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MIXI 行政書士連合会コミュの脱 烏合の衆 

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このごろ巷に飛び交う「おいしい言葉」
「熟議」「深耕」「深掘」 「新しい公共」など。

耳に優しい言葉は「毒薬」である。
人民をして「桃源郷」を夢見る「麻薬」となるからである。

しかし  しばらくすれば
人々も「心地よい言葉」「おいしい言葉」に耐性菌が出来てくる。

そして
その浮かれ言葉の裏にある
「本物正則」にある「統治の術」のなさ・・・に気づいてくる。

マニュフェストなる薬が
今は全く効かない代物であることは、子供でも知っている。



明治維新 大東亜戦争 そして民主党政権と続く
統帥権 統治権 意志決定・指揮命令の明確化を欠いた国家運営



我が所属する組織も同じ。
組織間でどう組み立てようと
途中で断絶する意思疎通ライン・・・・絶句なのだ。


日行連と日政連の統治権の争い。
本末転倒の組織運営。

もともと政治連盟に組織本体の統治権はない。
あると錯覚するから
いまやエジプト化しつつある。

不満を抱く行政書士が
第二の政治連盟を作ることもあり得る。

日本行政書士会連合会は法的に一つしか作れないが
日政連は自由である。

現に
日本行政書士政治連盟は
最初は支部しかなかったのが

今は政治連盟支部と
都道府県政治連盟の二つで中央の日政連が構成されている。
第三 第四支部が出来てもおかしくない。

日政連が日本行政書士会連合会と争うのであれば
日政連組織が分割 崩壊する。

内部統制が問われることとなる。


労働組合も
社会党系と民主系に二分する。

思想信条 結社の自由によって成り立つ組織が
紛争に明け暮れていてはどうしようもない。


民衆も集まれば暴徒化し、衆愚となる。

行政書士制度60年の歴史が音を立てて崩れている。

その音を 
政治家 行政 ライバル資格組織が
聞き耳を立て 戦略を練っている。

日本行政書士会連合会
行政書士制度を熟成する唯一の組織である。

日政連が行政書士制度を熟成する組織ではあり得ない。
もしそうだと信心させられている者が居れば
それは「異物変則」という目くらましに酔っているに過ぎない。

政治主導・・・
行政主導の反対語ではない。同義語でもない。
そうでないことは現在の民主党が証明してくれている。



日本行政書士会連合会は
すべてを睥睨し
外界にも睨みをきかす責務がある。

良かろうが悪かろうが
代替が効かない組織なのだ。


「異物変則」と「本物正則」を考えてみよう。

行政書士組織に係わる者達への警句が
読売新聞に掲載されたので
以下に「引用」する。  当たっているからコワイのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 
         地球を読む
    脱 烏合の衆  「統治の術」民・自とも欠如

 政治を見たくない。語りたくない。
メディアの報道から思わず顔をそむけてしまう。

国会の冒頭、菅直人首相が、なんと言ったかをフォローする気にもなれない。

大多数の国民が、今そんな無気力感、脱力感に陥っている。
このところずっと何だかだめなモノをやはりダメだと確認しつづけてきたせいだ。

政局でも政策でもない。
もはや政治や行政を統べる?統治″の構造や場を、
何とかせねばならない段階に来てしまったためではないか。

明治維新直後の政府のあり方にアナロジー(類似)を見る。

今は亡き政治学者、佐藤誠三郎によれば、
大久保利通が当時目のあたりにしたのは、
「真の法則立たずして、各自に専恣して、乱るること麻のごとき」
維新政府の実情であった。

そこで大久保は
「人々物数寄を以て申し立て、それを政府にては押さえる手もできず、
言うままに動く」現状を変革せねばならぬと考えていたのだ。

大久保の言は、それから140年たった今の政府に、ぴたりあてはまるではないか。

 では大久保の解決策は何であったのか。
今しばらく明治維新期へのタイム・トリップを続けよう。

日本の急速な近代化の実現こそが、当時の政府の国家目標であった以上、
それを達成するための?統治″の確立こそが、まず求められた。

大久保はそのため、機密保持と指揮命令系統の明確化を、
「烏合の衆」と化した政府にくり返し強調している。

 そこから大久保は「衆議」「続治の術」と「公論」を峻別し、
「異物変則」と「本物正則」との緊張関係を自覚して、
?統治″の方法として用いることを説いた。


「烏合の衆」から脱しえぬ政府に当座必要なことは、
無責任かつ無定見な「衆議」から、
国家のあるべき姿を映し出す「公論」を紡ぎ出し、
理想としてあるべき「本物正則」を忘れることなく、
あえて速効的実現が可能な「異物変則」を用うべしと言うことに他ならない。


 こうして「死の跳躍」を試みた維新政府によって、
日本はアジアで唯一の近代国家となるのに成功する。

ところで今の日本が直面しているのは、
中国や韓国などのアジア諸国の中で、
日本は唯一の停滞国家になりつつあることだ。


 明治維新から一世紀半たって、
アジアにおける日本の国力のベクトルは、明らかに正反対の方向をむいている。

外交、安全保障はおろか、財政・社会保障まで含め、
すべてにおいて現状変革の「公論」を求めながら、
「衆議」の中にすっぽりと埋没し、脱却のための方法として、
「本物正則」は何か、それに代わる「異物変速」は何かを見失っているのだ。


「熟議」デモクラシーも「新しい公共」観念も、
与野党関係なく、?統治″の術として活性化していない現状は、
まさにそれを物語っているのではないか。


 次のタイム・トリップでは、政党政治を確立し、
?統治″の安定に尽くした政友会総裁たる原敬の
メディアに対する警告に焦点を合わせよう。


政治家としてメディアの関係者と常々書生論を闘わすのを好んだ原 敬は、
政友会攻撃をくり返すリベラルなジャーナリスト馬場恒吾を前にこう言った。

「君たちは出る釘出る釘をみんなたたいている…
そんな平凡な人間ばかりになるではないか」 

「君は今度の内閣を攻撃するが、そう出る釘々の頭を叩いては、
日本に偉い政治家がいなくなるぞ」と。

 馬場はやがて1930年代に入って、
政党政治の没落と軍部・革新官僚の台頭の様を見た時、
初めて原の警句の意味を知った。

 これまた今の政治家とメディアの関係にも示唆的である。

それとばかりにモグラたたきよろしく
政治家を打ち続けるのが仕事と心得るメディア。

そのうち育つべき人材がいなくなってしまうのだ。



 そしてタイム・トリップの三つ目。

戦前の政党政治における?責任政党″は、他ならぬ政友会だった。
1930年代半ば、政権奪取にのみ関心がむき、
視野狭窄に陥った政友会は、
政党政治という?統治″の場を攻撃し続けることによって、
自らの?統治″の正統性を喪失し解党に追い込まれた。


戦後の政党政治における?責任政党″は、いうまでもなく、
半世紀あまり?統治″に携わってきた自民党である。

今 自民党もまた政権奪取のための視野狭窄に陥っている。
本来この政党にある責任政党としての記憶と自覚が蘇るならば
?統治″そのものへの貢献こそ、なすべきであろう。

民主党の政権担当能力の欠如は、
既に明治維新政府とのアナロジーで述べてきた通りだ。

しかし
戦後政治の?責任政党″という自民党のもつ歴史的特性に思いがいたるならば、
自民党もまた、
かつての野党時代のもの知らぬ民主党と同じ行状を
くり返していてはしようがないのではないか。 


とはいえ、解散・総選挙が
今や党をまとめ活性化させる唯一の手段と思い定めた自民党は、
このような?書生論″に聞く耳持たぬであろう。

逆に4年任期をまっとうすることがこれまた一枚看板になってしまった民主党も、
このままモノを余り考えずにひたすら前へ前へ進むであろう。

 ここで?統治″の基本原則を明快に規定した日本国意法に触れておきたい。

衆参両院と内閣のあり方のおさらいになるからだ。

わが憲法は、
内閣が衆議院を基盤に成立すること、
衆議院が参議院より優位な地位を占めることを、規定している。

すると確かに、
参議院優位はここ20年の?統治″の「異物変則」そのものと分かる。

小泉純一郎首相(当時)が、
この「異物変則」に対して
衆議院解散という新たな「異物変則」をもって応じたのは記憶に新しい。


 さてどうするかだ。


衆議院優位という「本物正則」に統治の構造と場を再生させるために、
「大連立」というこれまた新たな「異物変則」がささやかれている。


与野党「協議」もあるいはそのための入り口として、
設定されようとしているのかもしれない。

しかし、今のままの議員構成で本当にそれは可能なのだろうか。

 3月危機、6月危機が叫ばれている現状では、
絵に描いたモチにすぎないことは明らかだ。

だとすれば、ここまで硬直化した与野党関係を解凍するためには、
またまた「異物変則」なのだが、解散・総選挙という劇薬しかないのではないか。

その先に事態を「本物正則」に再生させる手立てを、
見すえるしか、残された道はないように思える。


読売新聞 2011-01-31朝刊「地球を読む」御厨 貴 東大教授より引用

コメント(1)


motakinさんの、
>日政連が行政書士制度を熟成する組織ではあり得ない。
>もしそうだと信心させられている者が居れば
>それは「異物変則」という目くらましに酔っているに過ぎない。

 「地獄への道は、善意で敷き詰められている」を思い出した。

 例えば、
 日行連と日政連は車の両輪に例えて、行政書士の制度への
 意識を醸成させ酔うとするものがいる。

 わたしに言わせると、車の両輪説は、まやかしだと思っています。

 なんとなくだが、この両輪説は、宗教法人、「宗教団体とその政治団体との関係を
 思い起こさせるがある。

 違うかもしれないが、行政書士の政治団体の濫觴は、
 一人の自民党議員から口利きで、選挙応援支援する組織として立ち上げさせたのが
 始まり、だっと思う。(たしか、中曽根大勲位閣下がまだ総理になるまえだったような)
 行政書士会が選挙活動、つまりは組織的応援できないからだ。

 ようするに、選挙の時の応援、支援団体なのだ。これ以上でもこれ以下でもない。
 と、理解しています。



 
 

 

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