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死ぬ程洒落にならない怖い話コミュの怖いというより不思議な話

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怖くないのにトピ立ててもよいか
悩んだのですが、スピリチュアル的なものとして皆さんからの意見を賜りたく、失礼しました

不適切だったら申し訳ありません。


私には物心がつくまでにみていた
「絵」があります。

眼でみているのでなく
意識の中に広がる…
脳にイメージされたものを
見ているような感覚の一枚の絵です


立派なお寺の門から
かなり高くまで白い階段が続き
階段の果てにはまた立派な鳥居が
描かれてあり

その鳥居と空に覆い被さるように
薄桃色の服をきた、ポニーテールの
小さな女の子がにこりと笑っている
上半身だけが大きく描かれています


その映像が切れてから
私の最初の記憶が始まりました


これは一体何なのでしょうか?


私には皆目見当もつかないので
ただのあてずっぽうな推理にすぎませんが、私の前世なのでしょうか?


私は小学校低学年のころから
死に対する恐怖心が異常で
「死にたくない」と、泣きはらすことが
多々ありました。


前世の子が早くに死んでしまったから
死を異常に恐れるのかなぁと
ただ漠然と思っています


正解不正解ではなく
皆さんのご意見を聞かせて頂けたら幸いです

宜しくお願いします!

コメント(223)

私が高校生の時に大好きなおじいちゃんが亡くなりました。
九州と関西から従姉妹が集まり、久しぶりの従姉妹との再会がおじいちゃんのお葬式になりました。
従姉妹が集まった夜、久しぶりに集まったんだし、夏だという事もあり、花火をやろう!と私が言い出し近くのコンビニで花火を買って従姉妹達で花火をやりました。
その時、おじさんが写真を撮ってくれたのですがその写真が心霊写真でした…

母はおじいちゃんが会いに来たのよ!と言っていて、私は本気にしなかったのですが、母がおじいちゃんが入院してる時に

『おじいちゃんが亡くなったら花火をしてあげるからね!』

とおじいちゃんに話していたと。
私はもちろんそんな話を知らずに、何と無く花火をやろうと言い出しただけなのに。
でも写真に写ったのはきっとおじいちゃんだろうなと思います。
在日横浜市議を逮捕出来ない神奈川県警
http://news.harikonotora.net/r/28371/

反社会的人物在日朝鮮人太田正孝横浜市議が横浜市当局と
神奈川県警のWスパイだった事が横浜市政をおかしくしている。
横浜市民の陳情苦情を聞く振りをして、横浜市当局に都合が
悪い情報を入手し、役人をそのネタで脅し利権を確保。
さらに現神奈川県警暴力団対策課石島正美推薦警部を通して
横浜市政に関する事件になりそうな情報を提供。
神奈川県警は、天下り先として横浜市当局にそのネタを利用して
警官OBを大量に受け入れさせる。
中田(鄭)宏の悪事が揉み消されたのもこの天下り受け入れがあったから。

在日朝鮮人横浜市議太田正孝の犯罪で確定的なのは、
稲川会系右翼団体大行社副会長周本昌山に
自分に都合が悪い内容の陳情書を提出した横浜市民へ
脅迫状を書かせ送らせた事である。

議会にも公開されていない陳情書の内容を横浜市議会局議事課
委員会担当係長鳥山由美から入手し、それを周本昌山に渡し
脅迫文を書かせて送付させた脅迫教唆という犯罪がそれにあたる。

太田正孝は周本昌山が殺人教唆罪で逃走中に横須賀市のレストランで
逃走資金100万を手渡した事を市民から陳情書で指摘されている。

日本国籍を持ってないと市議にはなれないのでは?
めんちさん

僕も小学生ぐらいのころですが同じ経験してます。すごい不思議な感じでした。

前に見た夢の話


灰色のモノクロ映画みたいで
周りはおそらくコンクリ


小部屋みたいな所


丁度取調室みたいな感じの殺風景の部屋



ボクはおそらく軍人




となりに友人が寝ていた


寝ていると、頭に銃口を突きつけられた



目を開けるとその友人

そしてそのままドン



そして起きました



起きたら銃口突きつけられてたところがめっちゃ痛かった



死ぬ瞬間まであまりにリアルすぎて

ひょっとしたら前世の記憶なんぢゃないかなっておもった

俺が母親から聞いた赤ちゃんの時の話。

夜中に物が落ちる音がして母親は目を覚ましたらしい。

音のした場所に行ってみたら俺がベビーベッドから落ちてたらしい。

その時の俺は寝返りもうてなくて、柵もあがってたらしい。

なんだったんだろ。
>>[196]
超人ですね(笑

ちなみに母は宇宙人がきて顔を見て逃げたんじゃないかと仮説をたてています。
>>[24]
俺も小学生低学年頃までありました!
何か柔らかいモノを噛んでいるような感覚でした!
不思議話といえば、小さい頃、弧狗狸様をしてはいけないと、言われてなんでだかわかんないけど、初任給の給料をどこかに置いて忘れてしまった事があり、これは困ったと思ったので、弧狗狸様を1人でしたことがある。

10円玉は確かに動いた。

名前は「なす」様


「給料なくしちゃいましたぁあああ!どこですかぁあああ!」


と床の紙の10円玉目掛けて1人騒ぎしてたら、白いふわふわしたものが視界に入った。

見上げると真っ白い御狐様。

鼻をフンフンして白い紙袋をくわえていた。

見ても良いですか?
って聞いたら、そっぽ向いてどこかに消えてしまった。


白い紙袋の中に手付かずの給料袋が入っていた。


不思議話はこれくらいかな。

1/100で当たる確率なのに何故か私が引くと1/300位になる(×_×)
ふと時計を見ると42分の時が多い…

げっそり
知り合いと、夢の中で会った事があります。
その夢の中で、私のなにか大きなものから逃げていました。捕まったらやばいと本気で思っていました(´;ω;`)
そしてなぜか教会に逃げこんだのです。
クリスチャンとかじゃないのですが…
そしたら、大きなものは追ってこなくなりました。

翌日、その夢の話を、知り合いに話しました。
大きなものに追われて逃げる夢みたんだ…と(´;ω;`)
すると、知り合いが突然言います。

「教会に逃げていかなかったか?」と…

私は驚き、なんで知ってるの!?と言うと、
その知り合いも昨晩夢をらしく、
なにか大きなものに追われてる人を見たそうです。
その人は教会に逃げこんで行き、
大きなものは追っていこうとしたらしいのですが
知り合いは、そいつを教会に近づけてはいけないと
なぜか強く思ったらしく、それと戦っていたそうです…

私には、大きなものがなんだったかよく分からなかったのですが、知り合いにもよく分からなかったようです。

不思議だ…(゚ω゚)
>>[205] 許容範囲ギリかと思う。

確率の3倍程度までだったかな?

ちなみに分かっているとは思いますが100回で必ず当たるわけじゃないので…とマジレス(´・ω・`)
不思議な話かどうか解んないけど夢で地震来るよ言われて目覚ましたら本当に地震来た、目開いて起きてるのに耳だけミサイルの音聞こえたと思ったら三十分後に本当になった、あたしは横になったり寝てると可愛い服が思いつく津波の時は男の中年の人の声がどっからか聞こえたし誰も男居なかったのに、こないだも道路渡ろうとしたら若い女の人の声がどっからか聞こえたり小さい頃何回も危ない目にあってるのになぜか助かっている

俺がまだ小さい頃、小2位の頃の話です

うちは実家が会社やっていて、夕方は家族が皆仕事、俺は帰宅してから夕飯までは一人で過ごしてました

で、もう大分朧気な記憶で、断片的にしか覚えてないんですが

夕方になると「チヨ姉ちゃん」によく遊んで貰いました

チヨ姉ちゃんは、夕方になると奥の座敷に居て
お話してくれたり、一緒に手遊びしたり、お手玉を見せてくれたり
習ってない漢字の書き取りしてたり
当時はチヨ姉ちゃんと遊ぶのが楽しみだったのを覚えてます

チヨ姉ちゃんは、裾がくるっとした肩までの髪と、いつもえんじ色のドテラを羽織っている
って記憶がまだ残ってます
何気ない時間だったんで
夕食になったら特にその話題を家族に話す事も無かったです

ただ祖母に、習った綾取りを見せたり
歌の歌い出しを口づさんで
「よくそんな古い遊び(歌、文字)知ってるねえ」
と誉めて貰った事があるくらいでした

歌の内容、覚えてる限りでは

♪日本勝った勝った、ロシア負けた、ロシアの軍艦底抜けて…までは今でも軽快なリズムで歌ってた記憶があります

話は変わりますが
ちょうどその頃
俺はいわゆる夢遊病になっていたようで

よく深夜に家を徘徊しては家族に布団まで戻されてた様です

俺が覚えてるのは
親父に抱き抱えられてた事くらいです

翌朝親に、また寝ぼけてたぞ
と言われてた位で最初は大事に取られてませんでした
が、そんなある夜

寝ぼけて歩き出した俺の後をつけた父曰く

俺はその夜
母屋と別棟を繋ぐ廊下を越えて別棟の突き当たりの壁をガリガリしていたそうです

で、何をしてるか問い質した父に

「どうして戸が開かないの?」
と尋ね返したそうです

さすがに肝を冷やした父は慌てて俺を抱き抱え寝床に連れ戻したそうです

これは翌朝親父に聞きました

で、後日祖母から

「ねえ○○ちゃん、綾取りとか誰に教わったの?」
と優しく聞かれ
「チヨ姉ちゃんだよ」
と答えました
話はそこで終わり、以後特にその話は出てきた記憶がありません

そのうち、俺は親戚の兄と習い事に通うようになり
チヨ姉ちゃんとは遊ぶ機会がないままいつの間にかそうした時間そのものがなくなりました

「チヨ姉ちゃんには俺が言っとくから」
と祖父が遊べない事を伝えてくれたのは覚えてます

結局それから何があるわけもなく今に至ってます

ただ記憶だけは断片的に残ってます

一度だけ、高校時代に祖父にチヨ姉ちゃん覚えてる?
と尋ねたら
「ああ、そのうち話してやる」と言われたままうやむやになり、数年前に他界しました

記憶は、まとわりついてる訳じゃなくて
何かふとした時に思い出す
そんな感じです

で、思い出したんで書いてみました

あまり怖い話じゃなくてすみません
アプリの「444回目のただいま」をやってたら、
4時44分に怪奇現象の電話が掛かってビビった(;:°;Д;°:;)
このアプリやってる人いるかな?
もう10年ほど前の話になります。
その日は仕事が終わらず、私の実家で、私が帰宅するまで、当時小学生だったうちの子達をみていてもらっていました。
やっと仕事が終わり、今から帰るということをメールで送信したところ、父から『イモ団子待ってるよ』と返事が。
イモ団子とは、潰したジャガイモと片栗粉を混ぜてフライパンで焼いて作る地元の郷土料理で、父の好物ですが、スーパーで売ってる物でもないし、子供達も待っているはずだからまずは実家にまっすぐ行くから、と思い、そのまま実家に行きました。
玄関では両親が出迎えてくれましたが、二人ともめちゃめちゃ笑顔で「イモ団子!イモ団子!」って、それしか言いません。
「え、イモ団子って何?」
と聞き返しても、ただ「イモ団子」と繰り返しては、二人して顔を見合してケラケラ笑うだけ。
正直、両親そろっていきなり呆けたのかと思いましたが、からかわれてるのかとも思い、腹が立ってきて、
「さっきからイモ団子ってそればっかり、一体何のことなのか全然わかんないんだけど!
孫をみていたお礼で欲しいなら明日作ってくるから、今日はもう子供連れて帰るから!」
と強い口調で言うと、やっと父が笑うのを止めて、
「イモ団子と送ってきたのはお前じゃないか。」
「は?送ってないよ?」
「でもほら、、、あれ?あれ?」
父が携帯を開いて何かを見せようとしましたが、今度は「ないぞ!!」と大慌て。
全然話が見えないので、どういうことか聞くと、こんな話をし出しました。
うちの子達に、お母さんはいつ帰るのか聞かれたのが夕方の17時半くらいで、もうすぐだと思うよ、と言いながら、帰るメールが届いているかと思って携帯をチェックすると、私のアドレスで『イモ団子』と一言だけ送られてあったそうです。
父は、私からの送信だと思い、母に、「イモ団子だってよ」と話しているところにまた一通着信し、それも開くと私からで「イモ団子」って一言。
それが3回送られてきて、これは私が相当イモ団子を食べたいと思ってるんだな、でも自分の子供のことよりイモ団子が優先とは、あいつもしょうがないな、と、うちの子達にも見せて笑っていたそうです。
もちろん、私の携帯の送信ボックスにも「今から帰るね」の一通以外は無く、イモ団子なんて送ってないよ、と証拠を見せました。
もう、親子そろって訳がわからず。
とりあえず子供達を車に乗せて実家を後にしましたが、その時に、小学生の娘が、「おじいちゃんもおばあちゃんも、何にも書いてないメールを開いてイモ団子って言ってゲラゲラ笑ってて怖かった」って言い出したのを聞いた時が、一番ゾッとしました。
両親からはその後、その日は戦時中に亡くなった父の兄の命日で、それでイモ団子が好きな兄だったから食べたかったのかもな、と言われましたが、真相はわかりません。

久しぶりに書かせて貰います
五年前の話
ゴールデンウィーク中、俺は友人4人、計五人で箱根に旅行に行き、山で道に迷ってしまった事

その日は雨風が強く、ロープウェイが決行、目的の宿は早雲山の向こう
いかんせん山に慣れてなかった俺達は、昼ちょっと過ぎから、早雲山を越えて鉄塔を伝えば姥子まで行ける
と単純に考えて歩いたんです
でも、意外に霧が濃く、また鉄塔付近は歩ける道じゃなかったために、予想以上に大変で、どうにか早雲山を抜けた辺りで道は暗く、しかも霧雨、とりあえず下ればどこかに行ける
という、今思えば間抜けな選択した果てに道にまよっちゃったんです

車も少なく、バス停もない
当然そんな山道を歩く人も他に見当たらない

割りと八方塞がりでした

とりあえず下ろう、それだけで歩いてましたよ

で、ちょっと途方にくれて、疲れていたから休憩してたんです
オシッコもしたかったですし

で、用足しすませた頃ね

下の方から誰かが歩いてくるのが見えたんです

遠目にはオレンジ色のミニスカートのお姉さん

友A「をい!なんかボディコン来た来たw、オメェ道訊け」
友B「しかしすげえかっこだなw」
友C「道訊いたらついでにナンパしろナンパ」
と口々に言いながらその人に近づきました

で、探してる宿、姥子はどちらか?
を訪ねると、女性は丁寧に、かつ詳しく道順教えてくれたんです

俺は、お礼に買い物袋から、夜飲む用の酒を渡しながら、ついでにナンパしましたが
それは笑ってかわされ、酒だけ渡して宿へ向かいました

その道すがら
こっからが未だに仲間内で話が全く噛み合わない部分
前置き長くなってスミマセン

友逹は口々に
「オメェ!!ナンパしろって言ったがあんなブスによく声かけられたなw」
「100メートル美人ってやつだなありゃ」
「くっそ、近付いた時のガッカリ感ったら」
と言ったんです

俺には
ふっくらとした輪郭
ぷくっとした色っぽい唇
ちょっとキツそうだけどパッチリした目元とやや太めのスッとした眉
うん、ど真ん中のタイプだった
胸もおっきかったし

俺「え、めちゃくちゃ美人だったけど」
に対して一同全否定

だから、何がブスだったのと質問したら


とにかくブス

の一言で片付けられました
5人が一緒に対面して、俺以外は全員一致でブスと言うんです

それは未だに仲間内での与太話になってます

ついでに俺はブス専のレッテルも貼られました

まあ、仲間内でも一ミリも信じて貰えないから、ここで文字にしても信憑性ないのは分かってるけど

確かに美人だったんだ

昨日その話でモヤモヤすっからここに書いときました。

よく分からない不思議な話、思い出したんで書かせて貰います。

俺が小学生(中学年)だった頃の夏前の話

当時俺は学習塾に通ってて、その日の夕方もそこで勉強してました。
とはいっても仲間とおしゃべりしてたんですが
その部屋は長い机が4列に椅子が4〜3つくらい、当時はそこが満席になる感じでだらだらと時間過ごしてました。

で、その日
前から二列目の壁際(一番左)に見たことない女の子が座ってたんです
名前を聞くと
タカハシ チヅルと教えてくれました

見知らぬってのと、なんか大人びた可愛い子だったんで気恥ずかしく、それからは特に会話もせずにその日は帰りました

塾にその子が来たのはそれが最後

そこから夏休みになり、いよいよ顔を合わせる事も少なくなり、たまたま夏祭りで見かけたり、図書館で見かけたり、覚えてるのはその二回だけ

二学期になり
文化祭の合唱コンクールが始まり

一帯の各小学校が文化会館に集まる日が有りました

俺はその時久しぶりに彼女を見付けました
彼女は隣の学校に在学しててました

で、そこに通う同級生に彼女の事をそれとなく聞いたんです

すると…
「ああセキネ ユリ?」

一瞬意味が分からなかったです。

偽名を使われたと言われればそれまでですが
当時は本当に困惑しました。

で、そこからまたパッタリ見なくなり中学生になると、彼女はもう居ませんでした。

転校でもしたのでしょう

が、誰に彼女の事を聞いても
「?」
と怪訝な顔をされるだけ

いくら名前を出しても誰もソイツを知らないんです

結局、同じ名前で転校して行った「ヤマザキ ユリ」と記憶が混同してるんだと無理やり落着しましたが。
確かに俺はチヅルって子が居たと未だに納得出来ずにはいます。

これといってオチのある話じゃなくてすみません。
その頃、僕は就労継続支援A型と言う、障がい者手帳を持っている人が働く専用の工場で時給600円で働いていました。
ある日、朝から大雨が降っていて、レインコートを着て自転車で職場へ向かっていました。
途中、「K」という工場の前を通った時でした。
道の先に、何かが落ちていました。
嫌な予感がしました。
予感は的中して、それは猫の死体でした。
変な言い方ですが、綺麗な死体でした。
大雨で血とかが全部洗い流された、真っ白な白猫の死体でした。
僕は、出来るなら埋めてあげたかったけど、仕事の時間だったため、その死体を道の端に置いて職場に向かいました。
夕方、仕事が終わり、雨は止んで、自転車で家に帰っている途中、「K」と言う工場の前を差し掛かった時、今朝の白猫のことを思い出しました。
あの死体がまだあそこにあったら嫌だなぁと思いながら自転車を漕いでいたら、まだ道にあるんです。
しかも、確かに端に置いたのに、道の中央にありました。
(うわー…)と思いながら近づくと、それは三毛猫でした。
もう雨は降ってなかったので、血まみれの状態でした。
つまり、同じ日に同じ場所で、猫が二匹死んでいるんです。
僕は、今朝の白猫が、その三毛猫を呼んだのかなと思いました。
その頃、僕は高校を中退し、ラーメン屋でバイトをしながらボクシングをやっていました。
12月の夜、9時くらいに外へ走りに行きました。
よく小学生が野球をやっている河川敷まで来て、休憩しようと座り込みました。
ジャージとかに着替えずに、ジーンズで走っていたので、後ろのポケットに携帯電話が入っていました。
(こうやって走っている途中でも脂肪って燃焼されんのかな)と思って、自分で自分の顔を撮りました。
すると、僕の顔の横の暗がりに、黒い画用紙に白い色鉛筆で描いたような、人の顔らしきものが写っていました。
不思議と怖いとは思いませんでした。
(あ…これは…帰ったほうがいいかな)なんて思って帰りました。
帰ってさっきの写真をもう一度よく見ると、その白い顔は苦しそうに叫んでいるように見えて、その白い顔の右上に、もうひとつ小さな顔らしきものが付いていました。
僕は、これは水子の憑いた女の霊かなと思っていました。
友達にその写真を見せて自慢しました。
そして、数ヶ月後。
夜、稲川淳二の怖いビデオを部屋で一人で見ていました。
めちゃくちゃ怖くて、なんか、部屋の中に、自分以外の誰かがいるような感覚がしていました。
今写真を撮ったらまた心霊写真が撮れるんじゃないかって、寝転がってテレビを見ている自分を撮りました。
すると、黒い長袖の腕の部分に、黒い画用紙に白い色鉛筆で描いたような人の顔らしきものが写っていました。
前と同じ顔が写っていたのです。
その顔の右上らへんにもうひとつ小さい顔も写っていました。
数年後、ある事実を知りました。
父親と離婚した母親の家に遊びに来ていたのですが、母親は、僕を産む前に、一人子供を中絶したと言うのです。
あの写真が撮れた頃は、高校を中退してアルバイトをしていた、母親が最も僕のことを心配していた時期だったと言えます。
だから、あの写真に写っていたのは、中絶した水子の憑いた、母親の生き霊だったのかなと思いました。
さらに数年後、大学生になった僕はリビングで夕食を食べていました。
向い側に父親が座って誰かと携帯で話していました。
「そうや。息子は今大学生や」
と話しています。
僕のことです。
父親は話し続けます。
「そうや。長男は中絶したんや」
知っています。母親から聞きました。
「双子やったんやけどな」
…双子?
知りませんでした。
母親が僕を産む前に中絶した子供は双子だったのです。
なら、もし母親に水子が憑いているなら二人憑いているはずです。
でも、あの写真に写っていた顔に憑いていた水子は一人。
あれは、母親の生き霊ではなかったのです。
じゃあ、あれは一体誰だったのでしょうか。

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