろうね。こんなに気持ち良くて楽しいのにねー。」
　依子に言う。
「なんでだろうねー。」
　依子も、不思議そうにしている。
「……お腹空かない？」
「そうねー。」
　時間的に、もうお昼を過ぎているようだ。男二人は、さっきの場所でふんぞり返ってジュースなんか飲んでいる。
　何か、楽しそうに話しているようだ。
　あたしたちはその間、流れるプールやウォータースライダーとかを、一通り堪能していた。

「……タオル頂戴な。」
　男二人、何か話に夢中だったようだが、かまわず声を掛ける。
　二人ともビクッとしたが、素直にタオルを渡してくれた。
「は、早かったな。」
　達也が言う。
「だって、お腹空いたんだもん。それに、もう二時間も遊んだしー。それに、あたし達疲れちゃったしー。」
　そう言いながらタオルで簡単に上体を拭いて、Ｔシャツを着る。
「おお、もう、二時間も経ってるのか。」
　時計を見る二人。一体あんたたちは、プールに何しに来たのよー？
「……あ、あのさ、それでさ、あたし達の水着て、変？」
　ちょっと、答えを聞くのが怖いような質問だ。
　途端に、男どもの顔色が変わる。俯き加減になって目線を微妙にそらしながら、もじもじし始めてしまう。う、うわ。なんだかー。
「お、お前話せよ。」
　達也が、宏二に小声で言う。宏二が、無言で返事をする。
「……そのことについて、俺等ちょっと話してたんだけど……いや、水着は変じゃないんだ……むしろ良いくらいなんだけど……その……な、俺等には、ちょと刺激的過ぎたかなー……て。」
　宏二がもじもじしながら、言う。
　……ちょっと、刺激的って、……あの……えぇっ！？　も、もしかして、その、あ……あの、あれが……そ、そそそういうこと……なの？　もしかして、そっ、それで……、その……！
　あたしの顔が、見る間に赤くなっていくのが自分でわかる。そして同時に、気が遠くなりそうなくらいの恥ずかしさが、体の芯から湧き上がってくる。
　あたしの顔は今、大変なことになっている筈だ。依子は、きょとんとしている。
　あたしの反応を見た彼等も、顔を赤らめて下を向いてしまった。
「あっ、あのっ、さっ、ささっ、先に上がって待ってるから、適当に上がってきてねっ。」
　とっさにそう言って、依子を無理矢理引き連れて更衣室に駆け込んだ。
　ちょっと声が裏返っちゃったし、顔は火照って胸はドキドキしっぱなし。なんか、危ないぞ彩花。
「彩花、どしたの？」
　依子が心配そうに、あたしの顔を覗き込んでる。
　あ、あんたは確か一人っ子でしたな。男兄弟がいないあんたは、知らなくて幸せですな。あたしゃたまらんですよ。トホホー。
「だ、大丈夫。大丈夫よ彩花。」
　自分で言ってて、全然大丈夫じゃない。タオルを壁のフックに掛け、冷水のシャワーを浴びる。でも、顔が火照っているのと、極度の恥ずかしさで、冷たさを全く感じない。
「彩花、風邪引いちゃうってばー。全然大丈夫じゃないよー。どうしちゃったのよぉ？　彩花ってばぁー。」
　そう言いながら、依子がシャワーを止め、あたしにタオルを掛ける。
　依子、あんたが羨ましいわ。ホント。
「ど、どどどうもしないわよっ。」
　もう、思い切りどうかしてる。いそいそと自分のロッカーに行き、着替えを始める。
　水着を脱ぎ始めると、なんだか、水が滴る自分の体が物凄くエッチに見えてきちゃって、勝手にショックを受けて一瞬動きが止まる。そして、胸がキュンとして、心臓の高鳴りが加速する。
　依子は、腑に落ちない様子で隣で着替えている。
　着替え終わって、携帯ドライヤーを持って鏡に向かうと、今日穿いて来たミニスカートがまた、物凄くエッチに見えてしまう。
　更に、男二人のことが思い出されて、また、顔が紅潮する。意識し過ぎなのはわかってるけど、もうどうにも止められない。
「ねぇ、なに固まってんのよー。」
「な、何でもないわよ。」
　慌てて答えて、髪を乾かし始める。こういうことをやってる間だけは、エッチなことも何とか忘れられる。
「なんか、さっきから変だよ？」
　そんなことは、自分が一番良くわかってる。弁解の余地は無い。
　ただね、今日のメンバーの中で、わかってないのはあなただけなんですよ。そのことに気が付いてるのかな依子君？
「……依子は、幸せだよね。」
　ふ、と笑って、更衣室を後にする。
「もう、なんなのよぉ～。」
　依子が、慌ててついてくる。
　……と、男二人があたし達より先に着替えて待っていた。良く考えたら、あの二人は泳いでいないんだから、着替えるの早くて当然よね。
「おまたぁー！」
　依子が脳天気に言う。
「よ、よぉ。」
　男二人はそう言って、ちょっとぎこちなく軽く手を上げる。
「そ、そこのファミレスでお昼にしよ。」
　あたしが、これまたぎこちなく言って、表に出る。
　残りの三人は、無言でついてくる。そして、昼が過ぎて人がまばらになりかけたファミレスで、ボックス席を取る。男性陣と女性陣が、向かい合わせに席に着く。
　スカートが妙に気になって、そわそわしてしまう。これからは、ズボンにしようかなぁ。
「な、何食べる？」
　達也が、メニューを広げて聞いてきた。ちょっと意識してドキ。
「えっ？　……うーん、と、これとこれ。あと、これ。」
　あたしがメニューを差しながら隣をチラッと見ると、そっちは依子主導でメニューを決めているみたい。
「ＯＫ？　ＯＫ？」
　達也がそう言いながら、テーブルに据え付けてある呼び鈴を押す。
　少しして、ウェイトレスのお姉さんが注文を聞きに来た。
　それから食事が来るまでの間、ちょっと重い空気が流れた。

「……ねぇ、今日、みんなどうしちゃったの？」
　全員のメニューが揃って食べ始めた時、依子が口を開いた。
　ギクッとして、みんなの手が一瞬止まる。
「彩花……お、おまえ、女子同士なんだから、説明してやれよ。」
　頬をちょっと赤く染めながら、達也が小声で言う。
「ばっ、ばかっ。そんなこと、説明できないわよ。そうだ。こ、こうちゃんから……」
　あたしがそう言ったところで、宏二が「げふっ」と咳き込む。
　咳き込みついでに、鼻血。もう、全く手に負えないってカンジ？
「うおっ！」
　慌てて、テーブルに据え付けてあるナプキンを鼻に当てる。
　お陰で、鼻血の被害は殆ど出さずに済んだみたい。依子が、慌ててポケットティッシュを出して、紙縒りを二つ作って宏二に渡す。
「もうー、みんな変～！」
　依子が、たまらないといった風に言う。
「まー、おさえておさえて。その話は、また後日ってことで。」
　というわけで、うやむやの内に何とか誤魔化して、食事が終わったら速攻でファミレスから出た。
　依子以外の全員が、一緒にいると恥かしいぞオーラを強烈に発していたので、散会もあっという間だった。
　依子だけが、最後の最後まで不思議そうな顔をしていた。もーう、しつこいっつーの。

　……なんだか、楽しい一日って言うより、恥かしい一日になっちゃったなあー。
　家に帰って来て、今日使った水着とかを洗い物に出したら、なんだか家族と顔を合わせるのも恥かしくなっちゃったんで、自分の部屋にこもって、ベッドに身を投げ出して枕を抱いた。
　そして「ふう～っ」と一息つくと、途端に、昼間の出来事が勝手に、レディースコミックとかで誇張された強烈なイメージになって、頭の中に蘇って来た。
　……あのとき、達也も宏二も、……あ、ああいうことに……その、なっていたってことは……つまり、その、あたし達のことを、性の対象として見ていた訳で……。
　それが、そういうワケで……。
　一人きりになったら理性が飛んじゃって、エッチな妄想がひとりでに突っ走って、どうにも止まらなくなる。
　抱いた枕が胸に当たってて……そのうちに頭の中がだんだん真っ白になってきて……そしたら手が、勝手に、胸とあそこに伸びて……。
「ふ……んうっ……！」
　つまり、その、そういうことになってしまった訳で……。

「…………やっちゃった。」
　自分って、こんなにエッチな子だったんだな、って、ボーっとする頭で思って、ちょっと後悔した。
　頭の中がじんじんして、でも、何か一つ、気持ちが軽くなったような気がした。
　それでも、恥ずかしいって言う気持ちは完全に抜けなくて、自分の乱れた着衣を見て、少しみじめな気分になった。
　そして、枕をきつく抱き締めて、少し泣いた。
　自分は実はこんなにエッチな子だったって、自分の中で認めたくない気持ちが大きいから……。

　夕飯のとき、今日のことを家族に聞かれた。
　でも「心ここにあらず」という状態で、達也たちとプールに行った、としか話すことが出来なかった。
　どんな風に遊んだとか、楽しかったとかってことは、完全に頭から抜け落ちていた。
　いつもは気に障るはずの兄貴の冷やかしの言葉も、今日は全然耳に届かなかった。

★

「おーはーよ！」
　週明けの月曜日、いつものように登校途中で依子と合流する。
「おはよー。」
　何事も無かったかのように返事する。
「でさ、でさ、この前みんな様子変だったじゃん。あれって結局何だったの？　誰も答えてくれないのよねー。両親にも、なんかいいように誤魔化されちゃったしー。」
　依子が無邪気に聞いてくる。そりゃあんた、親だって説明しにくいでしょうがー。
「あ、あのさ、昼休みにでも保健の先生に聞きに行ったらどうかな？」
　ちょっと頬を染めながら、答える。
「なんで、保健の先生なの？」
　わけがわからないと言った風だ。
「だから、その『なんで』も含めてよ。」
　ここまで来ると、本当に知らないのか、ぶってるだけなのか、わからなくなってくるなぁ～。もう。
「じゃあ、一緒に付き合ってよ。」
　……というわけで、昼休みに、依子に付き合うことになってしまった。

「失礼しまーす！」
　依子と保健室に入る。どうやら、ラッキーなことに先生以外誰もいないようだ。ベッドも、全て空いている。
「なーに？　どうしたの？　生理痛のお薬？」
　二〇代後半の、ちょっと美人系の女性がこっちを振り向いた。
　未婚で、現在医者と付き合ってるらしいとの噂を聞いたことがある。そして彼女は、正看（正看護士）の資格を持っているらしい。親身になってくれるお姉さんといった感じで、男子女子ともに、学校内での人気は高い。
「ちっ、違います。あの……ちょっと相談というか質問というかー……」
　そう言って、依子を肘で突つく。
「ま、お掛けなさいな。」
　先生がそう言って椅子を勧めてくれるので、腰を掛ける。
「あの、実は……」
　椅子に座ると、依子が説明を始めた。
　その間、保健の先生は頷きながら聞いていた。

「……で、その時どんな水着着てったの？」
　興味津々に聞かれてしまった。
「依子がビキニで、あたしがワンピースです。」
　あたしが答えたその時、保健の先生が「ぷっ」と言って笑った。
「今時の中学生って、デートでビキニとか着て行っちゃうわけぇ～？　もうスク水じゃないのねぇー。」
　そう言って、クスクス笑っている。
「で、説明お願いします。この友達にも親にも見放されちゃって、気になってしょうがないんですよぉ。」
　依子が先生に詰め寄る。
「えー……と、どうしても説明しなきゃ、ダメ？」
　先生が、ちょっと目を逸らし気味に聞き返してきた。
　予想はしていたが、気まずそうなオーラが発散されている。
「そうじゃないと、あたしが顔合わせる度に聞かれちゃうんですよぉう～。お願いしますよ～。」
　あたしが、先生に懇願する。
　すると、先生は諦めたように大きく深呼吸して、保健体育の教科書を持ってきた。
「聞いても後悔しないって、約束してね。あとね、あなた達にはまだ早いから、知識として憶えるだけにしてちょうだいね。」
　依子は、深く頷いた。
　そして、保健の先生の講義が始まった。

　先生の講義の内容は、あたしは殆ど知っていることだった。
　でも、改めて聞くとやっぱり恥かしい。保健体育でビデオを見せられたりもしが、それよりも突っ込んだ内容だった。
　それに、保健体育じゃ教えてくれない、正直要らんとこまで解説してくれた。
　……その、男の子の、肝心な部分のことも詳しく……。
　依子は、最初は興味津々に聞いていた。
　しかし途中からは、首から上が茹蛸みたいに真っ赤になって、汗までかきはじめた。自分が他の人に聞いていたことが、どんなことだったのかを、やっと理解出来たようだ。

「……と、いうわけです。わかりましたか？」
　先生がそう締めた。そして、依子が、ぎこちなく首を縦に振る。
「あ、あ……あひがとうごじゃひました。」
　そう言ってロボットみたいにぎこちなく立ち上がって、保健室を出ようと思ったようだが、足がおぼつかなくて、そのままフラフラと椅子にもたれ掛かってしまった。
　ちょっと、刺激が強すぎたみたいねー。先生の説明が直球ばっかりだったんで、あたしもちょっと危なかったけど……。
「あららー。これじゃ、午後の授業は無理ねー。ゆっくり休んでいきなさいな。担任の先生には、あたしから連絡しとくから。えーと、……それと、あなた？」
　フニャフニャの骨抜きになった依子を介抱しつつ、苦笑いしながらあたしに話し掛けてきた。
「あ、彩花です。」
　ちょっと、恥かしい。
「ふふ。そうそう彩花ちゃん。放課後になったら、この子迎えにきてもらえるかな？」
　ちょっときまり悪そうに、苦笑いを浮かべながら先生が言う。
「はい。わかりました。じゃ、失礼しましたー。」
　ちょっと笑いながらそう言って、あたしは保健室を出た。

　放課後、保健室には、ちょっぴり大人に近付いた依子が、あたしの迎えを待っていた。
「大丈夫？」
「うん。」
　交わしたのは、そんな言葉だけだった。
　ちょっと、恥かしいというか……二人ともそんな感じだったように思う。
　ちょっぴり上気していた。
　別れる時も、「じゃあ……」程度だった。
　話し掛けようと思っても、どんな話をすれば良いかわからなかった。

★

　あのプール事件（？）から、既に一ヶ月が経っていた。これまでの間、なんか気まずいような気がして、会うことも互いに連絡を取り合うことも無かった。
　本当に付き合ってるわけでもないし……という、割り切りみたいなものもあったように思う。でも、ちょっと寂しかった。

「……しばらく。」
　ちょっときまり悪そうにしながら、達也が声を掛けてきた。
　場所は、小学生の頃まで良く一緒に遊んでいた公園。あたしは学校帰りで、達也は私服だ。どうやら、あたしを待っていたような感じだ。
「あれ？　……本格的にコンタクトにしたんだ？」
　平日から眼鏡を掛けていない達也は、なんか妙に見えてしまう。
　服装のセンスも良くなってきてるみたいだし、これはこれで良いことだ。
「うん。あの時コンタクトのまま帰ったら、親が『コンタクトにしろ』って言い出しちゃってー。そんで、今はコンタクトなんだ。」
　ちょっと照れながら言う。なんか、こっちまで照れちゃうじゃないのさー。
「そうなんだ。眼鏡より絶対良いよ。」
　ちょっと上気しながら言う。
　達也がカッコ良くなって、なんでかちょっと誇らしいような、嬉しいような気分になる。本当の自分の彼氏でもないのに……。
「でさ、コンタクトにしたら、ちょっとモテるようになっちゃってさー……」
　ちょっと自慢げに言う。
「それで、どうしてるのよ。」
　ちょっと、嫉妬しちゃう。
　……あれ？　なんで達也がもてるからって、あたしが嫉妬しなきゃならないのよ？
「全員断ってる。だってさ……」
　そう言いながら、ちょっと頬を染める。
「だって……なに？」
　少し、ドキドキする。
　その続きが、無性に気になる。
「いや、その……彩花と、その……付き合ってることになってるし……」
　あたしから、ちょっと視線をそらす。
「もしかして、それって都合悪いの？」
　何か、あたしが不要だとか言われそうな雰囲気に感じた。ちょっと怖い。
「いっ、いや、そう言う訳じゃないんだ。そのさ……なんか、ダメなんだよ。女の子と話すのって、俺苦手だし。彩花は幼馴染だから、気にしないで喋れるんだけどな。他の子だと、なんかこう、話し辛いって言うか……しっくりこないんだよ。」
　少し照れが入っているような言い方……？
「ふぅーん。そうなんだ。」
　ちょっとだけホッとして、ちょっと勝ち誇ったような気分になる。
　え？
　なんであたしがホッとしなきゃいけないの？
　でも、不思議と悪い気はしない。
「あのさ……で、電話しても良いかなぁ？」
　電話か……そういえば、携帯の番号も交換してるんだったよね。
「いいけど……なんで、あれから電話くれなかったの？　メールも無いし。夏休みも、もう終わっちゃったよ？」
　ちょっとだけ、プールでのことが思い出される。
「いっ、いやぁー。な、なんかさ、その……すっげー気まずいじゃない？」
　その気持ち、わからないでもない。
　あたしも、かなり気まずかったからー。
「そうね……あの後だったものねー。……でも良いよ。電話頂戴。待ってる。」
　なぜだか、凄く嬉しい。
　ああ、こんな気分になるってことは、やっぱり、達也のことが好きなのかも知れない。
「じゃあ、今夜にでも。」
「うん。待ってる。バイバイ！」
　そう言って別れた。
　もしかして達也、それだけのために、公園であたしを待っててくれたのかなぁ？

　達也からの電話は、約束通りその日の夜に来た。
　お風呂から出てきて、机に向かおうとしていたタイミングだった。
　本当に嬉しかった。
　ほんの数分の、声だけのコミュニケーション。
　それだけでも、あたしの欲求を充分に満たしてくれた。

　電話は、週に四回程度の割合で掛けてきてくれた。
　いつの間にか、進路のことや勉強のこととかも話すようになっていた。
　最終的には、高校も一緒の学校に行くことに決めていた。
　でも、あたしがどこを受けるかってのは、まだ誰にも内緒にしてるの。なんでかって言うと、今のあたしの実力じゃちょっと背伸びしなきゃ入れないところで、先生にも「無理だ」って言われてるし。
　達也って、案外頭良かったんだ～なんて、感心してみたり。あの眼鏡は、伊達じゃなかったのね。
　それで、主にあたしの学力の強化をするための試みを実施すべく……。

★

　土曜日。
　達也が、一緒に勉強するために家に来た。
　部屋の掃除はしたし、座布団もお茶もお茶菓子も用意した。カンペキだ。
「なんか部屋、前来た時より妙に綺麗になってない？」
　最初の一言が、それだった。まあ、良いじゃん。
「あたしだって、たまには掃除くらいやるのよーだ。さ、勉強勉強～。」
　そう言って、小さいテーブルの向こう側に達也を座らせる。
　そして、あたしたちは真面目に勉強を始めた。
　お互いに気になってるような雰囲気は、ひしひしと伝わってくる。これが、あたしたちにとって丁度いい距離を保っているのかなー、なんて思ったりして。
　おっと、勉強勉強。

「ねえここ……」
「ん？」
　あたしが、わからないところを指差して聞くと、身を乗り出してやさしく教えてくれる。顔が異常に接近するので、ドキドキしちゃう。なんだか、勉強になってるんだかなってないんだか、良くわからない状態だなぁ。
　わかるように説明してくれてるから、勉強になってるとは思うけどー。

「あのさー……」
　今度は、達也の番だ。都合良く、あたしとは違う教科が苦手なんだー。そしてあたしも、達也と同じように身を乗り出して教えてあげるの。
　わざと、さりげなく、くっ付きそうになるくらい顔を近付けてみたりしてー。
「さ、彩花……くっ付き過ぎだよー。」
　頬を染めながら、達也がのけぞる。
「あははは。ごめんごめんー。」
　そして、さっきよりもちょっとだけ距離を置いて教える。それでも、かなり近いんだけどもねー。うーん、なんか、あたしがドキドキしてきちゃったー。

　そして、二人とも黙々と勉強する。なんか、一人でするときよりもはかどっているような気がする。
　わからなくて一人で悩んでいたことも、二人なら解決しながら進めることができるからかも知れない。
　途中でお茶したり、歓談しながら勉強を進めた。思っていたよりも、結構楽しく勉強できるってことが驚きだった。
　そして、夕方になって達也は帰って行った。
　なんだか、予定よりも勉強が進んじゃったような気がするなぁ。
　この調子ならば、次回の模試が楽しみになってくるなー。
　……という私の希望的観測はズバリ当たって、模試の結果は確実に上がっていた。勉強会の成果がしっかりと出ている。
　勉強会も、回を重ねるごとに効率が良くなってきているのが実感できる。
　実力的には「昔の自分、さようなら」だ。

　何度目かの勉強会が終わった後の模試は、点数が更に上がっていて、合否判定も「Ｃ」から「Ｂ」に上がっていた。

　勉強会は、基本的に週末を利用して進めていた。
　ある日、小さな事件が起こった。

「はい。」
　玄関先でいきなり、包装された「何か」を渡された。
「え？　何？」
　思わず、戸惑って聞き返してしまう。こ奴に何か貰ういわれは無い。
「誕生日プレゼント。ちょっと過ぎちゃったけど。」
　え？　誕生日……あーそう言えば、今年のあたしの誕生日は平日だった。家族でお祝いしたっけ。まだ憶えててくれたんだ……。
　って、ちょっと感動。
「あ、その……ありがと。まだ、憶えててくれてたんだ。」
「ああ、まあね。」
　そっけない返事。
　まあ、元々そういう奴だったし。
　プレゼントは、ありがたく頂いておこう。

「休憩にしよっか。」
　ちらっと時計を見て、言う。開始から、もう一時間以上過ぎていた。
「そうだね。……ふぅー、肩凝ったー。」
　達也が、肩を回しながら言った。

　キュピーン！！
　という音と共に、私の目が光った……ことにしておいてくれ。
「ほほう？　肩が凝っておられると。」
　手を、わきわきと動かしながら、のそっと立ち上がる。
　肩揉みは、お父さんの肩で随分鍛えられた。ちょっとした自信もある。
「な、何だそのいやらしい手の動きはっ。」
　そうか。この手の動きはいやらしいのか。改善の余地があるな。
「まあまあまあ。観念しなさいな。」
　そう言って達也の後ろに回る込んで、動けないように両肩を抑えた。
「うーん、じゃあ、ちょっとだけお願いしようかな。」
　達也はあっさりと観念した。

「どうですかな？」
「うあっ、気持ち良い……一体どこでこんな……ああっ。」
「じゃあこっちは……。」
「ううっ……癖になりそうだぁ……。」
　うっはー、なんなんだこの妄想を掻き立てられるトークはっ。
　もしかして、肩を揉み続けてる間ずっと続くのか？
　てゆーか、あんた中学生のくせに肩凝り過ぎー。
　と、油断しているところに事件が。
「あっ。」
　っと、手が滑った。
　えー、結論から言いますと、勢いで後ろから抱きつくような形になってしまったわけで……。
　すぐ横に、もう密着するぐらいの勢いで顔ががが。
「ん？」
　と言って、達也がコッチをちらりと見る。
　うわーなんだこのビックリ急展開は。
　こんなところ、親には見せられたもんじゃないと思うけどー。
　なんて思ったら、ガチャッと扉が開いて、お母さんが。
　こういうタイミングで来る。あたしって、そういう星の元に生まれてきたんだなきっと。
「あらあらあら。」
　いや、ママン、そうじゃないから。ちがうんだよー。
　お母さんは、手に持っているお菓子の入ったかごを入り口のすぐそばに置くと、手を口に当てて「すっ」と引っ込んで扉を閉めた。
　いや、目が笑ってますがなおかん。
　手に何か当たったような感触があったが、あたしはお母さんの方に気を取られていた。

「……あーあーあー、お茶。お茶こぼしてるって。」
　お母さんを見送ってから、冷静な声で、達也が言う。
　見ると、あたしの手が達也のお茶をひっくり返して、お茶はあたしのノートに。お茶は更に進攻して、テーブルからこぼれそうになっている。
「うわっ！！」
　慌ててティッシュを取り、テーブルの上に次々に投げる。二人で交互に。
　ビックリ急展開も、お母さんとお茶のコンボですっかり台無し。
「あーもう、お母さん、あんなタイミングで入ってくるなんてー。」
　ティッシュを片付けながら、ぼそっと言う。
「俺はね、その時のそっちの反応にびっくりしたよ。」
　苦笑いしながら、達也が言う。
「お茶ひっくり返しちゃうんだから。」
「それはその……。お母さんが来て、ちょっと驚いただけよ。」
　その後は、何事も無く勉強会は終了した。

　その日の夕食時。
「で、たっちゃんとはどこまで行ったの？」
　お母さんが唐突に言った。
　びっくりして、口の中の物を吹き出しそうになった。あぶねぇあぶねぇ。
　どこまでってゆーか、「ちょっとそこまで」って感じなんですが。
　この場合、あたしはどう答えれば良いんでしょう？
「えと、ちょっとそこまで？」
「阿呆か。」
　即座に、兄貴に切り捨てられる。
　いやね、じゃあ、兄貴よ。あんたはどうなのかと問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。
「あたし、おばあちゃんになるのは、まだちょっと先がいいなぁ。」
　なっ、なに言い出すかママン。
「何？　そこまで進んでるのか？　けしからん。」
　お父さんが、口を挟んでくる。
　挟みたい気持ち分かるけど、そこか。
「そんななってないってばぁ……。ちょっと遊びに行くくらいだって。ホント。」

　……と、国会の答弁のような泥仕合となってしまったわけで。
　何とか逃げおおせましたけど。

★

　今日は、街に出て来ている。
　一人ではない。達也と一緒だ。
　成績が順調に上がってるから、親から特別許可を頂いて、お小遣いも貰ってしまった。
　まあなんというか、いわゆる「デート」というやつですか。

　デパートでウィンドショッピング。
「ねえ、この服なんかどう？　かわいくない？」
　服を持って、自分に合わせて見せる。
「うん。そうだね。」

「この帽子どう？」
　かぶって見せる。
「良いんじゃない？」

　小休止。
「……あたしと一緒にいて、つまらない？」
　喫茶店でパフェなぞ突付きながら、聞く。
「いや、そんなことは無いよ。」

　映画館から出てきて。
「面白かったねー。あの、主人公がヒロインを『ぎゅっ』てするとこなんか、感動しちゃった。」
　身振り手振りで、映画のワンシーンを再現。大根役者。
「そうか。ああいうのが良いのか。ふーん。」

　……うわ、今まで気付かなかったけど、もしかして達也って世に言うところの『ツンツン』って奴ですか？
　今更気付いたけど、感情読めねぇ。

　何とか一日が終わって帰宅……受験勉強よりも疲れた……かも。
　遊園地行った時は、もう少しフランクに喋ってたような気がするぞ？
「なーんーでー？」
　そう言いながら、ベッドに力無く倒れこんだ。

★

「ねえ彩花？」
　下校中、依子が話し掛けてきた。
「なに？」
　ここまでは、普段通りの受け答えだ。
「あんた、最近成績の伸びが普通じゃないじゃない？　何か狙ってるの？　志望校も、ランク上げてるみたいだし。」
　そう。実は第三志望に、大本命を入れていた。達也と同じ高校。
「まあね。今までより上のランク狙ってるわよ。」
　狙う先は、達也も受ける進学校。
　そこに受かっちゃえば大学も楽勝らしい、というのは後で知った話。
　ふーん。
　あたしって、やればできる子だったんだー。

　達也があたしの部屋にやってきて、いつものように勉強を教えあっていた。
「あのさ、ここなんだけども……」
　達也が言い掛けたので、顔を上げつつ身を乗り出した。ところが、達也も既に身を乗り出してきてて、もうそれが回避不能となっておりまして、不可抗力とでも申しましょうか……。
　早い話が、あたしと達也の唇が重なり合ってしまったわけで……。
　この瞬間が、あたしには一分にも二分にも感じた。そして、頭の芯の辺りから「じわっ」という感じで、今までに感じたことが無いような、甘美で深い恍惚感が急速に広がって、意識が遠のきかけた。
　でも、その時達也と目が合った。その瞬間に二人とも正気に戻って、ガバッとのけぞって二人とも尻餅をついた。あ……口の中が酸っぱい。「ファーストキスはレモンの味」なんてどこかで聞いたけど、このことなのかー……。うまいことを言う人もいたもんだー。なんて、ボーっとする頭で妙に納得しちゃったりなんかしてー……。
「あっ、そのー……いや……と、ご、ごめん。そ、そそっそんなつもりは……！」
　もう、これでもかってくらい慌てまくって、舌を噛みそうな勢いで一生懸命弁解する達也。
　わかってるって。あんたに、そんな度胸無いもんね……。でも、突然でびっくりしたーぁあ！
「だ、だだ大丈夫ー。あの…あの……さ、お茶にしない？」
　全然大丈夫じゃないけど、そう言いながら、お茶のお盆をテーブルに乗せる。でも、手がガクガクに震えちゃって、ちょっと危なかった。なんだか、体全部に力が入らなくなっちゃったみたいな感じ。顔もちょっと上気しちゃってるしー。
　それでも何とか、ハーブティーを入れることに成功した。
　……ああ……、香りだけでも落ち着くー……ような気がする。
「はい。達也の分。」
　カップをテーブルの上に滑らせて、達也に渡す。手渡しだと、落としそうだし。
「あ、ありがと。」
　ぎこちなくそう言って、カップを受け取る達也。あたしと同じで、カップを持つ手が震えてる。
　お茶を口に運ぶと、カップが歯に当たって「カチカチ」音がしちゃう。その上、お茶の味が全然わからない。香りだけが鼻から入ってきて、うわずってる気持ちを強引に静めようと、脳に働きかけてくる。
「……はぁーあ、びっくりした。」
　壁に寄りかかってだらしなく足を投げ出し、ため息をつく。
「ごっ、ごめん。」
　達也が、慌てて謝る。
「……うん。」
　うつむいて、小声で返事する。ちょっと恥ずかしい。
「……達也、はじめて？」
　興味が湧いたので、聞いてみた。
「うん。……彩花は？」
　達也も初めてだったみたい。
「……初めてよ。」
　ちょっと気まずい空気が流れて、あたし達は自分のカップだけをじっと見つめていた。
「……酸っぱかった？」
　少しの間を開けて、今度は達也から聞いてきた。ちょっと、ギクッとした。
「……うん。」
　なんだか、気分が昂ぶってきちゃう。
「……俺も、酸っぱかった。レモンの味ってどっかで聞いたけど、本当だったんだね。」
　頬を染めながら、達也が言った。
「そう……ね。」
　答えながら、更に気分が昂ぶってきちゃったんで、落ち着くまでちょっと待つことにした。二人で全く同じ瞬間を共有していたってことが、妙に、エッチな気分にさせられる。
　その間、二人ともハーブティーを二杯づつお代わりした。でも、味はわからなかった。

「……でさ、わからないところってどこ？」
　一〇分ほど後、平常心であるかのような演技をしつつ、達也に聞いてみる。内心はまだ、あまり穏やかではない。
「あ……そ、それは、ここ。」
　ちょっと距離を置いて、達也が問題の個所を震えるシャーペンで指す。距離を置いても、あたしの視線は自動的に唇をロックオンしちゃうー。
　そんな視線を、達也が指している問題の個所に無理に持ってきて、簡単に教えてあげる。
「……あたし達って、ラッキーよね。」
　教え終わってから、ぽつりと言った。
「な、なにが？」
　ちょっと頬を染めながら、達也が聞き返してくる。いやね、キスのことじゃなくてさー。
「私達の苦手な教科って、あんまり重なってないじゃない。だからかどうかわからないけど、効率良く勉強が進んでるし、成績も確実に上がってるしね。」
　言うと、達也は納得したように大きく頷く。
　そしてまた、何事も無かったかのように勉強会を再開した。
　でも、さっきの事件を境に、相手の方を向く時には、まず互いに相手の場所を警戒するようになった。

　キスのことはともかく、週末の勉強会のおかげで、冬の足音が聞こえてくる頃には、二人とも成績を合格ラインより上に持ってくることが出来た。合否判定は、二人とも文句無しの「Ａ＋」になっていた。
　また、この頃になると、達也のことが好きという気持ちが、ただの幼馴染以上になっているのを、実感できるようになっていた。

　しかし……
「好き」
　この言葉が、怖くて言い出せなかった。
　あたしの中では、達也との「恋人ごっこ」がまだ続いているような気がしていたから。
　言ってしまうと、今の良い関係がいっぺんに壊れてしまいそうな、そんな魔法の言葉みたいに感じていたから。
　だから、ずっと言えなかった……。

★

　駅で偶然、達也と鉢合わせた。
　十二月の、ある日曜日のことである。
　今日は、互いに用事があるということだったので、勉強会は中止にしたんだけど……。
「……ペアルックかよ！！」
　二人で同時に、突っ込み。ちょ、なんだそれありえないから。
　人ごみの中だったって、言ってから気付く。
　そして、赤面。
「な、なに同じような恰好してんのよ。」
「知るかよ。そんなん、俺の勝手だろ。」
　確かに、その通りだ。
　ホームに出て少し距離を置いて、電車を待つ。
　なんだよぅ、同じ方向かよ。
　う～、なんか気まずい。
　あー、電車電車。やっと来た。
　無言で乗り込む。
　変な方向から押されて、誰かの背中に「ぼふっ」と前のめりに寄り掛かってしまいまして。
「ん？」
　達也の背中でしたー。
「あ、ご、ごめん。」
「別に、何でもねーよ。それより、どっかつかまってろ。」
　電車発車。
　すぐに「がたん」と揺れる。
　思わず、達也の背中にしがみつく。
「……いやな、つかまれとは言ったが、普通そう来るか？」
　ひゃー、何やってるかあたし。
「そっ、その……ごめん。」
「なんだか、電車乗ってから謝ってばっかだな。いいから、そのままつかまってろ。」
「……うん。」
　少し躊躇してから、もたれ掛かるようにして、背中にきゅっとしがみついた。
　目的の駅も一緒だった。
「まさか、目的地も一緒ってことは無いだろう。俺こっち。」
「あたしはあっち。」
　見事に反対方向だ。
「じゃな。」
　そう言うと、さっさと歩き出そうとする。
「ちょ！　まっ！」
　うまく声にならずに、声がちょっと裏返ってしまった。
　本人は『ちょっと待って！』と言うつもりだったのだが。
　恥ずかしくなって、うつむいてしまった。
「どうした？」
　戻ってきて、あたしの顔を覗き込むようにする。
「その、あのさ、クリスマス、暇？」
　上目遣いっていうの？
　そんな感じで、訊く。
「ああ。まあ、勉強以外は暇だけど？」
　クリスマスくらい、勉強忘れようよー。
「あの、あのさ、どっか遊びに行かない？」
　やっとの想いで、出した言葉。
　返答を待っている間のほんの短い時間が、物凄く長く感じられ、胸が締め付けられるような、そんな感覚に襲われる。
「ん……まあいいか。最近、息抜きも無いしな。」
　ちょっと考え込むような所作を見せてから、言った。
　その所作が大人っぽく見えて、少しドキッとした。
　なんだよ、達也のくせに、カッコつけんなよ。
「じゃあ、決まりねっ。」
　あたしはそう言うと、逃げるように走り去った。
　なんで逃げる必要があったのか全然分からないけど、理由があるとすれば、電車の中から今までの一連の流れにある。と思う。

　帰りの電車の中、まばらな車内で椅子の端っこに座って、西に傾いた太陽をボーっと見つめていた。
　クリスマス、あたしは告白するのだろうか。
　プレゼントは、どうしようか。
　頭の中では、答えの出ない問答が延々と繰り返されていた。

★

　約束の日。
　この日は、駅前で待ち合わせしたら、先生とかクラスメイトに遭遇する可能性が高そうだと言うことで、目的地である遊園地現地集合ということになった。
　運が良ければ、待ち合わせ場所に着く前に遭遇できるかも。
　……と思っていたが、そんな都合の良い話はなかった。

「ぃよう。」
　待ち合わせ場所では、既に達也が待ち構えていた。
「待った？」
「あー、電車一本分くらい？」
　なんだ、電車一本ずらしてたのか。
「そんなことよりもだ。ここ、一人だとすげぇ居心地悪いぞ。」
　続けて、苦笑しながら言う。
　今日はやっぱり、カップル率が異様に高い。
　ベンチも、殆どがカップルに占拠されている。
　どこに行っても、カップルだらけ。
　あたしも、他のカップルみたいに腕を……。
「……なあ。」
　腕を組もうと手を伸ばそうとしたところで、話し掛けられた。
　びっくりして、手を引っ込めた。
「な、なに？」
「あー俺ダメ。もう耐えらんない。なんか周り全部、ラブラブ光線出しまくってんじゃん？」
　え……それって、あたしといるのが嫌ってこと？
「外に公園あったじゃん。そこで一息つかせてくれ。」
「あ……うん。」
　そう言い返すのが、精一杯だった。
　互いに黙ったまま遊園地を後にし、公園に向かった。
　あたしは、心の中の疑問を押し殺して、ついて行った。
「ほらやっぱりだ。こっちの方が空いてる。」
　そう言って、達也は空いてるベンチに腰掛けた。
　並んで、ちょっとだけ間を空けて、腰掛ける。
「さっきの……その……」
　疑問をぶつけようとしたが、ここまでしか声が出せなかった。
　返って来る言葉は、否定的な言葉しか思い浮かばない。
　もう、泣きそうな勢いで俯いている。
「ああ、遊園地な。ああいうラブラブな雰囲気、ダメだなー。慣れてなくて。もっとこう、ここみたいに静かな場所の方が落ち着くね。」
　そう言いながら脚を組みかえるのが、視界の端に映った。
　もしかしたら、あたしの考え過ぎなのかも知れない。
　なんか、気恥ずかしくて、相手の方を見れない。
「あの……」
　横目で様子を窺いながら、思い切って声を発する。
　緊張で、声を発すると言うよりは、声を絞り出すような感じだ。
「あのさ……たん……」
　え？　『たん』？
　続けた言葉に、激しく疑問。
「たん？」
　達也、どう声を掛けていいか分からないような表情をして、こっちを見てる。
　……『誕生日』？
　しまった。台詞間違えた。
「……じゃなくって、メリークリスマス。」
　持ってる鞄から包みを取り出すと、凄い勢いで達也に手渡した。
　恥ずかしくて、また俯いてしまう。
「おっ、こんなところで、恥ずかしい奴だなぁ。ん、サンキュ。」
　そう言いながら、表情は優しい。
　少なくともあたしの目からは、そう見える。
「じゃあ俺も。メリークリスマス。」
　そう言って渡されたのは、あたしのと似たような形の包み。柄は違う。
　ちょっと驚いた。
「あけて、いい？」
「うん。じゃあ俺も。」
　二人で、ベンチに座ってばりばりと包装紙を開ける。
　周りからは、奇妙な光景に映っていることだろう。
「あっ」
　包みを開けてみて、驚いた。
「んん？」
　達也も、驚いたような声を上げた。
　サイズ違いのおんなじ手袋が、包みの中にあった。
「なーんーでーこーうーなーるーのーよーおー。」
　なんか意味も無く悔しくなって、手袋をつけて、ぱしぱしと達也を叩く。
　膝の上の包装紙が、地面に落ちる。
「しっ、しらねーよ、偶然だろ。あーもう、包みはいらねぇだろ。ちょっと待ってろ。」
　そう言うと、包装紙を拾ってゴミ箱に捨ててきた。
「ほら、立って。」
　言われたとおりにする。
「手袋、片方だけして、もう片方の手をポケットに入れる。」
「うん？」
　……て言われたとおりにしたと同時に、ポケットに入れた方の腕に腕を絡めてきて、達也もポケットに手を……。
　ちょ、これって、完全に腕組んでませんか？
　なんか変ですけど。
　見ると、達也もポケットに入れてない方の手は手袋してる。
「ちょ、ねぇ。」
　恥ずかしくなって、ちょっと体をくねらせた。
　現実問題として、恥ずかしいわけですけど。
「ん？　嫌か？」
「そ、そんなことは……。」
　言葉を続けることができない。
「じゃあ、飯でも食いに行くか。」
　達也の方を見ると、ちょっと硬い表情になった顔があった。
「……うん。」
「その……『ごっこ』じゃないから。」
　少し歩いて、達也が言った。
　何を意味してるのかは、よく分かった。
「うん。」

　ポケットに手を入れて腕を組んだ、微妙な距離。
　この距離が、互いに丁度いい距離なんだと、そう思う。
　互いの気持ちは確認できた、と思う。

　あたしたちは、やっとスタートラインに立つことができた。
　これから先、どうなるかは分からないけれど。

－『Pockets.』Fin.