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霊界:死後の生コミュの瞑想

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 霊的なこと、宗教に関心のある方は瞑想、座禅、ヨーガ、霊言‥‥にも関心をお持ちかと思います。CMになりますが、私の瞑想法について少し話をさせて下さい。

 私の方法の効能ですが、それを極めた二人は、非常に高い境地に達しているようです。人を見ただけで、その人の現在、過去、前世、前々世を見通しているとか。電話が掛かってきたら、取次の者が内容を話すより早く、電話の相手も用件もお見通しで「これこれと答えなさい」。医者が見離した病気を治したとか。そんな具合だそうです。

 私自身については、未だ未熟者ですが、少しは効果が有りますのでいつかは紹介させて戴きます。自分が到達していない境地を語るのはおこがましいのですが、理論的に正しいと思われますので信じているのです。

   霊視能力

 霊視と称してあの世のこととか、誰かの心を見通すことが出来る人と出来ない人との違いは何でしょうか。それは普通の人の心というのは雑念が揺れ騒いでいる水面のようなものでして、向こうの景色や空が写らないのです。もしも想念を停止した静かな心境になれば、静かな水面と同様、景色が写って見えるようになるのです。

   無

 しかし、心を静止するというのは、言葉は簡単でも非常に困難、むしろ不可能に近いのです。無にならなければならない、ということに把われてしまって、把われてはいけないのに、逆に無にとらわれてしまう。それに生きている限り雑念が次から次へと浮かぶのがむしろ自然なことでもあります。

 さらに、ここに一つ落とし穴があります。誰もが落ち易いのです。それを避けるには水面の例えよりは、TV放送の例えのほうが適しています。眼には見えなくてもTV放送の電波が飛び交っておりまして、チャンネルを合わせた局の放送が見えます。心を“無(想念停止)”状態にした時見える世界は本人の心のチャンネルに合った放送局によるものです。

 様々な欲望を超越することが出来てない段階で、見える聞こえる放送は、実はレベルがこの世界に近い、つまり低いレベルであることが普通なのです。しかしそれが、さも最高級神、絶対神であるかのように装って、霊的現象を引き起こし修行者の信頼を得てしまうと、霊能力と平行して物欲、色欲‥の低い世界の虜になってしまうのです。『行者の狂い死に』と云われる末路で、なまじ修行をしたばかりに返って地獄へと・・・。

   禅

 仏陀が仏教を始める以前からヒンズー教、ヨーガの瞑想や苦行がありました。それらを越える教えとして仏教を説いたわけです。仏教の教えも変化分裂を繰り返し、禅宗が座禅を主とする教義を持っています。

 曹洞宗では『ひたすら座禅を組め』として、修行者が「神仏等を見た」と言っても、それは魔境として否定されます。何故ならば、神仏の姿を装った低いレベルの幽界の存在であることが多いからです。否定して、否定して、本人の心境が高く澄み切った状態を確認して、師が認めてくれるのです。

 臨済宗では公案に精神を集中、密教では梵字や仏画にを精神に留める、止観という行をします。これらは“無”の危険性を避ける工夫かと思います。

   瞑想

 私の信じる教えでは「世界人類が平和でありますように」との祈りを、ゆったりと続けます。これは浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と同等以上の効果を期待できます。神仏の願いは人々が仲良く幸せに暮らすことですから、「世界‥」と同じです。つまり高いレベルにチャンネルを合わせています。

 雑念は浮かんで当然と客観視して囚われないように心がけます。危うい時は「世界‥」と祈ることで切り抜けます。全ての雑念を祈りで消し続けるといつか雑念に心が揺れない高い澄み清まった世界に到達しているのです。

 これは、坐って瞑想するのが基本ですが、歩いていても可能、日常生活の中で行うことが可能です。

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