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岡田英弘コミュのモンゴル帝国の継承国家

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 今でもモンゴル帝国は生きています。そして岡田英弘が言った「モンゴル帝国は世界をつくり、世界史をつくった」という言葉は、私のお気に入りです。

<引用始め>

 モンゴル帝国は、十三世紀のはじめに、チンギス・ハーンによって建設され、当時の世界の大部分を席巻した大帝国である。現代の国境線の多くは、この帝国によって決められたといっても、過言ではない。



 しかし普通の世界史では、モンゴル帝国について、記述は多くない。歴史の闇のなかから突然、モンゴル人が突撃してきて、世界中に広がったかと思うと、そのあとが続かない。そのひろがった領域についても、地図が一枚あるだけで、その次の頁には、またぜんぜん別の地図が載っている。いったい、モンゴル人とモンゴル帝国は、ただの歴史の一頁、ちょっとしたエピソードなんだろうか。



 そんなことはない。モンゴル帝国は、いまでも生き残っている。そういう根拠を、これから説明しよう。



 まず第一に、歴史というものの性質がある。歴史は、世界中どこにでもあるというものではない。地中海世界と、中国世界に起源があって、そのほかの地方には、それぞれ地中海型か、それとも中国型かのコピーしかない。



 地中海世界では、紀元前五世紀に、地中海の一角、小アジアのハリカルナッソスに生まれた、ギリシア人とカリア人の混血のヘーロドトスという人が、前四八〇年にペルシア王クセルクセースが、大軍を率いてギリシア本土を攻めて、アテーナイの前のサラーミスの海戦で敗れて逃げ帰った事件に興味を持ち、この問題を「研究」して『ヒストリアイ』(「調査研究」)という書を書いたので、それが発端になって「ヒストリア」が「歴史」という意味を持つようになった。



 中国世界では、紀元前二世紀の末の前一〇四年、前漢の武帝が、この年の陰暦十一月(子の月)の朔(ついたち)が、六十干支の最初の申子の日であり、しかもこの日の夜明けの時刻が冬至であるという、中国の暦学でいう、宇宙の原初の時間と同じ状態が到来したのに合わせて、太初という年号を建てた。このとき、太史令(宮廷秘書官長)の司馬遷の提議によって、暦法を改正することになり、「太初暦」が作られて、それまで年頭であった十月(亥の月)に代わって、正月(寅の月)が年頭になった。



 司馬遷がこれを記念して、『史記』を書きはじめ、前九七年に及んで完成した。「史」はもともと、「記録係の役人」という意味だったが、太史令の司馬遷が『史記』を書いてから、はじめて「歴史」という意味ができた。



 ペルシア帝国の外側の人であるヘーロドトスの著作の、地中海型の「ヒストリア」では、大きな国が弱小になり、小さな国が強大になる、定めなき運命の変転を記述するのが歴史だ、ということになっている。それに対して、前漢帝国に奉仕する太史令の司馬遷が書いた中国型の「史」は、中国という国家の歴史でもなければ、中国人という国民の歴史でもない。それは皇帝という制度の歴史であって、皇帝の権力の起源と、その権力が現在の皇帝に受け継がれた由来を語るもおである。皇帝が「天下」(世界)を統治する権限は、「天命」(最高神の命令)によって与えられたものだ、ということになっていて、この天命が伝わる順序が正統と呼ばれる。



 そういうわけで、おなじ歴史ではあっても、地中海世界では変化を主題とする歴史が、中国世界では天命の正統に変化がないことを主題とする歴史が書きつづられて、十三世紀のモンゴル帝国の時代になった。モンゴル帝国の時代は、世界史のはじまりであった。



 モンゴル帝国は、東の中国世界と、西の地中海世界とを結ぶ「草原の道」を支配することによって、ユーラシア大陸に住むすべての人々を一つに結びつけ、世界史の舞台を準備したのである。



 第二に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を統一したことによって、それまでに存在したあらゆる政権が一度ご破算になり、あらためてモンゴル帝国から新しい国々が分かれた。それがもとになって、現代のアジアと東ヨーロッパの諸国が生まれてきたのである。



 第三に、華北で誕生していた資本主義経済が、「草原の道」を通って地中海世界へ伝わり、さらに西ヨーロッパ世界へと広がって、現代の幕を開けたのである。



 第四に、モンゴル帝国がユーラシア大陸の陸上貿易の利権を独占してしまった。このため、その外側に取り残された日本人と西ヨーロッパ人が、活路を求めて海上貿易に進出し、歴史の主役がそれまでの大陸帝国から、海洋帝国へと変わっていったのである。



 モンゴル帝国は、そうしたわけで、実はいまでも生き残っている。北アジアの一角のモンゴル国だけではない。その北のロシア連邦から、東の韓国・朝鮮、南の中国、パキスタン、インド連邦、西のカザフスタン、ウズベキスタン、キルギズスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア、ウクライナ、アフガニスタン、イラン、イラク、トルコ共和国、その他エジプトなど、北アフリカの諸国に至るまで、モンゴル帝国の継承国家でないものはない。実にモンゴル帝国は世界をつくり、世界史をつくったのである。



岡田英弘『モンゴル帝国の興亡』P.011-014 「はじめに」


<引用終り>


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