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聖カピタニオ女子高等学校コミュの悲しいお知らせです

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突然ですが、携帯にメールが送られてきたのでそのまま書かせていただきます。




今日は悲しいお知らせをしなければなりません。
高校時代にお世話になったホンティーこと本多裕明先生が、本日7月16日亡くなられました。

多田先生から「少しでも多くの人に知らせて欲しい」と言われました。
是非このメッセージを見られた方はカピタニオの仲間にお知らせください。
宜しくお願いします。

なおカピタニオのホームページでも記載されているようなので詳しくはそちらを見てください。



■お通夜
日時 7月17日(土)
午後7時より

■告別式
日時 7月18日(日)
午前9時半より


お通夜、告別式共に平安会館 東名斎場(0561−64−1181)
東名名古屋インター近くです。

コメント(11)

本多先生には一年生の時に数学の授業で大変お世話になりました。
すごくわかりやすい授業で楽しく勉強できました。
仕事の都合で参加できませんが…
御冥福をお祈りいたします。
私も本多先生の分かりやすい授業に救われた一人です。
「中学で大嫌いだった数学がこんなにも楽しいものになるなんて思いもしなかった」と感じていたのを今でもよく覚えています。
悲しいお知らせですが、カピタニオでの本多先生との思い出が沢山の先生や生徒の心に深く残っていることは、ご家族や何より本多先生にとっての喜びではないでしょうか。
心よりご冥福をお祈りいたします。
私は部活の顧問として、お世話になりました。

年賀状に私が初めての卒園児を送り出す事を書くと今でも、卒業式を思い出すと泣けてくるって書いてありました。

部活にほとんど参加しなくて、ごめんなさい。

ご冥福をお祈りします。
数学が出来ない私に根気よく教えてくれた事、
アイルランドに一緒に行った事忘れません

先生にもう一度会いたかったです
心からご冥福をお祈りします。

医者になると頑張っておられたのに

本多先生の作られた歌が
祈りの歌に載っててギターで歌ってくれた事を思い出しました。


嫌いな数学をちょっとでも好きにさせてくれた素敵な先生でした。

福岡在住で仕事も休めないので
遠く福岡から
お祈りさせていただきます
私も本多先生にお世話になった一人です。
本多先生のギターと歌、私も覚えています。
いつも笑顔でコロンとした愛くるしい姿、忘れません。

大阪在住でそちらには帰れません。
大阪からご冥福をお祈り致します。

お疲れさまでした。と言いたいです。
本日、先生と最期のお別れをさせて頂きました。

私も本多先生の授業で、苦手な数学が、少しだけ好きになりました。

すごく感謝しています。

心よりご冥福をお祈りいたします。
2010年7月に書いた日記のコピペです。
少し長いのですが、ここに出てくる「恩師」が本多先生です。
この世をさられて5年、でもかけていただいた言葉はいつまでも私の中で生きています。


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バトンもテニスもセンスの問題で、私には運動的センスがなかった。兼ねて要領のよさも持っていなかった。

5年生の夏、バトン部の顧問の先生が「技術だけでなく、夏休みの出席日数でレギュラーを決める」と言ったので、1日も休むことなく部活に励んだ。

部活がないときはテープレコーダーを運動場に持ち込んで、音楽部の演奏を録音して、家でも何回も踊りを練習した(今でも踊れるくらい)。

夏休みあけのレギュラーの発表は、1日も休まなかった私は選ばれず、家族と海や山を楽しんだ友達たちが選ばれた。

ほとんどの5年生が選ばれた中、選ばれなかった数人と4年生と一緒に、運動会と市民際が終わるまで校庭の隅で踊る事が、どれだけ惨めだったか。


中学に入り、人数の多いテニス部に入る。
テニスの上手い順に班わけを先生がするわけだけど

先生が「テニスだけでなく、普段の態度も班分けに関係する」と言ったので、

人よりもずっと真面目に球ひろいをし、だれよりも早くコートに行き、石拾いをした。

雨の日は部活がなくても壁打ちをし、努力もしたが、

万引き問題を起こした子より私の順位が上回る事はなかった。いつも最後の班にいた。

努力しても頑張っても報われない思いで、いつも心が晴れてなかった。


高校に行き、私は硬式テニス部に入る。

ここでも「1人朝練」とかで、早朝学校に行き、サーブの練習をしたり、、体力づくりに家の近所を走ったりとか、していた。

そして試合に出て、センスがないから負ける。

ある試合に出て、負けて、先生に呼び出された。恩師と呼べる顧問の先生だ。

「にっちさん、にっちさんは試合に負けたけど、

本当に大事な事は、結果じゃない。

世の中みんな結果しか見ないけど、そんな事は本当は小さな事で、

にっちさんの人生にとって本当に大切な事は、過程だよ。

自分がその物事に対してどれだけ『真剣』になれたかが一番大切な事なんだ」


先生は「一人朝練」に突然来て、つきあってくれた事があり、それを配慮した言葉だったのかもしれない。

でもその言葉を聞いた私の気持ち、わかる?

その時の先生の言葉ひとつで、バトン部の時の時の悔しさも、軟式テニス部の時の悔しさも、その他の報われないたくさんの事(この手の話はネタがつきない…)が全部、全部、報われた。そんな気がした。

自分はそれらに対して真剣だった。それは他から見れば「さえない人生とさえない思い出」に過ぎないけど、誰にも汚すことの出来ない宝物だと誇りに思う事ができた。

先生の言葉で心が晴れ渡っていくのを感じた。

テニスはその後主人との共通の趣味としての役割を、バトンにおいては、チアで発表する場があり、「AはAのためならず」を年をとってから悟る事になる。

私はあの時の感謝の気持ちをずっと先生に伝えたいと思っていて、

「そのうち」を実行すべく、高校に足を運んだ(2月の「続そのうち」の日記)。

なのに、私はそこでまた「そのうち」(顧問の先生にお手紙を書く事)を延ばしてしまっていた。



土曜日の朝早く、久々の友達からのメールで飛び起きた。先生の訃報だった。

自分が寝ぼけているのかと思った。

先生は私達が卒業後、何年かたった後先生を辞めて、40歳で医学大学に入り、塾の講師で生計をたて、44歳で首席で卒業。「44歳で医師になる」という題で中日新聞にのり、

その記事に出会った時、
あんなに勇気をもらった事はなかった。
あんなに先生の成功を嬉しく思った事はなかった。(やっぱり努力が結果に出た方が見た目カッコいいって思ったけど、)
そして、卒業してもなお、「教えられている」気がした。


そんな想いもひっくるめて、私の気持ちなんて一滴も、なんにも届いていないのが、悲しくて、泣いた。

あの時「そのうち」を延ばした罰だと思った。

先生は46歳。
突然死のようなものだったと聞きました。

日記の題名を色々考えたけど、題名をつけれるほど、客観視出来なかった。

やり場のない気持ちでいっぱいです。

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