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藤富保男コミュの藤富保男さん『詩の窓』第28回―殿岡秀秋筆

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藤富保男さん『詩の窓』第28回――


3−14「ドアを開けてみたが」より

藤富保男著『詩の窓』(思潮社2011年12月25日発行)より。引用は特にことわりのないかぎり本書からです。

★詩は異状発酵しはじめた心で創る

「表現形態という点だけで詩を見つめれば、これ程自由で、これ程いい加減な文学形式はない。この世界では言語という草原以外何もない。――中略――あるのは草だけ。すなわち文字だけである。この広野をあらゆる方向に駈け出してもよいが、詩情のない走り方、暴れ方は無駄なこと。
 異状発酵しはじめた心――詩を感じた心で走りまわることは苦悩を伴うが、心地よい。
 ではぼく(藤富)の場合を少しのべよ。ぼくは大方第二義的なことを大切にしている。第一義的なことは論理であり、理念であり、筋道であるが、その裏にあるチョットしたかげりーー第二義的なことを大切にする。」
(217―218頁)

☆comment

 第一義的なことには、前衛党の理念がはいっているのかもしれません。論理というなかには、詩では高村光太郎さんや吉本隆明さんのような存在ももしかしたら入っているのかもしれません。筋道には小説の世界がはいっているのかもしれません。
 藤富さんはそれら自体ではなく、それらのかげりこそ大切である、といいます。それはそれでひとつの立場ですから、ぼくから何か申し上げることはありません。
 ぼくは現実社会に対抗して、観念の上で自分たちが生きられる世界を描くことを夢見る方に詩の世界を作っていきたいとおもいます。それは藤富さんの分類では、第一義的ななことに属するのかもしれません。
 詩を書く心の状態については、藤富さんは「異状発行しはじめた心」で走りまわることが苦悩を伴うが心地よいと書いています。
吉本隆明さんは、詩は表出しなければならないはずの意識の自発的な叫び」(「詩とは何か」(吉本隆明全著作集5文学論2第一部156頁)であると書いています。また、「詩的喩は詩人の意識の自己表出力を励起状態に当てることにほかならない。」(吉本隆明全著作集5文学論2第一部171頁)
とも書いています。ここでいう励起状態とは、ほとんど藤富さんがいうところの「異状発酵しはじめた心」と同じ心の状態を指していると、ぼくはおもいます。

☆辞書から
励起=分子・原子・原子核などの量子力学的な系が外部からエネルギーを得て、初めより高いエネルギーをもつ定常状態(励起状態)に移ること。
発酵=頭の中で考えが芽生え、次第に熟してくることのたとえ。


(この項つづく)


(メールマガジン「詩を作る楽しみ」2013年2月7日号よりhttp://www.mag2.com/m/0000163957.html

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