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MANAコミュのタヒチのMANAに関する翻訳の続きです

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ニュージーランド
マオリ人(ニューシーランド先住民)たちはカヌーに乗った太平洋横断の大移住の間にこの島を発見し、《長い白雲の陸地》のようだと思い、《アオテアロア》(Aotearoa)と命名しました。言い伝えによると、二つの島の西側に沿って(伝いに)航海したポリネシア人の航海者(海洋探検家)は、クペでした。彼は、故郷に帰り着くと自分の発見を知らせ(告げ)、彼の案内に従って、最初の移住者たちが日没の方角に出航(lift their sail)しました。彼らが選んだ航海で、雄鶏(鶏)、犬、鼠、スイートポテトが持ち込まれました。
わたしたちがその時代のマオリ人の神話の境界へと遡るならば、ニュージーランドの北島は、半神のマウイの超人的な力で海からつかみあげられた、巨大なエイだったのです。南にあるその《魚の頭》は、現在の首都ウェリントンです。イースト岬とエグモント岬は《魚のひれ》で、ノース岬は《尾びれ》です。そのすばらしい獲物を天の祖先に感謝するために出掛けていたマウイの不在中に、彼の貪欲な兄弟たちが争そいを始めて、魚を分けてしまいました。断末魔の苦しみの間、魚がもがき体を曲げた(身をよじった)ので、ニュージーランドにはとてもたくさんの山があるのです。
南島にはマウイのカヌーの型があり、スチュアート島は錨に使った石です。さらに、北島の東部沿岸のウエポハートゥス(Uepohatus)には、マウイの石化したカヌーが聖なる山ヒクランジ(Hikurange)の頂上に置かれています。
マオリ人の万神殿(神々を祭った建物)は、森、海、風、雨、地震などの自然の力とその分配(境界)を支配するたくさんの神々を含んでいます(神々が祭られています)(count)。祖先の頭髪があらゆるものに密接に関係していて、彼らの子孫や部族の問題に関わっているのと同様に、人間と日々の生活により身近なものは地元の霊(精霊)(local spirit)です。
『乾燥したマオリ人の頭部』(A Dried Maori human head,Pyal museum of art and histry、Brussels,Belgium)
言い伝えは、マオリ人が死ぬ時は、北島(north island)の(sepentrional point)である(form)レインガ岬を通って(by)、人間(死すべき者)の領域を離れることを命じています。とても古い木がそこにあり(located their)、死者のための(plunger飛び込み場?)として用いられていて、それによって死者は別の世界に加わります。部族の争いはマオリ人の生活の完全な(統合された)(integrated)一部(要素)であり、敵のマナを自分のものにするために敵の体の一部を食べました。
敵の族長の頭はいぶして勝利の記念として保管(保存)されました。マオリ人は敵と戦うために魔法(呪術)を使い(用い)ました。彼らは、自分たちの生命力は神によって悪い霊から守られているが、タブー(禁忌)を破ったり魔術師の犠牲となったりすれば、この特権は取り去られることもありうると考えていました。犠牲者がかなり弱れば、この状態は死に至ることもあり、唯一の解決法は、呪いを取り消すこと(解呪)の限られた権威者である偉大な神官の強力な魔法(魔術)にあるのです。
『マオリ人のティキ(ティキ像)、グラスゴーのフンテリアン美術館』(Maori Thiki,Hunterian Museum Glasgow)

積荷崇拝(カーゴ・カルト)
太平洋のたくさんの(様々な)島と、1880年代から少なくともフィジーの島々で、その信仰は生まれ、神秘的な(不思議な)方法で、食べ物と《白人》として生きる方法を手に入れ(得)ようとしました。白人は小さな箱の中で語り、(その箱は)種まきや(農作物を植えたり)狩りや漁や製作(生産)の(をしたりする)つらい時がないように、供給品と用具でいっぱいの、ほかの入れ物(容器 vessel)や飛行機やヘリコプターを魔法のように出現させました。それゆえに、島の先住民は同じ結果を得るためにこれらの効果のある(powerful)儀式を再現しました。幾人かの預言者が現れ、彼らの祖先が缶詰や家具やラジカセ、冷蔵庫、研究(調査)されたほかの消費品でいっぱいの飛行船(vessel)がやって来ると宣言しました。彼らがするべきことは、(飛行機の)格納庫と貨物をしまう(蓄える)倉庫を作る(建設する)ことでした。場合によっては、重要な日の到来を早めるためにお金や家畜を水の中に(through throwの間違いか?捨てるように)、預言者が信奉者たちに命じることもありました。積荷崇拝の(game)が行われた第二次世界大戦では、飛行機を輸送した(運んだ)アメリカ人兵士が、島の先住民にとっては富の外面的なたくさんの表れであるような、コカコーラやジープ、トラック、缶詰の食糧、タバコ、フィルム(映画)などを輸入したので、その富の提示において、(アメリカ人兵士が)霊的な力の指導者と呼ばれました。彼ら(島の先住民)は仮設滑走路をつくり(建設し)、飛行機の模型を作りました。
積荷崇拝のひとつは、ヴァヌアツのタンナ島の(Florissant)で、そこには第二次世界大戦中、アメリカ人の軍隊やANZACも配置され(駐在し)ました。この宗派の信奉者たちは、しばらくの間、飛行機隊の《積荷》を届けるために外国から赤い飛行機でやって来て、すべての白人を追い払ってくれる、ジョン・フラムと呼ばれる《白人救世主》を待っていました。ジョン・フラムの写真(肖像画)は、同じ名の組織の飛行機航空路を祝うために、戦争中に清潔な生活必需品を無料で配った赤十字によって結び付けられた(identified)聖域(聖所)に置かれて(expose)います。
ジョン・フロムの不可解な(なぞめいた)正体は、有名なアメリカ人の(奴隷制度)廃止論者であるジョン・ブラウンか、単に洗礼者ヨハネだったかもしれませんが(could)、ある人々にとっては、《アメリカから来たジョン》を短縮した名前です。ある信奉者たちは、缶詰めの空き缶をつなげたラジオのアンテナを作り、ジョン・フロムの到来の発表(知らせ)を待ちました。彼らは積荷の係留所のために浮き桟橋を作りました。
もうひとつの積荷崇拝は、サロモン島で行われていましたが、そこでもアメリカ軍の気前のよさ(物資の豊富さ generosity)の利益があり、黒人が白人と同じ食べ物を食べ、裕福にも思えたことを、全住民が実感していました。ひとつの新しい運動が起こりました。それは、行進(行軍)の習慣(marching rule)で、目標はアメリカ人を戻らせることでした。村からやって来た多くの人々は島の中心部を離れ、彼らが海岸線に沿って作った《都市》へ引っ越しました。未来に到着する供給物を蓄える(しまう)ために小屋の通りが作られ、水平線を観測(観察)するために交替で行う見張りの計画が立てられました。時々瞳の前に二つのビンを並んでつかんで、双眼鏡をつけたアメリカ兵を真似ました。

人類学者にとっては、積荷崇拝は植民地支配と宣教師たちの抑圧に対する反抗の典型を象徴して(表して)いました。第一に、白人と同じ生活水準に近づくために、島の人々は白人の社会階級(社会的地位)にまで地位を向上しキリスト教主義(思想)へ変えよう(改宗しよう)と試みました。彼らの失敗に直面し、白人は故意に彼らの繁栄を隠しているのだから、自分たちの魔法宗教の信仰を創るために白人の教会を捨てたのだ、という結論(推論)を持つ人もいます。例えば、パプワニューギニアのある地域では、白人の繁栄は、最高の神とキリストの隠された(秘密の)名を知っているという事実と、その二人はどちらも実際に大切な(重要な)ニューギニアの神々であるという事実によるためだと認めて(認めることによって)、ある信仰が創られました。教育(学問)の普及(向上)と植民地支配の点火者によって、成功のためのより伝統的な方法が太平洋の島々の住人に開かれ、仕事の運営や軍隊によって(と比べると from)、積荷崇拝の魅力的な力は面白みがなくなったことに気づいたのです。

南洋の霊魂

様々な方言や習慣、信仰を生み出した多様な社会が、太平洋に点在しています。ある島々では、信仰は海や森、農業の伝統的な神々のため、そして、大抵暮らしのために行われ、その神々は身分(地位)によって表されたり、棍棒(スティック)や櫂によって象徴されたりしました。この神々はトランス状態の神官に憑依し、その口を借りて考えを述べました。重要な決定を行わなければならないかどうか、神々は毎回助言を求められました。
ハワイ人が崇めていた戦の神《クー》は、ほかの神々と同じように、ヘイアウ(Heiau)という、石の壁の内側の木でできたもの(wooden)やシダ(fern)の中に隠されていました。犬や鶏や魚、時には人間の生贄が神々に捧げられました。石や木や羽の中に、人間の髪と犬の歯と真珠貝の殻でできた目のある神の小さな像が置かれました(?)。土台は地面に突き刺すために鋭く削られることもありました。ホノルルを見下ろす(にそびえ立つ)キラウエア火山の噴火口が、恐ろしい女神ペレの主人役だったので、全住民(人々)はペレの癇癪の突発(噴火)をジュニパーベリー(juniper berry)や時には豚や人間(の捧げもの)で静めようとしました。
高位の神々は、一般に(普通)人間の幸福や日常生活に注意を払うことができるものからはるかに遠い存在として考えられています。下位の精霊や家族の守護者(ファミリーガーディアン)、手工芸品、木々、イワ、死者、祖先への捧げものによって働きかけられていました。例えば、ビスマーク諸島では、家族の長が死ぬと(at his death)守護神になりました。その頭蓋骨は、家の入り口(玄関)に置かれ、無縁な(有害な)霊を追い払い、最愛の人たちから目を離さず、結果によって満足や罰を与えました。

Dancing paddle イースター島、Natural museum of Natural History Smithsonian institute Washinton

トロブリアンド島では、死者の霊との接触(触れ合い)が続けられるかぎり、特に多産(豊富)の領域で子孫を救うために、死者の霊が現れました。彼らは毎年彼らのために計画される祝典の間、村を訪れ、その時に家族の構成員が彼らに助言を求めることができました。彼らは家族の夢や巫女の仲介者にも現れました。
霊魂は仮面や彫刻によって表され、その祝典の間人間の姿になります。タヒチ島では、いくつかの儀式や大事な(重要な)役割を演じるダンスと太鼓が、エロティシズムの(high load)を含んでいて、霊魂を喜ばせ、魔法の様式(模様、原型 pattern)と自然の豊かさ(fertility)を保障する(ensure)ように予定されている(?)全員の大騒ぎ(general orgy)で終わりました。ハワイ人は、雨の神を礼拝するために、サーフィンとボクシングの試合と釣り合いの取れた(assorted)、慎みのない(気ままな)飲酒とセックスの実践(practising)によって収穫を祝い、そこでさらに豊かさ(生産力、多産 fertility)を促進する(encourage)のです。(?)
南洋の人々にとって、必ずしも死者と祖先の霊魂と、動物や土地の霊魂を区別する深い溝がありませんでした。それゆえに、彼の主人役である(host)霊を敬うことによって、あるいは彼をいじめたり(いたぶったり)怒らせたりしないようにすることで(?)、鮫を食べている人間の中に素晴らしい人格を持つ死者の霊魂を見ることが本当に可能であり、鮫に襲われ、戦って助かった人間が、最後に動物に動物に戻ることもありえたのです。
本質(essence)によって、霊魂は非常に保守的です。慣習(しきたり)や伝統の正当な理由(warrant)(?)、儀式は最も重要でない細部まで尊重されなければならない、と彼らは強調して(強く主張して)います。彼らは最も小さな道徳や社会からの逸脱(deviation)と同様なものすべてに(all as the same for)腹を立てたので、人はこれまでずっと行われてきた方法で漁をし、大地を耕さなければなりません。さもなければ、彼らの癒すことのできない(untreatable)苦痛を引き起こしてしまいます。(?)
God《Ku》Bishop Museum,Honolulu
最も近い島のひとつまで約4000キロメートル離れた、太平洋のちっぽけな彼らの島に建てられた、イースター島の不思議な像は、その場所(空間)に彼らの外観を(plunge)しています。
燃え尽きた噴火口(火山)の凝灰岩を彫刻したもので、高さは約6メートル、重さは10~80トンあります。大きな耳と長いあごのその顔はとても釣り合いが取れていないので、体の台は重要ではないのです。いくつかは別の種類の火山岩でできた帽子の一種である赤い柱を載せられています。彼らは祭壇に並べられ、18世紀の間にオランダ船によってこの島が発見されてから、絶え間なく尊敬の念と好奇心を掻き立てています。
1774年にクック船長がイースター島と名づけた時、どの像は名前を持っていて、原語で《首長》を意味する言葉でしばしば作られた、と彼は(Pascuan)に教わりましたが、それゆえに(?)、これらの巨石が祖先崇拝のもっとも壮大な世界的表現のひとつを構成しているのではないかという気がします。

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