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森進一コミュの紅白や、金スマ報道で おふくろさん騒動の真相が知りたくなって、調べてみました。(長文になってすみません)

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●まずは川内康範氏の人柄について

海外抑留日本人の帰国運動や、戦没者の遺骨引き上げ運動を早くから行った活動家である。この活動を通じて、政財界との関わりを持ち、福田赳夫の秘書を務め、鈴木善幸元首相、竹下登元首相のブレーンでもあった。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そして、数多くの有名曲を創る作詞家でもあり、その作品からも人物像が伺えると思うので、以下に例示します。

  [まんが日本昔ばなし〜かあさん〜]
  母さん
  いついつまでもきれいでいてね
  世界でいちばん
  すてきな母さんやさしい母さん
  父さんいつでも自慢にしてる
  きれいな母さん
  ぼくたち兄妹みんなのあこがれの
  やさしい母さん すてきな母さん

  母さん
  いついつまでも長生きしてね
  世界でいちばん
  すてきな母さんやさしい母さん
  父さんうっかり怒ったときでも
  ニコニコ母さん
  ぼくたち大きくなるまで待っててよ
  やさしい母さん すてきな母さん

  母さん
  いついつまでも元気でいて...(以下省略)


  [まんがにっぽん昔ばなし]
  坊や よい子だ ねんねしな
  いまも昔も かわりなく
  母のめぐみの 子守唄
  遠いむかしの 物語り

  夢をたぐれば ほろほろと
  花もほころぶ かぐや姫
  人のなさけが しあわせを
  そっと運んだ 笠地蔵 ・・・(以下省略)

どうでしょう?人柄が想像できるでしょうか?

●次に、森進一氏と川内康範氏の関係について
・古くは親子のような仲良い関係。事実、仕事が無くて困っていた時期の森進一氏に仕事先を紹介するなど、川内氏の愛情は深い。
《ちなみに、困っているとき川内康範に助けられた人は、何人もいる。以下はその事例》
第一回レコード大賞の水原弘、彼はその後、鳴かず飛ばず、本当に困っていた。しかし、水原弘の周りによくない人がくっついているから、その人たちがいなくなったとわかって詞を書いて贈った。それが9回目のレコード歌唱賞になる。

・「おふくろさん」の勝手な改良だけが、仲たがいの理由ではないらしい。
《その一番の原因とされる事件・・・最初の「おふくろさん騒動」の前の出来事》
ある作曲家曽根幸明が脳梗塞入院していたのを見舞いに行き、「君、手は動くか。そうか、森(進一)に歌わせるから、君曲をかけ」と言って、しばらくしたら、詩が送られてきた。それを作曲したのが「・・・」である。それを森サイドに持っていったら、「歌えません」と断ってきた、と話されていた。
川内康範が森進一に頼むに当って、「傘になってやってくれ」とメッセージをつけて、曽根幸明がこまっているから助けてやってくれ。というメモまでつけた。

●おふくろさん騒動に対する川内康範氏の言い分(夕刊フジに寄せられた川内氏の手記より)

戦後60年余り、日本は本当に殺伐とした国になってしまった。物質万能の世の中になり、義理も人情も薄れた。愛も正義も廃れてきた。親の子殺し、子の親殺しまで起きている。実に悲しいことだ。

 今回の一件は、日本人が常識を失い、心が崩壊しつつある象徴的な出来事かもしれない。

 森が「おふくろさん」の冒頭に勝手にセリフを入れて歌っていることを、私が知ったのは10年ほど前になる。それ以来、何度も「止めるように」と指示してきた。

 ところが、森は昨年の大みそかのNHK「紅白歌合戦」でまたセリフを入れた「おふくろさん」を歌った。これは許すことはできない。

 あの歌は、私の亡き母の教えである「無償の愛」「普遍の愛」を、小説やシナリオとともに、作家として可能な限り込めた心骨である。

 私は北海道函館市で育った。もとは商家だったが、父は途中で仏門に入り住職になった。家には檀家の方々が供えてくれた米やお菓子、果物があったが、母はそれを子供たちにはほとんど手をつけさせず、ある程度たまるとリュックサックに入れて、「さあ、行くよ。黙って渡すんだよ」と貧しい人々に配って歩いた。

 「世の中にはやむを得ず、ああいう生き方をしなければならない人もいる。大きくなったら、人々に幸せをあげられるようになりなさい」

 そう母は教えてくれた。隣人を愛し、社会に献身せよ。これが、無償の愛、普遍の愛だ。森がセリフで加えた「いけない息子の僕でした」というのは個人的な母への心情であり、志がまったく違う。

 人が心血を注いだ作品を勝手に解釈し、何の断りもなくセリフを追加しただけでなく、何回注意しても「放っておけばいい」とでも思っているのか、無視して止めようとしない。で、今日を迎えた。

 今年に入り、私は再び森に強く抗議した。2月半ば、「本人が事情説明する」というので待っていたら、体調不良を理由に一方的にキャンセルしてきた。

 問題が大きくなって、私の都内の宿泊先や青森県の自宅を訪ねてきているようだが、報道陣を引き連れ、さも自分が被害者のように振る舞っている森の「三文芝居」に、もう私は付き合う気はない。

 歌は人の志を運ぶ船。歌の心が分からないだけでなく、常識が欠落したような人間には、私の歌を歌う資格はない。

 それにしても、日本にはいつの間にか、森のような自己中心的な人間が増えた。

 日本人はかつて倫理観や道徳観に優れ、豊かな人間性を世界に誇っていた。何よりも名誉を重んじ、貧困より正直さを選ぶ国民性を持っていた。

 それが第二次世界大戦で敗れ、戦後、経済発展だけを目標に邁進してきた結果、「自分さえ良ければいい」「儲けるヤツが正義」といった利己主義や金銭万能主義が蔓延した。常識が欠落し、心が崩壊したおぞましい人間ばかりが増えてしまった。

 むき出しの欲望がぶつかり合うような、殺伐とした世の中では国は滅びる。義理や人情、愛や正義が無くなれば、この世は闇だ。私は歌で日本を再生させたい。これからも、人々にやすらぎを与えるような歌をつくっていきたい。


●やっと、私の意見
森氏も川内氏も直接会ったことの無い人なのでネットやマスコミの情報に惑わされず、なるべく客観的に判断したいと考えますが・・・
「川内氏が過去やってきたこと」「川内氏の作品(もちろん”おふくろさん”含む)」を見る限り、私の感想は『川内氏は情に厚い暖かい頑固親父』です。そんな川内氏が10年をかけて怒るのだから、森氏の取り巻きにせよ、怒りを払拭するだけの努力を怠ってきた森氏の姿が伺えます。渡辺プロダクションが歌を変えたにせよ、10年に渡る川内氏の主張は耳に入ってきたでしょうし、恩師の言葉を軽んじてるといえます。
「森氏がマスコミを引きつれ、川内氏の実家に謝りに伺ったが不在だった」事が、三文芝居であることは、『マスコミには事前に連絡しているのに、川内氏には連絡無しで訪ねる』=『謝罪の気持ちより、マスコミ(金、かな?)のが重要だった』ことから、納得せざるを得ない。
今年の紅白やレコード大賞で森氏が歌う直前に語ったように「作詞:川内・・・」と故人を偲ぶなら、故人の意思であった「歌い手が情(こころ)を失ったら、その歌は死ぬんだ」(森氏には歌って欲しくない)を、少なくとも喪に服すべき1年は守って欲しかった。少なくとも森氏は川内氏程の「人情の人」とは感じられなかった。
あれだけ素晴らしい歌が唄えるだけに、残念です。

「おふくろさん」の歌詞を良く読んでみると、「個人の母親に固執しない母親像、に対する想い」が良くわかります。また、前述した[まんが日本昔ばなし〜かあさん〜]の歌詞をよく読むと、歌の想いを勝手に変えられた時の悲しさは馬鹿にできません。

川内氏を不憫(←大変失礼な感情ですが)に思うのは、私だけでしょうか?

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