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ドイツ現地情報サークルコミュの旧ユーゴの旅

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島国で生まれた私たちにとっては、海を渡らないでもとなりの国に行くことができるということは、すでに非日常的な感覚である。

極端に言えば、ドイツからモスクワやリスボンまでも、自分で車を運転して行けるのだ。その大陸感覚を味わうために、ミュンヘンからクロアチアまで車で行ってみることにした。

ところで言葉も通じない異郷で、毎日十時間も車を運転する旅には、タフなドイツ車が適しているような気がする。ドイツから旧ユーゴ・クロアチアの最南端まで片道一二00キロの旅で、私たちを運んだのは、製造されてから十一年経ち、走行距離が十万キロを超えている老兵BMW。

ボディは傷だらけだが、エンジンは丈夫で、旅先で機械的なトラブルを起こしたことは、一度もない。技術面で頼りがいのある車は、初めて足を踏み入れる土地でも安心感を与えてくれる。

内戦の結果、ユーゴスラビアがいくつかの小さな国に分かれたため、バルカン半島の旅では様々な国を通ることになる。私もわずか二週間でドイツ・オーストリア・スロベニア・クロアチアの四ヶ国を通過したが、国境を超えるごとに、経済水準やインフラが変わって行くのがはっきりわかる。

たとえばドイツの高速道路は、路面の状態が良く、無制限にスピードを出してもよい区間が多い上に、料金は取られない。ところがオーストリアに入ると、速度制限もあるし料金も取られる。ドライバーは、「ビネット」と呼ばれるステッカーを、国境手前の売店で買って、車に貼らなくてはならない。

スロベニアからクロアチアに入り、首都ザグレブを超えると、高速道路はわずかな区間で終わり、国道を何百キロも走らないと、海岸に行くことができない。社会主義経済、そして内戦による混乱で、インフラの整備が大幅に遅れているのである。

最近ドイツ人の間では戦争前と同じように、クロアチアの海岸で夏の休暇を過ごすのがはやっている。イタリアに比べて物価が安い上に、ギリシャよりも近くてドイツから車で行けるというのが、大きな利点なのだろう。

幹線道路が整備されていないにもかかわらず、観光客が急増しているため、行楽シーズンになると、オーストリアからクロアチアの海岸へ抜ける道は、はげしい渋滞に見まわれる。

実際、私もアルプス山脈を通過するタウエルン・トンネルの手前で大渋滞にまきこまれた。それも車がノロノロ走るのではなく、完璧に路上でストップしてしまう最悪のパターンだ。みな車から高速道路に降りて、リンゴをかじったり、タバコを吸ったりしている。私は最寄の出口から高速道路を降りると、国道を通って山並みを超えた。

時間はかかるが、高速道路で三時間待たされるよりは良い。車窓からアルプスの景観を楽しむこともできる。こうした事態にも臨機応変に対応できるように、ヨーロッパでの自動車旅行には、電話帳のように分厚い国際ロードマップが欠かせない。

さてクロアチアの内陸部と、アドリア海の主要都市ザダーやスプリットを結ぶのは、一本の国道だけで、高速道路はない。この国道十三号線はカーブや坂道が多く、見通しが悪い。国道沿いのレストランで食事をしていた時、ポーランドの行楽客とハンガリーの観光客の車が正面衝突する瞬間を見た。

別の場所では、トレーラーを牽いた大型トラックが横転しているのを見た。幸いトラックは道路脇の空き地にどけられていたため、道はふさがれていなかったが、国道十三号線がいかに危険な道路であるかを感じた。

また国道十三号線は、もう一つの重苦しい現実を我々に突きつける。旧ユーゴを車で走ると、スロベニア、クロアチア、ボスニアの検問所に次々に行き当たるので、一つの連邦が細分化されて小国がたくさん生まれたことが、肌身に感じられる。

さらに国道に沿った村では、内戦終結から六年経った二00一年の時点でも、セルビア人とクロアチア人の間の戦闘で破壊された建物が、数多く残っていた。民家や商店の壁には、スプレーで吹きかけたように無数の銃弾の痕が残っている。

砲撃で崩れ落ちて、外壁だけになった建物も数え切れない。おそらく建物を修理する資金が不足しているので、廃墟がいまだに放置されているのだろう。

チトーが生きており、ユーゴスラビア連邦が存在していた頃には、静かな農村地帯だったに違いない。かつては同じ連邦の傘の下で共存していた人々が、民族主義にあおられて理性を失い、殺戮と破壊に走った現場である。旅先で出会った、初老のクロアチア人の教師は「なぜあのような戦争が起こり得たのか、いまだに信じられない」と、はるか遠くを見つめるような表情でぽつりと語った。

市民が快適な生活を送っているミュンヘンから六00キロしか離れていない場所で、血で血を洗う戦いが行われていた。車窓に映るのは、冷戦後のヨーロッパの混沌を象徴する風景なのである。国道十三号線を無事に通りぬけた後に、眼前に迫るアドリア海は、ことのほか青く澄み切って見えた。

筆者ホームページ http://www.tkumagai.de

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