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トピック検索コミュの風俗 『子供に携帯電話を持たせることについて』

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教育 携帯電話 パソコン インタネット依存症 ココが変だよ「日本の教育」
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<転記>

携帯電話におけるインターネット閲覧と、PCでのインターネット閲覧について私が感じる違いは以下の通りです。

1)携帯サイトとPCサイトでは情報の質が異なります

PCで検索できるサイトと携帯で検索できるサイトでは、その情報量で大きな違いがあります。PCサイトでは、学術論文や企業研究といった非商用利用のサイトも多数存在するが、現状携帯サイトとして提供されているものは基本的に商用および娯楽利用を対象としたサイトです。したがって、文献やテレビ等で見知らぬことを調べたりするときに携帯サイトを利用すると、不正確で曖昧な情報が入り込む余地が多分にあります。またPCのテレビモニタのような画面と比べ、携帯電話の画面は非常に限定された情報しか表示できません。もちろんスクロール等をすることで長い文章を読むことも可能ですが、携帯サイトは小さい画面で閲覧されることをを前提として作られているので、閲覧できる情報は意図的に希薄にされてます。結果、誤ったり偏った情報(知識)に触れる機会が増えます。

2)携帯サイトは情報処理能力や判断力の低下に繋がる要素があります

一度に目にする情報量が少ないことに慣れ親しむことで、多くの情報や複数の異なる視点を同時並行で捉える"習慣"が身に付きにくくなります。
これは脳生理学的なお話になるのですが、人間の思考には視覚からの情報が多大な影響を与えます。多くの物を見たり、それらを同時に判断したりする訓練をすることは脳の発達に大きく働きかけるのですが、逆に視界から入る情報を抑制したり、単一なイメージしか与えない場合は脳の発達を低下させるだけではなく、その組織の老化(というか死滅)そのものを促進されるという研究結果があります。「そんな大げさな」とお思いになられるかもしれませんが、PCでサイト検索する場合は、一度に目にする多くの情報(画像や文章、広告の内容、コンピュータウィルスとして働くポップアップ広告の有無など)を無意識に判断する必要が出てくるのですが、携帯サイトの場合は画面上で表示可能な情報が極めて限定されていることもあり、そうした"判断"を同時並行的に行う配慮が不要となります。また、自分が探していたサイトか否かの判断をする際にも、とても僅かな文章で判断せざるを得なくなりますので、必然的に客観的な情報を推し量りながら判断するより、サイトの背景色や絵柄といった感覚的な主観に基づき情報入手先サイトを選ぶ傾向が強まります。

またPCサイトの場合はその母数が多いこともあり、物の見方や意見についてもさまざまなものが存在しますが、携帯サイトは全体的に同じ傾向をもつサイトが集まりがちです。これには携帯サイトの限定された表現様式(という技術的問題)という側面が多分にあるのですが、それ以上に現状携帯サイトを作っている側が「商用・娯楽目的」であることも大きな要因となってます。
分かり安く言うと、商用・娯楽という目的性においては、どのサイト(つまり業者)においても近似した閲覧者向けメッセージになるからです。

その結果、携帯サイトとPCサイトで比較すると、携帯サイトの方が多角的な視点で知識を得る機会が圧倒的に少なくなる弊害があります。

3)公共の意識を培う機会を損ねる恐れがあります

これはPCや携帯に限らずインターネットの特性として挙げられることなのですが、インターネットにはテレビ同様『情報に対する受動性』を高める傾向が少なからずあります。脳生理学のお話として、またまた少しばかり脱線しますが、人間の脳には元来、特定の情報に対して意識が向けられた場合、それ以外の不要な情報に対して注意を抑制する傾向があります。これは割りと良く知られたお話ですが、交通事故など生命の危機に直面した際、人間の脳は実に巧みに不要な情報を省略します。具体的には、まず色彩情報をカットし、次に動きに関する情報も制限されます。その結果、事故で車に跳ねられた人にとって周囲の光景はスローモーションで映ることがあります。

PCにてインターネットしていても「あ、気が付いたらもうこんなに時間が経ってる!」という感触を挙げる人たちが多数いるのですが、それはこうした脳の働きと密接に関係しております。簡単に言うと、現在PCを使用して我々に閲覧(処理)されている情報量は、元来人間が持ちえていた処理能力を大きく上回っている、ということです。

つまりインターネットには『周囲を意識せず自己に埋没する空間を容易く築き上げる』傾向があります。これが、PCでなく携帯電話となった場合はどうでしょう。携帯電話は、その"携帯性"から場所を選ばすインターネットに接続可能です。それはつまり、公共の場においても容易に「自己への没頭」を可能ならしめるツールとも言えます。駅やホームにおいて、携帯を片手に周囲の流れを気にせず歩いた挙句にゴツンとぶつかる光景は、そのようにして出来上がります。

我々大人は公共の場と私的な場を区別しておりますが、区別するからには「公共の視線」を感じることが前提にあります。しかしながら携帯電話に慣れ親しむ習慣が身に付くと、いとも簡単に公共の視点が崩れ去る機会が多くなり、結果として公共の精神を養う機会を損失することが危惧されます。

少々長くなりましたが、ぱっと思いつくのは上記のような点です。
こみMAMAさんがお子さんに配慮して質問なさっていることを踏まえて申し上げるなら、本来は「インターネットの特質や中毒性」についても併せてお伝えすべきかと思いますが、ちょいとそっちの方はボリュームがありそうですし、『インターネット依存症』というキーワードで数々の調査結果や文献がございますので、今回は割愛させて頂きました。


転記:『ネットコミュニケーションのメンタリティー』について

今から十年弱ほど前、私は個人的興味で『ネットコミュニケーションのメンタリティー』について調査したことがありました。
当時はISDNが導入され始め、若い女性を筆頭にインターネット人口が爆発的に増え始めた時期でした。

調査の動機は、インターネットやカーナビに頼りがちな人々に良く見られる『表層的で具体性に欠けた実体を、自ら検証せずに過信する精神構造』の解明にありました。手法としては当時としては珍しかったSNSサイトを場として利用し、約1年半もの間に200名からなる実に多彩なキャラクタの方々とコンタクトしました。

そのサイトには、普段の生活での人間関係に取り立てて不満もないし、それなりに今の自分に満足している人も大勢いらっしゃいましたが、活発にサイトへアクセスし、尚且つさまざまな(mixiのコミュニティと同じコンセプトの)掲示板にて自我を過剰に露出しがちな人々も多数見受けられました。所謂ネットサーファの属する人種です。

彼らの中にもさまざまなコミュニケーションスタンスが存在しましたが、不思議と共通する人間像が浮かび上がりました。

* 自分の気持ちや人間性を話す機会や友人が少ない
* 人恋しい反面、人をあまり信用していない
* 人間は本当の意味で分かり合えないと信じている
* 今の自分をあまり好きじゃない

そうした彼らのコミュニケーションは凡そ以下の特徴が見られました。

* 自分の人間性が表出するような会話は避ける
* 自分自身について一方的に話し、静かに聞いてもらうことを望む
* 稚拙な友達ごっこに埋没する
* 会話の内容が極めて表層的・記号的。テレビや芸能人のゴシップに
や最近話題になっているって事柄などその場限りの話に終始する

彼らに共通して言えることは「マトモに人と向き合うことを避ける」自我の在り方でした。

一方遡ること'85年〜'95年頃までは、記号的消費によって自分のグループやステータスを競い自我を確立する手法が多くみられましたが、'96年頃からは自意識ではなく自分そのものを購入する図式にシフトしていきました。分かりやすい例でいうと、それまでの自己啓発とかマニュアル本の後継者として『ソフィーの世界』的な本が売れ、PHP文庫の愛読者が急増したという具合です。多数の若者が『本当の自分探し』に飛びつきましたが、彼らが飛びついた先はハイデガーやヴェトゲンシュタインのようなロジカルなヤツではなく、個人の主観(感情)が癒されるカタルシス系の本(似非哲学)でした。彼らに共通してみられる傾向は『今までの僕よ、さようなら』という強い自己脱皮を望むところにあり、これは消費のベクトルから捉えてみると『自らを消費することによって自らを購入する』流れでした。

そんな時代に登場したのがプリクラです。
それ以前にもセピア色の使い捨てカメラなど、『今が大切』という刹那なアイテムは幾つかありましたが、プリクラ程即物的で切ない商品は類を見ませんでした。うんざりするほどの写真を手帳に張り付けて、電車やなんかで自分のプリクラを確認する仕草は、老人が若い時分の写真に涙する、哀れで物悲しげな光景を想像するに十分でした。巧みに自分史を断絶し、ついでに昔話にさえしてしまうこのアイテムに、中学生から老人まで夢中になりました。バブル経済の破綻後、高度資本主義社会の大量消費ベクトルは、いつしかミニマルな人格消費に変貌し、果ては自らの過去すら消費対象にしてしまった、というのが当時の私の印象でした。

そんな時代の要求に答えるべくマーケッタが市場に仕組んだ新たな"自己消費ツール"がPCでした。私はPCのメールやSNSサイトのメッセージのやり取りに夢中な方々について、『彼らはネットワークを介し、"今ここに居た他人の精神"を感じることで過去を消費、確認している』と考えました。つまり、こういう事です。

* メッセージ受信→「今、ここに在った精神」を感じ確認する喜び
* メッセージ送信→「今ある自分の精神」を具体的結晶にする喜び

自分の考えたこと感じたことを、可能な限り自由な形で結晶化させて伝達し得る喜び、若しくは、普段の生活では既に死滅しつつある個人と個人の精神的交流を、文字列という極めて具体的な媒体でもって確認しあえる快感、それこそが彼らをモニターに向かわせている呪縛の本質で、その中毒性は普段の生活の人間関係や自我肯定の希薄さと比例するかの如く増長する、という見解に繋がりました。

当時私が調査対象していた『自慰に明け暮れるネットサーファ』は20代〜30代の大人であり小中学生を対象にしたものではありませんでしたが、これらネットサーファのメンタリティと小中学生のそれは近似するところがあると思われます。

従って携帯というツールの特性より、そのメンタリティの在り方に注意を払わねばツールがPCにとって替わったところで本質的には同じに思える次第です。極端に平たく言えば、自宅PCにかじりつく引きこもり児童を大量生産するだけだと思う訳です。

少々古い資料ですが面白い研究成果を見つけました。

『CEC 財団法人 コンピュータ教育開発センター』なる機関が文部科学省および文化庁委託事業として平成14年に実施した調査で、内容は「情報化が子どもに与える影響(ネット使用傾向を中心として)に関する調査」というものでした。

http://www.cec.or.jp/monbu/index.html
(平成14年度事業参照)

私が先に記載した調査を実施したのは'98〜'99年頃でしたので、携帯電話とインターネット依存症との関連性を直接推し量ったものではありませんでしたが、この機関の報告書では『ゲーム機及び携帯電話利用実態と「インターネット依存」傾向との関連』という観点でクロス分析を実施したものが掲載されておりました。(第4章 児童・生徒アンケート調査の分析)

中々興味深い結果が記載されてます。

その他の章においても非常に的を射た研究内容に思えましたので、併せてご覧になることをお勧めします。特に最終章の「総括」にて記載されている箇所は、私としてもとても共感できましたので引用させて頂きます。

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(a) 第一に、「インターネット依存」が電子ネットワークに特有の問題ではないことである。むしろ、それは日常的な世界の問題である。「インターネット依存」が電子ネットワークと関わって問題にされることから、リアリティとバーチャルリアリティとの対比の中で、この問題を捉えたいという誘惑が生ずるかもしれない。だが、「インターネット依存」が、少なくともリアルな日常世界の問題と無関係に存立するわけではないことを認識しておく必要がある。
子どもたちのアンケート分析がそのことを示しているばかりか、文献などで紹介されている「インターネット依存」からの回復例がとりわけその傍証になる。医師やセラピストが「インターネット依存」症の患者に対して施す療法は、性犯罪セラピー、社会的スキルの向上、婚姻セラピー、家族セラピー、心理療法など、そのほとんどが日常の世界で生ずる諸問題に対して用いられる処方である(第7章を参照のこと)。日本でも、「インターネット依存」患者の治療において、通常の行為依存に対処するものとほぼ同じ方法で成果をあげている医師が存在する。

(b) さらに、以上のことは、「インターネット依存」に陥っている人たちが、電子ネットワークを日常世界の「代替」物として捉えていることを強く示唆している。しかも、この代替世界が、彼らにとって、居心地のよい安全地帯となっている点は重要である。「インターネット依存」からの回復が難しい理由はここにある。それが、日常世界に対する否定的な意味づけと深くつながっているからである。上記のセラピストや医師たちの手法は、時間をかけてこの「否定的な意味づけ」を解きほぐし、日常世界の意義を再認識させながら、患者を代替世界から日常世界へと回帰させる手法にほかならない。「インターネット依存」傾向を強く示す子どもたちにに対しても、同様の処方が求められよう。彼らにとって、真の安全地帯は家庭以外にありえないはずだからである。
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<目次>
第1章 「インターネット依存」とは(PDF形式:89KB)
第2章 ケーススタディ(PDF形式:52KB)
第3章 「インターネット依存」からの脱出・予防(PDF形式:22KB)
第4章 児童・生徒アンケート調査の分析(PDF形式:735KB)
第5章 保護者アンケート調査の分析(PDF形式:392KB)
第6章 教師アンケート調査の分析(PDF形式:322KB)
第7章 海外の「インターネット依存」研究と文献調査(PDF形式:167KB)
第8章 我が国における「インターネット依存」」に関する研究と文献資料(PDF形式:25KB)
第9章 総括(PDF形式:45KB)

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