1991年、Big Bang crew(97年解散)のDJとしてスタート。10年の経歴の中で歌い込まれた力強い歌声、説得力のある歌詞でファンをはじめ、DJ、セレクター等のエンターテイナーからも熱い支持を集めている。 1997年バンダイミュージックより発売のレゲエオムニバスアルバム「BADBAD」(今でも人気の名盤、PUSHIM、RYO THE SKYWALKER, FIREBALL, MIGHTY JAM ROCK等、今をときめく面々が参加)にてリード曲「マイクで猛攻」で参加。ダンスの現場を中心に若手代表格としての評価を得る。その後大阪にて今となっては伝説のレゲエクルー「トキワ」(そのメンバーにはpushim, RYO THE SKYWALKER, JUMBO MATTCH, TAKAFIN, BOXER KIDなど、名だたるメンバーが名を連ねてしのぎを削っていた)のNo1DJとして活躍、ジャパニーズダンスホールシーンの新世代筆頭DJとして確固たる地位を築く。 各サウンドシステムが所有するダブプレートに於いては一番人気と実力を兼ね添え、日本中でその曲がプレイされ現場では必要不可欠な物となっており、ジャパニーズレゲエを聞くもので彼の名を知らない者はいないだろう。その扱いはFIREBALL、RYO THE SKYWALKER、三木道三など肩を並べるほどのものである。そんなアンダーグラウンドで?1の活躍をする彼がアッパーグラウンドに出たとき一気にトップランクな面々と肩を並べるのは時間の問題といえるだろう。そして、活動は日本だけにとどまらず本場ジャマイカのサウンドシステムでもマイクを握り賞賛を浴び、ゲットーのバンドショウでジャマイカ人DJとクラッシュの末、勝ち残る。そこで身に付けたスキルは彼のステージ、ダブプレート、楽曲を聞けば一目瞭然である。 95年に初めてレコードがリリースされて以来、他ジャンルのアーティスト(山嵐、KICK THE CAN CREW、湘南の風、PUSHIM、HOME GROWN、三木道三、ZEEBRA、RYO THE SKYWALKER等)とも積極的に交流し作品のコラボレート、ライブの共演は数え切れない程である。ジャンルに縛られない音楽感と彼独自のフロウは、レゲエの枠を越え認められており、幅広いリスナーに支持されている。