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70's 80's洋楽コミュのおすすめ〜コンポーザー、プロデューサー篇

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アーティスト単位でなく、この曲はあの人が作っていた、とか、この名盤と名盤のプロデュースは同じ、とか、裏方から名曲をせめる趣向で僭越ながらたてさせてもらいました。

コメント(21)

まず、手始めに。
20年前の1986年、低迷期を迎えていたアンとナンシーのハート姉妹が「ジーズ・ドリームス」で初めてビルボードシングルチャート1位となりますが、この全盛期以上の復活の原動力となったのは、当時売れっ子だったプロデューサー、ロン・ネヴィソンの手腕といわれました。
ロン・ネヴィソンといえば、80年代よく聞いた名前です。

サヴァイヴァーの『ヴァイタル・サインズ』、『ホエン・セカンズ・カウント』も彼のプロデュースでしたし、オジーオズボーン『罪と罰』、ヨーロッパ『アウト・オブ・ディス・ワールド』もそうでした。
シカゴの「ルックアウェイ」が入ったアルバムもこの人です。
エイジアのジョン・ウェットンがソロで出した名曲「バトル・ラインズ」もそうなんですが、やっぱり大仰な曲づくりで共通してるんでしょうか(笑)。
おお、フィル・ラモーン。
ラモーンズとは何の関係もないのに擬似兄弟と誤解されるフィル・ラモーン(笑)。
『ニューヨーク52番街』が代表作ですかねぇ。
70年代はあまり知らないので、いろいろ紹介していただけると助かります。

ということで、70年代に少しかかるところで、ジム・スタインマンも。

『スクール・ウォーズ』というドラマ(大映作品)があって、その主題歌「ヒーロー」は、ボニー・タイラーが『フットルース』のサントラでいれていた曲のカバーでした。この作曲がジム・スタインマンです。

この『スクール・ウォーズ』には続編があって、やはりスタインマンの曲(「ファイアー」)が使われました。この「ファイアー」は、後にミートローフ『地獄のロックライダーII』でも使われます(Out of the Frying Pan (And into the Fire) )。

『地獄のロックライダー』以後、ミートローフとスタインマンは一時関係が決裂したものの、93年に和解し、その続編で再び大当たりして、なんとシングルまで1位に。アメリカ人にとって『地獄のロックライダー』というのはそんなに売れる要素があるのかと…

他のスタインマン作品では、ボニー・タイラーの「愛の翳り」(83年・最高位1位)、この曲のおかげで1位になれなかったエア・サプライの「渚の誓い」(83年・最高位2位)があり、良くも悪くも雰囲気は似ています(笑)。
映画『ストリート・オブ・ファイアー』でお馴染みの「今夜は青春」(日本語カバーは「今夜はエンジェル」)もこの人。やはりコーラス前の盛り上がり方とか似てます。

スタインマンは81年にソロアルバムを出していて、この中の曲を再利用して、ボニー・タイラーやエア・サプライに提供した感じが強いです(笑)。
<彼のサウンドはサビでかなり高く上げて最後は静かに締めるパターンがほとんどのような気が…w

誰が歌っても作曲者が特定できる稀有なケースですねえ(笑)。ああいうロックオペラ調を日本語カバーすると、80年代前半の大映ドラマにマッチするというのがなんとも。。。
大映ドラマといえば、『スチュワーデス物語』で、風間杜夫がサヴァイヴァーの曲をカバーし、挿入歌になったことをご存知でしょうか(笑)。
かつて「スチュワーデス物語」の再放送を見ていたら、堀ちえみと教官がダンスをするシーンがあり、そこで流れる音楽がなぜか教官の歌う曲(風間杜夫「100 ℃でハートビート」)。。。
当時もここは笑うところだったんでしょうか(笑)。

これは、サヴァイヴァーの82年のTOP20ヒット「アメリカン・ハートビート」(http://www.youtube.com/watch?v=bjEsKLdgqKM)のカヴァーなんですね。
今なら、風間杜夫の曲のほうを探したいです。
けど、なんでこんな曲をカヴァーしたんだろう…(笑)
『Vital Signs』と『When Seconds Count』ともロン・ネヴィソンのプロデュース(しつこいですが)。

この間に、ロッキーのサントラ用「Burning Heart」があって、2位まで行ったんだからたいしたものだなぁ、と思います。

自分たちの「High on You」に似たような曲がまたあるのもご愛嬌(タイトル忘れました)。

サヴァイヴァー凋落のプレリュード、『Too Hot to Sleep』は、さすがに覚えていらっしゃらないでしょうか。
ここには久々の書き込みです(笑)。

紙ジャケリリースされたELOの『バランスオブパワー』を聴いて、86年当時のことがいろいろフラッシュバック。。。

この頃、ヒュー・パジャムというプロデューサーの名前をよく聴きました。

一番成功したのは、ポリスのプロデュースなんでしょうけれども、フィルコリンズとの共同作業もすごくて、その影響からジェネシス『インヴィジブルタッチ』もヒュー・パジャム。

ポール・マッカートニーも『プレス・トゥ・プレイ』でヒュー・パジャム。

「パジャム」という発音が似ているので(笑)、ついでに「ザ・ジャム」の話題を。ポール・ウェラー抜きで再結成するそうです。
XXX抜きの再結成、多いんですかね、ヴァンヘイレンも結局
サミーヘイガーでやるらしいですよね。
テニスおやじさん

『1984』まではデイヴリーロスのいないヴァンヘイレンは考えられませんでしたが、サミーヘイガーで結構慣れてしまいました。『5150』は傑作ですがもう20年前ですか。
とうとう「ヴァン・ヘイガー」なんて呼ぶ人もいたし。。。

16卓さん

ヒューパジャムって、XTCでスティーヴ・リリーホワイトとプロデュース関係だったと思います。
というか、XTCの作品が一番いい仕事だった気がします。もちろんポリースもですが。

フロントマンが抜けて一番きつかったのは、ジムモリソンのいなかったドアーズじゃないでしょうか(笑)。
ドライブのおとも。GEORGE BENSON 、 ぎみざない としか聞こえんかった
80年の名作。
チョッパーといえばのTHE BROTHERS JOHNSON, STOMP!
PATTI AUSTIN、 DO YOU LOVE MEもTOP40入ったんでは?
PRODUCEという意味ではRUFUSもやってますね。
でも 一番すきなのはご本人のTHE DUDE。またCMで使われてますね、カバー曲。
このトピ書き込みは10ヶ月ぶりのようですねわーい(嬉しい顔)。

THE BROTHERS JOHNSONって、A&Mレコード所属でなかったですか。
ポニキャニでディストリビュートしてて『ルックアウトフォーナンバーワン』が日本盤で出てた記憶がありますけど、クインシープロデュースだったとは。

しかし、もしかして彼のプロデューサーとしてのステイタスが最高潮だったのは、マイケルの『BAD』あたりだったんでしょうか。
(シングルの「BAD」は今聴くと、ジャジャジャジャ♪で始まるオーケストラルヒットがなんか笑えるんですが、当時はやっぱりあのアルバム、さすが6年ぶりという感じでした)

私が関心持っていたころは、クインシージョーンズというと、「プロデューサー>ミュージシャン」でしたが、最近はむしろ山田優のCMで「愛のコリーダ」が流れてたこともあって不等号がひっくりかえっているんでしょうか。

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