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文豪 川上弘美コミュの川上弘美さんずえっせい

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「 VISITOR`S(ビジターズ) さんか 兵庫編 きらめく海、光射す街、明石 川上 弘美(かわかみ ひろみ) 作家

長男が生まれる少し前に、明石に引っ越した。たしか季節は春、海に近い街だった。隣町に行 くときに乗る海沿いを走る電車から見えるキラキラ光る海と、のんびり眠気を誘う乗り心地を、 今も覚えている。まだ明石海峡おお橋が完成する前のことだ。 老夫婦が営む小さな寿司屋で食べた生のアナゴのにぎり寿司、とれたてのタコが入った明石焼 き。うおの棚商店街をのぞくのも楽しみだった。関西の魚が珍しく、生きたシャコを初めて見 た。殻つきのまま茹でて、何もつけずに食べるとおいしくて。トゲに刺されながら夢中で食べ た。『溺レる(おぼれる)』という短編で男女がシャコを食べるシーンは、その味の記憶で書いた ものだ。 東京で生まれ育った私にとって、初めての関西。標準語で喋るととおまきにされる――そんな 思い込みは杞憂に過ぎず、誰も何も気にしていなかった。娘の公園デビューで知り合った「ママ 友」は、なじみのない土地で不安な初の子育てを楽しいものに変えてくれた。公園の砂場でお喋 りしたり、ビーチパラソルを抱え、お弁当を持って、みんなで海まで歩き、日暮れまで浜辺で遊 んだりした。 私にとって明石は、明るい街、さんさんと光の射す街。明石にいる間、私の胸はいつも新しい 空気に満たされていた。転勤や旅行でさまざまな土地を訪れたが、しっくりくる場所、そうでな い場所がある。それは理屈ではなく、人と土地との相性としか言いようがない。明石と私は、幸 運にも相性が良かったようだ。 出会った人たちが素敵だったから、この街を好きになったのかもしれない。東京は少し人との 距離が遠い気がする。明石は距離の近さが嬉しかった。近いと言っても、あるところから先へは 決して踏み込まない。会話には「落ち」をつけて締める。これは文化だなと。長く同じ土地に 人々が集まって住むなかで培われた文化。離合集散の東京と異なり、おおらかでほどよい距離感 の明石で過ごした一年余りの日々は、とてもあたたかいものだった。 その後、仕事のついでに明石を訪ねた折、おぼろげな記憶をたどって街を歩いてみた。老夫婦 の寿司屋がなくなっていたのは残念だったけど、変わらないでいるのは難しいことだと思う。ほ うっておくとなくなってしまうなかで、変わらないということは常に新陳代謝を繰り返し、新し くあり続けること。だから変わらないでと簡単に言ってはいけない気がするが、それでも言わず にはおられない。初めて子供と暮らした明石は、ある意味、ふるさとといえる場所。いつまでも 明るい光の射す、元気な街であってほしい――いささか勝手ながら、遠くからそう願っている。

かわかみ ひろみ 作家 プロフィール 1958年東京都生まれ。94年「神様」でパスカル短編文学新人賞、96年「蛇を踏む」で芥川賞。 2000年『おぼレる』で伊藤整文学賞、女流文学賞、01年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、07年 『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞。他の作品に『光ってみえるもの、あれは』『ハヅキさんのこ と』『風花』『どこから行っても遠い町』『パスタマシーンの幽霊』『ゆっくりさよならをとなえ る』『東京日記──卵一個ぶんのお祝い。』など多数。 http://webheibon.jp/blog/tokyo/

http://www1.kepco.co.jp/yaku/onsei/1202.htmlより転載

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