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フラワーアレンジ&いけばな研究コミュの花の美学とは?

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東北女子大学教授の佐々木隆先生から「花の美学入門」という論文を頂きました。
本コミュのトピックテーマの基調論として提示させて頂きます。
かなり厚みのある論文ですが、投稿は気楽な文でも結構です。


はじめに
花と人との関わりは深く、ネアンデルタール人の墓にも花が供えられていたと言われます。それほど花と人との関わりは古く、また、親に抱かれた幼な子でさえも桜の花の美しさに感動の声をあげ手を伸ばすほど、関わりの深いものです。
花は枯れれば捨てられるものではありますが1、その価値は一時の飾りやはかない慰み物に止まるものはありません。人間の生きることの喜びと悲しみを表現する大切なものです。
昔の手習いの最初に習った「いろは」歌にも「色は匂えど散りぬるを」と、色として花が示されています。色はこの世のすべての生成消滅する物事を示す言葉として使われていますが、この世を代表する存在として美しい花が示されていることは注目されます。すべてのことに美がかかわるからではないかと思われます。.習事としてお茶とお花とよく言われますが、茶道では、お茶事において、茶室に花を飾り、出会いと別れの一期一会の儀式の中で、花はよく心に残るものとなる大きな役割をになっています。
茶道では.「野にあるように」となるべく花を自然にあるがままに飾ろうとしますが、「いけばな」では花に対していろいろな手を加えます。花についての考え方の違いがそこにあるからです。
ところで、花の種類がいかに季節と合おうとも、散ることのない造花を「いけばな」や茶花として使おうと考える人はないでしょう。生きた花に対する特別な恩いがあるからです。それが何んであるか考えたいと思います。
一、花という言葉に。ついて
花についての理解を深めるために、まず普段なんとなく分かったつもりで使っている花に関わる言葉を整理して見ましょう。言葉の中に隠れている真実や本来の意味が明らかになってきます。
「はな」という言葉について白川静氏の『字訓』によれば、「草木のはな。花は美しいものの代表でもあり、桜などの枕詞として「花ぐはし」のような語もある。〔大言海〕に端(や鼻)と同根とする説がある。秀(穂)や末梢と同じく目につきやすく、また何かの前兆として用いられることがあった。花の初文は華。華は形象。曼珠沙華のような花の形とみてよい。その華を抜きとることを「舞く」 (ぬく)といい、手で華を抜きとる姿勢が拝(ぬかずく)の礼に近いので。のちに拝礼の意となった」とあります。
これは日本の諸芸の始まりと言われる室町時代、世阿弥が花という言葉で表わそうとした能の本質のみならず、「いけばな」や茶の湯の儀礼が花と関係する理由になっていると恩われます。
また、〔大言海〕の説明から、事の端が「ことば」(言葉)となり木の端に付いている「きのは」から「このは」(木の端・木の葉)という言葉も生まれてきたようです。そこから現代でも「はがき」を葉書と書いたり端書と書いたりするのは、必ずしもいいかげんな当て字
ではないことが分かります。
二、花とかかわる葉(は)について“
『字訓』によれば、.「羽・葉・歯・刃・末は、国語ではみな「は」である。羽・葉・歯
は対生するものであり、また羽茎・枝葉・歯茎のように、その部分の「はし」にあるものである。刃・末は剣や樹木の末端を示す語で、これらはみな同系のものとみてよい。「はし」も同根。羽(う)は羽毛の対生する形。葉(よう)はもと莱としるし、木の上の枝が分岐して
いる形。莱に従うものには、蝶・牒などひらひらすものの意がある。
歯は薗に作り、止声。そろってならぶ刃の意がある。刃は刀にその刃部を示す線をそえた形」とあります。「はし」について『岩波古語辞典』(以下岩波古語と略す)では、「《端(はし)と同根。端と端との間にわたすもの》?梯はしご。
?【橋】同一平面上の端と端との間の通路とするもの。?【階】階段。きざはし」とあり、また、「はし」【端】「《端(は)と同根。「奥」「中」の対。周辺部・辺縁部の意。転じて、価値の低い、重要でない位置や部分》?物の売端。?へり。ふち。?すみ。はずれ。?片はし。
一部分。?ほんの短い時間。?物事の端緒。いとぐちLとあります。
「は」も「はな」も木の売などにありますので、なるほどと思われます。
先端を「さき」と言いますが、
「さき」【先・崎】《しり(後・尻)の対。前方へ突き出ている部
分、先端。転じて、前途・将来の意。?(前方への)突出部。?前方。
?先頭。?相手。先方。?行くて。前途。?将来。?前兆。?第一》
(岩波古語)とあります。
さらに、「さき」は「幸」と「咲き」とも書きます。「幸」とは《サキ(咲)・サキハヒ(幸)・サカエ(栄)・サカリ(盛)と同根。》栄え。繁栄。△サキ・サキハヒは植物の成長によっ
て得る繁栄・幸福の意。類義語サチは狩猟の獲物の豊當から受ける幸福」(岩波古語)とあります。.「咲き」とは《サカエ(栄)・サカリ(盛)と同根。内にある生命の活動が頂点に達して外に形をとって開く意》?花の蕾が開く。?《比職的に》波頭が白く立つ。△サキ(割・裂)とはアクセントの上から見ても、起源的に別」(岩波古語)とあります4。草木の生長とかかわる「はえ」という言葉について、「生え」と書きますが、「はえ」ば「映え・栄え」とも書きます。「生え」とは《ハヤシ.(林)・ハヤシ(早・速)。の語根ハヤを活用させた語。物が勢いを得る意》枝や新芽、髪の毛など、将来伸びるものが、もとからわずかに姿をあらわす」(岩波古語)とあります。
「映え・栄え」とは《ハエ(生)と同根》一?他から光や力を受けて、そのものが本来持つ美しさ・立派さがはっきり現れる。?他のものの存在によって(かえって)勢いを得る。二他の物に引き立てられて輝く美しさ・良さ」(岩波古語)とあります。
植物を育て、美しい花が咲き立派に実ることを恩うと「はえ」という言葉はなるほどと思われます。また、茶花でも「いけばな」でもいろいろな花を取り混ぜるのは「他の物に引き立てられて輝く美しさ」という「はえ」が生じるからだと思われます。花の一輸挿しでも器の、形や色の取り合せによって「はえ」ることはよく分かります。
花の美学入門
茶道や「いけばな」では、「茶を点(た)てる。花を立てる」と言います。この「たて」は「たち」の他動詞形です。「たち」とは《自然界の現象や静止している事物の、上方・前方に向かう動きが、はっきりと目に見える意。転じて物が確実に位置を占めて存在する意》とあります。たしかに、茶道のお手舞によって、■茶の生命(気)が表に現れ、「いけばな」では、花の美しさや風情が日常世界から際立って現れてきます。円字訓』も『岩波古語辞典』も花に付いての理解を与えてくれます。なお、藤堂明保によれば「花」という文字の化とは人が立ったり(イ)坐ったり(ヒ)している姿だと言われます5。それならば、花という文字(葉)は草が変わった(化けた)ものであるだけではなく、立ったり坐ったりする人の美しい姿(形)も暗示するものになります。立ち居振舞いの変化を大切にする能において「花」という言葉で美や芸を示されるのもなるほど思われます。
三、美しいと繍麗の違い
彫刻家の舟越保武・氏から、「緒麗な人と美しい人とは違う」と聞いたことがあります。池坊専応口伝の最初にも「瓶に花をさす事、いにしへよりありしとは聞きはべれど、それはうつくしき花をのみ賞して、章木の風興を打きまへず、只さして生けたる計なり」とあります。この場合の「うつくしき花」は縞麗な花と言いかえられれば、舟越氏と同じように口伝でも縞麗な花と美しい花とを区別していることになります。縞麗と美しいは同じような言葉なのに、どこが違うのでしょう。言葉から受ける印象が微妙に違うのは、我々が無意識に区別し、なにか説明する前にすでに直観しているからであり、また実際にその言葉を区別して使っているからなのです。縞麗で美しいという人もいらっしゃるでしょうが、縞麗という言葉にはどこか外面的・表面的に飾っているに過ぎない薄っぺらさを感じさせるものがあります。あるいは縞麗が清潔の言い換えの場合には、汚れが無いという意味であって美的であるとか美しいとは限らないことが分かります。ノートの縦横の比率は黄金分割の比率によってできていますが、ノートを見て、だれもそれを美しいとは言いません。
それに対して、美しさという言葉は内面的な奥ゆかしさを示したり、物語や趣きあるいは味わいや晶の良さを意味したりするように恩われ.ます。いけばなもお茶も、何気ないもの地味なもの(野にあるもの・日常的なもの)を美しいもの(非日常的なもの)に変え、緒麗なものをさらに美しいものへと変える技術であり芸術なのです。だから、人物を評して、美人(縞麗)だけれど花(美しさ)がない、美人ではないが花があると言います。あの人には花があるとか、花がないとか言いますが、そ札はなんとも言い様のないまた理解しがたい、魅力(美しさ)について語るためです。このように花という言葉が使われるのは、花としてその人の本質の端緒をとらえるからです。さらに、『字訓』によれば「うつくし」については、「肉親的な愛情をいう。幼く小さなものをいつくしむ感情を、他のものにも及ぼしていう。中略、類義語「うるはし」は端正なさまをいうとあります。「うつくし」には身近な
ものとしてよく知って理解しているという主体のかかわりが合意されていることが分かります。「うるはし」についても、「もと親愛の意を示す語。のち端麗・壮麗などにあたるうつくしさをいう。「潤ふ」の形容詞形とみてよい相手の立派さを嘆賞する気持ちがある。類義語の「うつくし」は情愛の主とする語、.「いつくし」は畏敬の念をいう語であるLとあります。「親愛」とは外面ではなく内面の深いかかわりを示しています。「きたなし」については、「「かたなし」がその初形。「形無し」「貌無し」の意で、その原形が崩れて、・保ちがたいことをいう語である。それで汚れの怠になる。「きたなし」は「清し」に対する語であるから、〔神代紀上〕に黒・悪・濁のような字を用いる」とあります。
昔から「きたなし」には遺徳的な意味も込められ、批難の意味があったことが分かります。さらに、それが美を求める芸道において型を尊ぶ理由にもなっていったことが納得されます。貌には形の他に顔の怠味があり、礼儀正しいようすや、態度を示すので、顔と人格の問題まで考えさせられます。
「きよし」については、「純粋で美しい。余分なものや汚れのないことをいう。「きたなし」本来の形が崩れることで、これに対して「きよし」は本来の生気を保っている状態をいうものであろう。神事に奉仕するとき潔斎することを「清まはる」という。神は清きもので
あるから、神に近づき神と同格となるためには、「清まはる」ことを必要としたので、神こそ「清き」ものの本体であった。それは不穣、また崩壊するものに対して永遠の生命をもつものであると考えられた。」とあります。清いところに神が現れることも理解されます。
これらの言葉の説明は清浄や形を重んじる伝統芸能の精神に通じ、芸術の持つ浄化(カタルシス)の働きも認められます。
「きれい」は「統麗」で、もとは和語ではなく広漢和辞典によれば「?あやがあって美しい。うるわしい?いさぎよい。見苦しくない。?残りがないこと。きれいさっぱり」とあります。騎とは「?あやぎぬ。?あや。ひかり。いろ。つや、?うつくしい」麗とは「一?うるわしい。?つらなりゆく。?すぎる。?ふたつ。?ならべる。二?ほどこす。?はなれる」7とあります。物の外側の光の反射(光沢)など見ための構成が問題になっています。
「きよし」と「きれい」という似た言葉が同じように使われ、さらに「うつくし」とも同じような意味をもつようになったのではないかと恩われます。
四、繕麗寂びについて
茶の湯で強調される俺びとか寂びという美は縞麗さよりも美しさに分類されるものとなります。緒論を先に一言えば、西洋のフラワーアレンジメントは花自体の縞麗さをもとめ8、伝統的ないけばなや茶花は枝や葉を含めた植物全体によって世界の美しさを求め表現しています。特に、茶花は床の間などに彩りを添えるだけではなく、花器の銘までも含めてお茶事という儀礼の全体の意味付けにかかわっています。
遠州流では縛麗寂びという事を言います。「騎麗寂び」とは「閑寂・枯淡の中に優しさ・麗しさ・華やかさ・清らかさのある風情。」(負川茶道大事典)と言われますが、縞麗と美しいもののその両者の良い所を捉え、外側から内側へと理解を深める人の心の動きを良く捉
えている書葉だと思われます。
「さび」は「さぶ」から派生し「ひたすらその状態に赴きゆくこと。それで接尾語として「神さぶ」「山さぶ」「男さぶ」のようにいう。また「水さぶ」のように、古びてさびの生じるような状態にも用いる。その状態を「さぶし」、また「さびし」ともいう。「鋳」と同根の語である。L(字訓)とあります。だから、遠州流の「統麗寂び」は「藁屋に名馬繋ぎたるがよし」と言われる華やかなものと寂しいものの両者の対比の妙を示す言葉のように思われます。それだけではなく寂しさから縞麗な方へ(美しいものの方へ)移って行く志向を示しているようにも思われます。あるいは逆に、縞麗を追求して俺びにいたる心の往還を示すものなのかもしれません。遠州流では白い色を尊重しますが、それは清潔という縞麗
だけではなく、白は白秋というように秋の色を表すものだからです。
これは陰陽五行における色と季節の区分からくるもので、黒の利休の冬の色、緑の織部の替の色と対比される遠州の自己主張でもあります。
ちなみに、赤は黄金を示す秀吉の夏の色です。「縞麗寂び」は美しい紅葉を見ることが出来る秋こそ物の。あわれは偲ばれると言われるように趣きを表すものとも考えられます。あるいは、いぶし銀のような色を示しているのかもしれません。
「わぶ」については「失意・失望のすえ、心さびしい状態にあること。困惑するような感情をもいう日「わび」は「恩ひわび」のように複合語として用いることが多い。のち美的な興趣の失われることをいうが、室町期以後には、その不充昆の状態にかえって積極的な意味を与えるようになって、「わび」の理念が成立する。類義語の「さぶ」「さびし」は生気を失う意であるが、これものち「さび」のように理念的な意味をも。つ語となった。」(字訓)とあります。
『饗碁というプラトンの作品で、エロスの神は、才能の神メティスの子・豊かさの神ポロス(富)と貧しさの神ペニア(貧乏)の間に生まれた子どもです。豊かさだけならば、それ以上求めることはありませんし、貧しさしか知らなければ、豊かさを求めることもありません。だから、どちらの立場かに安住せず、自らの貧しさを知り、富についても知つているので、求めるという態度をとるというエロスの神語が語られます。それは無知と知の中間にある知りたいという欲求を表わす寓意的な説明です。
「縞麗寂び」とは、わびの心でありながら華やかな縞麗を知り、緒麗の中にあってもわびの心を忘れない、それぞれを求める態度を意味するならば『饗宴』の神謡との共通性があることになります。
五、岡倉天心の『茶の本』の第六章
『茶の本』には「うれしいにつけ悲しいにつけ、花はわれわれの不断の友である。われわれは花とともに食い、飲み、うたい、踊り、たわむれる。花を飾って結婚し、洗礼式をおこ愈う。花がなくては死ぬこともできない。われわれはゆりの花をもって礼拝し、蓮の花をもって瞑想し、ばらや菊の花を身につけて陣列を組んで突撃した。さらにまた、花言葉で語りかけようとさえくわだてた。花なくしてどうして生きてゆけようか。花をうばわれた世界など考えてもおそろしいことである。花は病める枕辺になんという慰めをもたらすことであろうか。疲れ果てた心の駿に、なんというしあわせの光をともすことであろうか。花のもつ清らかなやさしさは、宇宙にたいしてうしないかけていたわれわれの信頼を回復してくれる。」とあります。この花が人生になくてはならぬものであることを示す言葉は、芸術や美や愛と置き換えることのできるものです。人生になくてはならぬとは、人生が花によって充実し、花と共に美しく生きることが、人としてよく生きたと言えることになります。
小林秀雄は司当麻』という能を鑑賞した時のエツセイで、「棋阿弥が美といふものをどういふ風に考えたかを思ひ、其処に何んの疑わしいものが無いことを確めた。」とあります。これは世阿弥だけではなく」小林自身の確信を示す言葉です。
世阿弥の花と名づけた美に関する言葉「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし。」を引用し、「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。」という有名な言葉を小林は語ります。小林は、美のイデアを個々のものかケ抽象したものとする近代の理解に対して批判しているのであって、彼が言いたいのは、美のイデアこそ個々の花を存在せしめているものであるということです。
村松定孝によれば、彫刻家のロダンの「美しい自然がある。自然の美しさと言うようなものはない」に由来するものと言われます。ロダンが一般的にまた暖昧に示したものを小林秀雄は「この花」というものに限定し、意味を明確にし深めています。ロダンはこの石という動かぬ対象物の中に隠れている、かすかなもの移ろい行く青春の花を見出し掘り起こしました。この石の外にある抽象的な観念を石という物に押し付けたのではありません。

世阿弥の「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところを知るべし」とはどのような意味なのでしょう。花が失われてもなお残るところのものとは何んでしようか。この場合、いわゆる永遠に変わることのない死んだ石のようなものではなく、蕾から花が開きやがてしおれる、生きた花を例にしていることが大切です。イデアは生々とした命のようなものだからです。それを移ろい行くものの認識と肯定は仏教の諸行無常などの世界観から生まれてきたもののあわれの感覚 (かえがいのなさ)と、無常即浬繋というあるがままで成仏すると言う本覚思想によって捉えようとしていると恩われます。
幽玄とは奥深い美の表現ですが、眼に見える花を追求した先にあったもの、それは明るい日差しが失われ闇となった時に現われてくるものとも言えましょう。「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」とは、目に見えるだけのものがすべてではないと言っているのです。浅いものの理解に対しては、それに合わせて、自らを浅くしてはいけない13。見える物だけではない、心でとらえる奥ゆかしいものがあるからこそ魅力を感じるのです。それは次の連歌や茶の表現における「枯れかじける」という「わび・さび」の世界に通じるものです。
「花の失せぬところ」とは、見えることを趨えたところ(イデアの世界)であり、我々にとっては対象として捉えていた花(美)が自分と一つになり、自分も花も対象としては存在しなくなることを指すと思われます。さらに、能の舞台を見終わってからも心に残るものが「花の失せぬところ」だと思われます。桜の花が散った後も、その美しさは心に残ります。冷え枯れるという言葉も同じようなことを示していると恩われます。
世阿弥の「花の観念の唆昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、。前者の動きは後者の動きよりも遥かに微妙で深淵だから、彼はさう言ってゐるのだ。」と、これは小林が高く評個する哲学者アランの『幸福論』にある考え方です。小林は古典の言葉によって、自意識(主観)と対象(客観)を分けて、対象を評価する近代の認識論から生まれた美意識と呼ばれるものを批判しているのです。
能の動きの特徴として認められることは日常の動きと比べると極めてゆっくりと、まるでスローモーション撮影の映像を見ているような動きです。私たちがスローモーション映像を見て感じるのは日常では気がつかない動きや思わぬ表情が誇張されて見えてくることに気が付かされ、驚かされることです。それが芸術と言われるものです。先に述べたロダンの言葉を目本に紹介した高村光太郎は「能は動く彫刻だ」と言っています。造形惟だけではなく、変わらぬものと変わるものが同時に存在しているからです。さて、小林の言葉に戻って、私たちはこの花を美しいとは言っても、この花の美しさ、この花から抽象された美しさ一般が美しいとは言いません。しかし、いざ説明しようとすると目の前にある花をさておいて、花の美しさ一般という観念を論じてしまう傾向があります。
美術史の本を見ていると、彫刻や絵画のような人為的で変化のないものが対象とされ、一般化されて論じられています。あるがままの自然や美しい花は圃材とはされても美術の対象とはされないようです、近代になって取り入れられた西洋的な対象としての人間や造られた物(人為)を重んじ、自然や言葉にならぬ事を軽んじる傾向が美術史にも受継がれているようです14。この事に気がついたのは衣服の美しさの変遷を美術史淋捉えていない事にレオナルド・ダ・ビンチのモナリザを研究していたときでした。衣服の美術史がないことに気が付きました。花のように美しい衣服も使われ短い期間で失われて行きます。
何時どのような場所で講がどの様に着こなしたかが服と人間の美しさとして認められるわけだからです。西洋の学問は永遠なるもの変わらぬこのものを求めるために、変化する花の美しさをかりそめの物そして相対的な関係性とレて対象とする事が出来なかったのでしょう。それを小林は批判していたと思われます。
アメリカのジョージア・オキーフという女流画家は野牛の骨と花を合わせた絵を描きましたが、きれいな花という物を描くのではなく、酉洋の伝統的な死と生を対比させる絵となっています。大きく拡大された花だけをキャンバスいっぱいに描くために日常性から離れて、美しいけれどなにか不気味なものを感じさせ、花は本当に縞麗な物なのだろうかという疑問が沸いてきます。オキーフは花とは何かを考えた
画家だったのだと思われます。彼女は花と自己を重ねてみたのではないでしょうか。
世阿弥の花についての言葉を演劇の動きから切り離し、言葉だけを考え、言葉(観念)から演劇を考えることを小林はいさめるのです。
実際の舞台においては、お語(曲・演目)の筋や内容は同じでも、それを演じる役者(演奏家・芸人)、そして観客の反応によって表現されるものや印象が異なってくるのは当然です。そこで、私たちも即物的な唯物論や物から離れた抽象論に陥らないように考えなければなりません。
六、「いけばな」と「茶花」の起源
同じような花を扱いながら伝統的な「いけばな」と「茶花」とでは何がどのように違うのでしょう。今日、広い会場で行なわれるいけばな展のお花と狭い茶室に飾られる茶花を思い浮かべると、全く別々のもののように見えます。しかし、歴史的には、お花も花会わせ、お茶も闘茶のような会所における競技的な遊びから姐じまり、会場芸術としての飾りとして、会所から書院へと発展し、花は「いけばな」となり、茶は「茶の湯」とねります。書院の壁に軸物を掲げ、その前に押し板の飾りとして花瓶や香炉、燭台などが置かれ、棚ができると茶器も置かれます。茶室は床の間のある書院造?という形式の建物と深くかかわっています。書院の飾りについて、足利義政に仕えた同朋衆の能阿弥による君台観左右記、また相阿弥によると伝えられている御飾記は、いけばなばかりでは旗く、お茶にとっても、共通の古典ともなっています。ここで大切なのは和漢のものを並べたということです。物を並べると言うことは言葉を並べる事に通じるものがあります。言葉を並べて楽しむのが対句です。対句として並べられると、一つずつでは存在しない関係性による意味が生じてきます。恩わぬ組み合わせで見たことも聞いたこともない意味や心理的効果が生まれ、目に見えないものが見えてきます。縞麗な花と花の間に美しさが現れます。利休が「花は野にあるように」と言ったのも、ただ自然をそのまま採り入れたのではなく、町の中の室内という野ではない所に野を取り合わせた対比の妙を示しているのです。
珠光は武野紹鴎や千利休に影響を与えた茶祖といわれる人物です。もともと南都称名寺の僧であったが、京都へ移り、能阿弥に花を、一休に禅を、学んだと言われます。一休の所属していた大徳寺は利休と縁の深い禅宗の寺です。
池坊専応口伝に「およそ釈尊も初めて説かれた華厳経から平等無差別の実相を説かれた法華経にいたるまで「花」を縁とされている。青・黄・赤・白・黒と言う。花の五色は五根五体ではないか。冬になって多くの草がしぼみ衰えるのも、盛んなるものは必ず衰えるという理を示している。また、そうしたなかでも色を変えない松や檜の繁った原は、おのずからにして、宇宙万有の実体は不変であることを現わしている。釈尊が説法の際、花をひねって衆に示されたのを見て、弟子のなかでただひとり迦葉だけがその意味を悟って、微笑された。そこで、文字には書き表されていない正法眼蔵浬繋妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん)の経法は、釈尊から迦葉へと以心伝心に伝えられ」31たとあります。
これは華厳経の「宇宙のすべてのものは限りなく係わりあう関係にある」という思想、全てのものがありのままで真実であると言う法華経の恩想がそれらの教えの象徴としての花を飾ることを勧め、・正法眼蔵渥繋妙心は禅の教えで、一花を通じて真実を伝えたという伝説によるものです。また、「青・黄・赤・白・黒と言う。花の五色は五根五体」とは中国の陰陽五行にも通じるものです。
いけばなの用語に「五行格」という言葉があります。「格」とは「生花などの花型の基本構成要素をなすもので、具体的には道具または役枝とよばれている。いけぱなは自然の形ある植物を組み合わせることにより、一つの形体をつくるのであるが、立華、生花にあってはさだめられた形式があり、それは宇宙の秩序をかたどるものとされた。つねにおなじ形とはいえない自然の植物は格をもつことによって、一定の調和ある抽象形体をつくることができる旬いわば宇宙の秩序は格を媒体として具象化するともいえる」(いけばな大事典)とあります。
だから、「五行格」は「生花の天地人三才の主要な役枝(役どころ)」の三枝に、二枝の役枝を加えて、五枝での構成された定型の琴。
五役枝によって五行の木火土金水がととのったものと考えた。未生流系の用語で、古流でも松萬会系がつよく主張する。花型では未生流系が体(天)・用(人)・留(地)に相生と控を古流系が真(天)・流(人)・受(地)と真前と留とを追加したのが五行格である。」(いけばな辞典)と言われるのです。
これは五行が宇宙の構成要素であり、世界を現わすものとされていたので、いけばなは宇宙の縮図(ミクロコスモス)、世界そのものをそこに示すものであることになります。今の言葉で言えぱコスモロジー〈宇宙論)が専応口伝には示されていることになります。
窓辺に生えている雑草も、自分とのかかわりがあって生えていると考えたらみだりに引き抜くべきものではなくなります。
筆者らの研究(東北女子大学紀要29号・1990年)によって明らかになったことですが、茶の湯にも五行の思想が含まれて、茶の湯は一つの宇宙であると言われるのは当然のことだったのです。ただ、鎌倉仏教において個人の主体性をや救済を前面に出したために、それ以後、世界の中の自分の位置付け、自然と人間の関係について語るコスモロジーが忘れらたと言われますが、専応口伝で引用された華厳経はまさに宇宙論として我々の居場所を与えてくれるものです。
さらにそこにおいて我々に法華経は安心の約束を与えてくれます。しかし、我々に在るべき場所に居ることの安心、浄土に行く約束があったとしても、またその事を知っていたとしても、この私の直接的な生死の問題に何の苦しみや悩みそして迷いが全く無くなるわけではありません。また、理解するという心の働きが無くなるわけでもありません。以心伝心とはそれに答える禅的な試みです。不立文字とは文字や言葉を否定するものではなく、言葉にはならないことや思い、経典に書かれていないことにも教えや実相があることを示す言葉で、悉有仏性(すべての存在するものは仏としての本質を持っている・有るということが仏の本質だ)で、山水や竹や花も真実を語り始めるわけです。専応口伝は教典の位置付けと役割を考えているようです。道元の正法眼蔵という著作にある「梅花」の巻に、「華開世界起」(花開いて世界起きる)「花が咲くと世界が成立する」という言葉があります。春が来るから花が咲くのではない、雪の降る冬のさなかでも花が咲くから春なのだという説明があります。花が咲くこと(悟りをひらくこと)と世界が存在すること(修行をすること)が一つだと言うのです。花は咲くことが花であることなのです。花が存在することは世界が存在することなのです。これは花が咲くとそれから世界が成立して来るという時間的な推移を示しているのではありません。同じように、世界は立ち現れている(現成する)から世界であると言われるのです。花を飾ることはそこに世界を成立させるということになります。花器に花を活ける、あるいは花を整えるということは自分自身を含めた世界を整えることになるという大変なことをしているのです。
ただ、それは全てのことを自力(修行)だけで意味付けてゆくのは、ちょっと苦労の多い事になります。そこで、道元も修行をしていること(坐禅する)は悟りの状態(成仏すること)と同じなのだと言います。そこで、仏が約束をして、だれにでも、そうなっているのだという見立て(前提)をすることになります。だから、方便として、ここでも神道的に神が降りてくるから花が咲き、春が来るのだと見立てても良いことになると恩います。
七、花と信仰
世界の神語や伝説にも花の女神が出てきます。日本では木華佐久耶毘売(このはなさくやひめ)という女神が當士山や浅間神社でまつられています。山の美しさを花に楡えることからそのようになったのではないでしょうか。
芙蓉峰は宮士山を花に楡えた異名です。この芙蓉は葵ではなく蓬の別名のように思われます。蓮が水の上にすっと立っている姿が雲の上に立つ當士山と重なるからでしよう。フラワーアレンジメントが日常的な生活意識の中にあるのに対して、富士山は信仰の山でもあり、いけばなも信仰とかかわっています。
ちなみに、ギリシャのアテネにあるパルテノン神殿ParthenOnとは処女の部屋という意味で、石造りの建造物には乙女の初々しいイメージが込めら一れていると言われます。富士山にも花のイメージが言葉によって込められたことになります。
太宰治の「富士山には月見草が良く似合う」という有名な言葉も、山という巨大なものと花というはかなくささやかなものという対比の面白さだけではなく、富士山に花を手向けるという意味合いを無意識に感じているので、深く受入れられているのではないでしょうか。
フラワー.アレンジメントは花を美的な象徴と考え、茶花や「いけばな」は花を神仏と考えるという違いであると恩われます。仏や神に花を飾り荘厳するのは、仏や神のいる場所や目に見える物以上の価値を花の美しさによって暗示しようとするためです。
ちなみに、神社にお榊など常緑樹を捧げるのは神の寄り代として永久に変わらぬものを示すためであります。これは立花や「いけばな」における垂直的な表現の起源を理解することはできても、それに変わりゆく花が添えられることは理解できません。そこには花を飾る仏教と常緑の木を尊ぶ神遣の習合があったと考えざるを得ないのです。
茶道には床の問にある花に向かってお辞儀をする礼があるのは、なぜでしょうか。それは神や仏と結びついた花は、そこに神や仏を象徴するのです。そこで、礼を尽くすのです。床の間にむかって礼をするのはそこが神の降りてくる場所あるいは神の居る場所だからです。そこに象徴的な物を置くのです。
水盤に花をいけるのは何故でしょう。もともとは瓶にさすことの方が多かったようです、剣山は明治になって発明された物と聞きますが、もっと早く発明されていれば、使われたことでしょう。水盤は水辺を縮小したもので、水辺とは浄土を象徴するものです。宗教的な伝統の中で我々が安らぎを求めるには最も良い道具なのです。
砂を盛ったりして花を支えて盆栽のようにして生けていました。盆栽は棋界の縮図として見られます。盆石(盆山)も同じように山水の風景を縮図にしています。しかし、我々が見る自然の山や川ではなく、神仙の住むと想像されるユートピアとしての山水です。茶壷と同じように盆山も飾られています。ルソン茶壷を飾ることから瓶を飾りそれに添えて花を飾ったのかもしれません。
よく茶器や雑器であり、そのようななものを飾ったり使うのが侘びであると言われますが、朝鮮のものについて当時の日本の技術水準では雑器とは言えないものも山めると言われます。壷もただの名も無き壷ではなく、ルソン壷という名前が大切です。実際にルソンから来たものではなくとも、ルソンと言う海の向うにある遠い異国は天竺(インド)や西方浄土を暗示していたのです。出船入船という銘の花入はただ港から出て行く入ってくるだけではなく、浄土へ行き、また、浄土から戻ってくること(往還)を意味していたと恩われます。そこで、ルソン壷という分類名とさらに金花や松花というような浄土を暗示するような象徴的な意味を持った固有名を与えるのです。
江戸の文人で田能村竹田という人は瓶花論というものを書きました。名も無き花を好み、花器もささやかな物が良いとしています。これは明の時代の文人であった童中郎(衰宏道)という人の書いたいけばな論である瓶史にヒントを得たものと言われます。ここで注目されるのはどちらも花史でも花瓶論でもないということです。わざわざ、花器が小さいもの、花を主とすることが述べられるのは、室町時代に棚飾りとして壷が珍重されたことから、花が主ではなく瓶が主であった時代があったからです。壷と瓶はあまり形態には違いがありません、だから壷についていわ れることが瓶についても言えます。壷について、壷中天という話があります。それは仙人が出入りする狭いように見える壷の中に別な広い世界があり天を頂いていると想像されていました。
お茶の軸に書かれる「壺中日月長し」とは「費長房が壷公という老仙人の指示に従って瓢箪の中に入ったところ、中は広い仙境で、彼はそこで仙術を習い、十日ほど過ごしたつもりでこの世に戻ってみたら、もう十数年経っていたという故事。禅ではこれを「悟りの世界は時間と空間とを超越している」という意味に解釈して珍重し、茶人は更に、「茶室は俗世間と次元を異にする別天地である」というように解釈して、この句を珍重する。「壷中の天」「別に是れ一乾坤」などと、ほぼ同義。」(芳賀幸四郎)「角川茶道大辞典」とあります。
壷の中に花を活けると言いますが、それをじっと見ていると花が壷から生えてきて、壷の中にあるものを表わしているように見えます。花は壷の中の浄土や仙境からやって来たもののようにも見えます。茶の湯では花の活けていない茶壺も珍重します。壷自体が神仙の住む蓬莱の島に見立てられます。蓬莱にちなんだ蓬壷という銘の青井戸茶碗もあります。茶壺の中から茶の葉を取り出し、嚢と呼ばれる茶入れに入れますが、蘂は仙人の食べ物として知られているものです。だから、茶室が日常とは異なる別天地だとすると、茶室も大きな茶壷と考える
ことが出来ます。そこには、はさまざまな思想が融合されできた悟りをひらく極楽浄土です。浄土は必ずしも黄金に輝くばかりではありません。専応口伝には「わずかな水と小さな木でもって、川や山の相当な範囲にわたる美しい景色を表現し、短い時間のなかに千変万化するこころよいおもしろみを感じさせる。それは仙人の妙術だともいい得るものである」。これも同じような考え方であると思われます。
結論花と人
美しさ自体というものに永遠性が伴うならば、美はうつろうことはありません。永遠とはただの長い時間ではありません。うつろい行く時を超越したものです。しかし、時の中に咲く花はうつろい行きその美しさ失われます。美しさそのものとこの花は異なるものなのに、それでもこの花はなぜ美しいのでしょうか。まさに、うつろいゆく一瞬が時間の流れを超えて、永遠なるものを垣間見させてくれるのです。
これは長い時間変わることのない造花にはできないことです。「はな・花」の「は」はことの端として、うつろい行く人の心の栄え(はえ・心の中にある美)を花に映して見て取るから美しく見えるのです。だから、オキーフと同じようにこのかけがいのない花をかけがいのない我々自身と考えることができるのです。
しかし、我々の心が暗くなり自分自身を見るカがなければ、花も花・の美しさも見えなくなり、美しく見ることができなくなるのです。いけばなも茶花もそれを日常の中にありながら、そ}」を抜け出し、日常の時間の流れを止めて、永遠なるものを垣間見させてくれる芸術なのです。
幼子でも花に感激するのは、本性的に美そのものを我々は知っているからであり、花を我々はそれぞれ持っているのです。それが世阿弥の言う時節の花。として幼年期・少年期・青年期・壮年・老年とそれぞれの時期に美しさ(時節の花)として顕れてくるのです。

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