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フラワーアレンジ&いけばな研究コミュの構造主義花文化論

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進化か変化か今から20数年前、大学在学中のことですが、同じクラブの1つ先輩に阿部紀雄さんという方がいました。非常にまじめな努力家で、ビールの好きな人で、卒業後は飛行機のパイロットになるのが目的でした。はたして、その夢は実現したか否か、わかりませんが、いずれにせよ、きっとやりがいのある、立派な職業についていらっしゃることとおもいます。
さて、彼とよく話し合ったテーマのひとつに「進化か変化か・・・」というのがありますつまり、「生物や人類はほんとうに進化しているのか、環境に適応して変化しているだけじゃーないのか。もしかしたら退化といったほうが良いのではないか、」などととりとめのない会話を楽しんだ記憶があります。いまから考えると、テーマが壮大すぎて、視点の置き方でどうにでも取れそうだな、と思います。もっとものごとを絞り込んでいくと、面白い話になりそうです。

古代エジプトの花文化
たとえば、花造形に関して考えてみましょう。僕がいろんな所でお話をさせていてだく時、いつも最初に選ぶのが「古代エジプト時代の花の使われ方」です。今から、約3000〜3500年も前のことですから、ずいぶん幼稚な花の使い方をしていたのではないかと思われそうですが、どうして、どうして、かなり凝ったものを作っていたようです。
例えば、身につける花ということで言いますと、花を着ると言ってもいいほどのアクセサリーを作っています。その花で作ったものが後世金銀宝石などのアクセサリーになっていったと思われます。
つまりアクセサリーのもともとは植物の飾り物だったのでしょうね。
ガーランド、植物をつなげて綱状にするテクニック、現在の花屋さんがブーケを作るとき多用するんですがそれもこの時代に出来ています。このお話をフラワースクールの生徒さんたちにしますと、「こんなめんどうなテクニックを作ったのは古代エジプト人だったのか。憎ッくきエジプト人め。。。。」という声が上がります。棒飾りの花なんかも、現在見なおされて現代風にリニュアールされていますが、起源はここらですね。

節のデザイン

アレンジメントの話をしますと東西、つまりヨーロッパと日本のアレンジの原型が創作されています。
ヨーロッパのフラワーアレンジメントの最初のイメージはコウン、つまり円錐形です。これは西欧に最も多い常緑樹、杉の形です。このコウンからいろいろな形が作られています。たいして、日本のいけばなですが、中国から仏教とともにお供えの花として入ってきました。その時点ではいけばなと呼べるようなものではなかったのですが、やがて、「たてばな」そして「立華」というデザインになっていきます。この「たてばな」、「立華」のイメージは日本に最も多い常緑樹、松の形をデザイン化したものと思います。
さて、お話を古代エジプトに移しまして、それらの元になりました古代エジプトのアレンジメントとはいかなるものだったのでしょうか。それは、「節のデザイン」と呼んでいますが、花器から植物が立ち上がり、2つ3つの節から枝や茎が四方に伸びていく形です。
言葉にすればなんか分かりにくいですね。それが、後世、ヨーロッパでは、コウンになり、日本では、立華になっていきます。
アロマテラピー
パーティの形式でおもしろいのは、当時のパーティの入り口でハスの花を一本渡す習慣があったようです。そして、それを持ちながら、飲食したり歓談したりしたようです。それが萎れかけると、召使が新しいのと代えてくれたそうです。
さて、それでは、何故、パーティ中にハスの花を持っていたのでしょうか。それは、花の香りによって、悪酔いせずにお酒をたくさん飲むことができるからでした。つまり、香りの学問、今流に言えばアロマテラピーがすでに普及していたのです。
こんなふうに、古代エジプトの花を研究すればするほどすばらしい花文化が花開いていたと思わざるをえません。こう考えますとこの大昔の花文化と現代のそれを比べてみるとどちらが優れていると簡単に言えないのです。
もう、ひとつすばらしい花文化のお話をさせていただきます。わが国の「いけばな文化」です。

「いけばな」とは何か

しかし、「いけばな」っていったいなんでしょうか。
これは大変むずかしい問題ですね。
フラワーアレンジでしたら、花や植物を使って、いろんな所を飾る、つまり装飾する。
あるいは身につける、これも結局、身体を飾ることですね。
ところが、いけばなの場合は、常緑樹を立てることによって、神様を呼ぶということがその最初の目的だったんです。依代、よりしろと読むのですが、日本古来の信仰がその根底にあります。
従って、まず、これは木、枝物、樹木の文化であると思ってください。
ここが、花や園芸文化のフラワーアレンジとはちがうところです。
木、枝、樹木これらは自然物です。この自然物をつかって人間が造形するわけです
から、思いのままにならないのは当然です。ここで、人間と木、つまり自然との
対話が必要になるわけです。
もちろん、フラワーアレンジだって、お花と対話しながらアレンジしていくことは
大切です。でも、栽培された植物と山の中の樹木では猫と熊ぐらいの違いがあるのでは
ないでしょうか。余談ですが、僕の所から30分ぐらいの所に熊がでまして、数人、熊に
殴られて大怪我しました。結局、熊は射殺されてしまいましたが、自然と言うものは
それぐらい恐ろしいものなのです。
したがって、自然をあいてどる「いけばな」も本当は恐ろしいものなのです。
しかしながら、現代の常識からいくと、「いけばな」は女子のたしなみ、趣味ということ
になっています。これは、戦後の女子教育に取り入れられたからです。その前は、
いけばなこそ男の中の男の嗜みだったのです。それは寺院のなかでお坊さんによって
立てられたり、武士の教養だったりしたわけです。茶道も同じですね。それは本来、
命がけの遊びであり、作法であり、美学だったわけです。従って、千利休も秀吉に殺され、
その高弟もほとんど、殺されるはめになります。この話を続けますと、際限なく脱線しますのでここらへんでやめまして・・・・・つまり、いけばなの本当の意味は単なる装飾ではないということをご理解いただければ幸いです。
さて、それでは、その正体は、いったいなんでしょうか。

生命と宇宙がテーマ

それは、多分植物をつかって、その本質である、生命とか、宇宙に近づいていくことではないでしょうか。そしてその命題は実は、いけばなに限らず、日本、そして東洋の芸術、芸道全てに共通していると言っても過言ではないでしょう。例えば、滝を描いた墨絵があるとしましょう。その滝は水が上から下へ落ちていますね。水という物体を描きながらも、その奥に宇宙の鼓動みたいなものを感じさせる、とでもいいましょうか。
東洋美術ではよく気韻生動なんて言う言葉をつかいますね。気が満ちて生き生きと動いている、命が宿っているということでしょうか。
その東洋芸道の命題に迫るためにためにはもってこいの素材、植物。
いけばながこの本質表現の使命を担うのは当然のような気がします。
さて、いけばなにはそのような壮大なテーマがあるわけですが、日本いけばな界には、さまざまな人物が登場します。彼等はその時々に似合った個性的ないけばなを造りあげていきます。
   
佐々木道誉とバサラ

その中で僕が最も注目している人物のひとりに南北朝時代の佐々木道誉がおります。
彼は婆娑羅大名でかなり乱暴者のイメージが強いのですが、その正体は日本を代表する文化人なのです。当時の連歌集、つくばしゅう、に78点もの作品を残しています。また、茶の湯や、その他の芸道を裏から支え文化の後援者として、創造者として実力を発揮しました。茶の湯での彼のイベントで凄いのは七夕の七ずくしの演出があります。
将軍を招いて七百番の歌合せを企画していた細川清氏に対抗して、道誉は、邸内に七所飾り、七采を用意し、七百種類の賞品をだす七十種の闘茶を催すという七ずくしの演出を考えました。そのため客は全て道誉の七夕の宴に行ってしまい、勝負は道誉の勝ちということになってします。
しかし、いけばなに関するイベントはもっと凄いのです。
五条大橋の架け替え工事に手間取る道誉に挑戦状をつきつけたのは、やはり大名の斯波高経であった。彼は傍らから道誉の仕事を掠め取り、期限内に五条大橋を完成させてしまいます。面白くない道誉はリベンジをもくろみました。斯波高経の主催する花見の宴に標準を合わせ、道誉もまた大原野で大掛かりな花見の宴を企画します。その花見の花というのが、いいですねー。古今東西こんな奇想天外ないけばなには出会ったことがありません。なんと、巨大な桜の樹4本、その根元に真鍮の花瓶を造って、自然にある桜をいけばな
に変身させたのです。いけばなとは花瓶に花を立てるものという常識をみごとにくつがえしています。
花瓶の両脇には経机を置き大きな香木をたき、香りが充満しています。
その中で客たちは都中の銘菓を並べ闘茶に興じ、百の珍味で酒を飲み、芸能鑑賞を楽しみました。夜は松明で例の桜のいけばなをライトアップして踊り狂ったのです。どっかのデスコみたいですね。それが、桜の咲きはじめから散るまで、20日間もやっていたというのですから驚きです。
ここで婆娑羅という言葉がでてきますが、これは日本文化のキーワードなので、ひとつ説明させていただきます。婆娑羅というのは、当時流行した「狂気じみた浪費」を意味していますが、その本来の意義は現実の秩序を否定して新しい世界を開くキーワードでもあるのです。もう少し平たくいいますと、ものごとの極端にはしるとでも言いましょうか。後世、千利休が「わび」という美意識を日本文化の中心にすえていきますが、これなども婆娑羅の片方を強調したものです。
もう片方には「豪華絢爛の美」が存在しているのですが、利休はあえて片一方の美にこだわります。これは多分、秀吉という存在があったからでしょう。利休と秀吉は婆娑羅の両極といえるようです。このように婆娑羅はその後の日本文化を決定する因子だったのです。
 さて、この佐々木道誉という人物と婆娑羅という言葉をしってから、僕はいけばながいっそう好きになりました。その影響で花のイベントや講習会をやると必ず宴会をしなければならないという強迫観念にとらわれるようになり、酒乱になりました。と、いうのは冗談ですが、やはりほとんどのイベントが酒がらみです。でも、そりゃー、単なる酒好きということではないかっていう意見もありますね。

インスタレーション
よくこの花見の宴を分析しますと、いけばなの特性をよくとらえたイベントであることがわかります。まず、これはインスタレーション性が強いですね。インスタレーションというのは現代美術用語で、備え付けるとか配置すると言う意味です。そういうふうに物をおくことによって、その空間自体の意味や雰囲気を変化させることをいいます。
いけばなは前述したように、樹を立てることによって、神様を呼び降ろし、その場を神聖な所に変えるわけですから、本来インスタレーションなのです。道誉もまた桜のいけばなによってその場を非日常化することに成功しています。
もうひとつ、なんのために花をたてるかということです。この場合は催しのシンボルとしていけばながあるわけで、主役であるようで、脇役なのですね。近年の花のイベントは花が主役でそのほかは、なんにもない。僕は花というのは演出で、なにかを引き立てるものだと思うのです。主役に見えていても主役ではない存在、そんな気がしますが、いかがでしょうか。 
そんな訳で僕は、日本いけばな史にはあまり語られなかったこの佐々木道誉なる人物を第一にとりあげたかったのです。
次に是非お話ししなければならない人物は池坊専応さんです。
池坊専応と花伝書
この方はいまから約四百数十年前、いけばなのテキストを残しています。
僕としてはこの文章からしか彼のいけばなの思想をうかがいしることはできませんが、これは文句なく凄いです。なにが凄いかというと、彼のいけばなには東洋文化、日本文化が結集されているからです。
簡単に要約しますと、
1.いけばなの美は花だけではなく、その花にあらざる部分にも注目しなさい。と、言っています。これは拡大解釈していきますと、枝や葉ばかりではなく、空間や石や水全てがいけばなの要素ですというわけで、後世のオブジェいけばなもみとめていることになります。いけばなのアニミズム化とでもいいましょうか。日本の本質をとらえた意見です。
2.いけばなは小宇宙である。いいですね。全くそのとおりです。
3.そして、それは短時間のうちに千変万化しうつろう無常の理をあらわす。仏教がはいってきました。といっても、池坊専応さんはれっきとしたお坊さんですからあたりまえです。
4、常緑樹は神の依り代である。さりげなく、原点にもどり、神道にも敬意をあらわす。まるで、政治家みたいにりっぱな方です。
5.いけばなを悟りの境地にはいる手段として勉強しなさい。
つまり、これには三つの世界が共存しています。「仏教」と「神道」と「中国思想」です。
まさしく当時の文化のエッセンスがいけばなに集約されているわけです。
そして、それは現代のいけばなの忘れかけている最も、いいところでもあるわけです。
僕たちがいけばな文化に触れるのはそれぞれの流派をとおしてですが、(たまには流派に属しないツワモノもいらっしゃいますが)その源にある原点を忘れてはいけないような気がします。そして、その後いけばなは各流派に分かれ、たくさんの華道家、いけばな作家によって多様化していくことになります。
さて、2000年4月に完成した日本フラワーカレッジの2冊目のテキストに「フラワーデザインの世界史」という題で書かせていただきました。それは各時代、各地で、どんな花の飾り方をしたとか、花をどんなふうに使ったかを述べているんですが、その各々の花文化を見ていくと、前述した古代エジプト時代の花文化や、日本のいけばなと同様のことが言えると思えてきたんです。つまり、各々の花文化はその時代を飾る最も合理的な、そして最高の知恵とテクニックに彩られていたのではないか、ということです。
  ヨーロピアンデザイン
ここ数年、僕の頭の中では二つのテーマが進行していました。それは「ヨーロピアンフラワーデザイン」と「構造主義」です「ヨーロピアンフラワーデザイン」は数年前から日本フラワーデザイナー協会が資格検定試験に取り上げようとしているデザインです。当初僕はこれがさっぱり理解できず困っていました。その時、幸運にも久保数政先生と奥様のガブリエレ・ワグナー久保先生とお会いしました。そこで、早速弟子入りを申し込みました。最初の特訓は滝に打たれながら・・・否、それは冗談ですが、まずじっくりと、理論から説いていただきました。そうしましたら、やっと全貌が見えてきました。
この「ヨーロピアンデザイン」難しいところは、用語がドイツ語であるということ。そして、その用語の使い方が、製作、構成、テーマ、配置法のどれにあたるのかをはっきりさせないためであることが第一でした。しかし、久保理論ではそれが、はっきりと明確にされておりました。
 特殊構成理論 
もうひとつはこのデザインが「特殊構成理論」と「一般造形理論」の両方が合わさって完成するところでした。「特殊構成理論」の特殊というのは花、植物に限った理論、つまり花の分類、選び方の理論ということです。「一般造形理論」というのは花に限らず全ての物に通用する、つまり例えば、マッチ棒でも鉄骨でもいいのですが、それを平行に立てるとか一焦点で放射状に配置するということです。
この「特殊構成理論」という考え方は、その後の僕の考えをかなり刺激してくれました。
僕はしばらくの間、いけばなのというより日本人の花の見方には特殊なものがあり花がそれだけにとどまらず枝や樹木や、石や滝やその他の自然物にまで拡大解釈されるのはなぜか、といった変な疑問を持っていました。それを、再考する手がかりをつかんだのです。結論を導き出すにはもうひとつ構造主義の鍵が必要でした。
構造主義
構造主義とは文化人類学の分野でクロード・レヴィ・ストロースと言う人が確立したんですが、その影響力は人類学の世界にとどまらず、1950年代以降の人文・社会科学や哲学思想の世界にもおおきな影響をあたえました。ささやかながら、僕の脳みそにも影響を与えてくれました。
一言でいいますと人間はカオス、混沌の中にはいられず、秩序の中に安住するということです。
その秩序を作るために世界の構造を構築します。その際の手段は分類することです。対立関係を知り、さまざまな要素どうしの差異を知ることからはじめます。そして、いずれはこころの中に一個の完結した体系をつくりあげるわけです。
その際、未開人が用いるのが「野生の思考」であり「具体の論理」です。ここを説明すると長くなりますので、省略しまして次に進みます。そしてクロード・レヴィ・ストロースは各民族、各人の作り上げた完結した体系の優劣を説くわけですが、結論から言いますと、彼は優劣がない、同等であるとするのです。
ここで僕の冒頭の疑問、人間は進化したか、変化したかという問いにレヴィ・ストロースさんも変化ということに賛成してくれたような気がします。そこでまた話をすすめましょう。
食具と花の分類
僕のもう一つの興味、各文化圏では花をどのようにとらえるか。。。。いわゆる「特殊構成理論」の問題に入ります。この問題は、1997年に書きました「カトラリーのフラワーデザイン箸のいけばな」(月刊フラワーショップ)で論じたことがありますが、今回はそれをもう少し、掘り下げてみたいと思います。簡単にその内容をお話ししましょう。
事の発端はオーストラリア人のサイモンくんと食事したときでした。彼は鳥の照り焼き定食を食べていましたが、最初にご飯をすべて食べ終わってから,お肉にてをかけ始めたんです。僕も同じメニューをいただきましたが、僕は、ナイフでお肉を全て食べ易い大きさにきってしまいました。そしてお肉、ご飯、味噌汁を順に、何回もくりかえし食べました。他の友人たちはさしみ定食をもちろん箸で食べておりました。
ここで、多分サイモン君は正式なフランス料理のマナーで食べたかったんだと思いました。ここでは残念ながらナイフとフォークは各1個しかついてなかったんです。もし正式なフランス料理専門店でしたら、そのカトラリーの数はもっとずっと多かったはずです。
ここで僕が思いついたのは、このカトラリーの数が食べ物に対する分類のしかたではないか、ということでした。
そして、それがフラワーデザインやいけばなの花の見方、特殊構成理論にも通用するのではないか、ということです。僕がこの時、最初に全てのお肉を一対のフォークとナイフで切り分け、その後フォークでお肉とご飯を食べたのは、ウエスタン式の食べ方です。
特殊構成理論に置き換えると、「形による分類」です。ご承知のとおり、ウエスタンフラワーデザインでは、花を
1.ラインフラワー、2.マッスフラワー、3.フォームフラワー、4.フィラフラワーの四つに分けますね。
一対のフォークとナイフ、つまり四つの形に分類するという一つだけの分類法によるということです。
それに対して多くのカトラリーで食事をするフランス料理の食べ方はたくさんの項目で花を分類するヨーロピアンデザインの特殊構成理論に似ています。
久保先生のヨーロピアンフラワーデザインテキストによると、1.現象形態、2.動きの形態、3.表面構造、4。象徴性、5.香り6.色彩 となっていますが、この分類項目は多ければ多いほど緻密なデザインへとつながります。
さて、日本料理の食具は箸です。食具による花の分類を試みているわけですから、箸の特徴がそのまま特殊構成理論つまり花の見方とらえかた、分類の特徴になります。
箸の特色とは、食べ物を分解しないということではないでしょうか。日本料理は全てそのまま食べられるように盛り付けられていますね。またその調理方法も、なるべく素材の良さを引き出し、手をかけないことに主眼を置いています。料理をしない料理が理想ということでしょう。しかし、素材をそのまま置くだけでは、料理やいけばなになりません。やはり、最低限の素材の分類や構成は必要でしょう。
いけばなの花選びは、一般的な盛り花で話をさせていただいていますが、枝物と花物という非常に漠然としたものです。
構造主義花造形論
さて、たいへんながく、多肢にわたるお話になりました。これで、本論の材料は全て出揃いました。これから、いよいよ、「構造的花造形論」を組み立ててまいります。
これは、特殊構成理論と一般造形理論の双方を秩序あるものとして全体的に把握するための概念的枠組を作る試みです。この分類体系は網のように覆って広がります。そして網で覆うことによって花造形の世界が構造を持つ総合体となります。網を紡ぐためには縦糸と横糸が必要ですね。(図参照)
縦糸を特殊構成理論でとりましょう。縦糸の特徴は拡張性です。しかもこの拡張の方向は二つあります。下と上です。下の場合、分類の目を細かくすることができます。網の目を細かくすると分類はより具体的、特定的になっていきます。逆に、分類体系の網の目を拡大していくこともできます。この場合、分類は抽象性をまし、ついには統合的極限に達して、すべてが単純な論理的二項対立となります。有名な陰と陽のように、黒と白を対立させるのが、その例です。つまり、花の見方で言いますと、下方はヨーロピアンデザインにおける花の分類法、細かく細かくしていくことによって、緻密なデザインに仕上がる可能性があると言うことです。そして上方はもちろんいけばなの花の分類、さまざまな要素を陰陽二項の対立で総合的に表します。つまり、枝、花、葉、色、動き、堅さ柔らかさ、明るさ暗さ、など全てを陰陽に吸収してしまうということです。
究極的には、長年の修練による直感によるところが大きいデザインといえます。もう少し、言い換えますと東洋の文化(陰陽の文化)に浸かって生活してきた人には、理解しやすい考え方・・・・となりましょうか。
さて、横糸ですが、一般造形理論ですから結局は形をつくることです。たとえば左端を装飾的としましょう。その対極右端を自然的としましょう。この線上にいろんなタイプのデザインを構成する造形法を配置します。
例えば、さまざまな幾何学的な形とか、放射状、並行、交差、絡巻状とか焦点の数とかによって決まるデザインの数々のことです。
左側はもちろん幾何学的なタイプで占められます。右にいくにしたがって放射状、並行、交差などの構成が多くなるでしょう。
縦糸と横糸で織り上げられた造形表ですから面状態です。この面上のどの点にもそれなりの作品が存在するはずです。

それでは、次にいけばな、ウエスタンデザイン、ヨーロピアンデザインの基点はどこに配置すればいいでしょうか。(図参照)
各々の基点
縦軸をAとし、横軸をBとしますと、いけばなの基点はA軸最上とB軸最右の所になります。最も自然的で、まあ、放射状、並行、交差状かそれは自由ですが、花の見方、特殊構成理論が、陰陽二項という漠然としたもの、と言う基点です。
ここから、したに行きますと、だんだん特殊構成理論が細かくなっていき、中ほどになりますとウエスタンデザインのガーデンスタイル、もっと下に行くにしたがって、ヨーロピアンデザインの自然的形態、自然植生的形態となっていきます

それでは、ウエスタンデザインの基点はどこでしょうか。
A軸はほぼ中間のあたり、つまり、花の見方は1.ラインフラワー、2.マッスフラワー、3.フォームフラワー、4.フィラフラワー の四つに分類、非常に合理的な視点です。実際はそれに色彩学が加わりますが・・・この割り切り方はアメリカらしい商業ベースに乗せ易い、言いかえれば、大量生産に向く方法ですね。ほとんどの花屋さんで売られているアレンジメントはウエスタンスタイルと言っていいでしょう。B軸は最左端、幾何学的、ジオメトリックな形、つまり非常に装飾的ということです。ここからいろんなデザインに変化することが可能です。B軸を右側に進んでいくと自然性が増すと同時に線的要素が強調され、ラインデザインやガーデンスタイルになっていきます。A軸の移動は下方にいった場合、ヨーロピアンデザインの装飾的構成の幾何学的なものにになっていきます。上方に行った場合はいけばなのマッスデザインのようなものに近づいていきます。もちろん、ななめ移動もしますよね。
ヨーロピアンデザインの場合はA軸最下端にほとんどすべての造形法、構成法を配置したと考えていいでしょう。それから、上方に行くにしたがって、ウエスタン的、生け花的になっていきます。
以上が現在、僕が考えている構造主義花造形論です。現在というのは、この構造は僕の経験と知識が増えれば、また違った組替えになるからです。
    
花文化論へ
しかし、じつは本当に言いたいことは、僕の造形表のことではないんです。
それは、構造主義は前述したとおり、全ての民族、未開人、近代人も含めて、それらの世界観に優劣がないことを大前提にしています。
したがって、この構造主義花造形論も、そのデザインに優劣はありません。ウエスタンもヨーロピアンもいけばなも、その間にあるさまざまな国のさまざまな人たちの花の使い方、デザインは同等です。ただ、彼等の文化の立場が異なっているだけなのです。
つまり、縦軸はその文化圏で花をどうみるか、という文化軸とも言えるものです。横軸は造形法ですから科学的軸といえるでしょう。
そこを理解して頂けますと、例えば、いけばな人はその特殊構成理論立場を変えることなく、さまざまなデザインをいけることが出来ます。そして、文化の好みから、放棄するデザインというのもでてくるでしょう。たとえば、かっちりした幾何学デザインは製作可能でもあえてしないという主張をもちます。それをすると、いけばなの本来的よさが失われるからです。ウエスタンデザイナーは4つの花の分類法でもって、横軸を行き来しすることによって、装飾性の強い形から自然的な作品までをつくりあげます。ヨーロピアンデザイナーは細かい花の見方によって緻密なデザインの完成をめざすでしょう。
問題は、特殊構成理論立場を変えずに・・・・と、いうことは、自分が属するあるいは学ぼうとしている文化を尊重していこうと言うことなのです。僕の造形表のように、なんでもかんでもオールラウンドに網羅したものは実際の作業の中では混乱するかもしれませんね。
デザインは時代によって流行がありますが、全てが画一的にならず、自分の基点をはっきりさせたうえで、そこから構造主義で花造形を考えてみてください。きっと、ひとりひとりの顔がちがうように、世界観、考え方が違うように、個性的な花造形論が出来あがると思います。今回は主に造形方面から探ってみましたが特に文化軸だけを取り上げても「構造主義花文化論・花を通して見た各民族、各国の文化的特徴」というテーマになりえると思います。


コメント(1)

大変に興味深く拝見させていただきました。
花を生けるというには、漢字が示しているように、花に新たなる美をまとった生を与えるものだと私は思っています。
私は、茶道を通じて茶花文化を習い、華道を通じていけばなを習い、今、フラワーアレンジメントに興味を持って、お友達が作る作品を眺めていますが、全てにおいて、花が最大に美しく見えるようにしていると思います。
時代を超えてもその部分は同じではないでしょうか?

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