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ファイターズLife!!コミュの田中 幸雄 知識の泉

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田中 幸雄(たなか ゆきお、1967年12月14日 )
ポジションは内野手
宮崎県都城市出身(延岡市生まれ)

【来歴・人物】
都城高等学校では2年生の春夏に連続して甲子園に出場。1985年のドラフト3位で日本ハムに入団した。同期に「KK」こと、PL学園の清原和博、桑田真澄らがいる。

1年目から一軍で活躍し、プロ入り2打席目で本塁打を放った。1988年にはファン投票1位でオールスターに出場し、全試合出場をし、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。以降、堅実なプレーと毎年コンスタントに20本塁打以上を放ち続ける長打力で、遊撃手のレギュラーと不動の4番に座り1991年まで全試合出場を続けた。

1992年はヒジの軟骨を痛めて手術を受け、1試合に代走で出場したのみである。

1993年から再びレギュラーとして活躍し、中距離打者として安定した成績を残した。1995年にはイチロー、初芝清と並ぶ80打点で念願の個人タイトル・打点王を獲得、本塁打もトップの小久保裕紀に3本差の25本。1997年8月12日に全打順本塁打を記録。日本ハムが誇る、球界屈指の最強打線・ビッグバン打線の4番も務めた。2000年にはシドニーオリンピック野球日本代表に選出され、チーム最年長選手として存在感を見せた。

2002年の規定打席到達を最後に出場機会が減少。2003年から、加齢と打撃不振により、遊撃レギュラーを剥奪される。現在は一塁手・指名打者か、代打での出場がほとんどである。

しかし、2005年8月27日の福岡ソフトバンクホークス戦では通算1000打点となるサヨナラ安打を、2006年5月9日の中日ドラゴンズ戦(交流戦、札幌ドーム)ではプロ入り初となる代打サヨナラ安打を放ち、健在ぶりをアピールしたほか、現在でも2000本安打への挑戦が続いている。達成すれば、シーズン打率3割、150安打共に1度も達成していない選手では柴田勲以来2人目となる。

球界きっての人格者としても知られており、金村曉が「優勝してコユキさんを胴上げしたい」と語り、ファンの間でも「ミスターファイターズ」と呼ばれるなど、生え抜きのベテランとしてチーム内外から親しまれている。ホームゲームで名前がコールされたときの歓声の大きさは小笠原道大やSHINJOにも引けを取らない。大のファイターズファンとして知られるコラムニストのえのきどいちろうは、北海道新聞に連載されているコラムの第一回で、ファイターズを象徴する存在として田中幸雄に関するコラムを執筆した。

2006年10月12日にはプレーオフで福岡ソフトバンクホークスを破り、リーグ優勝、10月26日には日本シリーズ第5戦目で4対1で中日に勝利し、プロ生活21年目にして初めてリーグ優勝と日本一を経験し、胴上げも経験した。

なお、元チームメイトの松浦宏明とは義兄弟であった。田中の妻と松浦の妻が双子の姉妹であるため。


【経歴】
生年月日:1967年 12月14日
身長/体重:184cm/89kg
投打:右投右打
血液型:O型
出身地:宮城県・都城市
球歴:都城高−北海道日本ハム(1986年〜2006年)
推定年俸:2000万円(2007年)

【表記】
1986年から1989年にかけて、同じチームに同姓同名の投手が在籍したため、球場のスコアボードや新聞紙上では

投手の田中幸雄を田中幸
内野手の田中幸雄を田中雄
と表記した。ポジションが異なっていたため実況中継では特に混乱は無く、場内アナウンスでは背番号によって区別していた。ただし、日本ハムのことをよく知らない者からは「『雄』で始まるユキオとはどういう字なのか?」と疑問に思われていたようである。

日本ハムには幸雄以外にも田中姓の選手が多く、入団した1986年から1987年までの期間、日本ハムには2人の田中幸雄の他にも田中富生、田中学が居り、合わせて4人の田中姓が在籍していた。1989年オフに投手の田中幸雄がトレードにより退団したが、この頃在籍していた大内実が1991年オフに田中実と改姓し、1990年シーズンから「田中」表記となっていた田中幸雄は、僅か2年で「田中幸」の表示に変更された。その田中実が退団したことによって1994年から暫くは田中幸雄の表記は再び「田中」になっていたが、2000年に同じ内野手の田中賢介が、2001-2002年には田中聡が加入し、現在は再び「田中幸」表記である。

ちなみに同姓同名で漢字表記も同じ選手が同一チームに在籍していた例は、過去に1971年・西鉄ライオンズの高橋明と、1982年・阪神タイガースの佐藤文男がある。

【愛称】
ミスター・ファイターズ
ファイターズ一筋20年目の事から。
コユキ
コユキという愛称だが身長は184cmであり、けっして小柄ではない。かつて同じ日本ハムに在籍していた同姓同名の田中幸雄投手(前述)の身長が190cmであったため、僅かに大きかったこちらをオオユキと呼び、それより僅かに小さい内野手のほうの田中幸雄をコユキと呼んでいただけの話である。だが、この愛称はチームメイトやファンには浸透している。

【タイトル】
打点王
1回 (1995年)
ベストナイン(遊撃手部門)
5回 (1988年、1990年、1991年、1995年、1996年)
ゴールデングラブ賞(遊撃手部門)
5回 (1988年、1990年、1991年、1995年、1996年)
オールスター出場
7回 (1988年〜1991年、1994年〜1997年、1999年)

【記録】
339回 守備機会連続無失策
1995年6月7日から同9月21日にかけて記録。パ・リーグ・遊撃手ポジションの最高記録(いまだ破られていない)。
4年連続全試合出場
1988年〜1991年にかけて。
全打順本塁打
プロ野球史上3人目の快挙。

【背番号】
37(1986年〜1990年)
6(1991年〜)

一軍初出場:1986年6月10日、対南海9回戦(後楽園球場)(9番・遊撃手として先発出場)
一軍初安打:同上(本塁打、投手:井上祐二)
一軍初打点:同上
一軍初本塁打:同上

【通算記録】
通算出場試合数 歴代24位(日本ハムの生え抜き選手としては最高出場数)
通算打席数 歴代24位
通算打数 歴代12位
通算打率 歴代29位(7000打数以上)
通算得点 歴代39位
通算安打 歴代35位
通算二塁打 歴代13位
通算三塁打 歴代131位
通算本塁打 歴代35位
通算打点 歴代27位
通算犠飛 歴代27位
通算三振 歴代9位
通算併殺打 歴代22位
通算四球 歴代64位

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