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藤富保男コミュの藤富保男さん『詩の窓』第23回―言葉の城の中での自由ー殿岡秀秋筆

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藤富保男さん『詩の窓』第23回――3−7

★回文についてーー言葉の城の中での自由

「レトリックに回文というのがある。〈タケヤブヤケタ〉の類いである。単語でいうと〈シンブンシ〉、ローマ字になったときの地名のAKASAKA(赤坂)などがあり、江戸時代には歌で詠んだ人もあるし、詩を作った人も数多くいる。」
「ここに挙げたような詩の業は遊戯ではないか、といって一蹴する妙な慣習が、戦後の詩人たちの間にある。思想と論理をメッセージするのは「深み」であると考えている詩人たちが多い。言語は意味の通達という重要な
役をするのは当然であるが、言語には姿態という別の側面があるのを、ないがしろにしているむきがある。その形態の美の追究がヴィジュアル・ポエトリーであるが、詩行展開のときに文字としての働きを、二重にも三重にも見せることは小説家にはできない詩だけの特権である。」(190頁)

☆辞書から
レトリック=文章表現の技法・技巧。修辞。
回文=上から読んでも下から読んでも同文・同文句になるように書かれた文
姿態=(ある所作をしたときの)からだのすがた。容姿。
ヴィジュアル=視覚の[による,に訴える].
ポエトリー=詩。作詩法。詩学。ポエジー

☆comment
 言語の姿態の美は書道もあるので、別に不思議ではありません。ひとつひとつの文字の姿だけでなく、それを詩行の展開でも行うことができるのです。その一つの形が回文(かいぶん)です。藤富さんは『新聞紙とトマト』という詩集もあります。
 これらは言葉の遊びです。だからといってぼくは一蹴しません。藤富さんは思想と論理をメッセージするのを意味の通達という側面でとらえています。もちろんそれだけのメッセージ詩であれば一蹴すればいいのです。
 思想を感覚化して表現することは可能です。ぼくは思想などと大きなことはいえませんので、思考を感覚化してゆく表現をもとめています。それは深みであるかどうかわかりません。ただ、人間の自由への希求に対するひとつの態度だと想うだけです。
 藤富さんの詩の試みをお遊びだとして片付たくないのは、藤富さんが言葉の修辞のなかで遊ぶ精神は、言葉の世界のなかだけでも自由でありたいと願うスピリットがあるからだとぼくは想うからです。
 言葉の城に立てこもってその中で自由を得ようとするのが藤富さんです。言葉の城にたてこもりますが、城門をあけて現実という敵に撃ってでて、逃げ帰り、言葉の城にいやされるのを繰り返すのがぼくの詩です。
 

(この項つづく)

(メールマガジン「詩を作る楽しみ」2012年7月9日号よりhttp://www.mag2.com/m/0000163957.html)

(http://blogs.dion.ne.jp/poem_and_fantasy/=詩とファンタジーのレシピ)

(http://plaza.rakuten.co.jp/poetry2005/=詩を作る楽しみ)

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