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クトゥルー神話創作小説同盟コミュの飛蚊症 【五巻之内三】

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二月の雪の夜、エイミーことアマンダ狩浦博士が診察所に慌てて飛んでくると、熊川先生の両眼を摘出しろと言うのです。私はすっかり面食らってしまいました。

「驚くの無理ありません。でも、熊川先生の命を救うには……、no! 彼の魂を救うには、それしかない! 先生、どうか私の言うことを信じて、彼の両眼を摘出して、焼き捨ててください!」

「も、もう少し、詳しくご説明、願えませんか。熊川さんの眼に何か、危険な病気でもあるというのですか?」

 もちろん眼に悪性の腫瘍ができていたりする場合、患者さんの命を救うためには失明もやむを得ない場合はあります。しかし、それは極端な場合です。もちろん精密検査の結果で判断しなくてはなりません。闇雲に眼を摘出しろなんて乱暴な話は聞いたこともありません。しかしエイミーは続けました。

「先生がお疑いになるのもごもっともです。それでは、詳しくお話ししましょう」

 ここでエイミーさんは初めて腰を落ち着けたようにコートを脱いで椅子に腰掛けられました。コートの下は小さな三角布のブラトップとジーンズをお尻が見えるほど短くカットしたショーツといういでたちで、普段着を着替える暇も惜しんで慌てて飛び出して来たことが良くわかりました。ブラトップで隠しきれない豊かな胸が大きく波打っています。肩に掛けていた大きめのバッグから何やら古びた革表紙の本を取り出すと、私に見せました。

「この本はご存じですか? 十七世紀、錬金術師であり天文学者でもあったヒラカス・タケオクウスの書いた『ヘテロディオス・オムニコン』という本です。狂気のアラビア人、アブドゥル・アルハズレッドの『ネクロノミコン』やルドヴィック・プリンの『デ・ワーミス・ミステライス』と並ぶ、稀覯の魔道書です。世界に四冊しか存在しないと思っている。南太平洋大学付属図書館の別館、兼石文庫はミスカトニック大学の付属図書館と並んで、この本を蔵書する、世界で三つの図書館の一つなのです。もちろん本来門外不出とされているものです。私は石積先生、頼んで特別借り出しました」

「はぁ…… で、その本に熊川先生の眼病について何か書かれているのですか?」

「そうなのです。しかし、それをお聞かせする前、去年の九月、我々のエジプト遠征のことから話したい、思う……」

 そう言ってエイミーは語り出しました。

 その探検は非常に過酷なものだったようです。目的は伝説のファラオ、ネフレン・カーの墓を見つけることでした。一台の大型四駆トラックと二台のRVを駆って出発したそうですが、炎天下の砂漠の中、何と三台とも次々にエンコしてしまったそうです。一行は引き返すことも考えたようですが、結局、民主主義に則った隊長ヒルツェンスキー教授の決断は歩いて先を続けることでした。

 サハラ砂漠で九月といえばまだ夏の最中です。上からは太陽が容赦なく照りつけ、下からは焼けただれ砂の照り返しが熱した鉄板のように一行を責めつけます。ミスカトニック大学の研究生たちには裸足で参加している者も多かったようですが、エイミーともう一人の女子研究生以外はみんな音を上げて靴を履いてしまったそうです。こんなときには女性の方が強いものなんですね。もちろん汗も止めどなく流れ出ますがすぐに乾いてしまうそうです。携帯の飲み水には制限があるので、脱水症状から倒れる者も続出しました。

 昼はそんなでも夜になると一変して気温は氷点下まで下がるのです。また昼でも夜でも砂嵐が襲います。皮膚が乾ききっているので砂粒がナイフのように突き刺さるそうです。顔から血が噴き出すそうですよ。

 熊川氏は隊長の判断ミスだと言って口汚く罵りまくったそうです。その罵倒は砂嵐よりも容赦なかったと仰ってました。

 しかしそんな苦行が報われるときが来ました。一行は燃え上がる砂丘の下、太古の遺跡の跡を発見したのです!

「それは我々の求めていたネフレン・カーの墓ではありませんでした。しかし我々が持っていた機材での簡単な測定でも同じ時代のものであることはわかりました。これまでに知られている最古のピラミッドよりも四千年も古いものです。ラーやオシリスの神々が崇拝されるはるか前、セベク神やニィアルラトホテプ神の禍々しい信仰がエジプト先民の間に根付いていた、あの冒涜的な時代の遺跡に間違いないでした」

 エイミーはそんな風に説明されました。一行はたいそうな思いをして遺跡の上に積もった砂を掘り返したそうです。長い年月の後、堆積して岩のようになった土を一部、爆破したりもしたらしいです。そうして、やっと地下の穴蔵へと続く石段が露出されました。

「我々は、すぐに石段を下り始めました。休むなどと言う考えは、誰の頭にも思いつかなかったのです。

「地下へ向かう狭い穴蔵に足を踏み入れるや、そこは暗黒の風が渦巻いていました。どういう物理的現象によるものか、砂漠の猛烈な熱気は、まるで壁で遮断されているかのように下へ続く廊下には届かないのです。ちょうど今夜のように、その廊下は暗く、冷え切っていました」

 実際、あまりの寒さに探検隊員の何人かは上着をとりに戻らなくてはなりませんでした。しかし隊長と数人の熱心な研究生たちはその寸暇も惜しんで凍てつく地下へと降りて行ったそうです。もちろん、エイミーもその一人でした。裸足の足の裏に石の階段が南極の氷のように突き刺さったと言ってました。

 廊下の側壁には太古の冒涜的な壁画が刻まれていました。その様式はそれまでに知られていたエジプトのどの時代のものとも異なっていたのです。

 暫く進むと、隊員の足に何かが触れました。照明をかざして浮かび上がったものを眼にしたとき、さすがの剛胆な探検隊員も縮み上がりました。なんと、それは幾体もの白骨化した人骨だったからです。白骨死体は各々斧や大鎚やのみを握りしめ、苦しきもがきながら死んでいったようで、その姿のまま、そこに山を成して積み重なるように横たわっていたのだそうです。あたかも何らかの理由で神殿を破壊しようとしていたところを何者か、あるいは何かの急襲に遭ったように……。 どんな邪悪な力の持ち主が武器を手にした屈強の破壊者たちを一網打尽に打ち倒してしまったのか? それは探検隊の誰にも想像のつかない謎でした。

 白骨死体の山の先は頑丈な岩の扉で閉ざされていたそうです。その扉には奇怪な怪物の画が刻まれていました。それは全体としては大きな蝦蟇蛙に似ていましたが全身は、軟毛で覆われていて、四肢はアメーバのように不定形でした。また背中、頭頂部、大きな口の周りには、幾本もの毛だらけの触手がウネウネと生えていたそうです。

 一日目の調査はそこで終了しました。次の日、一行は一日かかって岩扉をこじ開けました。扉は頑丈でそれ自体、考古学的価値の高いものだったので壊さないように開くのは大層骨の折れる作業だったのです。しかしその作業は十分に報われるものでした。やっとの事で開いた扉の奥は神殿でした。そこには見たこともないような遺品が溢れていたのです。

 ざっと検査しただけでも、それらの遺物は現代人の誰の見たこともない不思議なものばかりでした。エジプトはもとより、かって発見されたどの国の遺跡とも似ていなかったそうです。岩扉に描かれていたものと同じ怪物の彫像が正面を飾ってありました。そのほかにも、いずれ劣らぬ異形の怪物の彫像が埋め尽くしていたのです。

「この世のものならざる異次元的な雰囲気を醸し出していました。私たち誰もが異次元から飛来したという前世紀の邪神の伝説を思い出したものです」

 エイミーさんはそう語っておられました。

 さて、それから何をすべきか決断しなければなりません。隊長のヒルツェンスキー教授は隊員全員を、学生から現地の作業員まで呼び集め、緊急会議を開いたそうです。激しい議論の末、結局、今回の調査は、測定、スケッチ、写真撮影等に止め、遺物を運び出すことはしないことにしたのです。車がないため帰りも徒歩で砂漠を超えなくてはなりません。帰り道は行き以上の困難が予想されたからです。遺物の運搬は来年、第二次遠征隊を組織してそのときにすれば良いということになりました。

 この決定には熊川が猛烈に反発したそうです。第二次遠征隊などいつ実行できるかも資金がどの程度出るかもわからない。そんな悠長なことを言っていては他の探検隊に出し抜かれるかも知れないというのが、彼の意見でした。

 初めの内は隊長が一人で意見を通そうとするのは独裁でおかしいと言っておきながら、全員の意見が隊長案に傾いていると知るや、こういう問題は多数決で決めることが正しいとは限らない。、大体、現地作業員の意見まで入れていたら遺物の運搬は反対するに決まっていると翻したそうですから、おはなしになりません。口から唾を飛ばして一人で何時間も主張を続けたそうです。終いにはヒルツェンスキー教授のことを「バカ、阿呆」と罵倒し、「あんたには隊長の資格はない」とまで、言い出したらしいです。

 熊川氏の自分の意見だけが正しいとする論調には一同うんざりしましたが、もう慣れっこになっていました。何時間、喋ろうとも他の隊員からは失笑と反感を買うばかり…… 結局いつまでも怒鳴り止めない熊川氏を無視して決定は下がり、会議は解散しました。

 その深夜のことでした。エイミーは寝ているところをジャッカルの鳴き声で目を覚ましたのです。ふと気がつくと、テントの外を誰かが忍び歩きしている気配を感じるではありませんか。そっとテントの外を覗き見て、エイミーはハッとしました。彼女が見たものは、照明器具を片手に一人で地下の神殿へと降りて行く熊川氏の姿だったのです。

 地下神殿で何をしていたのでしょう。小一時間もすると熊川氏は戻って来ました。出ていったときと同じようなコソコソ歩きのまま、自分のテントに帰っていったそうです。

 エイミーはこのことをヒルツェンスキー教授に言いつけようか迷ったそうです。しかし、一応助教授とポストドックの研究生という立場もあります。帰路に控えている強行軍のことを考えると、一行の不和や疑心をこれまで以上に増すことも望ましくありません。太洋大学とミスカトニック大学の相互信頼の約束を考え、何か問題が起こるまでは胸の内に仕舞っておくことにしたそうです。しかしその夜を境に、あれほど口汚く反発ばかりしていた熊川氏がうってかわって無口になったと言います。

 無事カイロまで戻った後、エイミーは一時期アメリカに帰り、その後、太洋大学と共同研究のために来日されました。共同研究のティームには熊川助教授も入っていましたが、彼はろくにセミナーにも出席しないで研究室に閉じこもっていたそうです。

 エイミーはそこまで語ると一時、口を閉ざし、反応を見極めるように私の顔を覗き込みました。

「お話しはわかりました。しかし、それと私とどのような関わりがあるのでしょう? ましてや、彼の眼を摘出しろ、などとは……」

 私は、問いました。

「いいですか。熊川先生が研究室で一人で何やら研究していたちょうどその頃、彼の飛蚊症が発症しているのです」

「なるほど。しかしまだ飛蚊症とエジプト探検との関係を理解しかねますが……」

「そうですね。あたりまえです。でも、その謎を解き明かしてくれるのが、この本なのです」

 エイミーはそう言うと、おもむろに最前の古書『ヘテロディオス・オムニコン』を取り上げて私に示したのです。

<続く>

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