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考えるのがやめられないコミュの生と死について

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はじめまして。
あけましておめでとうございます。



みなさん、生と死について
ご意見ください。


仏教的に、
一般論的に、

自殺はいけない、
罪、逃げ、っていう
マイナスイメージが強い気がしますけど

どうしてですか?


親の気持ちを無駄にするからですか?

生きることが尊いからですか?

でも生きることが
罪悪感に感じるひとにとって

生きることは苦痛で
生き地獄でしか
ないと思うんです。


みんなは何が楽しくて
生きてるんですか?


先が見えない未来に

何が楽しみで
生きてるんですか?


ふざけてるわけじゃなくて

本当に知りたいので
コメントお願いしますm(_ _)m


私は
自分の将来に光が見えなくて

私みたいな人間が
生きていることが申し訳なくて
死に憧れているところがあります。

コメント(26)

部派仏教には灰心滅智という
身も心も無にするというゴールがありますよ

つまりは死ぬことです。

だから反社会的だと言われているのですが…


僕はお金をかけて育ててくれた
両親が受ける損害を考えると
かわいそうになるので
両親が死ぬまでは生きて
みようかなと思っています

両親がいなければもう
自殺してます


たいして頭使って考えて無い奴に限って
死ぬのはダメ、よくない
なんて言うんですよ

よく考えたら
満たされない苦しみがずっと続く人生なんか
楽しいわけないのに。

ただ、死んだら二度とこちらの世界に帰ってこれないので
自殺は本当にどうしようも無く死にたくなった時にするべきだとは思います。

アタシは特に生きている事に対して楽しみは持っていません。

生きるとか死ぬとか、どっちでも良いです。

本気で悩んで死を選ぼうと思った時期もありましたけど、タイミングを逃したので生きています。

生きる事も尊いですが、死も尊いと考えています。

死に対して憧れていた時期もありましたけど…ただ憧れているだけで、それは『気持ち』の意見で『体』の意見ではありませんでした。

ただ…死んで、新しい人生を歩むのかもしれないし、同じ生き地獄を歩むのかもしれないと思った時に今のままでいいやって感じました。
こんにちは。


死について、悪いイメージはあまりありません。
自殺に関しては1つの手段であると思っております。
本当に辛い時、仕方のないことだと思います。

"生きるための希望""これからの目標""生きている事で得られる喜び"
これらのどれもが無くなってしまった時
私も本気で考えました。

しかし、もし質問者さまに"家族""友人""恋人"などがいらっしゃるなら
自殺は"罪"だと思います

ひと1人の命で、他人の運命は容易く変わります。自分自身の身近な人間が死んでしまう事は一生心の傷となり、癒えることはありません。

私自身、もし恋人が自殺してしまったら廃人となるでしょう。

自分を大切にする事が他人に幸せと平穏を与えることに繋がります



なんだか長々として支離滅裂になってしまいましたが、これからも"生きる"ことを頑張って下さい。
他のことは誰に甘えても罪にはなりませんよ

生きることが本当に辛いなら死ねばいい。

でも今死んでいないということは生きている理由がある

その理由が納得できるかできないか、
それが問題なんではないでしょうか?



ちなみに私は生きることがそれ自体で楽しいです
そりゃあ人によって状況が違うでしょう

でも同じ世界に生きている、同じ世界を見てる、こんなにも面白い世界を。

ただ生きている、それだけで幸せだ、と

そう思うことが大切だと私は思います。


弱冠17才のガキの戯言でした顔(願)
生きることに抵抗し、疑問に思い、否定して来られたのであれば、

それが肯定できた時、

他の全ての生きるものたちの生命をも肯定する、
そんな境地を得られるだろうと思います。

否定の否定は深い肯定になる。
探求は止めないで、頑張ってみて下さい。
生きているのが罪悪感だなんて…
社会には、悪いことをしても平気な顔してのさばってる奴がごまんといるのですから、何があったかは存じませんが…そんなこと思う必要ないですよ。

生きるってことは不思議…

生きてること 自体より
どう生きるか が大事です。

自殺っていうのも一種の殺人です。だからダメなんです。
日本人は攻撃性が外(他人)よりも内(自分)に向かいやすいのだと思います。
自分を責めてしまう。

自分も
どうしようもなく悲観的で自虐的で孤独で
自分を否定し続けて
回り全部が敵に思えて
親をも恨んで
毎晩毎晩ずーっと泣き濡れた時期がありました。
約3年くらい…@@;
そのときは「あ〜、生きてるってこんなにしんどいのか。周りの奴はみんな楽しそうなのに」って毎日思ってました。

でもそんなのも時が経つにつれてだんだんと薄まっていきました。
今思えば、心が不安定でバランスをとることができなかったんだな〜
って振り返ってます。
今はそんな思いをすることなんてまったくと言っていいほどないですけどね。
でもその時期があったからこそ今の自分があるんだなと思ってます。

今はつらいかもしれませんが、そのうちきっと
自分を否定しないでいられる時がきますよ〜
別に慰めとかで言ってるんかなく、本当に来ると思うから言ってるんです。

未来は先が見えないから楽しいんじゃないですか
先が見える未来なんて… そんなの今何もやる気が起きないですよ笑

先が見えないってことは
もっと楽しい日が来る可能性が十二分ににあるってことだと思いますヨ。

どうしてもつらくてたまらなかったら
医者にかかったり、相談できるところで相談してみるのも良いことだと思います。鬱病なら治せることもあると思うので。
自殺は・・・・

自分は死を選ぶことによって、

『生きることが罪悪感に感じるひとにとって
生きることは苦痛で生き地獄でしかないと思うんです。』

このことから逃れることができるけれど、
残された人たち(親・友人・恋人)にとって
そこから『苦痛で生き地獄』な人生が始まるのです。

残された人たちは「なぜ、自ら死を選んでしまったのか」と
理由を探します。
でも、もう本人からその答えを得ることができないのです。
例え遺書を残し、その理由を書いていたとしても
やはり”本当”の理由を探そうとするのです。

自分が死を選ぶことで、
残された人たちに耐え難い苦痛を与えることを考えましょう。

死を考えることは悪いことだとは思いません。

考えていることを、誰かに話すべきではないでしょうか
身近な人ではなく、第三者的な人などに・・・
電話やメールでの相談もあるようです。

そもそも『死にたい』と思う事それ自体が『生きたい』と言う願望だと言われた事があります。
確かに死にたい、って当たり前ですけど生きている人しか言わない(言えない)言葉ですよね。

死にたがりは生きたがりと同じだとも言われました。
どちらも誰もが体感する、当たり前の現象ですから。
同じ事で結局悩むのであれば、人間何時かは死ぬんだからわざわざ好き好んで今死ぬまでも無いのかな、と思っています。
だって死んだ人の中には、死んでいる事を罪悪感に思う人も『生き返りたい!』と思う人も沢山おられるでしょうからね。


あんまり倫理感無い文章で申し訳ないです(^-^;
 目的の無い生は疑問だと思う、当て付けの自殺は勿体無い、各々に重要性が違うから仕方無いと思う。
 死生観は"手鞠@~(=^・・^)さん"に近い。

 死を賛美した時代は死の方が苦しかったのでしょうか?今は生きる事の方が辛いのかも知れない。

 
失礼します。

あなたにとってあなたの価値が無であれば自死で無にすれば良いんじゃないですか。

心から自分自身を殺したいと思ったらそれが答えですよ。


本当に闇に自分を突き落としたら進むしかありません。


死にたい
消えたい


思いましたね


心の向くままに生きてみてはどうでしょう。
死のどこに憧れを抱いておられるのですか?

現在の科学では、
死んだあとにどうなるかはまだ解明できていません。

私は仏教徒では無いので、
死んだらただの塵になって終りだと思います。

どの道多分あと2万日も生きません。
あなたと関わりのある人だって、みんな死んでいなくなりますよね。
早く死ぬのって意味ありますか?
他の人より早くちりやほこりになるだけです。
私は天国も地獄も無いと信じてますので。

憧れる意味を逆に知りたいです。
私は生きているうちに、
死んだ後どうなるのかが知りたいです。
わたしも、同じようなことを考えたことがあります。今でも考えています。

で、
なぜ人は生きるのか。

それは、
産まれて、そして
今、生きているから、
です。

死んでしまっていない、
だから生きている。

ただそれだけです。
希望や絶望や、快楽、苦痛、関係ありません。
いま生きているから、生きている。ただそれだけです。

生き物が産まれて死ぬのに、感情は、たしかにそりゃ大事だとは思いますが、でも、それとは関係なくそれ(生と死)は起きます。
感情は動機やきっかけになるかもしれませんが、現象に直接関与しません。……と思いますw;


産まれて生きて、
死んでいないから、生きている。それだけです。
ただ、
未来は、まったく未知のものです。とくに最近はあの地震もありましたし、5分後には自分は死んでいるかもしれません。
けれど、
きっと5分後も明日も来年も、今まで通りやってきて今まで通り過ぎていくだろう、そう無意識に思い込めてしまいます。
だから「生きる」が長く感じる。

生きているだけで素晴らしい、なんて、ただの感情論です。人間より他の動物はそんなこと考えません。ただ種を存続させるために次々に産まれて死んでゆきます。

楽しくても苦しくても「なんでかなー?なんでかな〜?」て言ってるうちに、"その時"が来て死んじゃいますよw

生死に直接関わりないことを考えるのは人間の特権だと思えば、思考するのもたまには楽しいんですけどね……(笑)

なんだか脱線してしまいましたかね(^^;

最後に。
もし自死に苦痛を伴わなくて済むのであれば、たぶん私、もう死んでます。
でもまぁ、現状は生きてますがw


以上、個人的意見でした。長文で失礼しました。m(_ _)m
卵が先かニワトリが先か。この問いは人間にも当てはまると思います。
人は生が先か死が先か。言い換えれば、生を意識するのが先か、死を意識するのが先か、と。
答えは、人はいつか必ず死ぬということを知ることで人は今生きていることを知るのではないでしょうか。
生まれてすぐの頃、幼稚園・小学校で無邪気に遊んでいた頃、初恋をした頃、皆さんは死についてどう思っていたでしょう。逆に生についてはどう思っていたでしょう。差し迫って生死に向き合ったりしていたでしょうか。
人は、死がこれ以上になく重要な概念になりえた時、人はその時かけがえのない生を生きていることにはならないでしょうか。

ミシェル・フーコーという哲学者が『臨床医学の誕生』という著書で<生命>という概念が誕生した理由を、臨床医学の誕生から述べています。
解剖学によって人間の生命のない身体が解剖されて、死を契機として生の概念が医学に取り込まれる必要があったこと、また生物学でも同じように、生命のある存在だけを分類するのではなくて、生体を死すべき存在として理解する必要が生じたところから、生命という機能が認識されるのです。

生物は、かつては自然の分類の一区画だった。しかしいまや分類しただけでは、生物のすべての特徴を明らかにすることはできなくなった。……かくて自然に関する一般的な学問の基盤と基礎として秩序の探求は消滅する ー「自然」が消滅するのである。(ミシェル・フーコー著、『言葉と物』第八章)

十八世紀末の比較解剖学者キュヴィエが生と死の基本的な対立を必要としたことに触れる一節です。現在我々が認識する生と死について十八世紀末までには認識の有り様が違ったのには驚きます。もっと詳しいことについては、フーコーの入門書などを読まれると興味深いことでしょう。 このように歴史的観点からみても死を認識することで生を認識するのです。しかし、一部の方はそのような論理的な説話で死について語られたくないと思われるでしょう。私も一部ではそのような側面をもっています。感情的に受けつけないところがあると。
しかし、このような先人の知恵を冷静に鑑み、咀嚼して、もう一度考えてみましょう。きっと少しでも考えが深まるのではないでしょうか。
先が見えない未来だからこそ楽しみってあるんじゃない?先が見えたら逆に生きていく意味がないと思います。そのさっきの未来の光を見つけるために人間は頑張って生きているんじゃないんですか?
人が自殺するってことはもう先が見えてて日にちがたつたんびに死が近くなってくるって思うから自殺するって自分は思います。
民族のバトンを受け取ったという民族の一員としての自覚の問題です

個人単体で考えるから、勝手に死のうが生きようが関係ないということになんるんですよ

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