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詩を待つ人の家コミュの生と死とはなにか?

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生と死とはなにか?おお!始まったばかりのコミュニティが一気にクライマックス?
では、ありません。どうしてもぶつからざるおえない問題ですな。

コメント(9)

話題があまりにも抽象的すぎるのでこんなのはどう?
「普段の生活の中で、自分が死んでいる」と思うときはどんなときでしょう?
心が冷え切って、なにを考えることもできなくなったとき。
抜け出せないまっくらな森の中でしゃがみこんで、出口がわから
ないような気分に陥ったとき。


でも、自分で思っていたよりもちかいところにだいじなヒトがいる
と気づくと、一気に心があったかくなって生き返ります。






・・・現金すぎる?
>いりたんさん。
「生の中に死はあり、死の中に生はある」なるほど。
深いですね。宗教的な意味ではなく、思想哲学的に考えてもその論法は興味深いものです。
例えば、戦争をすることで他者を犠牲にして勝ち得た人生は生きながら死ぬ事と同義語であり、また、戦争に対して無抵抗なまま殺された人間がいるとしたらそれは死のなかの永遠の生であるといえます。

>しえさん。
そのように前向きに考えることは素敵なことです。
これは私の経験です。
生き返るまでにまるっと3年もかかっちゃいました(^-^;
「普段の生活の中で、自分が死んでいる」と思うときはどんなときでしょう?

....さて、どんなときなんだろう(==;)?
普段の生活の死は上手く表現できませんが人が死に向かうきっかけとして自分の存在意義や存在価値が見いだせなくなった時、人は死を思うような気がします。もちろんその他多くの理由で人は死に向かいますが...ただ、生きるという意味では自分自身の存在を受け入れている、また受け入れられているという事が生きている理由になっているのではないかと思います。
>ジェイスピ さん。
受け入れざるおえない様な、人生もありますね。「自分の存在意義や存在価値が見いだせなくなる」それは日常茶飯事でしょうね。生と死は難問ですし、また答えもありません。
一般人は生死に関して、受け入れるとか、受け入れないとか言う観念がありません。砂が水に出会い「泥」になる。そこにある実態は「変化」だけです。
生きている理由は何もありません。ただ、死んでいないという事実の上に成就する現象ですね。

例を挙げます。
*習慣とは緩慢な死である。
*NOと答えるべき時YES と言うは自らの死なり。
by山吹草太。
とても感慨深いコメントが多く、心に響いて思わず参加させていただきました。
『死』というとどうしてもマイナスなイメージが強く、『終わり』な感じがします。
しかし、人類の中では一人の死は『継続』される歴史の間の句読点のようなイメージを私は最近抱いています。
その観点でいうと死は、私という器の中で事あるごとに起こり生もまた、繰り返されています。
今の私にとって『死』は引き継がれるもの、『生』は引き継ぐものであるといえます。
>ゆんこさん。
最近ミクシィをさぼり気味ですみません。

個人的な死のとらえ方と、一般的な概念としての死のとらえ方には差異があるように思います。

自分が死ねば地球は無くなるという考えは個人的な死です。

ゆんこさんの言う死は、死の概念に対する考えですね。
その意味では言論には正当性があります。
それは、生物学的に現在まで続いている物理的な事実で確認することが出来るでしょう。

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